48限目_「善良な不良」それこそが目指すべきもの




ホイッスルの音と部長の声が蝉の騒がしさに割ってはいるように体育館に響く。午前練の終了の合図であるそれに部員はコートから散り、あたしはと言えばタオルを首に引っ掛けて全開にしてある体育館の扉からぼんやり外を眺めていた。この時期の体育館は地獄のように暑い。決して閉め切っているわけではないけれど、中に熱気が篭るので正直外の方がまだマシなのではないかと思ってしまうほどだ。
水分取っときなさいよ、とこちらに部長にタオルで頭を叩かれたあたしは適当に頷いてペットボトルを掴む。


「あら、あれ多賀谷先生じゃない?」
「へ?あ、ほんとだ」


あたしの隣に並んだ部長が不意にそう言ったので、彼女の視線の先へ目を移すと、そこには確かに多賀谷がいた。彼は雑巾とバケツを持って、この炎天の中、ふらふらと何処かへ向かっている。方向的には駐車場だろう。それよりも部長が多賀谷を知っていたことの方が驚いて、それを口にすると、彼女は苦笑した。「そりゃ知ってるわよ」


「あの先生、生徒に虐められてるって有名じゃない」
「ああ…」
「同情するわ。なんだかいろんな意味で危なっかしい先生だなって思う」


部長は多賀谷が見えなくなるまでその姿をじっと見つめており、木の影に隠れてしまうと、あたしに向き直った。彼女の言葉と表情の意味を知りたかったが、あたしが口を開く前に「あんたがんばんなさいよ」とだけ言って、部長は自分の荷物のある方へと行ってしまった。部長は、「あたし達が疑われている」ことを知っているのだろうか。そうして考えているうちに、気づいたらあたしは体育館から出て多賀谷を追いかけていた。

彼はやはり校舎裏の駐車場にいた。自分のものらしい車の前にぼうっと立っているので、どうしたのかと近づけば、彼の車にはクレンザーだとか、チョークの粉だとかが撒き散らされている。生徒からの嫌がらせの一つだろう。くだらないことをする。車の真上を見ると、校舎の窓が空いているのが見える。きっとあそこから、真下のこの車にものをぶちまけたのだろう。
あたしは肩をすくめると多賀谷の足下のバケツから雑巾を取り出して車を拭き始めた。彼はまさかあたしがいるとは思っていなかったようで、何をしていると動揺していた。


「くだらないことする奴もいるんだなあと。手伝います」
「結構だ」
「手伝います」


彼はあたしを訝しんでいた。そりゃあ敵対視している問題児にそんなことを言われても怪しいと思うのは仕方がないことだろう。しかし自分で言うのもなんであるが、あたしはそこまで悪いやつではないと思う。


「…」
「そんなにあたしが嫌なら他にも人呼びます」
「いや、」
「出でよツル」


多賀谷の言葉を無視して、あたしが一声上げると近くの茂みから、誰かが飛び込み前転を繰り出しながら飛び出した。もちろんそれは誰かと答えるまでもなくツルで、お呼びかな、とかっこをつけている彼に雑巾を押し付ける。どうせずっと見ていたのだろうから、説明は必要ないだろう。というか、本当にあたしの写真を撮るためだけにずっと後をついて回っているのだなあと、正直感心してしまった。多賀谷はまさかツルがいるとは思っていなかったようで、「何で鶴岡がいるんだ」とひたすらに狼狽えている。


「ああ、先生、僕は君のストーカーなんですよ」
「だそうです」
「…はあ?」


そうして多賀谷がほうけている間に、あたし達はテキパキと掃除を開始した。しばらくしてから、彼ものろのろと雑巾を掴み始める。どうやらすっかりこちらのペースに飲まれて、あたしに文句を浴びせる気力も失せらしい。ふと、弱々しい声で多賀谷がツルを呼んだ。


「真面目な君が、と釣るんでいるとは意外だったよ」
「先生、僕は真面目ではありませんよ」


僕は、君がサボるなら授業だってサボりますと至極真面目な顔でツルは続けた。「先生は物事を表面的に見過ぎです」


「あたしもそう思う」


だいぶよごれてしまった雑巾をバケツに放り出すようにして手放すと、あたしは多賀谷へと視線を移した。彼はあたしと目を合わそうとはせずに、黙れとばかりの威圧感を放っていた。あたしはぐしゃりと額の汗を拭う。
この間も言ったけれど、彼はもっと自信を持つことや生徒と向き合うことをした方がいい。それをしないから生徒のことが何もわからないし、怖いのだ。


「お前に何がわかる」
「わかるよ。あんたあたしの目を見て話したことないでしょ。他の人に対しても」


そんなんで生徒のことが分かるはずがない。真剣に向き合ってやらないから生徒が不安になって、それが嫌がらせとして表に出てくるんだ。


「逆に聞くけど、先生はあたしの何を知ってる?」
「…」
「不良だって事しか知らないでしょ。ここで会わなかったらきっとツルと友達なことも知らなかった」
「不良というレッテルを張る以外に何がある。規律を乱すのはお前達だ。お前たちが全部悪い!」
「そうやってあんたはよく知りもしないくせにあたし達を盗難事件の犯人だなんて勝ってに決めつける」


何も知らないくせに、自分のものさしだけで相手を推し量って。だから何からも信用されないんだよあんた。俯いて黙りこくる多賀谷をじっと見据えて、あのさあと口を開く。
先生は本当は全部分かってるんじゃないの?
あたし達が犯人じゃないことを。自分がこのままではいけないこと。でもそれを変えることができないのは、きっと何かに縛られているからではないだろうか。「先生、」あたしが彼の腕を掴もうとした瞬間だった。上から突然だばだばと水やらチョークの粉やらがあたしの頭に降り注ぐ。「あれ多賀谷じゃなくね?」上からそんな声がした。ゆっくりと顔を上げると、校舎の窓からこちらを見下ろす男子が二人。隣のクラスの知り合いだった。恐らく多賀谷の車に悪戯をしたのも彼らなのだろう。もうちょっとよく見てからこういうものは実行すべき出だろう。注意力が足りないし詰めが甘い。…ってそうじゃなくて。彼らはあたしと目を合わすとあちゃあ、みたいな顔をして苦し紛れに笑顔を浮かべている。


「やべだよあれ」
「あ、ホントだ。ごめんなー
「今度ガリガリ君やるから!許してな!」


早口に詫びを入れられ、逃げるようにその場から走り去った馬鹿二人を見えなくなるまで睨んでいたあたしは、首にかけていたタオルで顔を拭う。隣ではツルが「よくも君を、」なんて騒いでいるがそんなことはどうでも良い。許さねえよ。窓から多賀谷へと視線を移すと彼は肩をびくつかせた。



先生が望むならあたし、あいつらぶっとばしてくるけど
「………。遠慮しておこう」
遠慮しなくていいよ、心配しなくてもあたし強いから。おいツル、テニスコートから丸井と仁王呼んできな
「御意です!」
「つ、鶴岡!」



そうしてツルは多賀谷の制止も聞かず走り出した。止めたところで無駄だ。彼はあたしの命令は絶対に断らないのだから。最近暴れたりていなかったからこれであいつらをいびってストレス発散しようじゃないか。


ああ、それにしても、だ。
状況は思ったよりも面倒臭そうだぞ。駆け出したツルの背中をぼんやり眺めながらあたしはこっそりそう思うのだった。




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(140314_夏のある日、)
すっごいつまらない話でしたね…すいませんでした。というか今日はホワイトデー!