26限目_ラスボスは最後だけ出るとは限らない




女の子の肩の震えは次第に収まり、しくしくというすすり泣きも落ち着き始める。固唾を呑んで彼女を見守っていたあたしはどっと疲れが押し寄せたような気がして地面にしゃがみ込んだ。同じように隣に丸井が腰おろす。それから労わるように背中に彼の手が当てられる。彼はそのまま下から顔を覗き込むようにして彼女を見上げていた。「泣き止んだかあ?」ダルそうな色を孕むその言葉をこの泣き虫がどう捉えたかは知らないが、顔を上げかけていた彼女はびくりと一歩後ずさるなり、顔をくしゃりと歪めた。あたしと丸井はそんな急展開にギョッと目を見開くほかなかった。どうやら「めんどくさい女」なんてあたし達が思っていると、湾曲した考えに辿り着いたようだ。いや、間違ってはないけれど。
そうしてついに彼女のすでに真っ赤な瞳からは大粒の涙が浮かび上がった。ぼろり。


「うおっ!?」
「だあああ何故泣く!何故今泣く!」
「ごっ、め…、なさ、」
「っのやろ…丸井のせいだ!」
「は、俺えええ!?」


そうだてめえが余計なこと口にしなきゃ丸く治まってたんだよ、丸井なだけにな。そこであたしの怒りボルテージはついに限界を超えたらしい。エネルギーを外に放出するべく一先ず目の前の丸井に殴りかかる。ぶお、と風を切り、あたしの右拳はまっすぐ丸井へ飛んだが、寸前のところで彼はそれをかわし、素早くあたしの足を払った。「必殺、丸井スペシャル!」いってえええ!
あたしは地面に背中から倒れ、ゴロゴロと周りを転がりまくるが、何にビビったのか、泣き虫はあたしの痛みを代弁するようにびえええと声をあげて泣きはじめる。あああおおおああ!?


「泣くなよ、頼むから泣かないでよ!あああ丸井パス!」
「仁王、流石の俺もどうやら手に負えない」
華麗にシカト決め込みやがったよ。あーどうしよう仁王」
「俺の経験上、泣いてる奴には飴か高い高いって決まっちょる」
何その意味不明な二択
嘘臭せえな


もうどこにツッコめばいいかすら分からない。俺の経験上ってどんな経験から割り出されたデータなのかとか、つうかもっと泣き止ませるターゲット年齢上げろよとか。しかしいちいち構っていたらあたしの頭がショートするので、弾かれるように彼女の脇に腕を差し込むと、手に力を入れた。飴はあいにくないので、高い高いを選択させてもらう。


「どこいしょー!ってあんた軽うう」


すんなりとあたしに持ち上げられた彼女は、やはり半べそをかきながらの宙にぷらりと浮いている。そのあまりの軽さに持ち上げた目的をあっさり忘れてあたしは唖然としかけるが、すぐに首を振った。違う違うあたしが言いたいのはそんなんじゃなくて、「てんめえ、ちゃんと飯食ってんのかよ!あたしより軽いじゃねえか馬鹿じゃねえの!」「あれえええ!?」あれ?丸井がキャラ崩壊もよろしく叫び声をあげたのと同時に泣き虫の顔を見上げると、案の定先ほどより顔を引きつらせて嗚咽を繰り返している。あらあああ!?何言ってんのあたし!?


「ずみま、ずみまぜん…」
「また泣いたあああ、だあああ仁王おおお」
、今のはチョイスミスじゃ、略してチョイミス」
お前実は結構楽しんでるだろ


つい蹴り飛ばしたくなる衝動を必死に抑えて、というより丸井に抑えられてあたしはその場でギリギリと歯ぎしりをする。ちなみにその時のあたしの顔はあまりにも凶悪だったそうだ。(丸井談)
彼はそんなあたしを怖がりもせずに「うるさいのう」とため息を零したのである。「そうやってできないのを人のせいにするじゃから」「いや今のは明らかにお前の意味不明な助言のせいだったけどな」ていうかそこまで言うなら自分でやれという話になる。その発言に丸井がそうだと同意したので、仁王がすごくいやそうに項垂れた。


「しょうがないのう、腰抜かしても知らんぞ」
意味わかんねえよ


律儀にツッコミを入れてからあたしは泣き虫の前に進み出る仁王の背中を見守った。少し猫背な彼は頭をかきながら、泣き虫を見下ろす。「こういうのは名前聞くのがセオリーじゃ」あたし達に言っているのか、仁王は背中を向けながらそう言った。心なしか得意げだ。「じゃあさっきそう言えよ」丸井の的確すぎる呟きが隣から聞こえた。仁王に届いたかは知らないが、あたしはしっかりと頷いた。


「ちゅうことで、お前さん、名前は」
「…ひ、っあの、」
「おん」
「ま、槙村…槙村亜子」
「ほうか、よし」
「…」
「…」
「…ん?ちょっと待って終わり?」
「終わりじゃ。ターンエンド」
それだけ!!偉そうに出て行った割りに、それだけ!!It's only that!
「びっくりし過ぎて俺腰抜かすかと思った」
「それみたことか」
ドヤ顔うぜえ!


期待はずれで腰抜かしてんだよバーカバーカ。あたしが仁王をそう罵った。仁王はそんなあたしの攻撃なんてものともしていなかったけれど。そんな時だ。不意に誰かの視線を感じてあたしは反射的にそちらへと振り返った。何だと不思議そうに丸井達が釣られてそちらをむく。そこにいた細身の人物には見覚えがあり、あたしは思わずひゅっと息を飲み込んだ。


「…げ、板東だ」
「…ばんどう?」
「生活指導の板東」


あたしが口を開く前にその答えは仁王から出た。丸井がほお、と板東の方へ目を戻す。というか不良のくせに板東を知らないとは何事だろう。あたしは、(おそらく仁王も)奴に何度注意を食らったことか分からない。彼は黒縁眼鏡を押し上げてわざとらしく黒光りする靴の踵をバカみたいに鳴らしながらこちらに近づいてくる。それに反応するように横にいた槙村がびくりと肩を震わせた。


「今は授業中だがね。何故ここにいる」


あたしは小さく舌打ちをする。教師が見回りに来るような所ではないはずなのであるが、よりにもよって何故板東がここにいるのだろう。そんな疑問を頭の片隅に残しながら、咄嗟に丸井と仁王へ目を配せる。丸井は逃げるか?とあたしや仁王の出方を伺ったが、逃げても意味はないだろう。あいつは逃げられたから仕方がないと諦める奴ではない。それに槙村はどうすべきか掴みあぐねるからその手は却下だ。
大人しく捕まるかあ。あたしが項垂れてそう告げれば、彼らはがそう言うなら、と逃げようと構えていた姿勢を崩した。
あたし達が逃げなかったのが意外だったのか、板東は一度ほう、と声を漏らすと、口元にゆるく弧を描いた。



「お前達には話がある。ついてきなさい。槙村、君もだ」
「…はい」


あたし達はともかく、槙村の名前も知っていたとは驚いた。もしかしたらちょくちょくこうして虐められていて、授業に出ない子として認識でもされているのだろうか。妙にびくついたようにあたし達の後ろに続く彼女が少し可哀想に思えて、あたしは板東に聞こえないように彼女の名前を呼んだ。泣き腫らした目が、あたしを見上げた。


「何か聞かれたら全部あたし達のせいにしていいよ」
「え…」
「あ、いじめられてたこと言いたかったら言っても良いし、好きなように言い訳に使いなよ」
「わたし、」
「槙村がなに言っても怒ったりしないよ。あたし達慣れてっから」


休み時間にあたし達に会って、絡まれて泣いたことにすればいい。だから授業にも出そびれたし、泣いてしまった。ぽん、とあたしが彼女の頭に手を載せれば、彼女はもう泣くことも喋ることもなかった。
そうしてあたし達は別の部屋に連れて行かれたわけなのだが、その中にはあたし達の担任もいて、彼はあたしと目が合うなり、身体を震わせた。板東はその隣に座り、あたし達を立たせたまま、こちらを威圧的に見上げる。


「君達三人には聞きたいことが山ほどあるのだが、まずあそこで何をしていたか聞こうか」


槙村ではなく、こちらに問うてきたことを少し驚きつつも、あたしは彼女の方を一瞥して、それから「槙村さんをからかいました」と簡単に述べる。横で俯いていた顔ががばりと上げられる。
いじめのことを言った方がいいのかもしれないが、それはあとであたしがなんとかしてやろう。今はこう言ってしまったし、面倒だからあたし達のせいにさせてもらう。


「槙村さんをからかったら、彼女が泣いてしまって。ほんとすいませーん」
「誠意のない謝り方だ。まともに謝ることもできないのか」
「だからすいませんって」


あたしに続いて丸井が雑に頭を下げる。これは合わせた方が良いかとたしも仁王も丸井に合わせて頭を下げると、ゆるゆるとしたそんなやり方に腹が立ったのか、立ち上がった板東はあたしの頭を掴むなり、力の限り下げたので、バランスを崩してあたしは倒れるように足を折って床へ崩れる。それでもなお、彼はあたしの頭を床に押し付けた。体罰もいいところである。擦れる額が痛い。
太郎がお得意のビビリを発揮して「それは不味いですよ…!」なんてヒステリックに騒いでいた。


「これくらいしなければこの馬鹿共は変わりませんよ」
「っテメエ…!」
「女じゃぞ、やり方も少し考えるべきじゃないんか」
「丸井、仁王、ストップ、だい、じょぶ」



あたしが空いたてで彼らを制すと、板東はあたし達を野蛮だなんだと騒ぎ立ててようやく頭から手を退けた。擦れた額を抑えてあたしはのそりと立ち上がる。まったく。「気は晴れましたか」睨みあげれば、彼はまさかと笑った。


「君達を呼び出した理由は他にもある」
「…」
「今盗難事件が騒がれているのを知ってるだろう」


そこにきてあたしは、あたし達はピンときた。要するにあたし達が犯人かどうかを判断しようとしているに違いない。「犯人には心当たりなんてねえぞ」丸井が釘を刺した。


「察しが良い」
「まあそこの担任に信用されてないっちゅう情報は流れてきとるもんでのう」
「…き、君達意外に誰がいる!」
「調べもしないでぬけぬけと。流石新米教師」
「黙れ黙れ黙れ!」


あたしの胸倉を掴み上げたそいつを、あたしもまっすぐに見つめ返した。彼の瞳の奥は恐怖の色を確かに孕んでいた。怖いならやらなければいいのに。妙に気持ちが冷めて、手を振り払うこともせずにそのままでいると、彼は唸るように言った。「絶対、」


「絶対、尻尾を掴んでやる。学校の規律を乱すのはいつだってお前らだ!お前らを排除すれば、学校は平和なんだ」
「何が平和だよ。大人が子供を押さえつけてるだけじゃねえか」


胸倉を掴む手の力が弱まった。それに合わせてあたしがその手を払う。


「学校の平和なんてあんたらは考えてない。ただあたし達がいなくればいいと、つまりはそういう話だろ」


こいつらはめんどくさくなければそれでいいのだ。あたしは板東への睨みを鋭くする。すると奴はオーバーに頭を抑えると小馬鹿にするように笑った。「やれやれ」


「君達に何を言っても通じないようだな。まあいい。もう行きなさい。せいぜい考えて学校生活を送るんだな」
「…はいはい」
「ああ、多賀谷先生ももう構いませんよ。槙村はここに残りなさい。保護者の方から連絡があって、この間のことで話がある」


この間のこと?と疑問に思いながらも、先程の坂東の脅しにあたし達は揃って肩を竦めた。つまり次何かしたらあたし達がどうなるかは分からないぞ、とそういう話だろうか。嫌な脅しだと思いながらも、それよりも一刻も早くこの場から去りたい気持ちが急いて、あたし達は早々に退出した。その時、たまたま視界に槙村の悲しそうな表情が入る。
教室に戻りながら、前の二人は板東はどうだとかああだとか、早速愚痴を零し始めており、あたしはその後ろで、槙村の表情を思い出していた。


「…なんだ?」


何か引っかかる。




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(1311006_ラスボスなのに初めにしゃしゃる)
今日は長め。