37限目_灯台下暗し、灯台でも暗し




あたしは二つの模擬店の手伝いをしているのだから、両方の人手が足りない時にはどちらかを優先して手伝うしかないということは、全員が理解していることだし、そもそも考えるまでもないことだと思っていた。しかしどうやらそうではなかったらしい。最近ご機嫌斜めなことで有名な丸井ブン太を目の前に、あたしは盛大にため息を漏らす。彼はふくれっ面であたしを睨んでいた。彼の言い分は簡単にはこうだ。「買い出しに付き合え」と。もちろんそれに付き合うこと自体は問題はない。しかし実は先に赤也にも同じようなことを頼まれていたので、それを今引き受けるわけにはいかなかったのである。
あたしが首を横に振る理由を彼に伝えれば、彼の表情はあからさまに曇った。ああ、勘弁してくれ。


は俺と買い出しが嫌ってか」
「あたしの話聞いてた?そんなこと誰も言ってないでしょーが。ただ先に赤也に頼まれちゃったから、今は行けないって言ってるだけで」
「お前は今まで親友やってきたこの俺よりぽっと出の赤也を選ぶんだな」
っとにお前めんどくせえな


つうかぽっと出の赤也ってなんだよ。
あたしがそう本気で眉を顰めると、意外にも丸井は一瞬だけたじろぎ、視線を泳がせた。多少は自分が我儘を言っていることを理解しているのだろうか。なんだか最近の丸井は本当によく分からない。あたしはそのまま彼の次の言葉を待っていると、しばらく間をおいてからついに、丸井の口は開かれた。「…お、美味しいあんみつ屋に行くぞ」さて、何を言い出すのかと思えばそんなことで。いいか、丸井。真面目に買い出しをしろ。


「今なら奢ってやるぞ」
「いらない」
「…」


ぴしゃりと拒絶の言葉を出すと、彼はとうとう口を閉ざしてしまった。ふうん…、と短い返事と共に足元へ落とされる視線。これは怒っていると言うよりはいじけている。奴は兄貴な面とガキらしい面とを持ち合わせているが、ここまでふてくされた姿は久々に見た。彼はいつだってあたしを諌める兄貴役だったり、一緒にふざける、正しく親友の位置にいたのだから。


「ごめんて、また今度付き合うから。あんみつなら明日でもいいじゃんか、な」
「やだ」
「…拗ねんなよ」


らしくないなあ。なるべく丸井を刺激しないように、柔らかく言葉を付け加えた。ほんと、最近あんた機嫌悪いんだから。そしてそう頭を撫でてやるつもりであたしは手を伸ばしたのであったが、それは彼に届く前に弾かれ、捕まった。「つうかさ」何か吹っ切れたような丸井の声。


「お前は俺んじゃん」
「…はい?」
「なんか、こう…ムカつくんだよ、が他の奴と仲良くしてんの見ると」
「お、おう」
「お前は俺らのだから、他の奴と仲良くしなくていい」
「…そ、そう?」
「うん、仲良くして欲しくない」


やはり前回と同じで、こんな駄々を真顔で言い切る丸井。彼の子供じみた姿にあたしは勢いを失い、知らずと口元には苦笑いが滲み出ていた。
ここまで言われて気づかないあたしではない。つまり彼は嫉妬していたというわけで、あたしからすれば、丸井や仁王の方が跡部なんぞよりよっぽど大切なつもりだったので、彼の心配は下らないと感じてしまうのだが、まあ嫉妬なんてそんなものなのだろう。あたしは腕で口元を覆うと目の前の丸井からは「笑うな」と不服そうな声が上がる。いやいや。


「丸井」
「…あんだよ」
「可愛いこというじゃん」
「可愛い、って、…っ馬鹿にしてんのか」
「してないしてない、ふはっ」
!」
「いやあ、丸井今すっごい顔してるよ。鏡見てきたら」
「うるせえ」


照れたような悔しがっているような、とにかく丸井はなんとも言えぬ表情をしていた。機嫌を取るわけではなかったが、先程仁王の手品の練習に付き合った時にもらった飴を取り出して彼の目の前にちらつかせる。「ね、飴いる?」「うん」言うまでもなく即答されて、あたしは再び噴き出した。


「ごめんね、っはは」
「うん」
「あたし、あんたのそういうとこ、結構好きだよ」


そう言うと、彼はあたしに笑われた腹いせなのか、早速口に放り込んだ飴で右頬を膨らましながら「知ってる」と素早く答えた。あんた、わざとやってるならとってもあざといよ。

そんなこんなで、丸井の不機嫌の理由も、赤也との買い出しのことも落ち着いたわけだが、それじゃああたしはそろそろ行きますよと言うところで、何故か丸井に引きとめられた。なんだ、まだ何か。



「ん?」


ばちりと合った視線は思いの外すぐに逸らされた。「あー…いや、…やっぱり何でもない」「はあ…?」「…ま、気ぃつけてな」彼の表情が、今一瞬だけ先程の仁王のそれに重なったような気がしたのは、あたしの気のせいだろうか。何か言うのをやめた丸井のことは少し気にはなったのだが、そもそも赤也との約束の時間まであまり時間がなかったので、彼の言葉に頷いてからあたしは丸井と別れて赤也を探しに出たのだった。


Δ


さて、こんなに暑いと短い距離でも移動が億劫になる。だから赤也にメールをして、入り口にいるから買い出しに行くなら今すぐに来いと呼び出せば良いと思ったのだが、実は困ったことになった。
携帯が、ない。
ずっと鞄に入れっぱなしにしていたのにどうしてないのだろうか。今日は午前中は甘味処の手伝いをしていて、あのブースから出ることはなかったから、携帯をわざわざ持つ必要はないと鞄の中に入れていて、その鞄はいつものようにテーブルの上に放り出していた。あたしは基本的にずっと模擬店の中にいたし、何より丸井や柳や幸村もいたのだ。心配はないと思ったのだが、まさか誰かが模擬店に入って来てとったとでも言うのだろうか。

入り口に向かうため、本館の階段をあたしはそんな思索をしながらだらだらと降りる。それがいけなかったのかは分からないが、とにかく注意力が散っていたことには変わりはない。後ろの方で何か人の気配がして、それに気づいた時にはもう遅かった。壁に建てられていた模擬店宣伝の看板があたしの方へ覆いかぶさる様に倒れてきたのである。
勢いに押されて階段を踏み外したあたしはそのまま一番下まで転げ落ち、咄嗟に受け身を取りはしたが、妙な手のつきかたをしたために手首を捻ってしまった。打ち付けた体をさすりながらゆっくりと体を起こす。


「っつ、」
「…なんか今すげえ音がしたけど、一体、…って先輩!?」


タイミングが良いのか悪いのか、丁度階段の下から赤也が顔を出した。さしずめ戻ってこないあたしを不審に思って本館に迎えにでも来たのだろう。その場に看板もろとも倒れているあたしの姿を見て、彼は顔を青ざめさせた。慌ただしくあたしに駆け寄り声をかける赤也をうるさい。彼は近くに倒れている看板を一瞥すると、眉をひそめて「管理がなってねえな」と唸るように言葉を漏らす。しかしそうではないと、あたしは確信をしていた。管理が悪いわけではなかったのだ。


「違う」
「え?」
「一瞬だけど人の気配がした」


看板はしっかりひもでくくられていたはずだ。しかも倒れ方が不自然なのである。誰かが意図的に、あたしを狙ったのかと、一瞬嫌な予想が頭をよぎった。…ちっくしょう、舐めた真似しやがって。ちょっとそいつ探してくる。腹の中で静まっていたムカつきが波のように押し寄せて、頭がグラグラ熱くなる。よくも。あたしは相手を追いかけるつもりでそう階段を駆け上がろうとしたのだが、その前にそれを取り押さえたのは赤也だった。「先輩ストップ!」彼はあたしの右腕を掴んで腫れてますよと手首に目をやった。確かに、少し痛いし、腫れているような気がしないでもない。こんなもの、どうってことはないのに。思わず舌打ちをして、苛立ちを赤也にぶつけるように、掴まれている逆の手ですかさず彼の胸ぐらを掴んで寄せた。赤也はぎょっと目を見開いている。


「おい赤也、このこと丸井や仁王に言ってみろ。お前のこと窒息させてやる」
「…な、」
「返事」
「…はい」


赤也は引き攣る顔でようやく頷いて見せるとあたしは彼を解放した。


この頃感じていた誰かの視線や用具管理の問題、仁王の忠告。今まで頭の中で、ぐるぐると絡まり合っていたものがほどけていく気がした。




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(131213_いつでも照らしてくれるとは限らないよ)