うん、そう、今出るから、多分お昼頃にはそっちに着くかな。じゃあ。
先輩に電話をかけ終わったらしい先輩は、ふっと息を吐いて彼女を見送りに来た俺達の方を振り返った。彼女は見送られることが嫌なのか、改めて俺達を見回して顔を引きつらせている。先輩は目立つのが嫌だと良く言っているから、多分こうして注目を浴びるのが耐えられないのだろう。俺は彼女を自宅まで送り届けるために用意されたU17のワゴン車へ目配せさてから、再び彼女へ目を戻した。
先輩は本当に帰ってしまうんだ。


ー!帰らんでーーワイ全然と遊んでへんわあああ!!」
「金ちゃ、ぐ、ぐるじ、」


白石さんの手を逃れたらしい遠山が、俺達の中から飛び出して、先輩に飛びついた。正直、遠山とは合宿の時からの付き合いだけれど、初めはあいつが先輩に懐いたのが不思議で仕方がなかった。いや、今も驚いているけど。先輩は俺の方へ手を伸ばして「赤也、助け、て」なんて締まる首を指して言うけれど、俺は笑って流すことにした。すぐに白石さんが助けに入るだろうから。なんて、そんなことを言っているそばから白石さんが「こら金ちゃん」なんて毒手を振りかざしているではないか。それでも一向に離れる様子がない遠山に、珍しく財前が間に入っている。いや、間に入っているというよりは、苦しんでいる先輩を茶化しに話しかけにいったという方が近い。


「…幸村部長」
「何、赤也」
先輩って、どうしてあんなに人に好かれるのか不思議なんスけど」


そのうち彼女の周りには他の奴らも集まり出して何か話し出した。俺はそんな様子を眺めながらなんとはなしに疑問を口にする。
ちなみに俺達はといえば、誰一人その輪の中にはいなかった。別に敢えて加わることもないような気がしたのだ。だいたい、もしかしたらもうこれで先輩に会えないかもしれない他校とは違って、俺達はまた学校で会える。それに、ああして先輩が誰かに囲まれている姿が、少しだけ嬉しくもあった。
俺の質問に、幸村部長は、彼女の方を見つめたまま、こう言った。


「赤也はどうしてが好きなの?」


質問で返されるとは思っていなかったので、えっと声を漏らした俺は、幸村部長を見上げた。彼の視線は相変わらず先輩へ注がれている。
俺が先輩を好きな理由。そんなの、いきなり言われても困ってしまう。あまり笑わない先輩の笑った顔とか、何気に仕事に真剣な横顔とか、ちゃんと優しいところ、とか。挙げたら切りが無いけれど、どれかが一番の理由になっているわけではなかった。きっと一つだって欠けていたら、彼女をここまで慕ってはいなかっただろう。


「…先輩だから、としか言えないッス」
「そうだね。人を好きになるのに、理由なんて要らないと、俺は思うよ」


そう言った幸村部長の表情は優しかった。彼が先輩に向けるそれは、俺達とはまた違ったものを孕んでいる気がして、部長もまた、理由のない愛しさを先輩に抱いているのだと思った。不意に、隣にいた丸井先輩が「つうか、」と頭の後ろに手を回して口を開いた。


はちょっと癖があるから、上っ面だけ見ると近寄り難く思うけど、ちゃんと内面見てやると、あいつって本当は凄く優しくて、良い奴じゃん」
「…」
「俺からしたら、嫌いになる奴の方が分っからねえや」


丸井先輩が笑った。俺は違いない、と思った。確かに面倒だなんだと騒ぐ割に仕事はかなりきっちりこなすし、マネジメントに関しては彼女なりのポリシーやプライドがあるようだ。以前部室の彼女のドリンク作りの手伝いをしたらやり方がなっていないと、ネチネチ文句を言われた覚えがある。それに俺達の変化にいち早く気づいて対処をしてくれるのも、いつも彼女だ。
言いたいことははっきり言う、強気なところがある癖に、肝心なところで照れ屋な俺達の自慢のマネージャーなのだ。


「あー何か俺も寂しくなってきちまったかも」


興奮気味の堀尾に「先輩は俺の憧れです!」なんて言われて「あーはいはいそういうのいいよ」とつっけんどんな態度を取る先輩。その態度に戸惑う堀尾を、横にいた部長が前に出て行って「これは照れてるだけだから、気にしなくて良いよ」なんてフォローしに入っていた。「ちっがうわ馬鹿、馬鹿村!」「は?何」「ひっ、」先輩は本当に学習しない。


「ああ、じゃあそろそろ時間だから」


しばらくギャーギャーと騒ぎ散らしてから、先輩は時計を確認して、そう言った。途端に周りがしん、と静まり、明るかった空気が沈む。そんな中、先輩の「立海のしょくーん」なんていうこの空気に似合わないユルユルした声が上がった。俺達は釣られて彼女の方を見る。


「じゃ、私、先に帰ってるから」


皆が帰ってくるの、待ってるよと、まるでそう言っているようだった。そうだ、いつだって先輩は俺達の帰る場所であり、俺達が安心できる場所だ。
先輩が握り拳を上に突き上げた。


「じょーしょー!」


先輩が大声を出すなんて珍しいことだ。彼女の掛け声に、俺達はふっと思わず笑みを零す。勿論、返す言葉は決まっていた。


「立海大!」


俺達の答えに、満足そうに頷くと、彼女はふわりと笑って「皆、応援してる」と車へ乗り込んだ。
その時の俺達は、彼女の見せた優しげな表情に、言葉に、唖然とする他なかった。先輩から、こんな言葉が聴けるなんて。他校の人間は余計に驚いただろう。なんたって先輩の本当に笑った顔なんて、きっと見たことがなかったのだろうから。俺達だって、数えるほどない。


「あれは一年に一度見れればラッキーな顔じゃな」


仁王先輩が苦笑を零した。走り出す車を見つめながら、周りの奴らはへええ…と声を漏らす。
全く、最後にとんでもない爆弾を落として帰って行きやがったよ、あの人は。立海だけコールズルいと騒ぐ遠山を尻目に、俺はぼんやりとバスが見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。
なんだか、先輩が遠ざかって行くこの状況が、何かと重なったようや気がしたのだ。
先輩は、斎藤コーチに別れも成長するために必要な一つの試練だと言われたらしい。この合宿を出て行くことは大した試練にはならないし、ただの練習だと思えばいいそうだが、では、彼女はいつか俺達と別れなければならない時が来るということなのだろうか。彼女の後ろ姿に、予感めいたものを感じた俺は首を振って、自重気味に笑った。やめよう。こんなの、俺らしくもないし、彼女にも嫌がられてしまう。

だって彼女なら、俺の台詞にきっと戯けてこう言う。





「心配なんて、その時になったらすれば良いんだよ」


だからね、赤也。そういう心配はさ、



「エンドロールまで待って」
(私達の非日常はまだまだ終わらないんだから)(なんて、さ。彼女は言うんだろう)

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( これが本編の伏線になるというわけです。次はエピローグ。 / 130929 )