「あれ、」 モニタールームから出てくると、そこには丁度通りかかった幸村を始めとする立海の皆がいた。勢ぞろいだとやはり、なかなか迫力があるなあ、と思う。王者の貫禄だろうか。他校の人がビビる気持ちもわかる。そう言えばそろそろ昼食の時間だから、皆一緒なんだろうか。どうでもいいか。 どうしてそんなところから?とでも聞きたそうな皆に、私は質問には答えることはしなかった。とりあえず、一番前にいた幸村に頭から突進した。と言っても、本気で突進するとあとが怖いので、あくまでそっとである。 「え、何、どうしたの」 「えーうん」 「いや、だから何だよ」 口調は多少キツくなっても、私を引き剥がそうとはしない辺り、こいつらは私をわかっている。最近は高校生に構いっぱなしだったので、こいつらといるのがこんなに心地良かったのかと、なんだか感慨深い。 そのへらへらしたノリで私は、何の前置きもなしに家に帰るんだあ、と告げた。 「は?」 「いやだからあ、何か家に帰れって。私は合格で、帰ることが必要なんだって」 「お前のその語彙力のどこが合格なんだよ。追試レベルだろ」 「あああ幸村さんちょっと掴まれちゃうと痛いからあああ」 頭を鷲掴みにされて、睨まれたら私はもう縮こまるしかできない。ビクビクしながら、私は先程斎藤コーチとした話をすると、赤也が納得できないとでも言いたげに声を上げた。それから私が出てきた扉へ乗り込もうとするものだから、私はそれを慌てて捕まえる。離せだなんだと騒がれたがちょっと聞いて欲しい。 「はそれで良いのか」 柳が不意に口を開いて、そう問うた。私は頷く。少なからず、皆の肩が落ちた気がした。だからね、聞いて欲しいんだって。 「あのね、私は思っていたほど落ち込んでないんだよ」 「…良いんスか、俺らと離れちゃっても」 「そうとは言ってないけどさ、今の私には、不思議と不安とか、そういうのないんだなあ」 「…何でもいいけど、お前のそのへらへらした顔腹立つ」 「ははは」 丸井が私の緩んだ頬をつねり上げた。彼も納得はいってなさそうだったけれど、私が良いのだと言った以上は引き止める気はないのだろう。私は皆に寄って寄ってと自分の周りに集めると、皆を抱きしめるように腕を伸ばした。 「だってさ、王者立海は強いじゃんすか。私達に誰が勝てるのさ。心配しなくても誰にも負けないもん」 「…」 「だからめんどくさいし心配してない。つうかすぐに皆も帰ってくるだろうし、やソノちゃんとのんびり待ってるよ」 私はやっぱりだらしなくへらりと笑うと、お前は変わったねと、幸村も笑っていた。 そう、私は変わったのだ。 それから私が合宿所を去るという話は瞬く間に広がりを見せた。中学生は勿論、それを聞きつけた種ヶ島がセグウェイで乗り込んできて、私を連れ去ろうともした。こいつは馬鹿か。種ヶ島は私の連絡先を仕切りに聞いてきたので、まったくのデタラメを教えてやった。残念だが悪戯メールをしてきそうな人間に連絡先を教える程私は甘くない。丸井がそれを見て、鬼畜だなと真顔で言った。知らね。 さて、そんなことはさておき、私がいなくなることを本気で残念がる奴なんて、幸村達と、種ヶ島と、多分千石君あたりだけだと、私は思っている。残りの人間は、「残念だけど、まあ仕方ないよね」で、すぐ切り替えのできる奴か「いなくなるの?ラッキー」みたいな奴。私はそう思っていた。しかし私のその考えは外れていたようだ。 それは風呂上りの出来事。 「じゅういちがつーのー風はーつめーたいーあーあーらららー」 番長に真田顔負けの平手を食らったため、私は腫れた頬を冷やして黄昏るために、ベランダへ出ていた。夜風が冷たい。何だか切なくなってじわじわあふれる涙を拭った。私は悪くない。私は悪くないのだ。そう言いたい。 私はたまたま男子達と入浴を終えた時間がかぶり、そこにいた白石君の真似をして牛乳瓶を片手に、格好をつけていただけなのである。 白石君がいればそこには大抵金ちゃんもいるわけで、練習後でも相変わらず元気な彼を見ていたらついつい私も元気がもりもり出てきたような気がした。あくまで気がしただけ。元気が出たところで私の間抜けさは群を抜いている。全ての始まりはそこだ。跳ね回る彼に迷惑そうな顔をする丸井や跡部達を尻目に、何故かいつものローテンションがハイに切り替わっていた私は金ちゃんを呼んだ。金ちゃん金ちゃん、見てて、と。皆の視線が私に注がれる。 「無我のきょおおおち!」 「おおおお!」 そもそも何故無我の境地なぞと言い出したのかは自分でも分からない。多分リョーマが目に入ったからだ。まあもはや何でもいいが、金ちゃんのノリの良い雄たけびに気を良くした私は、無我の境地バージョンで金ちゃんの真似をしてあげることにした。 「大車輪山嵐は、こうかあ」 「ちゃう!もっとぎゅるぎゅる回るねん!」 牛乳瓶片手に酔っ払いの如くふわふわ回転を始めた私を、周りはこいつ馬鹿じゃねえのみたいな顔で見つめていた。そんな私に金ちゃんは回転の指示を始める。ぎゅるぎゅる。 「すーぱーうるとらでりばりー山嵐!」 「、ちゃう!」 「すーぱーうるとらさんだー!」 「おおお!?何やその技!かっこええ!!」 「おい白石、何かおかしなことになり出したぞ」 「あー…ええと、さん、金ちゃん」 妙な決めポーズを私が決め始めていた時点で私の冷静と言う名のネジはとうに外れていた。それから跡部が白石をストッパーに呼んだ時は既に遅し。目を輝かせて大回転を始める金ちゃんの真似をして、私も大回転を始めた瞬間、手の中の牛乳瓶が私の元から旅立って行ったたのだ。勿論口はしっかり開いており、あ、やっばくねえええ?と私の冷静さが戻ってきた時には身体は回転の力で足がもつれていた。投げ出される身体は私を呼びにきた番長の方へ。まだ彼女とぶつかるだけなら良かった。上に旅立ったはずの牛乳瓶が私の方に帰ってきたのだ。 「けばぶっ」 「ケバブ?」 私達は頭から牛乳をかぶって瓶が頭に直撃した私は悲鳴を上げた。その後すぐに番長にビンタを食らったわけだ。 「何してんだテメエ!」 「お、…怒ってらっしゃる」 「たりめえだ!ぶつかるだけならまだしも牛乳かぶってんだぞ!」 「わ、わたしなんか瓶が額に当たってんですよ、こっ、ここ、ほらあああ」 「自業自得じゃねえかあああ」 「いってええええ!」 ビンタは痛かった。 べしょりと床に転げ回る私はきっと惨めだったに違いない。王者の品位が、とばかりに柳生が白い目で私を見ていたのを、きっと私は忘れないだろう。否、忘れたい。 「テメエ、もっかい風呂入って来いこの馬鹿!次やったら殺す!!」 「殺されるうううう!」 「いやだからもうやるなよ」 「おい立海。こいつ、救い用のない馬鹿だな」 「跡部、今更だよ」 そうして私は番長に再び風呂へ放り込まれ、今に至る。 すっかり冷えた手を未だに熱を持つ右頬に当てて長いため息をついた。がらりと後ろの扉が開く。「湯冷めして風邪引くどー」声は甲斐君のものだった。彼は自分のジャージを雑に私の肩にかけて、そんな私を叱るように頭を軽く叩いた。別に気を回さなくても良いのに、と思いつつも、せっかくなので、ずり落ちそうなそれを肩に掛け直す。 「やーが風邪引くと立海の奴らがうるさいだろー」 「どうせすぐに帰るから構いやしないのに、ふげ、」 「ふらー、わんも心配するんばあよ」 彼は私の鼻をぎゅっとつまんで、口を尖らせた。寒いからなのか、彼の頬は少し赤い。甲斐君が私を気にかけるような台詞を、言ったあとに照れて訂正をしなかったので、珍しいね、と本人に言うと、彼は突然口を閉ざしてしまった。もごもごと、何かを言い淀んでいる。どうしよう。私は展開が読めてしまったぞ。 彼の先の言葉を聞けばきっと面倒なことになるのは目に見えている。だから私は逃げるように彼から後退りした。 「あー、えー、寒いので、私は戻るます」 噛んだ。 何だ、戻るますって。馬鹿じゃないの。私がテンパってるのばれちまうじゃねえかとも思ったが、思いの外、甲斐君の方が気が動転しているようで、目があちこちに泳ぎまくっている。そんな癖して、彼は逃げ出す私の腕をしっかりと捕まえているからびっくりだ。 「な、んですか」 「…に話がある」 「…へ、へえ」 「やーは明後日には帰るんだろー」 「まあ」 「正直、わんは少し寂しいさー、…ほんと、す、少しだけな」 「はいはい」 何だお前とは言わないでおく。腕を掴まれたままじゃに逃げるに逃げられないから。なんというツンデレ。まるでソノちゃんみたいだとぼんやり考えていると彼の私を掴む手の力が強くなった。 「…そんでよ、やーに言いたかったことがあるさー」 「…」 「わんは、初め、のこと、でーじ苦手だったさー。でも最近は、多分、」 「…」 使っていない方の腕で自分の顔を隠した甲斐君にこっちまで恥ずかしくなる。オイオイせめて言ってから照れてくれ。頼むからためるな。私のそんな気も知らずに、彼はたっぷり間を開けてから、ためたにしては、かなり抑え気味に、おずおずと口を開いた。 「わんは、のこと、すき、だと思うんばあよ」 かああああ、と、音が聞こえるくらい、甲斐君は余計に顔を赤く染めた。シャイボーイ。 釣られて照れそうになったが、私がためを作ると彼を変に期待させてしまうだろうから、すぐにありがとうと礼を告げ、それからやんわりと彼の手を解いた。 「だけど、ごめんね」 「…ん、分かってたさー」 「君には私より良い子がいるし、うん、私のことが好きとか、意味わかんないし」 「わんも何ででーじふゆーさーなやーのことが好きか分からんやっさー」 「恋は盲目とか言いますからね」 「やーが言うな」 甲斐君がそうして私をひと睨みした。彼の頬の赤さは既に引いていた。それじゃあ決着がついたついでにちょっと良いかい甲斐君。改まった口調の私に、彼は首を傾げる。「実はさっきからこちらを見つめる黒い影が二つ」「はあ?!」勢いよく彼が振り返った先には、硝子の向こうからこっそりとこちらを覗く木手君と平古場君。彼らは慌てて首を引っ込めたけれど、ばればれだったので私は確認するようにこちらに目配せした甲斐君に頷いてみせた。 「あぬひゃー…!」 それを皮切りに彼の口からは私には理解できない沖縄弁が溢れ出した。雰囲気からしてかなり口汚く罵っているのだろう。と、次の瞬間甲斐君が消えた。室内からこちらを見ていた二人の姿も同じくである。追いかけっこが始まったのだろうが、たまに比嘉中は瞬間移動なるものをするので、私は真顔になる他はない。彼らは多分人間じゃない。 肩にかけられたままの甲斐君のジャージを手に、どうしようかと私は息をついていると、誰かが私の後ろに立ったのがわかった。 「逃げたんじゃないの、木手君」 「甲斐君ごとき、撒くのは簡単ですよ」 「ああ、そう。それで、君も私に愛の告白かい」 私の喋り方はよく棒読みだなんだと言われるけれど、今の言葉は群を抜いていたに違いない。自分でも呆れるほど棒読みだった。木手君は、肩を竦めてまさかと大袈裟に笑う。分かってたよ。 ああ、ところでさ、 「甲斐君の言ってたふゆーさーってどういう意味?」 「おや、分かりませんか?貴方のような人間のことですよ」 「つまり貶されたってことだね」 「それだけ分かれば上等ですね、 」 私の答えに満足したように口元に弧を描いた木手君は、それにしてもと私の隣に並んだ。彼はどうやら甲斐君が私のことを好きになったのが意外なようだった。私だってびっくりである。「君は、俺が初めに君に言ったことを覚えていますか」 彼は、私が肩から下ろしたジャージを無理やり私に掛け直した。どうやら彼も心配性のようだ。「何か言ったっけ?」「…」木手君が一瞬にしてイラついたのが見て取れた。 「君は昨日、自分は合宿にいる価値があると言ったでしょう。あの台詞には、俺も少々君に好感を覚えました」 「ふうん」 寒いところにいたのが災いしたのか、鼻がむずむずする。早く部屋に入りたいなあと室内へ視線を配せながら、木手君の話を私は雑に聞き流していた。そんなことも知らずに彼は神妙な顔で私にこう言う。「貴方はもっと自信を持つべきなのです」と。どうやら宝の持ち腐れをしている私は見ていると腹立たしいらしい。じゃあ見るなよ、と言いたい。しかし私がポジティブシンキングを身につけてからはそれは改善されたのだとか。 「俺は君に、初めにこう言った。『ここにいる価値があると思え』と」 「ふんふん、」 「貴方はそれを、」 「へぶしっ」 「……」 ただのくしゃみなのに、木手君の目がいつにも増して鋭くなった。え、なんかわたし、不味かったかしらね。動揺する私をよそに、彼は神経質な人間がするみたいに、眼鏡を押し上げた。 「本土の方の言う、KYがどういう人間のことか、今ので至極よく分かりました」 そうですか。それは良かった。どうして突然KYの話が出てきたのかは分からないけれど、私のくしゃみが彼の悟りを開くきっかけになれば嬉しい。なんのなんの、お礼なんて少ししかいらないよ。 まあとりあえずさ、その前に、 「あの、」 ずるずると鼻をすすった私は、木手君の心中も知らずに、彼を見上げた。「ティッシュありますか」そう聞くや否や、何故か私は頭を殴られたのだった。 おかしな話だ。怒る意味が分からない。 悲痛毒舌管弦楽団 (だって、くしゃみは生理現象なのだから) ←まえ もくじ つぎ→ ( 次くらいで終わり。出張りリクエストありがとうございます。種ケ島さん頑張りますね。 / 130928 ) |