35限目_時には周りにも目を向けること「そういや先輩って、テニスはできるんスか」 「え?あー…」 「なんじゃ、はなんでも卒なくこなすぜよ。あ、勉強以外じゃけど」 「仁王一言多い」 「あ、やべ聞こえとった?」 元々跡部に遭遇して男装をするなんてイレギュラーなことをしなければ、真田率いるスマッシュでビンゴの店の手伝いをしているはずだったあたしは、丸井との攻防の後、すぐに本来の仕事へ引き戻された。それは甘味処でのあたしと丸井のやりとりを覗いていたらしいツルが幸村に「二人が遊んでる」なんて湾曲した説明で告げ口をしたからである。幸村が「さっさと持ち場に戻れよ」と冷たい声で言ったあのセリフ、怖かった。おのれツル。 まあ済んだことはさておき、あたしは、所々を仮止めをして作ったパネルに、先ほど仁王達が運び込んだ重りを乗せて試しにそれを立ててみることにした。赤也がパネルを動かし、遠くからあたしが位置を確認しながら彼に指示を出す。そんな作業の中、赤也が冒頭の台詞を言って現在に至る。 「ふうん、なら先輩ちょっとやってみますか」 「え、別にいいよ、やらない」 「なんで!」 「別にやりたくないから」 「真田ふーくぶちょ!試し打ちいっスか?」 「壊さないように気をつけるのなら、まあいいだろう」 「あ、やらないって言ったのに!」 何でこの子って勝手なの?あたしが首を垂れると仁王が苦笑してそれくらい付き合ってやりんしゃいと言った。お前後輩に甘いなおい。赤也にラケットを突き出されたのだけれど、暑いしかったるいしでやっぱり首を横に振ると、彼は膨れてラケットを振り回した。「一回ッスよ一回!」やーらーないっつの。 「えー」 「ちゅうか最近赤也はよくに構うのう」 「いい迷惑だよ」 「だって先輩って仲良くない奴には特に素っ気ないじゃないスかー。いつだってこっちの欲しいもんくれないからなんかつい構いたくなっちゃうんスよね」 「じゃって。」 「げえ」 「うわその反応ひど。先輩俺のこと嫌いなんスか」 「めんどくさいなお前…」 相変わらずあたしに絡み続ける赤也はラケットをくるくると振り回す。なんだか周りにぶつかりそうだったので危ないからやめろと注意をしたのだが、しかし彼がそれをやめるその前に、案の定ラケットは近くの棚にぶつかって、上に乗っていた釘の箱が崩れて来た。あ、やべ。赤也が反射的に目をつぶったその瞬間あたしは無意識の内に手を伸ばして抱きすくめるて赤也の頭をかばった。ただの釘なので怪我をするわけではないのだが、赤也に当たっていないことにホッと安堵の息を漏らす。頭に降り注いだ釘を払って腕の中の赤也を解放すると、彼はぽかんとあたしを見つめていた。 「おい、大丈夫かお前さんら」 「おう。あたしは平気。ただの釘だしな。赤也も平気でしょ?」 「あ、えと、はい。なんつか、ありがとうございます…?」 まさかあたしに助けられるとは思っていなかったらしい赤也はポツリポツリとお礼を言って軽く頭を下げた。「何でもいいけど、お前もう少し周りみろ馬鹿」「…すんません」あとそれから、誰だこんな高いとこに釘を置いたの。何と無く予想をつけながらぎろりと仁王を睨むと、彼はしょぼしょぼと「はーい」なんて手を上げた。はーいじゃねえわ。お前も気をつけろよ! 「…つか、今思ったんすけど先輩男らしッスね!」 「今更ぜよ」 「やべー俺が女なら多分今ので惚れてますよ」 「女の子に惚れられてもあたし困るから」 「は女の子アレルギーじゃしな」 いや、そうでなくても同性に惚れられたら普通困るだろうが。仁王のいらん知識に、赤也がへえと興味津々に頷いた。 「女で困るなら俺先輩のこと好きになっちゃおうかなー」 「勘弁してよ」 「赤也、あんまり調子に乗っとると、今の台詞にブン太に言いつけるぞ」 「じょ、冗談…冗談ス」 「だから何で丸井」 はてさて。この間からよく分からないタイミングで丸井の名前が上がるのだが、実はあたしにはその理由が分からないでいた。答えを聞こうにもいつもはぐらかされてしまうし。仁王が赤也をからかっているのを横目で見ていると、その時ふいにあたしの携帯が震えた。一体なんだと通知を確認すれば、相手はなんと跡部で。あれ、あたし何かやらかしたっけ、と先ほどの男装騒ぎのことを一瞬頭に浮かべながらあたしは恐る恐る携帯を耳に当てる。「ん、誰?」仁王の問いにあたしは指パッチンをして見せると、二人は相手が誰だか予想がついたらしい。 「何?」 『俺様だ。さっきお前の下らないやり取りのせいで言い忘れたが、お前今日も朝ミーティング出なかっただろう』 「げ、…ああ、まあ、さーせん」 『フン。まあいい。連絡があるから頭に入れておけ』 彼からの要件は簡単にはこうだ。 最近学園祭の準備に使う木材や道具の管理が不十分であるから注意するようにと。運営委員が責任をもってきちんとチェックをしろとのことだった。どうやら立てかけていた木材が倒れたりして怪我人が出ているらしい。ああ、ちょうど今釘が落ちてきたしな。一応チェックをしておくよと答えてあたしはそうそうに通話を切ると、未だにじゃれている二人の頭を叩いた。 Δ ちょうどスマッシュでビンゴにいたこともあり、あたしはまずそこの備品の確認を行ってから、一番信用がある真田に事の次第を伝えた。彼は任せろと頷く。うん、真田の返事はとても安心できる。念のため甘味処も確認してくるから一度持ち場を離れることの許可を取り、あたしはそちらに向かったのであるが、その途中、腕や足が包帯でぐるぐると巻かれた、あまりに痛々しい姿の女の子を見かけた。腕に腕章をつけているからあたしと同じ運営委員なのだろうが、あんな傷だらけの子は見たことがない。あたしが今日ミーティングをサボったから知らないだけだろうか。その子はあまりにフラフラした足取りであり、彼女が丁度あたしの横を通りすぎる際に段差につまずいて彼女がよろついたので、咄嗟に身体を受け止めた。 「ちょ、大丈夫?」 「ひ、っ…あの、すいません」 一瞬、彼女の瞳が怯えの色を映した。不安げに揺れるそれを見つめていると、なんだが槇村を思い出す。彼女もこんな風にあたしに怯えていた。 歩ける?俯く彼女を覗き込むようにして尋ねると、彼女はようやく笑って「ありがとう。平気」とあたしの手をやんわり解いた。しかし大丈夫なようには到底見えない。流石のあたしも、彼女を放っておくことはできないと怪我をしていない方の彼女の腕を掴んだ。とても細くて、あたしまで不安になってしまう。 「あんまり無理しない方が良いよ」 「でも」 「あなたは学校どこ。そこのブースまで連れてく」 「ひ、氷帝」 「げ、氷帝…てことは、まさか、跡部のとこのだったり?」 「…う、うん」 見たことがある制服だとは思ったが、まさか氷帝だとは。 彼女はなんだかとても言い辛そうに、たっぷり間を開けてからあたしの問いに頷いた。何か変なことを聞いたただろうか。…ああ、跡部の担当だなんて、言いたくないよな。あたしだってあんな奴ごめんだもん。あたしはそう一人で納得したのであるが、そんなあたしの態度に彼女はきょとんと目を丸くしていた。あたしの反応がおかしいようだ。あれ? 「貴方…名前は?」 「あたしは。」 「…ああ、貴方が」 どうりで、彼女は付け加えた。口ぶりからしてあたしを知っているようだが、もしかしたら跡部のあんちくしょうからあたしの下らない悪口でも聞かされているのかもしれない。彼女が悪いわけではないのだけれど、彼女を通して跡部の姿が見えた気がして責めるような視線をやれば、彼女は慌てて首を振った。「違うの」と。 「跡部君が、もしどうしても女の子の味方が欲しかったら、さんだけは信じられるからって」 「…は?」 「…ううん、こっちの話」 すごく気になることを言われたような。彼女の歩行ペースに合わせながらあたしもゆっくり足を踏み出す。しかしどんなに彼女の様子をうかがっても、これ以上口を割る様子はなさそうだったので、しぶしぶ引き下がることにした。 ああ、それにしても、こんな暑い中、このペースで進んでいたら暑さで頭がやられてもおかしくない。熱中症になるのではないかと、太陽を睨みつけたその時だった。不意に誰かに見られている気配とともに、何か危険を察知したあたしは、先ほどの赤也の時よろしく思わず彼女へ腕を伸ばした。その瞬間、ばしゃりと水が降りかかってきたのである。予想だにしなかった事態に、あたしの身体は弾かれたように跳ねる。っ冷た。 「…びっくりした」 「さん…、ずぶ濡れだよ!」 「あー大丈夫大丈夫、すぐ乾くって。あんたは?濡れてない?」 「わ、私は全く」 「そう。ならいいよ。…それより」 あたしは気配のした草陰の方へ視線をやったが、もうそこには誰もおらず、恐らく水をかけるのに使ったであろうバケツだけが転がっていた。意図的に水をぶっかけられたと見て間違いないだろう。赤也の時といいこの子といい、今日は踏んだり蹴ったりである。 …とにかく、すぐに跡部のところに行った方が良さそうだ。どこか怯えた様子の彼女を見つめてあたしは小さく息を吐いた。 そうして氷帝の模擬店がある馬鹿でかいブースへ辿り着くと、跡部はすぐに見つかった。彼はあたし達を見るなり状況を把握したらしく、珍しいこともあるもので、すぐさまあたしにお礼を言ったのである。 「うちの運営委員が迷惑をかけたな」 「いや、あたしが勝手にやったことだから気にしないで良いよ」 彼はもう一度あたしに礼を告げると運営委員の女の子に、送るからもう今日は帰れと、帰る支度を指示していた。女の子は初めは渋っていたものの、しばらくすると小さく頷いて、模擬店の中の方へかけて行くのが見えた。彼女が完全に見えなくなったのを確認してからあたしは声のトーンを落として跡部の名前を呼ぶ。 「もしやとは思うけど、あの怪我、まさか事故ではないよね」 「ああ。意図的に誰かにやられたみてえだ」 「今回は水だからどってことないけど、あんた男なんだからしっかり気をつけてやんなよ」 「ああ、分かっている」 「あの子腕が折れそうなくらい細かったしね」 「お前も変わんねえだろうがアーン?」 「さわんな馬鹿」 あたしの腕を掴んだ跡部の腕を払うように一歩だけ後ろに下がると彼はフンと鼻を鳴らした。とにかく、女の子は無事に送ることができたし、帰りも跡部がつくようだから、心配は無用だろう。すっかり手持ち無沙汰になった腕をダラダラ振りながら、あたしは踵を返そうとすると、払ったはずの腕を再び跡部に掴まれてしまった。何事かと振り向こうとするが早いか、肩にジャージがかけられる。 「着ておけ」 「はあ?いらねえよ。どうせ戻れば男装用の服もあるし、だいたいこんな天気ならすぐ乾く」 「バーカ、戻るまでそんな格好でいさせられるわけねえだろ」 加えて「周りのことを考えろよ」とまで挑発的に言われてしまったので、あたしは目の毒になりますわなーすいませんねえ、と嫌味たっぷりに返してやった。途端に彼は眉間に深くシワを刻む。「…お前、それを丸井あたりの前で言ってみろ」「は、何か言った?」「いや何でもねえ」跡部はジャージを押し付けると、あたしの問いははぐらかして風邪を引くからさっさと戻って着替えろと、押し出した。一体何なのだろう。…それにさっきからなんだかまた誰かに見られている気がするし。色々と腑に落ちない点を頭の中で並べながら、借りたジャージを肩にあたしは当初の目的の甘味処まで戻ることにした。 「…何その格好」 一難去ってまた一難とはこのことか。数時間ぶりの不機嫌そうな丸井に出くわした。いや、そこに彼がいるのは承知のことだったので、出くわしたという言い方は少し語弊がある気がするが、とりあえずそんな丸井に出会ってしまったわけである。 彼は下から上まであたしをゆっくり眺めてからもう一度、同じ台詞を口にした。どうしよう。怒ってる。また、怒ってる。 「いつからお前氷帝になったんだよ」 「これは、」 「つうかなんでそんなびしょ濡れなわけ。水遊びでもしたのか?」 「いや違くて」 「ほんとお前は人騒がせにも程があるんだよ、そんなに騒ぎたかったら俺とタイマンはるか、ああ?」 「毎回思うけどあたしの話聞けよお前」 あたしは丸井の口が閉じたのを見計らって、ことの成り行きを説明すると、彼はさもつまらなさそうに「ふーん」だとか「ほーん」だとか適当な相槌をうちやがって、全て話終わった時には「跡部ねえ」と何か言いたげな言葉を吐いて寄越した。なんだかめっちゃくちゃむかつく。 「また跡部かよ」 「は?」 「お前跡部好きだな」 「いや、好きじゃねえよ。超嫌いだし」 「とか言ってジャージ借りてるし」 「これは仕方ないだろ。つか何なの丸井。さっきからあんた何が気に入らないの?」 「お前がやることなすこと全部」 「なんだ、あたしが嫌いってか」 「ううん。好きだけど」 「なんだよお前ツンデレか。ちょっと照れちゃっただろうが馬鹿野郎」 真顔で淡々と言葉を紡ぐ丸井は果てし無くらしくない。一体全体どうしてしまったのだろう。ここであたしが痺れを切らしてしまえば、事態はより面倒になると踏んだあたしは、苛立ちをぐっと飲み込んで丸井の次の言葉を待った。 「要するに」 「うん」 「要するに、初めはあんなに跡部に喧嘩腰で、嫌がってたくせにいつのまに仲良くなったんですか、と、俺はずっとそう聞いています」 「その質問は初耳ですが」 ていうか今も十分喧嘩腰だし、それに仲良く無いってば。皆そういう風に言うけど、本当にそんなこと微塵粉ほどもないんだって。気になるならば跡部にでも聞いてみればいい。あたしなんて彼の中じゃきっとあんな庶民、程度だ。それはそれで腹が立つが。あたしが丸井へそう説得をするも、彼のじとりとした目が逸らされることはなかった。「浮気者」丸井が言う。はい? 「お前ってマジ浮気者じゃね」 「丸井、ちょっと待った」 「赤也に跡部、ああ、あと亜久津も。少し目を離すとすぐにこれだ」 ごめんなさい、丸井の言ってる意味が理解できません。 BACK | TOP | NEXT (131211_思わぬ発見があるかもよ) |