38限目_後悔は先に立たない試しに電話を掛けても見つからないし、跡部に学園祭中に出た落とし物を見せてもらっても手掛かりはなし。そうなるといよいよあたしの携帯を探し出すのは不可能だという結論が浮上し始める。そう、あたしは昨日、赤也と買い出しに行った時に携帯をなくしたっきり、実はまだそれを見つけることができないでいた。元々あたしはそこまで頻繁に携帯を使用することはなかったので、何がどう困るわけではないけれど、一応自分や友人の個人情報が入っているし、どうしてないのかも分からないしで、不覚にもあたしは相当落ち込んでいた。 「携帯の話は聞いたよ。大丈夫かい君」 「ああ、あんたいたの」 スマッシュでビンゴのテントを作るべく、パイプを組み立てて布を張っている時に、後ろからそんな声がかけられた。頬を伝う汗を拭って声の方へ目をやれば、そこにはツルと、それから何故か丸井。流れ的に彼から携帯の話を聞いたのだろう。ツルは仕切りに落し物は見たのかとか、どこどこは探したのかとか、あたしを質問攻めにしたのだが、あたしはすでにやれることは全てやっていたのだ。 「お前、超落ち込んでんのな」 「うるさいわい」 「後で俺らも一緒に探してやっからあんま気ぃ落とすなよ」 「…うん」 いくら悩んだところで出てくるわけではないことは分かっている。今は学園祭の準備に集中しなければならない。昨日の階段から突き落とされたことも、それから氷帝の運営委員のことも、携帯の他にも気になることはたくさんあるけれど、これ以上皆に心配はかけたくない。ただでさえ仁王に意味の分からない不安を抱かれているくらいなのだから。 「ていうか何で丸井、こっちにいるの」 「気分転換ー、みたいな?」 「幸村に怒られても知らないよ」 「大丈夫。偵察って言っといたからな」 ならわざわざここじゃなくて、別のところを眺めていれば良いものを。口には出さずに頭の片隅でこっそりそう思っていると、突然「作業が遅れているぞ!」と真田の喝が飛んだ。携帯のことでぼんやりしていたことと、それから暇人丸井のせいで、確かにあたしの作業はかなり遅れている。「ほら言われた丸井」「俺かよ」ジャッカルの真似事をした丸井を尻目に、気の抜けた返事を真田に返し、自分の仕事に戻ろうとすると、その前に真田があたしの肩を掴んだ。 「待て、それはもういい。お前には別の仕事を頼む」 「…なんすか」 「倉庫から的に当てる用のボールを持ってこい」 確か倉庫にボールの入ったダンボールを見かけたから、それを持ってきてくれれば良いと、彼は言った。真田はどうやらあたしが携帯を無くして落ち込んでいることに気づいていたらしい。ただの荷物運びなら極端に仕事が遅れることはないし、彼なりにあたしに気を遣って単純な作業を割り当ててくれたに違いない。 「少し重いだろうがお前なら持てるはずだ。頼んだぞ」 「あいよ」 「ちょっと待った」 雑に敬礼を決めた時、あたしと真田の間に割って入ったのは赤也だった。彼はあたしの右手首を一瞥してから俺が行きますと名乗り出る。彼は昨日のあたしの怪我を気にしているようだ。あたしは包帯を隠すためにしていたリストバンドをそっと後ろに隠した。真田が物珍しげに赤也を見る。しかし怪我について口止めをしたあたしがいる手前、どうしてそんなことを言ったのかの理由はもちろん言えるはずもなく、「先輩、一応女の子だから、というか」と苦しい言い訳を並べている。一応ってなんだ、一応って。 「しかし大した量でもあるまい」 「いやまあ、」 「んじゃ俺ついてく」 そこでひょろりと上がったのは丸井の手だった。彼はどうせこちらのグループではないから彼があたしを手伝ったところでこちらに損はない。言い出しっぺの赤也は丸井とあたしを交互に見てから、一瞬だけバツの悪そうな顔をして、そして引き下がった。なんだその顔。すごく気になる。 一方の真田はそこでようやく丸井の存在を認知して「そもそも丸井はそこで何をしている!」なんて怒鳴ったので丸井の肩がビクついた。「今更かよい」同感。 「まさかサボりか?…お前はいつもそうやって」 「はいはい説教すんなよ。…行くぞ」 「え、」 「ぼやぼやしてんなよ。ほいじゃ競争。よーいドン」 「は!?」 そうして突然始まった競争に、あたしはスタートダッシュをかました丸井に釣られて走り出した。後ろで「待たんかあああ貴様らああ」と怒鳴る真田の声はすぐに聞こえなくなったが、あとでどうなっても知らないぞ丸井。ていうかなんであたしまで悪いことになっているんだ。あたしは前を走る彼の背中をひと睨みした。 「…ところで何で競争なんだよ」 「だってダラダラ歩くのつまんねえじゃん」 彼は振り返りざまにウインクして、「早く倉庫に着いた方の言うこと聞くってことで」とふざけたことを抜かした。意味がわからない。普段は暑いだるいと走ることを拒む癖に、今日の丸井は一体どうしたというのか。彼はそんなルールだけを簡単に言うと、流石テニス部レギュラーとでもいうスピードであたしの前をかけて行った…って、 「ちょっと待てお前どんだけ本気!?」 「常勝立海だろーい」 「え、は、早すぎるだろ!」 Δ 勝敗なんぞ目に見えていた。あたしは短距離走が得意なのだ。バスケ部で培われた瞬発力も、丸井の意味の分からない発言によって出遅れたために役に立たず、つまりあたしの勝ち目などなかった。きっと丸井も始めから分かっていたのではないだろうか。倉庫の前でぜいぜいと荒く息を吐き出すあたしを丸井は「だらしねえなあ」と笑っている。そういう彼は息一つ乱れていなかった。これが立海テニス部。 「しょうがねえな。ボールは俺が運ぶから、お前は息を整えろよ」 「丸井が優しくて気持ち悪い」 「お前のヒットポイントを完全にゼロにしてやってもいいんだぜ、今ここで」 「最近幸村に似てきたね」 正直手首も痛かったので、彼の申し出はありがたかった。彼が箱を抱えて歩るく隣に並んで、ぼんやりと学園祭の準備で賑わうグラウンドを眺める。準備期間が始まりもう一週間が経とうとしているだけあって、ほとんどの模擬店がほぼ完成した状態にあった。「案外早かったな」丸井がぽつりと呟いた。 「まあ楽しいことは早く過ぎるっつうし」 「え、何、柄にもなくすでに感傷的になっちゃってるわけ」 「そのにやけ顔やめろしばくぞ」 丸井は箱を片手に持ち替え、空いたてであたしの頭を小突こうとしたが、彼の技はだいたい見切っている。腕を掴んでそれを阻止すると、彼はあからさまに不服そうな顔を見せた。あたしはそれにドヤ顔を返してやろうと思ったのだが、その前に、ふと目に入った丸井の腕の傷に目がいって、無意識に掴んだ彼の腕を引いていた。何かにひっかかれたような、縦に長い傷だ。 「これどったの」 「あー…猫だよ猫。引っかかれた」 「ああ、野良猫がいるとか委員会で言ってたかも」 「多分それ」 「何、野良猫の餌でも横取りしたの?いくらお腹空いててもあんたそれは人としてさあ、」 「ちげえよ」 「なんだ」 頭の後ろに手を回して、あたしはケラケラ笑った。丸井の不機嫌そうな顔が見れると思ったのだが、しかし、その予想は外れ、彼は想像以上に暗い面持ちだ。今のやりとりにそんな表情になる要素は恐らくないし、何かあったのか、そう問うこともできただろう。けれど、なんとなくそれは憚れた。丸井は無言であったが、何も聞くなと、そう言っているような気がして、だから今は聞くのをやめようと思った。 けれどそのことをあたしはすぐに後悔することを、この時はまだ知らない。 BACK | TOP | NEXT (131215_いつだって気づいたときにはもう遅いんだ) |