ここは私の知るそれより、いくらか殺風景に見えた。そもそもそれとは何かと問われてしまうと、どうにも口ごもってしまうのだけれど。というのも、それが一体どこにあって、どうして私が知っているのかが分からないからだ。 屋上の隅に置いてあるキンポウゲの花をぼんやり眺めながら私は五限の開始の鐘の音を聞く。朝から授業に身が入らなかった。もともと授業をまともに聞く人間ではないけれど、休み時間に入る度に白石君や周りの人に今日は様子がおかしいと具合を尋ねられ、うんざりしていたところだ。一人にして欲しかった。サボりたくもなる。 しかしどうやらそういうわけにもいかなさそうだ。 「授業サボるなんて、いつからそんな悪になったん」 「白石君だって現在進行形でサボってるくせに」 「はは、まあそうなんやけどな」 屋上の扉をゆっくりと開けて顔を見せたのは白石君だった。彼は困ったように眉尻を下げて笑って、頭をかいた。私を心配して来たのだろうが、世話焼きにも程がある。本当は適当にでもあしらってこの場から追い出してしまいたかったのだけれど、彼の人の良さを思うと少々そうするのも申し訳なく思えて、柵に寄りかかる私は彼が自分の隣に並ぶのを黙って受け入れた。 「聞いてもええか?」 「何を」 「元気ない理由」 「今更だね。白石君、朝からしつこく聞いてたじゃん」 「そうやけど、さんが言いたなかったからもう聞かんわ」 白石君は私に気を使ってか、こちらを見ようとはせずに、ぼんやりと空を仰いでいた。別に言いにくいことではなかった。ただ、彼に言ってどうにかなるのかとか、めんどくさいことになって欲しくないとか、お得意のその感覚が先行しただけである。しばらく視線を彷徨わせてから、足元のキンポウゲの鉢植えに目を落ち着けて「あのさあ」と口を開いた。 「ここって、もっと花なかったっけ」 「え?」 「…パンジーとか」 私の質問は予想外のものだったようで、花?なんて彼は言葉をオウム返ししてから、「いや、あらへんけど」と首を振った。屋上に花をおき始めたのは自分であるが、一種や二種くらいの花しか置いたことはない、と。 「でも、どないして?」 「分からない。もっと花があったような、そんな気がしただけ」 「…やっぱり朝の謙也のことでも気にしとるんか」 「なんでそうなるの」 「いつもと様子が全然ちゃうから、さん。理由聞かんとは言うたけど、やっぱり心配や」 「…それじゃあ白石君、私も聞くけど、」 いつもの私って何。 財前に言われたこと、立海の人に言われたことを一日、ずっと考えていた。私は、いつもの私を知らない。私はいつも、どんなだっけ。思い出そうとすると、思考にまるで靄がかかったように、何も考えられなくなった。自分が誰なのかも、確信を持てぬほど、危うさを孕む。 今日がいつもと明らかに違うことは分かった。不思議なことにそれが何かは分からないけれど、確かに何かがおかしいのだ。 「私は、いつもの白石君も知らない」 「何言っとるん、俺ら今までずっと一緒にいて、」 「本当に一緒にいたのかな」 「さん、」 私の居場所は、本当にいつだって彼らのそばにあったのだろうか。 頭には確かに今まで四天宝寺で、彼らと一緒に泣いて笑って騒いで、そんな記憶がある。いや、記憶というのは語弊があるかもしれない。彼らといた、そんな気がするだけなのだ。事実として、頭に残るものは何もなかった。 「…さん、きっと疲れてるんや。…やって俺らずっと一緒にいたやんか。そないなこと言わんで。悲しいやろ」 「…」 「…なあ、さん、なんか言うてや」 「本当は白石君も、何かおかしいって思ってるんじゃないの」 白石君は何も言わなかった。 私の中に、一つの答えがちらついて、消えた。 「白石君」 「…」 「私は、自分の居場所がここだったらいいなって、思うよ」 変なこと言ってごめんね、今のは忘れて。きっと、白石君の言うように私は疲れているんだと思う。 彼が何かを言う隙を与えぬように早口で言ってしまうと、私は屋上を出た。途中からでも授業に出るよと彼にはいい子ぶった言葉を吐いたけれど、そんな気は毛頭なかった。 そうして静かな廊下を歩く私は、その時誰かが私を呼ぶ声を聞いた気がした。 ▼ 「なんかさ、あいつ、ひょっこり帰ってくるんじゃないかって、だんだんそんな気がしてきたよ」 重苦しい空気に包まれたその中で、不意に幸村がその場に似つかわしくない声色でそう言い出した。完全に幸村にビビっていたブン太が、彼が立ち上がったことに大袈裟に驚き、咄嗟に俺のシャツの裾を掴む。俺はそれをさして気にせずに、そのまま幸村へと視線を注いだ。彼の表情は先程までとは打って変わり、何事もないような面持ちだ。 息苦しくこの空間が切り開かれたように思われた。「さて、気を取り直して練習でもしようか」 もちろん幸村の切り替えについて行けぬものもいる。俺もその一人だ。この状況で、よく、そんな。 「放っておくんか」 「違うよ。待っているんだ、帰って来るのを」 皆の気持ちを代弁するように無意識のうちに俺は疑問を口に出していた。しかしそれには随分あっさりとした答えが寄越された。 幸村は「今までだってそうだっただろう」とこれまでを思い出す様に目を伏せて、そして笑った。その表情には不安など微塵も感じられなかった。 「がいなくなるなんて、今に始まったことじゃない。その度に俺達はあいつの心の整理ができて戻ってくるのを待ってただろ」 「…そうかもしれないが、今回とは話が」 「同じだよ。あいつが俺達といたいと思っているなら、また戻ってくる」 「…でも、戻って来なかったら?」 真田と代わるように赤也がおずおずと声を上げた。今の幸村ならば、戻って来なかったら、それまでだろうとあっさりを切り捨ててしまいそうに見えて、赤也は怯えているのかもしれない。 「戻って来ないわけないよ」しかし返されたのはそんな言葉だった。 「待つのは慣れた。俺達がすることは一つだよ」 「俺達の、すること?」 「ああ、皆が忘れても、俺達だけは決してを忘れずに、いつも通りにしていることだよ」 肩のジャージを翻した幸村は俺達に背を向けながらそう言って、さらに言葉を続けた。 「そうしないと、もしが戻って来た時、本当にあいつは一人になってしまうからね」 届いたならその声で (それはが一番悲しむことだから)(怖がることだから) ←まえ もくじ つぎ→ ( もう書いてる私が良く分からなくなってきました / 140224 ) |