46限目_鏡は女子の必需品だから持っとけよ



補習で学校に呼び出されたあの日。コンビニのパシリから帰った俺は、迎えに来たらしいと会って、そうして教室に戻る途中、運悪く俺達の担任と鉢合わせていた。彼は当然真面目に補習を受けずにふらついていた俺達を見つけると、すぐさま顔をしかめたのは言わずとも想像ができたと思う。今俺達は盗難事件の犯人だと疑われているわけであるし、面倒なことになったと、前を歩いていたの背を一瞥する。多賀谷は案の定俺達にどこへ行っていたのか問うたのだが、すかさず答えたのはだった。


「アイス買ってきただけ。別に何もしてないですよ。また盗難事件だなんだって騒ぐなら調べてみたら?自分の財布しか持ってないから」


大袈裟に肩を竦めてそう言った彼女を、多賀谷はじろりと見回して、それからすぐに「…それなら構わない」と引き下がった。しかし、それと同時に何を思ったのか、が突然多賀谷の胸倉を素早く掴んで殴るフリをしたのである。ひ、と小さい悲鳴を上げて彼は抱えていた資料を床に落とした。それは誰かに踏まれたのか、たくさんの足跡で汚れて、ぐしゃぐしゃになっていた。しかしそんなことは御構い無しに、彼女は「あたしが怖いですか」と多賀谷へ聞く。ただでさえ気に入られていないのに、何をしているんだと、俺は彼女の腕を抑えると、それはあっさり外された。そうしてすぐさま相手を小馬鹿にしたような顔をして見せる。


「先生、あたしの右手はあたしの正義を貫くためにあるの」
「…は?」
「清く正しく健全に悪戯して、ふざけて健やかに過ごして、あたしの周りにある大切なものの平和が守られるためにある」


だからあんたのことは殴らないよ。
そう続けて、右手をひらりと揺らした。俺もそうだが、多賀谷も一体彼女が何の話をしているのかと、そんな面持ちであった。


「あんたがやってることは間違ってない。だからあたしは殴らない。学校からしたら『あたし達みたいなの』が邪魔な存在なのはよく知ってる」
「何が言いたい」
「普段やらかすことは、あたし達が悪いって分かってる。それを暴力をもって反抗する気はないからあたし達を怖がらなくて良いって言ってんの」
「…怖がる?」
「怖がってるじゃん。…でもね、言わせてもらうけど、あたし達は盗難事件なんて本当に知らない。あんたらがあたし達にどんなレッテルを貼って叩こうが知ったこっちゃないけど、そのせいで、最近周りから変な噂立てられたり一部で陰口言われてるわけよ」


は黙って話を聞いているのをいいことに、そのまま言葉を続けた。別にそれは大した事ではないし、自分もそれぐらいで傷つくような人間ではないけど、と。


「でももし、これがあたしの周りの大切なものを傷つけることに繋がったら、その時こそあたしはあんた達を潰す」


彼女が右の拳を突き出して、お得意のメンチをきった。何が怖がらなくて良い、だ。どう考えたってこれは脅しの顔である。彼女は分かっていないのだろうけど。俺は足元の資料を適当に拾って多賀谷へ押し付けるようにして渡すと、彼女の頭をはたいた。いい加減にしろと。「なにすんだよ」こっちの台詞だ。なにメンチ切ってんだ。


「だって、分かってないからイラついて」
「はあ?」
「先生は何のために今そうしてるの」
「…」
「あんたいつもそうやって何もかもに怯えてる。生徒を怖がって、向き合おうとしないから、そんなくだらないいじめにあうんだよ」


そうしてが顎でしゃくったのが、彼の手に抱えられたあの汚れた資料だった。そうか、これは生徒からの嫌がらせか。彼はみんなから嫌われていたから。しかし、がつがの言葉を言う前に、うるさいと怒鳴り散らすと、彼はその場から逃げるように去って行ったのだった。






「この間のこと、まだ気にしとるんか」


頭上からそんな言葉がタオルと一緒に降ってくる。練習に身が入らず、そのことをつい先ほど真田から指摘を受けて、怒鳴られる前にと逃れてきた俺は、ただぼんやりとこの間のと多賀谷のやり取りを思い返しながら水道で頭を冷やしていた。自分が練習に集中していない自覚はあった。水の冷たさにぼんやりとしていた頭がさえていくのがわかる。しかしそれは仁王によって遮られ、タオルで乱暴に頭を拭われる。顔を上げると、暑さが苦手な彼は案の定情けない顔をしてそこにいた。俺と目が合うと仁王はもう一度、同じことを問うた。


「…まあ、な」


彼が言っているのは、おそらくツルの事であろう。先ほどした話の後、多賀谷の去ったタイミングを見ていたのか、現れたのは仁王とツルだった。そこでツルはにその高圧的な態度によって俺達の立場が悪くなるから良くないと叱ってこう言ったのだ。
「君達がそんなに隙だらけなんだ。僕が板東なら、そこを突いて君達を全力で排除するよ」と。
何がどう、とは言えなかったが、その言葉に何だか引っかかりを感じていた。俺は唸りながら渡されたタオルで顔を拭いていると、その時ふいに後ろから肩に腕を回され、その勢いで、俺も仁王も前につんのめる。一体何だと横を見れば、いつの間にか俺と仁王の間にいたのはだった。
今日はテニス部ではなくバスケ部の練習に出ているはずの彼女は、バスケ部のウェアを着て「よう」と笑う。現れ方がやはり女子じゃない。


「お前、まだ部活中だろ。どうしたんだよ」
「今休憩中なんだよ。二人の顔が見たくなっちゃってーみたいな?」
「はあ?」


何言ってんだこいつ。仁王と顔を見合わせていると、彼女は冗談だよとあからさまに顔をしかめた。「そんな話じゃなくてさ」


「板東があたし達を監視してんの、気づいてるか?」
「板東が?」
「今も見られてる。上」


彼女の言葉につられて俺は顔を上げそうになったのだが、すかさず頭を抑えられて阻止された。上ということは、目の前にそびえる校舎の二階三階あたりから真下のこの水道にいる俺達を見ているということだろう。彼女はおもむろにポケットから鏡を取り出した。そもそも彼女が鏡を持つような女だったということに驚いたが、そこを突っ込むと文句を言われることは間違いないので、口をつぐんだ。代わりに仁王が、出された鏡を覗き込んで首をかしげる。それはほぼ真上、つまり校舎を映していた。顔を上げずに上を確認するにはもってこいの方法だ。そこには確かに三階から俺達を見下ろす板東の姿がある。一体いつから。
俺達がそれを把握したのを確認すると、彼女は再び口を開いた。


「二人とも今日さ、あたしん家で夕飯食わない?丸井作ってよ」
「は、何突然。今日?」
「別に構わんけど、」


なぜこのタイミングで。最近彼女が読めないと思いながら、俺達から離れた彼女を視線で追う。パチンと鏡を閉じた彼女は夕飯の材料はうちが出すからと俺に言葉を付け加えると、指を立ててこう言った。


「うちで作戦会議しようよ」






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(140310_作戦会議)
私は鏡なんぞ持ち歩いていません。