前のコマの授業も終わっていない今の時刻では、生徒の集まりも当然悪い。そんな生徒がまばらに散る中講義室の後ろの方の席に、その銀色はいた。 「どうも仁王さん」 「どうも」 私に気づくと彼は視線だけこちらに向ける。 仁王雅治は一年の頃から付き合いのある同じ学科の生徒である。友人と言うには何かが欠けている気がするし、だけど知り合いと言うにはもう少し親しいような、彼と私はそんな不思議な間柄だった。でも、一応、と仁王雅治は友人と言うことになっている。 彼は何かの授業のプリントの隅に落書きのようなものをしていた。普段はそんなことをするような人物ではないことを私は知っているので彼の左隣の机に鞄を置くと、手元に広げられた紙を覗き込みながら「何それ」と問うと「あみだ」なんて簡潔に答えが返った。 「なるほどそんなに暇だとはしようがない、何しますか話しますか」 「いらん」 「左様か」 それにしても、確か彼は前のコマも授業が入っていた気がするのだけれど、まだ次のコマまで30分はある。緩い先生だとは聞いていたから、恐らく早く授業が終わったのだろうが、それにしたって何故あみだくじ。 彼のペンが辿る線の先のゴールには、バツ印のついたものが5つに、残りはドライバーと軍手と、それからケーキと走り書きがしてあった。 「宜しければ意味を問いたいのだが」 「ああ、近々誕生日の奴がおって」 「まさかこれバースデープレゼントをこのあみだくじで決めようとかそういう場面にエンカウントしてますか」 「俺のボールペンが唸るぜよ」 「予想はすでについているが一応このバツ印の意味も聞いておこう」 「プレゼントなしっちゅうこと」 「おい嘘だろ半分以上のゴールがバツ印じゃねえか……」 私は立ち並ぶバツ印を眺めながら、そう言えば、隣の部屋の丸井さんも近々誕生日だった気がすると、初めて会った日に見せられた学生証に書かれた日付を思い出していた。うすらぼんやりと4月であったような気がするが日付までは思い出せない。4月も半ばまできているし、特にアピールがなかったのでもしかしたらとっくに過ぎたのかもしれない。 そんなことよりも、バツ印を除いたところで正直ケーキ以外にまともなプレゼントが見当たらないことに絶句した。面倒くさがり屋の彼がここまで嫌がらせらしいことをするくらいなので、実は仁王が嫌いな人物なのかなと思う。とは言え無関心を決め込む彼には嫌いな人間というのも珍しい気はするが。試しに相手のことを問うてみると中学からの知り合いと返ってきたのでそこまで長い付き合いをしているなら多分、嫌いではないのかもしれない。謎だ。 「なんと言いますかな、せめてプレゼントなしの方向は可哀想ではないかと名も知らぬご友人のために意見しておこう」 「プレゼントは言葉に勝るもんはないぜよ」 「経済的な意味でね。あともう一つ言わせてもらうと軍手やめた方が良いと思われる」 もうケーキにすればよろしい、と私は一番無難なところに落とし込もうとすると、お前さんはケーキが欲しいんか、と仁王が横目で私を伺った。いやケーキよりはうちにないドライバーがあった方が私は有難いけれど。でも誕生日プレゼントとしてならあんまり嬉しくない。 私があれもだめこれもだめと口を挟むものだから仁王はだんだん面倒に思い始めたらしい。ペンをくるくると回しながらすでに明後日の方を向き始めている。 「ああ、もうドライバーとケーキの2択で行こう。ケーキに1票」 「その前に、せっかくじゃしの今欲しいもんでも聞いておこうかのう」 「え、……私の欲しいもの参考になりますか」 「ならなさそう」 「そうかよ」 「ほれ、良いから言ってみんしゃい」 だらりと背もたれに預けられていた彼の背中が突然離れて私をじっと見つめた。たまにこうして現れる何を考えているのか分からないその瞳は私をやけに緊張させる。でもそんなことを突然言われたってさっきのドライバーくらいしか思いつかないけど、ほら、あれって一式そろえるのも安くはなかったような。どうだっけ。あれやこれや悩む間も、仁王の視線は私を捉え続けた。何なんだ、どうしたんだ、いったい何にそんなに興味を持っているんだ。 「しょ、食器とか」 視線に耐えかねて咄嗟に出た答えに、仁王はしょっき、とおかしなイントネーションを繰り出した。「あー……最近一人暮らしを始めたもので、何かと入り用でございましてな」突然女子力に目覚めたりしたわけではないことを教えてやると、彼は「一人暮らし?」と眉を微かに潜める。よく見ていなければ分からぬくらい。 「え、あ、はい」 「したん」 「した」 「ほー知らんかった」 「言ってないので」 「ほー」 「言う必要、ないかなと思ったんだけど」 私の新居など興味を持つはずもないと思ったし、今後家に招く予定もないから、特に報告はしなかった。だから何故そこに食いつかれたのかは分からない。そう言うと彼は、一瞬だけ白けたような顔をしたように見えた。気のせいかもしれない。しばらくするとそうかそうかと雑に頷いて、それから手元の紙の、軍手と書かれたところをスプーンに書き直したから。何だったんだろう今のは、と思ったが、聞いても教えてくれないだろうと私も流した。 それにしてもスプーンて何だろう。まさか私が食器とか適当なことを言ったからスプーンなのだろうか。確かに食器だけどスプーンとはまたピンポイントである。 彼は私に選べとあみだを選ばせたので、結局この3択で行くのだなと適当に真ん中のそれを選ぶと、それはなんとスプーンにたどり着いた。 「なんだと」 「決まりじゃな」 「え、本当にスプーン」 「あいつよく食べるからのう、きっとこれで良かったんじゃ」 「それにしたってスプーン」 まさか大学の横にある百均でそれらしいものを一本買って渡すのではあるまいな。念のために釘を刺そうとしたが、彼はプレゼントが決まるとまるで1日の仕事が終わったと言わんばかりに机に伏せ始めたので、開きかけた口は言葉を紡ぐ前に閉ざされた。 いつの間にやら授業が始まるまであと1分もない。気づけば席も殆ど埋まっていた。私はもはや誕生日プレゼントをどうにかすることは諦めて(というより、見ず知らずの人のプレゼントをここまで面倒見てやったんだと言ってもいいかもしれない)鞄からテキストを出していると丁度先生が現れたので、講義室の騒がしい声も僅かに収まる。その時ふと、仁王が顔を伏せたまま私の名前を呼んだ。 「楽しいか」 「うん?」 「一人暮らし」 「なんだ、藪からスティックじゃないか」 くぐもったその声はこの雑音だらけの空間では少し聞き取り辛い。 引っ越しをしてからまだひと月程しか経っていないので、慌ただしいばかりで楽しさを見出しているわけではないが、一人暮らしを始めたことに後悔はない。自由で良いよ、と私は言った。 「2階か」 「2階」 「隣は」 「隣?え、なんだろう、分からないけど悪い人ではない……?」 今日はたまたま私の取っている前のコマが休講だったので、偶然丸井さんに会ったけれど、基本は丸井さんとは家を出る時間も違うし、特に話すようなこともない。顔もまだうろ覚えだ。カッコ良かったと感じたのは記憶にある。 そんな私がただ、一つ、最近思ったのは、丸井さんの家からはよく美味しそうな匂いがするなと、そんなところだろうか。きっと料理が上手いのだろう。私のレパートリーはオムライスに卵焼きにチキンライスというそういうあれなので、正直あやかりたいものである。 良い人なのか否か私が曖昧なことを言ったからか、仁王は半ば呆れ顔で私を見た。この顔は気になるから、とかで、もしかしたら一度うちに乗り込んでくるやもしれない。 丸井さんと仁王が並んだら頭の色がとっても面白いミラクル的な何かを起こしそうな予感はしたが、それよりも彼がいると面倒くさいことになりそうな気がしたので、アパートの名前を聞かれたが、適当な名前のアパートの名前をねつ造して伝えた。これで何かあってもうちに辿り着くことはないだろう。 「それにその隣人さんの髪がこれまた奇抜なので多分それで不審者には良い威嚇になると言いますかね、だから防犯面もご心配なさらず」 「せいぜい隣の奴が危ない奴でないことを祈るんじゃな」 そんな頭のお前が言えたことではないだろうと思ったが、多分一応私を心配して言ってくれているのだろうと、その場は言葉を飲み込むことにして、「そうね」と私は頷いた。 ( 180330 加筆修正 ) ( 150531 ) |