13限目_親睦を深めるならゴールデンウイーク



「そういやもうすぐゴールデンウイークだなあ」


黒板の日付を見てふと口にした言葉に、隣のツルの机を陣取って顔を伏せていた仁王が微かに顔を上げる。珍しくしっかり寝ていたのか、瞼が重そうだ。いつにも増して気怠げに彼は欠伸を一つ。


「どっか行くんか」
「ああ、まあね。あたしは実家に帰るよ」
「…ほーお」


あたしの言葉に彼は何か言いたげな視線を送りつけてきたが、何を言われるかは大体予想がついたので、親に帰って来いって言われたからと早口に理由を言ってしまう。まあ中学二年の時にこちらへ引っ越して来て、それからは向こうが来る事はあっても、あたしが帰ることは一度もなかったし、親が顔を出していたのも親としてはあたしの一人暮らしが不安でたまらない始めの一年だけだ。だからそろそろそう言われるのではないかと予想はしていた。


「はあ?じゃあ俺はゴールデンウイークは仁王と二人かよ」


話を聞いていたのか、不意に頭上から降ってきた丸井の声に、あたし達はそちらへ振り返った。ジュースのパシリじゃんけんに負けた丸井はキチンと指定された飲み物を持ってそこにいて、むすりとした顔のまま、それらをあたし達に投げて寄越す。


「ご苦労ー」
「んで、は何日くらいで帰ってくるん」
「ゴールデンウイークが終わるぎりぎまでいるつもりだけど」
「つまんね」
「あたしがいねえからって拗ねんなよ」
「俺は仁王と二人なのが不満なんだよ」
「テニス部の皆がいるだろ」
「余計むさ苦しいだろい」


あからさまに不機嫌なオーラを放つ丸井を横目で伺いながら、あたしは貰ったペットボトルに口をつける。どうせ丸井ならあたしがいたところでむさ苦しさには代わりがないとか失礼なことを言いかねないので、これ以上は黙っていることにする。まあ確かに振り替え休日なんかで一週間くらいあるゴールデンウイーク全部を実家で過ごすのもあまり気が進まないのは事実であるが。
そこまであたしはぼんやりと考えていると、ふとバスケ部の部長に招集をかけられていた事を思い出した。


「悪い、あたし集まりあったんだ」
「何?バスケ部?」
「そ、大会のレギュラー決めとか色々あるからね」
「お前さんならレギュラーくらい楽勝じゃろ」
「いやいや、案外そうもいかないっつうの」


曖昧な笑顔を残して、あたしは教室を出て行った。確か三年の部長のクラスに行けば良かったはずだが、遅れた事を怒られるだろうか。あの人は部の中で、出会った初めからあたしに怖気ずかないで声をかけてきた唯一の人だから、きっと顔を見るなり怒鳴り声を浴びせてくるに違いない。うちの部長は真田のそれに通じるものがある。そうしてあたしは肩を竦めて走り出そうとした時だった。曲がり角から現れたうちのクラスの担任に衝突して、彼が持っていたプリントをぶちまけた。


「やっべ、すんません」
「…っ」


あたしは慌てて散らばったものを拾い出すと彼は触るなと突然罵声を浴びせたのだ。そこまで怒らせたつもりはなかったので、その反応につい手が止まる。は?


「け、結構だ」


そうして彼はあたしが拾っていたそれを引ったくるように取り上げる。しかしその拍子に紙で指を切って、思わずあたしは顔を顰めた。もちろん担任を殴ってやろうなんて微塵も思ってなかったし、ただ少し、拾ってやったのにその態度は何だと誰でも抱く苛立ちを表しただけだったのだが、相手は顔に恐怖の色を浮かべて、小さく悲鳴を上げた。


「…あんたさ、なんで、そんなに、」
「ぼ、僕は『君達』に構っている暇なんてないんだ!」
「…はあ?」


一体何の話をしているのか、あたしにはさっぱりだ。君達っていうのは恐らく丸井や仁王の事も言っているのだろうが、正直今は微塵も関係ないし、あたしが個人的にこいつと接触したのもこれが初めてだ。彼は相変わらずびくついた瞳で、プリントを雑に掻き集めると、逃げるように走り出して行った。


「何だ、あいつ」
「やあ、君奇遇だね!」


あたしはしばらく彼の走って行った方を見つめていたのだが、それはツルによって阻害された。何が奇遇なんだか。タイミングを測って現れたに違いない。「最近一つに結んでるみたいだけど、似合うよ!」そう言って勝手にシャッターを切り始める。もう慣れたがうっとおしい。


「勝手に撮るなって言ってるだろ」
「そんな事を言われても、やるなと言われるほどやりたくなるのは人間の本能だ。それはきちんとした心理的メカニズムがあって、これをカリギュラ効果と言うんだよ。よくネットなどの広告で利用されていて、」
「あたし、小難しい話をする奴は嫌いなんだよね」
「君が嫌な事はしないよハニー」
死ねば良いのに


舌打ちをして、あたしはツルの頭を軽く小突いてやると、思いの外彼はでれでれと頬を緩めて笑った。そうでした、こいつマゾでした。ツルはあたしに告白してからというもの、だいぶ自分を曝け出すようになった。初めのインテリ眼鏡のイメージはとうに払拭されている。


「時に君」
「何」
「指を怪我したのかい」


彼の視線の先へあたしも目をやると、そういえば先程紙で切ったところから血がたらりと垂れている。割と深かったらしい。ああ、とあたしは曖昧に頷く。その横で、ツルは紙はギザギザしているから断面積が広くて傷がどうたらと再び雑学を披露し始めたので、それを軽く流しつつ、浮かんだ先程の担任を思い出しながら、傷を親指でぎゅっと押し付けた。

そういえば、あの担任はあたし達以外の生徒ともあまり仲が良さそうには見えない。愛想が良いとも到底思えなかった。誰が仕掛けたかは知らないが、ドアに挟んだ黒板消しの悪戯もたまたまあの担任が引っかかって、怒るか笑うかするかと思えば黙ったまま教室を去るだけだったし、誰かが普通に声をかけるだけで少し怯える節がある。そんな事もあって、まだ新学期が始まって一ヶ月程しか立っていないのに、担任は地味太郎などと不名誉なあだ名をつけられ、皆から陰口を叩かれる始末。普通にしていれば何事もないのに少し可哀想にも思えて来る。しかしどうもあいつはひっかかる。あたしからしたら異質だった。


君、君僕の話聞いてる?」
「いや聞いてないよ。ねえ、ツル」
「…。何かな」
「ツルは担任の事好き?」
「…ハッ…君は太郎が好きなのかい!?」
ごめん、やっぱ今のナシ


ツルのせいで掴みかけた引っかかりが何だったのか分からずに消えてしまった。ぐしゃりと前髪を抑える。それを見ていたツルが急に神妙な顔をして、小さく息をはいた。その場の空気が変わる。


「何か面倒な事が起きなきゃ良いけどね」


その冷たい表情は、あたしがこいつに出会ったばかりの頃のそれに似ていた。彼も何か思うところがあるらしい。本当にただの馬鹿ではないようだ。ふうんと言葉を返せば、彼はいつもの調子に戻ってでれでれと口を開いた。


「ところで君はゴールデンウイークをどう過ごすおつもりかな?もし良ければ教えて欲しいね」
「ついて来る気かテメエ」
「まさか!」


オーバーに肩を竦めて見せるツルの姿は演技がかっていて果てしなく信用できない。わくわくとあたしの答えを待つ彼の姿を一瞥してから、あたしはこう答えた。


「あんたのいないところ」
「そんな!宇宙にでも行く気かい?」
「そこにあんたがいないならね」
「残念ながら僕は韓国に旅行へ行くんだよ」
「あらまあ残念」


棒読みで言ったにも関わらず、彼は爽やかな笑みを称えて、あたしの肩にぽんと触れた。「お土産を期待しててよ」そうして去って行く姿に周りの女の子はちらりと彼を振り返っていたのを見て、あたしは苦笑した。顔だけは良いから丸井達と同じで黙っていればツルだってモテる事をあたしは知っている。まったく、おかしな奴らばかり集まるものだ。


「ああ、期待しないで待ってるよ」


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(130809_類は友を呼ぶとは言ったもので)
初マイパソからの更新です。windows8ってすっげ使いにくい。ブクマとかサイトのあれこれを移動させるのにだいぶ手間取った。