15限目_そこで仲間を見捨てるなんて、大馬鹿野郎のすること



よく昔落書きをして怒られた柱を手でそっと撫でる。三年ぶりの我が家は何一つ変わっていなかった。引っ越してから、自ら連絡をした事がないあたしは恐らくかなりの親不孝者なのだろうが、それでも両親は帰省したあたしを温かく迎え、さらに友人達を連れて来た事を頗る喜んだ。後でお茶を持っていくからゆっくりしているといいとあたし達は奥の部屋に通される。
そこそこの長旅に、あたし達は投げ出すように鞄を手放し、畳みにしゃがみ込む。懐かしい、い草の匂いだった。


「なんか落ち着く家だな」
「普通だろ」
「すっげでかいし」
「この辺ではこれが当たり前なんだよ」
「…」


あたしの素っ気ない言葉に、丸井があからさまに顔をしかめた。しかし機嫌をとってやろうとも思わない。そんな気分にはなれなかった。部屋の端に座り込んで、あたしはぼんやりと縁側を眺めていた。思い出すつもりは無かったのに、そこでアイツらと並んで騒いだ事とか、この部屋で暇を持て余して寝転がっていた風景が、ちらちらと脳裏に過って、逃げるように目を閉じる。
あたしがそんな風にだんまりを決め込んでいたので、三人の間は沈黙が支配していた。しかしそれに痺れを切らしたらしい丸井が、立ち上がって自分の鞄を漁り出した。


「どしたん、ブン太」
「俺、弟達のお気に入りの人生ゲームパクって来たんだけど」
「ヒエラルキー低いくせにお前さんそんな事しちょるから家を追い出されるんじゃよ、可哀想に」
お前に言われたくねえよ


二人はいつもの様に言い合いをしていたけれど、丸井はどこか安心している様に見えた。私が黙りこくっていることに気まずさを覚えていたに違いない。ぶつくさと文句を垂れながらも、彼は人生ゲームの盤を部屋の真ん中に広げ始めたので、私はようやく、悪いけど、と言葉を発した。


「あたしの事は放っといてくれないかな」


こうして彼らを拒絶したのは初めての事かもしれない。顔を強張らせる二人を見て、ずきりと胸が痛んだ気がした。「」仁王が諌める様に名前を呼ぶ。きっとあたしをずっと気にしてくれていた丸井の気持ちを考えてやれと、そう言いたいのだろうが、今のあたしにそんな余裕はなかった。やはり二人を連れてくる事は間違いだった。初めはそこまで深刻に構えていなかったが、実際にここへ戻ってくると、家のあちこちに昔のあたしの影が残っている。まるで今のあたしを、責めている様に。


「二人は分かってるんだろ、ここで何かあったって。なら、少し放って置いてくれ」


早口にそう言って、あたしはその場から立ち去ろうとすると、すかさずその腕を掴んだのは近くにいた丸井だった。彼は勢い良くあたしを後ろに引き戻したので、あたしはそのまま畳みに叩きつけられる様に倒れる。


「いっ…おい、丸井何すんだよ!」
「うるせえよ。…ああ、もう分かった。が何を悩んでてもそんなのはもうテメエの勝手だよ。だけど、お前を心配するのは俺らの勝手だ。俺らがどうしようとテメエに口出しされる筋合いはねえ」
「…」


鋭く睨まれて、あたしは呼吸ができなくなった。丸井が本気で怒っているところなんて、初めて見たのだ。鼓動が速くなり、やっとの事で彼から目を逸らし、身体を起こす。あたしは何も言えなかった。今度こそ、本当の気まずさが、あたし達の中に流れた。
そんな時だ。バタバタと、騒々しく廊下をかける音が聞こえて、あたし達はそちらへと注意を向ける。


さん!」


襖が勢いよく開かれ、そこに現れたのは懐かしい顔ぶれだった。それはあたしがこちらにいた時によくつるんでいた仲間であり、あたしがここに「忘れてきたもの」だ。彼らは皆、肩で息をして、あたしの顔を見るなり目に涙を浮かべ始めるものもいる。丸井や仁王は、彼らが何なのか、瞬時に察したらしく、口を閉じたまま何も言おうとはしなかった。


「駅でさんを見かけたって言う奴がいたから、俺達、っ」
「…八雲」
「ずっと、ずっと待ってたんです、さん…っ」


どうやら、あたしが引っ越したあともこいつらはあたしの帰りを待っていたらしい。一番よく懐いていた八雲が、あたしに飛びついて嗚咽を繰り返す。そんな彼の後ろに目を向ければ、ほとんどの奴が包帯を巻いていたり、松葉杖をついていたりと大怪我を負っていて、それはあまりに痛々しい光景だった。確かに昔から生傷は耐えなかったけれど、ここまでのものはなかったハズだ。嫌な予感がして、あたしは八雲を引き剥がすとこれはどういう事かと問いただした。彼は少しまごついてから、第一校の奴らが、と呟く。それは昔からあたし達第二校とよく衝突していたグループの学校だった。そしてそいつらは、あたしが立海へ逃げた原因でもある。


「八雲さんは悪くないんです、俺達が弱いばっかりに、!」
さんが居なくなってから、第一の奴らが調子に乗り出して、それで、…俺達はあんたが帰って来るまでなんとか穴を埋めようって、八雲さんをリーダーに頑張ってて、でも、」
「ちょっと待って」


あたしは手前にいる八雲のシャツの胸ぐらを掴むと勢いよく引き寄せた。「あのさあ、」声のトーンを落とすと、彼らは恐れからかひゅっと息を吸う。


「あたし、解散しろって言わなかったっけ」
「でもアイツら、最近こっちの領土にまで入ってきてっ」
「あたしは言わなかったかどうか聞いてんだよ」
「いっ…言いました」


あたしはその返事を聞くや否や、八雲を張り倒して、仰向けになった彼の顎を掴む。周りの奴らが途端に騒ついて、あたしを止めようとするものもいれば、八雲へ駆け寄ろうとするものもいた。しかしあたしはそれを全て牽制する。


「八雲、勝手な事してんじゃねえよ」
「お、俺達は、逃げたくない…!」
「お前らじゃ勝てねえよ。リーダーやってる癖に相手の力量も測れねえのかテメエは」
「だからって、あんたは逃げんのか!」


バシッとあたしの手を弾いて、彼は起き上がった。いつの間にか、彼らはがあたしに向ける目は、失望の色を孕んで、あたしをたじろがせる。凄めば、皆言う事を聞くと思っていた。あたしだって、本当はこんな事はしたくない。でも、こいつらを守るにはチームを解散させて逃げるしかなかったのだ。なのに、


「テメエら、誰に口答えしてるか分かってんのか」
「見損なったよさん。あんたなんてもう俺達のリーダーでもなんでもない。ただの弱虫のクズ野郎だ」


何故分からない。
何故あたしがこんなにこいつらの事を考えているのに、心配しているのに、何故分からない。殴って従わせる事だって可能だ。でもそれじゃなんの解決にもならない。もどかしさにギリギリとあたしは手を握りしめる。


「あんたはもういらない」


八雲はそう言い放って、とうとうあたしを突き放した。頭が真っ白になったあたしは、背を向けて去って行く彼らを止める事もできず、かくんと足が崩れて、そのまま床に座り込む。


「…嘘だろ」


ぽつりと呟いて、首を垂れるあたしの横に仁王が座って、あーあ、とわざとらしく言葉を発した。がりがりと畳みに爪を立てて仁王を睨みつける。「何だよ」


「俺はお前さんがどうしたいのか、全然分からん」
「…あたしがどうしたいか?」


あたしが、どうしたいか。そんなのは簡単な事だった。ここに来る前から決まっていた事ではないか。ああ、どうして忘れていたのだろう。自嘲君に笑って見せればそうだなと頷く。


「…そうだ、あたしは捨てに来たんだ、しがらみぜーんぶ。すっかり忘れてたよ。もうどうでもいい。大切な物なんて、あればある程身動きが取りにくい。あたしにはあんた達がいれば、それで。あとはいらない」


そうだ、簡単な事だ。嫌われていいじゃ無いか。要らないと捨てられて本望じゃないか。中途半端に慕われるだけ厄介だ。これでスッキリした。
すると立ち上がったあたしに、丸井は弟にするそれの様に、ゲンコツを食らわした。彼の瞳があたしを捉える。


「もうどうでも良いなら、何でアイツらを引き止める様な事言ったんだよ」


あたしの頭に手を回した丸井は、それを引き寄せた。あたしはされるがままに、ぽすりと彼の胸に頭を預ける。一体何だと、彼から逃れようとした。しかしその前に、丸井は言葉を続ける。


「もうどうでも良いなら、何で泣いてんだ、…この馬鹿」


そうしてそこで初めて、あたしは泣いている事に気づいた。


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(130817_やっぱりお前はそんな酷い奴じゃないって知ってるよ)