「切られた」

苛立ちを隠すこともせず、盛大に眉を潜めて舌打ちをした幸村部長はいつにも増して迫力がある。投げるように返された俺の携帯を受け止めると、近くのベンチにどかりと腰を下ろした部長と、手の中のそれを交互に見比べてから、「部長、」と声を漏らした。「無駄だよ」俺の考えを察したらしい部長は、肩をすくめて首を振る。


「掛け直したところで、繋がらないのは目に見えてる」


電源を切るか、最悪着信拒否ぐらいあいつならしてそうだ。その声には諦めが伺えた。他の先輩も、俺と同様に状況が飲み込めず、困惑の色を浮かべて黙り込んでしまっている。

それもこれも、全ての始まりはほんの数分前のことだった。
朝練の開始時刻を過ぎても、先輩が部活に現れる様子が伺えず、連絡も入らない。彼女は基本的に夜更かしをする人だけれど、集合時刻には遅れたことはないし、そういうところはきちんとした人だったので、あの真田副部長も怒ることはせず、ただ首を傾げるばかりだった。たった一人のマネージャーということもあって、先輩がいなければ困ることは何気に多い。携帯にも連絡がつかず、幸村部長が痺れを切らした時、丁度先輩と原西先輩が通りかかったので、彼女達を引き止めたのだった。先輩ならば、何か知っているかもしれない。
しかし幸村部長に声をかけられた先輩は、しばらく視線を彷徨わせてから、ぎこちなく笑ったのである。


「ごめん、って、誰?」


「ソノちゃん知ってる?」「さあ?」そんなやり取りが目の前で繰り広げられて、俺達は耳を疑った。先輩と喧嘩でもしたのかと思った。だからそういう嫌がらせなのかとも思ったけれど、いくらなんでもこの二人に限ってあの先輩に、そんな酷いことを言うだろうか。疑問はつのるばかりで、とうとう俺達はA組の担任に彼女のことを尋ねてみたのだが、どいつもこいつも返す言葉は同じだった。

そんな人間は知らない。


の存在が、消えた」


誰もの頭に浮かんだあり得るはずのない事実を、ぽつりと零したのは仁王先輩だった。馬鹿なこと言うなと丸井先輩が声を荒げて、そんなこと、俺だって信じたくはなかった。だから俺はもう一度先輩に電話をかけることにしたのだ。ワンコール、ツーコール、その時間がとても長く感じられた一方で、電話自体がそもそも繋がらないわけではないことに、微かな希望を覚えたのだ。次の瞬間、コールの切れる音。
先輩!そう叫んだ俺に、受話器の向こうの彼女はこういった。


『どちら様ですか』



それから何度説明しても、彼女は知らない意味がわからないの一点張りで、まともに取り合おうとしない。もとよりという人物は面倒なことが大嫌いだ。構っていたらおかしなことに巻き込まれるのではないかと思ったのだろう。あの幸村部長の電話を一方的に切るなんてこと、普段の彼女ならば、そんな命知らずなことはできるはずもない。俺達を忘れただけではなく、彼女は四天宝寺の生徒だと言い張るものだから、いよいよ本当におかしなことになってきたことを感じる。


「…もしかして、先輩じゃなくて、俺の頭がおかしいかったりして」
「そんなはずはない」
「柳先輩」
「俺たちの携帯にの連絡先が登録されていることに説明がつかないし、何よりここにいるレギュラーがという人物に対して同じ認識を持っているだろう」


とは言っても、どうして俺達だけが先輩を覚えているのか、そもそもどうしてこの事態になったのかは全くと言ってわからないのだけれど。確かに昨日までは先輩がきちんと立海にいて、いつものようにマネージャーをしていたのだ。
何か原因があるはずだと現状把握にようやく追いついてきた真田副部長が、皆が黙り込むその中へ割って入る。


「こんな理屈の通らない事態に、原因なんてあるのかな」
「ないとは言い切れん」


このままではただ時間が過ぎて行くだけだろうと、副部長はぐるりと俺達を見回した。昨日までで、何か気になったことや変わったことはなかったかと。そんなことを言われても、俺には思い当たる節はない。先輩はいつだってやることがおかしいから一つ一つ取り合ってはいられないのだ。そんな首を捻る俺の横で、そう言えばと手を上げたのは柳生先輩だった。


「昨日、さんと丸井君が何やら言い争いをしていたのを見かけましたが…」
「は、はあ?それが今回のこれに関係あるって言うのかよ!」
「そうは言っていません。私はただいつもとは変わったことを挙げただけです」
「喧嘩なんていつだってするだろい!」
「分かったから。それでブン太、どんな理由で喧嘩したの?」
「…」


別に責めているわけではないだろうに、丸井先輩は幸村部長にそう問われて、ぐ、と言いづらそうに視線を彷徨わせている。「ブン太」


「べ、別に大したことじゃないんだぜ?…ただ、」
「ただ?」
「昨日部室にお汁粉の缶が置いてあってさ、名前書いてなかったし、放置してあったからつい、それ飲んじまって、」
「お汁粉って時点でのだって分かっただろ」
「いやそうなんだけど、だからこそ平気かなーって、…ごめん…」


丸井先輩の言い分には柳先輩や真田副部長だけでなく、俺まで呆れてしまった。しかも、どうやらそのお汁粉というのが、跡部さんにお取り寄せしてもらった最高級の小豆と餅で作ったとかいう、跡部さんらしい金にものを言わせたお汁粉だったらしく、先輩は今世紀最大のキレっぷりだったと言う。
何て下らないことしてるんだよあんたはと、全員が頭を抱える中、丸井先輩は「え、やっぱり俺のせいなの?…マジ?」みたいなかなり緊迫した表情をし始めた。いやそれが原因かは知らないけどさ。


「どうしよう…」
「どうしようって言われても」
「俺、放送事故みたいな暴言とか吐かれて」
「人をねじ伏せるためのボキャブラリーはあるからのう」
「つうか先輩にそこまで言わせるってある意味すごいッスよね」


彼女が何を言ったのか正直かなり気になる所であったが、相当落ち込んでいる先輩の姿を見るにとてもではないが聞けないし、今はそんなことを話している場合ではない。
ずっと黙って話を聞いていた幸村部長がそこでおもむろに立ち上がって、それにびくりと肩を揺らした丸井先輩へと一歩近づいた。


「ゆ、幸村…えと、俺、どうすれば」
「とりあえずお汁粉を吐き出せば良いんじゃない?」


そう笑った幸村部長は鬼だった。




気づいたらいない
(アンタっていつもそうだ)

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( こちらではお久しぶりです。ずっとずっとやりたくて実は本編に入れようか迷っていた話 / 140217 )