17限目_大事なものってのは、自分の力で守り抜くものあの時、あたしは焦っていた。日に日に侵されて行くあたし達のテリトリーを守る術を何も考える事ができなかったのだ。 初めは、ただ、牽制すれば良いと思っていた。より力の強いものが、弱いものを抑え付けて、それで全てがうまくいくと信じていた。しかし牽制はあくまでも牽制でしかなく、絶対的な力のを持っているわけではない。それはリスクを拒む者に対してのみ有効であるのだ。あたしの目の届かぬ所では効力を失い、そして、リスクを恐れぬ者には全く意味を成さない。あたしはそれを分かっていなかった。どうやらあたしは、喧嘩の世界においてはとことん詰めが甘かったようで、しかしそれを理解した時には、もう何もかもが手遅れになっていた。 奴らは卑怯だった。第一校の奴らはあたしの仲間が一人でいる所を狙い、少しづつこちらの戦力を削っていった。酷い時は病院送りにされた者だっている。あたしはどうしても姑息な手を使う奴らが許せなくて、仲間が襲われる前にと、町中を闇雲に駆け回ったが、あたしが奴らを見つける事はできなかった。そうして焦りばかりが募るうちに、きっと最後に狙われるのは自分だろうという、恐怖が胸の中にチリチリと焼き付き始めた。 そんな矢先だった。八雲から電話があったのは。しかし電話の向こうからは、予想していた人物の声ではなく、第一校の人間の下卑た笑い声だけが耳に届いた。頭の悪いあたしでも状況はすぐに把握できた。 「お前の大事な最後の仲間を預かってるぜ」 してやられた。結局あたしは誰一人守る事もできず、まんまと奴らにおびき出されたわけだ。手を出せば八雲を刺すと、あたしがそいつらにしてきたはずの牽制をまさかこんな形で受けるとは思わなかった。 「やめてくれ…八雲を助けてくれ」 あたしが来る前に、意識がなくなる程殴られたらしい彼は、ぐったりとしていた。やめてくれと懇願するあたしはついには羽交い締めにされ、抵抗しようにも、そこで男女の力の差を思い知った。 「所詮テメエもただの女だったって、ことだな。さんよ」 今更無力を嘆く事も、浅はかさを後悔することも、おこがましく思えた。そうしてあたしは袋叩きにされ、終いには腹にナイフを突き立てられて、そのまま意識を失った。 目を覚ました時は既に病院で、ぼんやりと白い天井を見つめるあたしに残ったものは、言いようのない恐怖だけだった。臆病になったあたしは、母に言われるがままに逃げ出した。あいつらを置いて。 ただの喧嘩にしては、あたしは多くのものを失い過ぎた。 Δ 「だーから行けって!」 「ま、まだ心の準備ができてねえんだよ、察しろボケ!」 「お前は一体何日心の準備に使ってんだよ!」 それは八雲達とのごたごたがあった日から二日後の事だった。玄関からあたしを押し出そうとするのは、もちろん丸井と仁王で、二人にはけじめをつけに行くとは宣言したものの、実はもう二日もこの攻防を続けていたりする。言葉の通り、心の準備が整っていないのだ。いつまでもこんなことをしていたらあっという間にゴールデンウイークが過ぎて行くことは目に見えている。現に二日過ぎた。 「がここまで意気地なしだったとはのう」 「こ、こっちにだって色々あんだよ」 「お前に色々あるように、向こうにも色々ある事を忘れんようにな」 「…はあ?」 「チャンスを大事にしろっつってんだ」 そう。あたしの都合で行った所で、相手に会えるかどうかも分からない。しばらく俯いて、あたしは自分の足元ばかりを見つめていた。こうして、助言を与えてくれる友人をとても貴重だと思う。言葉に従うべきだと、あたしはじりじりと足を踏み出した。しかしあたしの伸ばした手が、ドアに掛かる事はなく、突然開いたそれに、あたし達は目を見開く。 「っ…お前…!」 「さん!!お願いです、助けて、助けて下さい…!」 あたしにぶつかるように飛び込んできたのは、仲間の一人で、彼はあたしを見つけるなり足元に縋り付いて、嗚咽を繰り返す。最早、こいつらとの先日のやり取りなど頭にはなく、所々血の滲んだ彼の身体を見て、あたしはどうしたんだと彼の肩を揺すった。いったいどうしたというのだろう。ただの喧嘩でここまでなるだろうか。こいつらだって、弱いわけではないのに。こんなに傷だらけな仲間を見たのは、あの時の一度しかない。その時、あたしは嫌な予感が脳裏をよぎり、ハッと息をのむ。 「おい、まさかお前…!」 「第一校の奴らが、突然…俺ら、囲まれて、あいつら、全員ナイフ持ってて、敵わなくてっ…八雲さんが、八雲さんがあ…!」 「落ち着け、場所は!」 「裏の、廃ビル…」 「っ分かった」 「あ、おい!」 あんなに恐れていた外に飛び出すのは、とても簡単な事だった。ぼやけた記憶と、直感を頼りに廃ビルまでがむしゃらに走り続ける。恐怖心は不思議となかった。ただ、早く、もっと早くと自分の足を急かしていた。そうして辿り着いた廃ビルには、あの時と同じように縛られてぐったりとした八雲と他の仲間がいた。ただ以前と違うのは、彼らに意識があるという事。 「ハハ、ハハハハ!マジだったんだな!マジでこっちに帰ってきてたんだ、!」 声の方へ注意を向ければそこにはナイフを弄ぶ、あの時の、あいつがいた。彼は懐かしそうにあたしと八雲を交互に見て、口元を歪める。まるで図られたような、あの時を彷彿させるシチュエーションである。 「さん、なんで、なんで来たんだよ…!」 「来ないわけねえだろ!」 「よく言うぜ、お前は自分の仲間の見捨てて俺から逃げるために転校までした癖によお!」 「それは、認める。あたしはこいつらを置いて逃げた。でも、やっぱりそんな事できなかった。だってあたしの大事な仲間なんだ」 「綺麗事が!ヘドが出るぜ。どうせ俺に負けるのが怖い癖になあ!」 ひゅっと突き出されたナイフを寸前でかわし、素早く蹴りを繰り出すが、周りから一気にナイフで切りつけられそうになり、それをかわすので精一杯で、相手に当てる事はできなかった。ピッとナイフがかすった部分から血が垂れる。あの時の事を思い出してあたしは少し身体を強張らせたが、こんなものは大した怪我ではないと、自分を叱咤した。何発かの蹴りをかわしながら体勢を整える。次の攻撃に備えようとするあたしに、奴はおっと良いのかと、口を開いた。 「これ以上余計な動きをすれば、八雲を刺す」 「…」 「懐かしいよなあ。お前はまた俺にこうして負けるんだ」 「…誰が負けるって?」 「何…?」 「素手で戦えないお前に、一度だって負けたと思ったことはねえ、…よっ」 あたしが負けたのは自分にだ。 あたしは力強く地面を蹴ると、飛びかかるように奴に拳をぶつける。そのまま何度も蹴りを見舞いしていると、彼は再び牽制の声を上げたが、あたしは怯まなかった。彼は仲間に八雲をやれ、と怒鳴り散らしたが、彼の指示に従うものはいなかった。否、従いたくともできぬ状況にあったのだ。 先程まで大暴れしていたはずの彼の手下は、いつの間にやら縄で縛り付けられ、一部は気絶しているものもいる。その状況を呑み込めていない相手は、愕然とその場に立ち尽くしている。 「な、…これは、どういう事だ!?」 「言ってなかったけど、あたし、一人じゃないんだよね」 「な、んだと、」 そうしてあたしが指差す先には、縄と奇妙な液体が入っている水鉄砲を構えた仁王と丸井がいた。しかし正直来てくれるとは思わなかった。と言うより、間に合わないと思った。その前になんとか自分で、手を打つつもりだったのだ。勝算はあった。しかし、やはり彼らがいてくれた方が心強い。 「形成逆転だな」 「そんな、馬鹿な、!」 「そんじゃまあ、おやすみ!」 「ふぐっ…!」 困惑し切った相手にパンチを決めるほど簡単な事はない。顔面にクリーンヒットを決め込まれた奴は、無様に地面に転げ回り、あたしはそいつの頭を掴むとギン、と睨みを鋭くする。 「またウチにちょっかい出して来たら、殺す」 その言葉を聞いた瞬間、彼は気絶した。恐らくこれでもう平気だろう。拘束されていた八雲達を解放すると、皆はわあわあと泣き出して、あたしに飛びついて来た。ごめんなさい、ごめんなさいと、一体何に対して謝っているのか、彼らはまるで母親に縋り付くようにそうしていた。 「俺らが弱いばっかりに!」 「そんな事思ってねえよ。あたしこそ守ってやれなくて、ごめん。こんな不器用なやり方しかできなくて、ごめん」 「さん…!…わああああっ」 そうして泣きわめく声は、流石に近所迷惑になるのでは、と思うほどだった。あたしは困ったように二人を振り返ると、彼らは笑っただけだった。まあ、泣き止めと言っても無理なのだろうから、しばらくはこのままにしておこう。あたしは二人の隣に並ぶと、ホッと息をついた。 「丸井、仁王、ありがとな」 「この借りはデカいぜよ」 「げ、マジすか」 「あったりまえだろい」 「…ところで、その水鉄砲の中身って、」 あたしが丸井の持つ一つを取ると、中の紫色の液体をちゃぽんと振って見せる。何だか何処かで見た事がある色だった。脳裏に一瞬、思い当たるものがちらついて、まさか、と仁王を見上げた。心なしか、彼の口元が弧を描いているような気がする。 「柳の鞄からちょいと拝借してきた」 「柳汁だってよ」 「ああ、…」 気絶している彼らが、少し哀れに思ってしまったのは、ここだけの秘密だ。 それからあたしは、いまだにわんわんと泣き叫んでいる八雲達へ視線を戻すと、ふっと、笑みをこぼした。捨てなくて良かった。逃げなくてよかった。抱き付くように丸井と仁王へ腕を回して、二人を自分の方へと引き寄せると、もう一度だけありがとうと告げた。 「あたし、分かったんだ。苦い思いでも楽しい思いでも、いろいろ抱えて、抱えきれない程集められたやつが、本当に人生楽しめてる人間てやつなんだって」 「…そうだな」 「…ああ、やっぱりあんた達の傍が一番落ち着くわ」 BACK | TOP | NEXT (130903_オリキャラが出張っててすいません。次からまたブン太よりになるはず…) |