09限目_噂を広めるのが上手なおばさんには気をつけましょう。丸井があたしのパンチを食らってソファの下に落ちてからどれくらい経っただろうか。あたしのパンチは相当のものだったようで、なかなか起き上がる気配がない。まあ静かだから良いのだけれど。それからあたしは、そろそろ仁王が出て来るはずだから、丸井も買い物に行く用意しときなよと私は床に伏せる丸井に声をかけた。彼は微かに頷いたので生きてはいるようだ。頷いたのを確認したあたしはぼんやりお腹空いたなあと呟く。こんな瀕死状態で丸井が料理を作れるかは疑問だが、早くご飯が食べたい。そんな事を考えながら適当な鞄に財布を詰め込む。その時、インターホンが再び鳴った。まさかもう友人が来る事はないだろうと「はいはーい」なんて気軽に扉を開ける。そこにいたのは隣の部屋に住むおばさんだった。 「さっきから騒がしかったからちょっと不安で見に来たんだけど、あんた大丈夫?」 「あ、はあ、すいません。ちょっと友達が来てて」 「それなら良いんだけどねえ」 頬に手をあてて、最近物騒だから気をつけなさいよと肩を叩かれた。心配させてしまったようだ。なんだか申し訳ない。あの馬鹿どものせいである。ご心配おかけしましたと私は彼女に頭を下げて扉を閉めようとすると、後ろからバタバタと足音が聞こえた。 「ー、ジャンプーもう切れそうじゃったから、あ、」 そこにいたのは風呂から丁度出て来たらしい仁王だった。上半身裸でタオルで頭をわしゃわしゃと拭いていた彼は、おばさんの姿を捉えてほんの一瞬だけ硬直した。あたしも硬直した。あ、じゃねえよ。どんだけタイミング悪いんだよつうか上着ろよ意味わかんねえよ! 「えー…と、ああ、お友達…ね、お友達…」 おばさんは心底驚いたように目を見開いたまま、まるで自分を納得させるようにそう繰り返した。いやこれは絶対友達以上の間柄と勘違いされた。これで奥の部屋にいる丸井が復活して顔をのぞかせようものなら一気に飛んでもない方向へ話が進んでしまう。(マジさっき靴を棚にしまっといて良かった) 「あー…れです、こいつはその、…あ!弟で、」 「兄です」 「やっぱり兄でした」 くわっと目を見開いて自分は兄だとほざいた仁王に振り返る。彼はしれっとした顔をしていた。本当にあたし達意思の疎通ができないんだな。あたしはお前の妹なんてごめんだわ。まあ姉も嫌だがな。 おばさんは「ああ、お兄さんなの…」とあまり信用してなさそうな目であたし達を見つめていた。まあそらそうだわな。 「ちゃんにこんなかっこいいお兄さんがいたなんてね。おばさんお兄さんとお話したいわ」 「え、あ、いや、あの、あたし達今から買い物に行くって話になってまして」 「え、そうなん?」 「お前マジしねよ」 ようやく上を着たらしい仁王があたしの隣にやってくるなりそう言ったので、あたしは奴の足を思い切り踏んでやる。こいつ馬鹿かよ。普段はポーカーフェースもお手の物でペテン師やってる癖にどうしてこういう時には応用できないかな。わざとか、わざとなのか。 「お前が出て来たら夕飯の買い物行くってなってたんだよ」 「ふうん」 「あら、他にも誰かいるの?」 「いや全然いませんよ。お前マジ爆発しろ」 「えええ俺のせいじゃないやろ今の」 もうおばさんの目の前にも関わらず言い争いを始めたあたし達に、彼女は困ったように笑って「やっぱりおばちゃんお邪魔かしらね」と呟いた。何これなんて返せば良いの。下手にそんな事ないと答えれば中に上げなくちゃいけない流れに「いやそんな事はないです」仁王テメエエエエ! 「あらそう?じゃあお邪魔しちゃおうかしら」 「ああああちょっと待ってくださいウチすごい汚くて!でっかいゴミ落ちてるんですよっ」 「あら平気よ。おばちゃん家も汚いんだからあははは」 「かか片付けて来ます!」 中のでっかいゴミ(丸井)を何とかしなければ。仁王に時間稼ぎを頼むと耳打ちしてあたしはバタバタと中へ駆け込んだ。倒れていたはずの丸井は丁度今復活したらしく、のっそりと起き上がって、今にもあたしに文句を言って来そうな雰囲気だったので、慌てて彼の口を手で抑えた。もがもがと暴れる丸井に頼むから黙って付いて来てくれと隣の部屋の和室へ連れ込む。ここの押入れの下の段に隠れればばれないだろう。 「え、ちょい待ち。意味わかんねんだけど。殴られた次は監禁?お前の趣味謎」 「ちげえよ!今隣のおばさんが来てて、仁王が彼氏だって勘違いして、それで、とにかく、こんな時間に二人も男友達連れ込んでると思われたら困る」 あのおばさんそんなに悪い人じゃないんだけど噂を紆余曲折させて流すの大好きだから、ここで変な噂流されたら生きていけない。そういうわけで、丸井はいない振りシクヨロ!早口に事情を伝えると彼を押入れに押し込んだ。あたしが良いって言うまで出てくるなよ!?そう告げてあたしは玄関に戻ろうと背を向けたのだが、すぐに押入れが開いて、何かと思えばあたしまでその中へ引きずりこまれた。しゃがんだまま後ろから丸井に抱きすくめられる様な形になり、身動きを取ろうにも狭くで動けない。 「おま、ちょ、何しやがる…っ」 「意味わかんねえって。もっとちゃんと説明しろい。じゃねえと離さねえ」 「時間ねえんだよ!」 「知らねえし。つうか何、何で仁王が彼氏?」 「い、言うから離せ!」 「やだ」 ワザとなのかなんなのか、ぎゅううとあたしの前に回す腕に力を入れたので、その分だけ鼓動が速くなった。そうであるからか、極度の緊張にくらくら目が回り始めてしまう。気持ち悪い。 「早く言えよ。じゃなきゃ離さねえぞ、…ああ、もしかしてこの体勢気に入ってる?」 「…んなわけあるかっ…つうか、」 「ん?」 「耳元で、喋んな馬鹿…っ」 「ああ悪ぃ、これ、わ・ざ・と」 「はあああ…!?」 うぜええええ!くすぐってえんだよボケ!あたしは少し身をよじってできるだけ丸井から身体を離すと、この馬鹿に仁王が風呂上りで出て来たところをおばさんに目撃されてしまった下りを事細かに話してやった。どうだこれで満足かよ!彼はあたしを解放すると、ふうんと顎に手をあてて唸った。 「何だよ」 「平気だと思うけどな」 「はあ?何が」 「仁王が今おばさんの相手してんだろい?なら平気じゃね?」 一体何が平気だというのだろう。わけが分からなかったが、それを問いただしている時間もないので、あたしはもう行くからと玄関へ戻る事にした。後ろで丸井が「だってあいつペテン師だぜ?」なんて言っているのが聞こえたが、だから何だというのだ。 「あら、お片づけ終わった?」 「あ、はい」 玄関に戻ると、おばさん(と仁王)は楽しげに会話に花を咲かせていた。おばさんはあたしに気づくと仁王を「とってもいいお兄さんね」と褒め称えていた。一体彼はおばさんに何を吹き込んだのだろうか。作り笑いを浮かべて中へ促そうとすると、おばさんはやっぱり申し訳ないから中には上がらないと言い出したのだ。え、何、どんな心境の変化? 「これからご両親がいらっしゃるんでしょう?邪魔しちゃ申し訳ないわ。お兄さんとは今沢山お話できたし」 「…は、はあ、」 「だってあいつペテン師だぜ?」 なるほど、丸井の言っていた意味がよく分かった。お得意の話術でおばさんをうまく追い出す様に誘導したわけか。もうなんか、その才能褒めるのを通り越して呆れてしまうよ。あんぐりと口を開けて仁王を一瞥すると、ウインクが返されたので脱力してしまった。 「ああ、はあ、それじゃあまたの機会に」 「そうね。せっかく片付けてもらったのにごめんなさい。じゃあね」 ばたん。ようやく閉める事ができたドアに、ふうと息をつく。その時部屋の奥から「ほら言っただろい」丸井がやれやれといった様子で顔を覗かせる。 「殴られた上に監禁かあーあー疲れた」 「わ、悪かったな」 「ま、良いや。仁王も出て来た事だし、夕飯の材料買いに行くぞ」 丸井が先程あたしが財布を入れていた鞄を掴むとそれをぶらぶら振り回しながら玄関を出て行く。そんな丸井の背中を見ていたら押入れでの出来事が思い出されて、急に顔が熱くなった。慌てて頬をパタパタ冷ましながら丸井の後を追う。すると、仁王があたしの肩に腕を乗せてそれを引き止めた。何だよと振り返った先には「なーんかあったん?」とにやりと笑う仁王の顔。はあ?な、何かって、何。 「片付け行ってから帰ってくんの遅かったしのう、お前さん、かなり顔赤いぜよ」 「ばっ…ちげえよ!」 何もねえから!首を振って、あたしは仁王の背中を押した。早く行けって!ほら早く! 「何じゃ俺は除け者か」 「そうじゃなくて」 「おーいブン太ーさっきと」 「ちょ、馬鹿やめろ!」 「ブン太ー」 「仁王しね!」 BACK | TOP | NEXT (130623_彼らの騒がしい夜はまだまだ終わらない) |