27限目_夏といえばプール掃除



最近、蝉の鳴き声をよく聞くようになった。まだ初鳴きといった具合にそこまでうるさいものではないけれど、いよいよ夏だと感じさせるその声は、ジリジリとした暑さに拍車をかけているような感覚に陥る。あたし、は夏が好きだ。海も祭りも食い物も、夏はとにかく楽しいことしか思い浮かばない。しかしそれは暑さを除けばの話である。
あたしはベストを放り出してシャツの第三ボタンまで豪快に開けながら、ツルの下敷きで自分を仰ぐ。覇気のない視線の先は黒板だった。帰りのHRが終わるなりさんがクラス全体に、教室に残るようにと声をかけたので何事かと思えば、どうやらプール掃除を手伝ってくれる人材を探しているらしい。黒板にはこのクラスから四人選出しなければならないと書いてある。


君、プール掃除やるかい?」
「やんない」
「だよね」


さんの話を聞いているのかいないのか、ノートにペンを走らせていたツルがそんな事を言った。じゃあ僕もやらない、と彼はあたしから黒板へ目を戻す。丸井や仁王の方を横目で伺えば奴らの目も、あたしと同じように朧げで、到底そんな自己犠牲をやるようには見えない。まあ、元気があってもやらないだろうが。
学級委員長であるさんは、誰の手も上がらないことに、困ったように眉尻を下げて、「それではくじ引きにしますね」と言った。彼女はこうなることを予想していたらしく、用意してあったらしいくじが順に回って行った。


「どうだった」
「俺も仁王もセーフ」
「ふうん。あたし、くじ運は良いんだ」
「さてどうだかな」


丸井から回ってきたくじの箱に手を突っ込みながらあたしはそう言うと、彼はやけにニヤついていたので、少し怪訝に思う。これは何か企んでいる顔だ。警戒しながらあたしは紙を開いた。あ。「はずれ!」赤い字でそこには間違いなくそう書かれていた。反射的にそれをぐしゃりと握りつぶす。「かわいそうに」いつの間にかやって来た仁王もあたしを哀れんだ。「一人目はさんに決まりました。わーパチパチ」皆からのまばらな拍手を割るように椅子を鳴らして立ち上がる。待って待って、ちょっと待って欲しい。


「委員長、これは陰謀だ」
「陰謀?誰の」
「丸井と仁王」
「お前、友人を疑うとか。根拠を言え根拠を」
「だってあたしはくじ運良いんだもん」
なんて自分勝手な根拠


いやそれだけじゃない。丸井と仁王の顔が確かにニヤついていた。というか現在進行形で。それは悪戯をするときの表情によく似ている。白状しろと騒ぐと彼らは「知らない知らない」とやっぱりニヤついていた。


「しらばっくれんならその顔鏡で見てからにしやがれ」
「もともとこういう顔じゃし」
「好感持てる顔だろい」
「残念ながら苛立ちしか湧かねえよ。大体仁王、お前ポーカーフェイスできるくせにこういう時に限ってそういう笑い方しやがって腹の立つこと山のごとし」


そんなやり取りをする横でツルが箱の中からくじを引いて、「やった一緒だよ君」なぞとハズレくじを掲げたので、ピンときたあたしはその箱を乱暴にひっくり返した。床に舞い落ちるくじには、はずれはずれはずれ、はずれくじしかない。


「丸井仁王てめええ」
の人生にスリルとサスペンスが足りないと思って」
「殺す気か」
「ブン太違う。スパイスの間違いぜよ」
「スパイスの間違いだった」
「お前らバッッカじゃねえのおおおお!」


そこからあたし達の取っ組み合いが始まったのは言うまでもないだろう。そういうわけで、ブチ切れださんは最早くじ引きは関係なしに、あたし達三人をプール掃除要因として決定し、あと一人はというと見張りに彼女自身が名乗り出たので、かくしてプール掃除くじ引きは幕を閉じたのである。


「お前さんのせいじゃ」
って俺らのこと嫌いなのかよ」
被害しゃぶってるとタコ殴りにすんぞ。こっちの台詞なんだよ


Δ


プール掃除はこの後すぐにあるということで、あたし達は早速ジャージに着替えさせられて炎天下の下へと駆り出された。そこにはあたし達と同じように、おそらく無理矢理選出されたらしい、お掃除要因が学年をまたいでちらほらいる。どうやら二年はあたし達だけのようだ。うちのクラスだけから選抜するのは不公平ではなかろうか。むんずと口を尖らせて、あたしは素足でプールサイドに降り立てば、すっかり熱くなった地面がジリジリとあたし達の足を攻撃する。「私立のくせになんで屋外プールなんだよ」丸井がもっともなことをぼやいた。


「仕方ないよ。かなり昔からある学校なんだから。それに最近できた屋内プールもあるじゃない」
「…そっちも誰か掃除してんの?」
「うん。3組がやってるよ」
「幸村のクラスか」


彼なら、ためらいなくプール掃除を買って出そうだ。なんにせよ一緒じゃなくて良かったと、あたしはこっそり息を吐くと、それをばっちり見ていたらしい仁王が横目でこちらを伺って、口元にゆるく弧を描く。「そんなに幸村が怖いんか」「に、苦手なだけだい」そんなあたし達のやりとりの横で、丸井がふと何かに気づいたように声を上げた。


「それにしても、どうして1,3組だけがプール掃除なんだよ。他のクラスは?」
「ああ、それはね、じゃんけんに負けたから」


どうやら、プール掃除係を選抜する二クラスを選ぶために学級委員がじゃんけんをしたらしい。それで、負けた1,3組から、プール掃除要員を選んだというわけだ。
さんから手渡されたデッキブラシを片手にあたしはせめて室内プールはもっと楽そうなのにと首を垂れた。しかもこのあとテニス部の臨時マネをしなければならないと思うとため息しか出ない。


「ああ、ていうか、直接ここに来ちゃったけど、部活遅れること言わなくて大丈夫なわけ?」
「まあ、幸村も多分プール掃除してるだろうし、柳が察するじゃろ」
「あ、幸村君と言えばさ」
「え、何」


思わず肩を震わせたあたしは、丸井を見やると、彼は「に話があるとか言ってたぜ」と言ったものだから、あたしは生唾を飲み込んだ。何かしただろうか。思い当たる節がありすぎてわからない。


「そんなびびんなくても大丈夫だと思うけどな」
「は、内容知ってんの?」
「知ってるっつうか、多分、」
「合同文化祭の話ッスよきっと」


そう丸井の言葉を遮ったのは赤也だった。彼もデッキブラシを片手に首のタオルで汗を拭っている。「罰掃除ですか」彼もここにいるということは、訳を知っているくせに、茶化すように彼は笑った。「お前が言えたことじゃねえだろ」彼もくじ引きで当たったか、あたし達と同じように日頃の行いから抜擢されたか。可能性は後者にあるだろう。ああ、そんな話はどうでも良いとして。


「合同文化祭って、何の話?」
「ん、私聞いたことあるよ。前にも一度やってたよね」


さんが「だよね?」と赤也の方を見る。どうやら、あたし達が中学三年の時もそんなイベントがあったらしい。ああ、そう言えばあの時は確か夏休み中、テニス部はとても忙しそうだったけれど、それだったのか。CMも見たような気がするが、開催地は東京だったから、あまり身近には感じなかったのだ。
二年前は、いろんな学校のテニス部を集めて合同文化祭を行ったらしいが、今年はあまりそういう縛りはなく、最低五人以上いるグループを作ってエントリーすれば、誰でも自由に参加できる文化祭らしい。と言っても、主催者が許可した特定の学校の生徒ならばの話だけれど。


「そんで、参加していい学校に立海も入ったわけじゃ」
「まあ、前回も参加してましたしね」
「俺達はテニス部としてエントリーすっから。多分青学とか氷帝とか、顔馴染みな奴は皆そうなんじゃね」
「ふうん、頑張ってね」
「いやいやいやそれじゃ話終わっちまうだろい」


幸村君がお前を呼びだす理由ってのがさ、と話出した丸井の口を、あたしは手で押さえつけた。話はだいたいわかった、し、先も予想できた。「却下」早口にそう答えてあたしはさんを引き連れ三馬鹿から離れていく。「えええ先輩いいい!」駄々をこねるような赤也の声と共に彼が小走りにあたしの横に並ぶ。


「手伝いやって下さいよ。運営委員!」
「来ると思った。やーよ」
「先輩がやってくんねえと、別の運営委員が入っちまうんだって」
「良いじゃん。雑用やってくれる人がいるなら」
「いやまあ、そうなんスけど」
「なに」
「知らない奴より知ってる人のが良いじゃないッスか」


へら、と笑う赤也に、さんがやってあげたら?とあたしを伺う。なんていうか、めんどくさいし、めんどくさいし、何よりめんどくさい。大体なんであたしなの。もっと他にいるでしょうが。


「だって一緒にいて先輩楽しいし面白いし」
「はいはいありがとさん」
「俺先輩すっげ好きなんですってお願いしますよー!」
「お前に懐かれたところでちっとも嬉しくねえわ、って、だあああくっつくな暑苦しい!」


腹に巻きつく赤也はなんと暑苦しいことか。しかも奴は無駄に体温が高い。身をよじって彼の手から逃れようとしていると、遠くに丸井と仁王が不貞腐れたようにデッキブラシの柄に顎を乗せているのが見える。心なしか視線が冷たい。あーあー男のくせにめんどくせえ奴ばっかだなおい!


「言っとくけどそんな顔したってやんねえぞ、あたしは!」
「お前みたいな奴をなんて言うか知ってるか」
「んだよ」
「けちんぼ」
「けーち」
「先輩のけち」
よし分かった。殴られたい順に整列しやがれ


そう言ってひとまずあたしは手前にいる赤也の頬を全力でつねり上げた。あだだだ痛いッス!騒ぐ彼はなんとかあたしの手から逃れて、恨めしげにこちらを睨みあげる。「後悔しても知らないッスよ」と。は?何だよ。


「丸井先輩も仁王先輩もモテるんスからね」
「知ってる」
「あと俺も」
「どうでもいいわ」
「だから、運営委員を他の女子に譲って取られちゃっても知らないッスよ」
「女がやるとは限らんだろうが」
「限りますよ」


やりたがるのは女子しかいませんもん。
なんだそりゃあと言いたくなる理由だ。いいじゃないのやらせとけば。やりたいこの邪魔をすることねえだろうが。赤也と丸井と仁王の不貞腐れた目を見回してから、あたしはなんだか一瞬口ごもって、それから言った。


「だからやんねえって」


さんが「頑固ね」と苦笑した。



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(131110_プール掃除浪漫)
次回二章に入ります。わーい。