18限目_お互い調子の乗りすぎに注意しましょう



「傷見せろ!」
「嫌だ!」


先程から繰り返されるあたしと丸井のこの応酬に、それを傍観していた仁王が溜息を一つ零す。

第一校を黙らせることに成功したあたしは、八雲達にこの三年間燻り続けていたわだかまりを洗いざらい話し、自分なりのケジメを着けることができた。仲直りできて良かったね、ハッピーエンド。あたしはそんな終わりを期待していたわけだ。しかし予想は見事に斜め上を駆け抜けたのである。問題は八雲達にはなかった。この目の前にいる丸井にあったのだ。
疲労感を背負いながら、家に帰ってきたあたしに、奴は手当をさせろと言い出したのだ。いや、丸井は間違っていないと、あたしも思う。しかし言わせてもらうとあたしは手当が嫌いだ。何故なら痛いからだ。


「お前よくそれで不良なんてやってんな!だったら喧嘩なんて初めからすんなよ」
「それとこれとは話が違うんだよ」


だいたい、丸井はガサツだから絶対消毒なんてしてもらえば痛さで泣き叫ぶに違いない。ちなみに仁王も然りだ。こいつは丸井よりタチが悪くて、ワザと痛くするに違いない。
服の所々から薄っすら血を滲ませるあたしは、頑なに首を縦に振ることを拒んでいると、丸井は「ならおばさんにやってもらうか?」とあたしの母親を呼びに行こうとする。ちょっと待てそれは困る。
母親はあたしがまさか未だに喧嘩をしているような不良とは思っていないわけだし、今だって、喧嘩がばれないようにこっそり帰ってきたのだ。


「おばさんに言われたくなかったら観念しろい」
「仁王さん、何とかして下さい」
「あー、俺包帯持ってくる」
「オイコラ」


彼も今回ばかりは(というかいつもだが)丸井の味方のようで、包帯を持ってくるついでにあたし達の行動を先日から不信がる母親に誤魔化しを入れてくると立ち上がった。非常にもあたしを見捨てた仁王の背中が障子の向こうに消えてから、丸井は持ってきたらしい自分の簡易救急セットの中の消毒とガーゼを構える。


「持参かよ、女かテメエ!」
「こうなることは予想してたんだよ。ほらサッサと腹見せろ」
「良いって、いつもほっといても平気だったし」
「膿むぞ」


丸井は以前、赤也が擦りむいた足を放置して、その傷が膿み、大騒ぎした時のことを事細かに話し出した。弟を諭すような口振りに、相変わらずだなと座りながら後退する。しかし逃げ切る前に、あたしの太ももを丸井が押さえつけてTシャツの裾を掴んだのだ。


「おいこら離せ馬鹿!」
「黙って見せりゃこんなことしねえんだよ」
「心配性だな!あー馬鹿馬鹿消毒近づけんな!」
「黙っとけ」
「や、やめ、っだからだいじょう…あ、ひゃあ…っ」
「…」
「…っ」
「な、」
「…」
「っなな、なんつー声出してんだお前…!」


今まで聞いたことがない、力の抜けるような声が出て、あたしはバッと口を押さえた。丸井も丸井でピンセットで挟んでいた消毒のガーゼを畳にぽとりと落とす。
いつもならそれに何やってんだとでも文句を言っていたのであろうが、先程の自分らしからぬ声が頭をぐるぐるとループし、それどころではなかった。一瞬、腹をかすめたガーゼと太ももを押さえる丸井の手がこそばゆく感じたのだ。


、おま、」
「あーあーうるさいうるさいうるさい!丸井が変なとこ触るから、だから、っ」
「お、れのせいかよ!」
「当たり前だろ!顔赤くしてんじゃねえ馬鹿!今の忘れろ!ばーかばーか!」


自分の暴言に、いつもの覇気も余裕も無いことが余計恥ずかしさを増長させて、顔に熱が集中する。丸井は手の甲で口元を隠しながら、一歩だけ後ろに下がった。怯んだようにも見えたが、彼の減らず口は止まらない。


「…誰が今更の声で興奮するかよ」
「鏡でテメエの顔見て来い!」
「うっせ、それ以上何か言ってみろ、襲うぞ!」
「…ハッやれるもんならやってみろ!このばーか!」


最後の言葉が明らかにいけなかったことは、言った後に気づいた。キッと半ばヤケになったようにあたしを睨んだ丸井が、空いていたあたしとの距離を埋める。今度はあたしが怯む番だった。身体を支えるために後ろについていた手を掬われて、バランスを崩し、あろうことか、片手で両腕をまとめ上げられて、そのまま後ろに倒されてしまった。
負傷していて力が出ないからか、あたしが女だからか、そんなものはどっちだって良いが、床に縫いとめられたあたしの両腕はびくともしない。


「…見ろ、形成逆転だな」


耳元で囁かれた、聞き覚えのあるその台詞に、顔が沸騰したかのように熱くなる。せめて足だけでも動けば、あたしの力なら逃げ出せるとも考えたが、それを実行する前に、あたしの思考を見抜いた丸井は素早く自分の足で、あたしの足を押さえつけた。最悪だ…!変なところで妙に頭の回る丸井だけは敵にしたくなかったのに、まさかこんな形で相対するとは。


「は、離せえええ馬鹿があああ!こんなことしてタダで済むと思なよ!」
「…自分がどういう立場にいるか分かってんの?お前」


じとりと真上から丸井に見下ろされて、あたしはハッと息を止めた。しかし、そのあとすぐに何とも言えない微妙な空気があたし達の間に流れ始めた。ここにきて、お互い冷静さを取り戻したのだろう。あたしはこの体勢にもちろん羞恥を感じっぱなしだったが、ヤケになっていた丸井も、今ではどうして良いか戸惑っているようだ。ここまでやってしまっては、もはや引き下がれないし、かと言って先に進めるかと言ったらそれは間違いなくノー。そんな感じだった。ここまでくると、あたしの方が余裕が出てくるというもの。


「…あ…え、と…丸井」
「っ…喋んな、馬鹿…」


引っ込みがつかなくなっている丸井が徐々に怖気付いているのは明白。しかしその癖あたしの腕を押さえる力は緩めないものだから、どうしたものか。


「…って、ほんと腹立つんだよ」
「な、何だよいきなり…」
「…喋んなっつったろ!…黙って聞けよ」
「えええ…」


何それ、とは口に出さずに、そのまま次の言葉を促す。しかし丸井が口を開くが早いか否か、次の瞬間突然障子がサッと開いて、あたしの逆さまになった視界には包帯を片手に持つ仁王が飛び込んだ。


「…」
「…」
「あっお邪魔ですね」


パシン、直ぐにそれが閉められたと同時にあたし達は跳ね起きて「ちょっと待って!」と部屋から飛び出した。仁王は相変わらずそこにいて、彼はまるで障子に耳を当てていますよみたいな体勢をしていたので、あたし達は同時にカッと顔を赤らめる。


「え、続きどうぞ?」
「べべ別に何もしてないから!」


大きく首を振るあたしに、仁王は至極残念そうに、つまらんのうと呟いた。


「それで、何してたん?」
「だからっ…何もしてねえって!なあ丸井!」
「お、う!」
「俺からしたら今から丸井がをいただいちゃうように見えたんじゃけど」


スタスタと部屋の中へ入って胡座をかいた仁王はあたしに包帯を投げてよこす。どうにもいたたまれなくなって、あたしはこの際くだらぬ意地などどうでもいいと自分で消毒を始めた。何かをしていないと恥ずかしさで死んでしまいそうだった。


「なーんか最近二人ばっかり仲良くてつまらん」
「ちっ、がう」
「俺も仲間に入れて欲しいもんじゃ」


もう何を言っても仁王を喜ばせるだけに違いない。遠くでそっぽを向いてしゃがみこんでいる丸井にならってあたしも仁王の言葉を右から左に流していると、彼はごろんと寝転んで、小さく笑ってみせた。


「お前さんらってほんと見てて飽きんわ」




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(1309010_今度はブン太が出張ってる。甘くしすぎたかな。最近加減が分からん)