21限目_喧嘩するほど仲が良いという言葉もあるんだぜ


あたしは柳蓮二のマル秘ノートが、部室の棚に隠されていることを知っている。いや、別段彼はノートを隠すような素振りをしてはいなかったから、もしかしたら部員周知の事実かもしれないけれど。そしてそうだとしたら、それが触れられる距離にありながら、誰も手を出さないのは、きっと暗黙の了解なのだろう。
しかし、こんなにスリルを与えてくれそうな物に手を出さないなんて、それでも不良と言えるだろうか!


「否!言えません!わっくわくです!」
「…何してるんですか」


部室のドアを目の前に高らかに悪戯宣言したところで、後ろからそんな声がかけられた。あたしは鍛え上げられた瞬発力で横に飛び、ドッジロールを繰り出す。後ろにいた人物と距離を取ったところで顔を上げると、そこにいたのは赤也だった。ホッと胸を撫で下ろすあたしの横で、彼は真顔で再び「何してるんですか」と言う。心なしか軽蔑の色が垣間見得た気がした。


「そ、そういう赤也こそ」
「俺は部室にこの後使う英語の課題を忘れてたのを思い出して」
「ふうん」
「それで、先輩は?」


元々あたしの正式な部活はバスケ部である。無理矢理テニス部の雑用係なるものをさせられてはいるが、普段のあたしは仕事がなければここに来ることは絶対にない。だから昼休みにわざわざここにあたしがいることを怪訝に思ったらしい赤也は、少しだけ眉をひそめてこちらを見めていた。あたしは一瞬話すのをためらったが、まあ赤也なら大丈夫だろうとタカをくくり「実は」と丸井や仁王と喧嘩した経緯と、これから柳のノートを利用して奴らに吠え面をかかせてやるのだという意気込みを語って聞かせた。彼は目玉焼きの下りで、聞くんじゃなかったとばかりのあきれ顔をしていた。


「もういちいち先輩達のやることに口出ししてたら体力もたねえから喧嘩とか勝手にやってればいいけど、これだけは言っときます」
「なんだよ」
「柳先輩のノートはやめたほうがいッスよ」


彼の言葉を背に、あたしは職員室からパクってきた予備の部室の鍵でドアを開けながら、背中で赤也の言葉を聞く。確かに柳は怒ると怖いのはなんとなくわかるよ。だから選んだって言うのもあるし。だけど、それはバレなければ平気じゃないか。けたけた笑いながらあたしは部誌が並ぶ棚の隅にこっそり存在する柳のノートを取り出す。後ろで赤也がうわあと声を上げた。ビビリめ。


「それ、どうするつもりスか」
「落書きする。柳蓮二、電子レンジ。だっははは!」
しょうもな聞くんじゃなかった


マジックでノートの表紙にキュッとその言葉を書き足す。「柳先輩なら筆跡でバレそうなもんですけどね」彼のさりげない一言で、あたしはびくりと肩を揺らした。おおおお前さあああそれ書く前に言えよバーカバーカ!!ふっさげんなよ!


「いや、俺初めに止めましたよね?」
「あたしがきちんとやめないと止めたことになってねえんだよ!しっかりしろよ、そういうのお前の仕事だろ!」
何その寝坊の言い訳みたいな。つうかマジックで落書きとかもちょっと俺からするとアウトだと思いますよ」
「す、水性だもん!」
関係ねーよ


うるせえ!とりあえずこれを仁王のロッカーに放り込んでおけば全て丸く収まるんだよ。一番の強敵は仁王だから、これを柳が見つけて、仁王に雷を落とすだろ。それからタイミングを計って通りすがりざまにあたしが「そう言えば丸井もそれやってたの見たよ」って柳に言う。完璧。これで丸井もお説教行きだ。ナイス。


「何その穴だらけの計画。俺でも立てねえよ」
「とにかく赤也はこのことを黙ってればいいんだよ、分かっ」
、計画とは常に最悪の場合を想定して立てるものだ」


仁王のロッカーへと手をかけていたあたしは、不意に後ろから聞こえたその声に体を震わせた。得意のドッジロールを披露しようにも、こんな時に限って足が動かない。誰かの手が肩をに触れた。「さて」やけに落ち着いたこの声はもちろん赤也のものではない。


「もしも俺に見つかった場合にはどうするつもりだったのか、言い訳でも考えてあるのなら是非聞いてみたいものだな」
「や、なぎさん」


ゆっくり振り返ると柳は至極いつも通りの涼しげな顔をしていた。それが余計に怖かった。彼の後ろにいる赤也も顔を引きつらせてあたしに向かって首を大きく振っている。そうだ。赤也はこの部活のいつものメンバーの中において一番ヒエラルキーが低い。頼りにならない使えない。ていうかそもそも何で柳がここにいるのだろう。定まらない視線をようやく足元に落ち着けると彼はいつもの読心術を使ったようで「嫌な予感がしたものでな」と言った。


「俺はあまり勘には頼らない主義だが、存外あてになるようだ」
「…さ、っすがあ」
「持ち上げてもお前の利益になるようなものは何も得られないぞ。それより賢い弁明でもしたらどうだ」


そんなこと、あたしにできるはずかないと柳も分かっているだろうに。意地の悪い奴だ。彼は「さしずめ仲間割れでもしたのだろう」と丸井や仁王に名前を出した。「あいつらにもそろそろお灸を据えねばなるまいな」なんかあの二人も自動的に悪いことになっていた。一応作戦は成功したわけだ。あとはあたしがうまく逃げて、何も知らないあの二人が怒られるだけだ。そう思うと挫けそうな気持ちが立て直せた気がした。
あたしはちらりと退路を確認する。うん、逃げられるな。そう思った瞬間、柳にそれを悟られる前に飛び込むように脇へ転がって部室を飛び出した。うわ、すげ、と赤也の感嘆がすぐ横で聞こえたが今は照れている場合ではない。バスケ部持ち前の瞬発力を使ってあたしは校舎へと駆け出したのであった。


「やれやれ、逃げ足だけは尊敬に値するな」
先輩が男なら選手としてテニス部に入れんのになあ」
「…『三人』に灸を据えてくる」
「…行ってらっしゃいッス」


Δ


あたしは走り続けていた。誰かに追われているとかそういう次元の話ではなかった。何故ならあたしの背を追うものは柳どころか、教師すらいないのだから。では何故走っているのかと言えば、そうでもしていないと精神が持たないからだ。先ほどから行く先々で、「あ、さん、さっき柳君が探してたよ」と声をかけられるし、それだけでなく、あたしが逃げた先には必ず柳がいる。彼はあたしの行動を読んでいるのだ。


「追いかけるまでもないってか…っ」


皆があたしに、柳が探していたことを伝えてくるのも、さしずめあたしを追い詰める彼の作戦の一つなのだろう。こうして誰からも監視されている、ある意味逃げ場を失った人間の短絡的な思考を読むほど簡単なことはない。こんな時に、どこに逃げれば良いか瞬時に弾き出す勘の良さを持ち合わせた丸井がいてくれたらと、思った。
あああどうしようこのままじゃ捕まるのも時間の問題だ。冷静さを欠いた人間が墓穴を掘るのはよく理解しているし、今こそ冷静になるべきなのだろうが、たとえできたとしても柳を上回る思考力など持ち合わせていない。元々そういうのは仁王の担当なのだ。あたし達は三人で常に色々やらかしてきたわけで、三人で一つなのだ。作戦や退路を確保する仁王に、ピンチの時に勘の良さを発揮して、逃げ時のタイミングも逃げ場も全部任せられる丸井、ここぞで皆を連れて飛び出すことができるあたし。誰か一人でもかけていては、こんなハイレベルな悪戯、上手く行きっこなかった。
て言うかそもそも何であたしは柳にこんな無謀なことをしようと思ったんだっけ?
あたしは滑るように廊下を曲がる。その瞬間同じように前から飛び込んできた誰かにぶつかりそうになって反射的に目をつぶる。それと同時に目の前ではなく、階段のある方から聞き覚えのある声が飛んできた。「わああお前らマジナイスタイミング!」丸井だった。


「…ってお前'ら'?」


閉じていた目を開けると、ぶつかりそうになった相手と目が合う前に、あたしと丸井は腕を強く引かれて、近くの使われていない教室に引き摺り込まれた。あたしと丸井はべちょ、と床に倒れこむ。打った腰をさすりながら、あたし達を見下ろす仁王に「おいこらテメエ!」と罵声を浴びせた。しかし彼は素早くあたしの口を抑える。顔に出ているわけではなかったが、どことなく焦りが伺える雰囲気だった。


「頼むから騒ぎなさんな」
「はあ…?」


彼は息を潜めると、あたしと丸井を交互に見つめた。心なしか丸井も走っていたのか呼吸が荒く、緊張した面持ちだ。一体何があったというのだろう。誰が話し出すわけでもなく、互いにだんまりをし続けてしばらくが経った。ふいに、隣からすっと息を吸う音が聞こえた。


「実は俺、真田に追われてる」
「はああ!?」
「ばっか、静かにしろい!」


仁王より先に口を開いたのは丸井だった。え、何その驚愕の事実。ていうか何で?何で真田?「いや、お前らに吠え面かかせるつもりでちょっとしくじった」はいいい?!


「そんで俺だけじゃなくてお前ら二人も悪いことになってるからな!実はちょっと悪いと思ってる!
ふざけんなテメエエエ!
「痛!…っ殴ることねえだろうが!じゃあそういうお前は何で息が荒いんですかねええええ!?」
「テメエらに吠え面かかせるつもりでしくじって、結果柳に追われてんだよ!察しろバーカバーカ!ちなみにテメエらも悪いことになってるからな!実はあたしもちょっと悪いと思ってる!
ふざけんなテメエエエ!


ガッとお互い髪の毛の引っ張り合いが始まり、仁王が静かにしろとあたし達の頭を叩いた。つうかお前は一体なんなんだよ。もう悟りでも開きそうなくらい頭を押さえて物憂げにしてやがる。彼は顔を上げるとおもむろに口を開いた。


「実は俺も幸村に追われちょる。ちなみに二人もしっかり巻き込んだ」
はいいいい、言うと思いましたァアアア!
「実はちょっと悪いと思ってるとか言うんだろどうせさあああ大体なんで幸村なんだよ!ハイリスクノーリターンじゃねえか!」
落ち着け。お前さんらが真田や柳を用意してくると思ったからそれに勝る最強の布陣を敷かせてもらったんじゃ。が、しくじった」
敷けてねえじゃねえか!落ち着けるかあああ
「敷きまちがえた」
敷きまちがえたとかそういう次元の話じゃねえだろうが!お前のせいで俺らすでに背水の陣!
「俺のせいにするのはいただけないぜよ。三人が招いた結果なり」
「幸村とか信じらんない信じらんない!」


あれだけは手を出しちゃいけない人でしょうよ!そうしてあたしと丸井であらん限りの罵声を仁王に浴びせ始めた。しかし、彼がそれに顔を顰めることはなく、ハッと息を飲んだかと思うと彼の視線はあたし達を通り越して後ろへと注がれた。え、仁王何見てるの?


「そろそろ作戦会議は終わったか」


背後から聞こえた声にあたしは心臓を鷲掴みされたかのように生きた心地がしなかった。そうだ。柳はあたしの思考を、いる場所を読んでるんだった。しかし今回はあたしが硬直することはなかった。多分、それはこの二人がいるからだ。仁王は腹立たしいが、今はそんなことを責めている場合ではない。あたし達は互いに目配せをして、ほぼ同時に立ち上がった。あたしが先頭をきって近くの扉を乱暴に開けて飛び出した。走り出すあたし達の後ろで「廊下を走るなぁぁぁ」という真田な声も聞こえる。しばらくその声をバックグラウンドにあたしたちは無言で走り続けていたのだが、なかなか撒けそうにない真田に、丸井が隣で小さく息を吐いた。


「こりゃ仲間割れしてる場合じゃねえな」
「…違いないね」
「しょうがないのう」


あたし達は顔を見合わせて、走りながら雑に握り拳をぶつけ合う。「はい仲直り」と丸井が笑った。こういう時、あたし達は意外ととさばさばしているからやりやすい。すぐに気持ちを切り替えたあたしは、それで、どこに逃げれば良いと思う?と問うた。


「ここは外に逃げた方が賢い気がするのう」
「賛成」


そうしてあたし達は跳ねるように階段を降りて、正門までたどり着いた。柳達が近くにいる気配もないし、流石の奴らも一応模範生の一人なのだから、あたし達を追っていたとしても学校の外へ出ることはないだろう。安心して速度を緩めた時だった。急に膝の裏に衝撃が走り、力が抜けるように体が前に倒れる。いわゆる足かっくんに近い感覚だった。しかしそれにしては随分痛かったけれど。
ぐは、と地面に受け止められたあたしは、同じくわけが分からないと言った顔で、倒れている二人へ目を移す。


「俺を忘れてもらっちゃ困るんだけど」
「わあああ幸村君!」


倒れるあたし達の前にヤクザよろしく座り込み、にこりと笑うのはラスボス幸村だった。不良より不良らしい模範生がいるだろうか、否、目の前の彼を除き普通はいない。彼の手にはラケットとボール。なるほど、足の衝撃はボールを当てられたのか。流石神の子。ターゲットが動いていても百発百中である。


「さて、お楽しみの説教タイムと行こうか」
「わ、わーい…」


停学の方が良かったかもと思ったのはここだけの話である。



Δ



「ああああ散々な目にあった」


幸村は昼休みが終わり授業が始まっても怒り続け、授業一時間分、丸々説教に消えていった。いくら幸村でも授業を潰してまで怒らないだろうとは少々考えが甘かったようだ。足が痺れて動かないので、その場に座り込んだまま、校内に戻っていく幸村の背中をあたし達は見送る。今すぐ授業戻れと言わなかったのは彼なりの良心か。


「でもま、ちょっと楽しかったよなー」
「はは、言えてる」


久々にいい刺激になった。三人なら怒られてもへっちゃらなのだと改めて思う。けらけら呑気に笑うあたし達の横で、先程まであたし達と足が痺れたと騒いでいたはずの仁王が平然と立ち上がって伸びをしたので、あたしは訝しげに彼を見上げる。すると、彼はどこか満足気な顔をして、口元に弧を描いた。


「マンネリ化は解消したかのうお二人さん」
「…は、」
「俺もなかなか楽しめたから良しとするぜよ」
「…お前、何言って」
「…」
「…まさか、あんた」


彼は振り返りざまに「ピヨ」とあの不可解な言葉を吐いた。いつもは何のことやらという感じだが、この時だけはそれが全てを語っている気がして、あたしはぽかんと口を開ける他はない。じゃあ、それじゃあ、これは、全部…、


「いくら幸村相手でも、俺が本気になったらしくじるわけないやろうが」


クツクツ笑って、彼は「戻るぞ」とあたし達を促した。いや、まだあたし達は足がうごかないんだけども。ていうか、それは、もしかして、わざとしくじったってこと?いや、それなら幸村が感づくはず、ということは、幸村もグルで、真田はあり得ないとしても、そうしたらもしかして柳も…。仁王はあたし達が真田と柳に悪巧みをしかけると分かっていたわけだし、柳は普段頼らない勘を当てにしてわざわざ部室までやって来た。それが仁王に言われて来たのだとしたら?


「っくそ、このペテン師があああ!ありがとうこの馬鹿野郎!」


難しいことを考えるのはやめよう。とりあえず友情の崩壊が阻止できて良かったじゃないか。妙に清々しい気持ちになって、あたしは制服げ汚れるのも気に留めずに空を仰いだ。


「一番友情を大事にしてるのって、もしかしたら仁王かもなー」


隣にいた丸井が苦笑混じりにそう言う。あたしも笑った。確かにそうかも。


そんなやり取りののちに、遠くから小さく「あほ」と声が聞こえた。



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(131001_結局はそういうオチ)
こういう日常的な話好きです。本当は本編の最後の方に入れようと思ったんだけど、ネタがなかったので笑 楽しかった。
仁王って、ほんと読めないから、話を書くときにどこまでふざけて書いたらいいのかとか、彼ならどこまで先を読んでるんだろうとか考えるのが難しい。