23限目_三はもっとも安定した数字でもあるんだよ


あたしは決して頭が悪いわけではないつもりだ。いくらバカ騒ぎするのが好きでも、勉強をしたら負けだと思っていても、人並みには勉強できる、つもりなのだ。


「そう。あくまでつもり、だからこんなことになってんだけどね!」


一人きりの教室に、があんと机を蹴飛ばす音が響く。その反動でほぼ白紙に近い化学のプリントも床に散る。それにすら苛立ちを覚えて、シワが寄るのも気にせずにぐしゃりと乱暴に紙を拾い上げた私は、ふと窓の外へ視線を落とした。ずん、と重たそうな灰色の雲が空を覆い隠している。今にも降り出しそうな様子にため息しか出ない。補習なんぞに引っかからなければこんなことにはならなかったのに。だいたい丸井だって馬鹿なくせに、変なところで要領が良いというか、馬鹿は馬鹿らしく補習を受ければいいものを腹の立つ奴だ。


「あああもういい、帰ってやる。補習なんざ知るか!」


名前ぐらいしかまともに記入していないプリントを机の中に突っ込むと、あたしは鞄を掴んで教室を飛び出した。このまま利口に補習を受けていたんじゃ雨が降ってきてしまう。天気予報を確認するような人間じゃないあたしはもちろん傘なんて持っていないし、置き傘だって用意しているはずがない。
小走りに階段を降りていると、静かだった外がザアザアと急に騒がしくなる。タイミングが悪いことに降り出したようだ。あたしは小さく舌打ちをしてひとまず昇降口に向かうことにした。教室に戻るという選択肢はもちろんない。

昇降口までやってきたあたしは、雨の音をぼんやり聞きながら下駄箱横の傘立てを見回した。もちろん自分の傘を探しているわけではない。


「借りパクしちまおうかなあ」


もはやあたしくらいしか学校に残っていないのではないかというくらい校内は静まり返っているし、借りてっても誰も困んねえんじゃねえか?そんな考えが脳裏に過った時、ふとたまたま顔を上げた視界の隅に見慣れた銀髪が見えた。わりかし距離があるため、こちらには気づいていないのか彼は昇降口の扉の向こうにしゃがみ込んでぼんやり空を見上げている。丸井はいないようだが、二人共とっくに帰ったと思っていたので、あたしは少し驚いて、彼の方へ足を踏み出した。「仁王?」あたしが声をかけるが早いか、彼はこちらに振り返り「おお」と腰を上げた。


「何でいるの。帰らなかったの?」
が人の傘を借りパクせんように見張っとったんじゃ」
「…聞いてたのかよ」


意地悪そうな笑みを浮かべた仁王に、あたしはバツが悪くなって口を尖らせた。別に本当に借りパクなんて考えていない、…本当に。ていうか、そういう仁王は傘を持っているのだろうか。偉そうに言う割りに手には傘は握られていない。どうなんだよ、と仕返しとばかりに強気に出れば、彼は肩をすくめて言った。「侮ってもらっちゃ困るぜよ」
そうしていきなり前に突き出された握り拳にあたしが釘付けになっていると、仁王はその腕を上下に振りながらカウントを始める。そうして3が数えられた瞬間、いつの間にか彼の手には傘が握られていたのだ。


「は、え、はああああ!?何それ!」
「イリュージョンぜよ」
「イリュージョンて、はああああ?!いやいやいや、お前すっげえなあ!魔法みたいだった!」
「…そりゃどうも」


あたしがあまりに興奮していたからだろうか。彼はあたしから目を逸らすと、わざとらしく傘を弄び出した。変な奴。今に始まったことじゃないが。
きっとそれで仁王は帰るのだろうから、あたしは「もう一つ出して」と彼に言った。しかし彼の手が再び前に出されることはなく、代わりに肩を竦めて見せる。タネは一つしか仕組んでいないのだという。


「あたしを待ってたんなら二つ用意しとけよ」
「お前さんが傘を持ってないのが悪い」
「うっせ馬鹿!」
「痛っ…理不尽じゃ…」


彼はあたしが小突いた頭をさすりながら「同じマジックを2度繰り返して演じるんはあかんの」とあたしを諭した。それが手品をする際に守るべき三原則の一つらしい。校則は片っ端から破る癖に、こういうのは守るのは何だかおかしな話だ。多分彼なりにポリシーがあって、人を欺くことの美学があるのだろう。まあ、そういうのは嫌いじゃない。
なんて、そんな話は置いておくとして、問題は傘だ。このままでは借りパクルートは避けられない。物色を始めようと傘立てに引き返そうとすると、仁王が「こら」とあたしの襟首を掴んでそれを引き止めた。


「入れちゃるよ」


彼はフッと笑うと、傘を開いてあたしをその中に引き入れる。いつも並んで歩いている割りにあまり意識したことはなかったが、仁王は背が高かった。普段は安心する位置のはずが、なんだか今日はこの距離が気まずく思える。歩き出した仁王に遅れぬよう、あたしも少しだけ早足に抜かるんだグラウンドへ足を出した。
三人でいる時は割とふざけたり、ツッコミを入れたりと騒がしい仁王だが、もともと彼は口数が多いわけではない。だからこちらに話す意思がなければそれを察してか仁王は口を開こうとはしないのだ。


「あー、えー、あっ、」
「…何じゃ」
「丸井…そういや丸井はどうしたのかなあ、なんて。あんたが待つならあいつも残りそうなもんだけど」
「あー」


彼は顎に手を当てて、それが、と言葉を続けた。どうやら今日は丸井の両親が家におらず、弟達に晩御飯を作ってやらなくてはいけないそうなので、材料を買うために慌てて帰って行ったのだという。丸井の料理美味いもんなあなんて、噛み合っていない相槌を返しながらあたしは二人が家出をしにアパートに来た時のことを思い出していた。
隣を歩いていた仁王が何かを言いたげにひょこりとあたしを覗き込む。至近距離で合った目にたじろぎながらも、努めていつもの調子に「なんだよ」と返せば、彼は「俺で悪かったのう」と突然そんなことを言った。


「はあ?意味わかんね」
「俺だとつまんなそうぜよ」
「そんなことねえよ」 「気まずそうにしちょった癖に」 「それはまあ、仕方ねえだろ。こういパターン初めてだったし、つうかどっちが良いとか、そういうのないから。二人とも同じくらい大事。仁王も知ってんだろ?」
「知っとるよ。さっきのは冗談じゃ」
「んだよ」
「じゃってが俺んこと意識しとるみたいやったからからかいたくなって」


彼はあたしにもっと乙女な反応を期待していたらしいが、期待外れだったとあからさまにため息を零した。このやろう。勝手に期待して勝手に落胆するなんてむかつくやつである。


はブン太ばっかり構うからのう。たまには俺に貸してくれてもええじゃろが」
「は?」


あたしって、そんなに丸井に構ってるかよ。ていうかむしろ丸井と仁王の方が仲良く見えるんだが。他人の方がよく見えるというのはありがちな悩みだ。丸井はあたしと仁王が仲良く見えたり、疎外感を感じたりしているのだろうか。三人というのは微妙な数字だからな。あたしは何と無く一人で納得した。そうしてあたしは仁王の頭に手を伸ばすと、乱暴に撫でる。至極迷惑そうな彼の視線があたしに向けられたが、気づいていないふりをした。


「んじゃ仁王もきっちり甘やかさねえとな」
「ちょ、痛いんじゃけど、傘に髪が引っかか、痛っ、…お前さんホンマに女か」
「だっはは、心配しなくても仁王のことも大好きだからな」


そう笑うと、何故か彼はあたしの頭を全力で殴って彼には珍しい大きな声で「知るか」とそっぽを向いてしまった。


ちなみに照れてんじゃねえよなんてふざけて言ったら、その言葉を聞くなりあたしは傘から追い出された。


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(131016_仁王と雨)
次回からまた伏線をポイポイ入れていきます。