最近、甲斐君がよく話しかけてくるようになった。最近といっても、やソノちゃんに電話で彼のことを相談した日からだから、まだほんの数日前からなのだけれど、朝は必ず挨拶されるし、私が何かをしているとたまに手伝いに来てくれる。敵意を持たれるより百倍良いし、手伝いはありがたい。だけどその理由を考えると、少々頭が痛くなった。予想はできる。どこぞの少女漫画のヒロインのように鈍感ではないつもりだ。 「さん」 ノートに高校生のデータを書き込んでいるとにこにこした千石君が私の隣に並んだ。「お昼休みに時間があったら一緒に散歩でもどう?」表情と声色で本気でないことは一目瞭然だが、この人は女だったら誰でも良いのだろうか。実はたまにこうして誘われるけれど、私はほとんど聞こえない振りで流していたのだ。私は「あー…」なんて良いとも悪いともつかない妙な言葉を発する。ぐるりと視界を動かした先に、甲斐君がいた。「…あー…」千石君は私の見ている先へ自分も注意を向けると、くすりと笑った。 「最近甲斐と仲良いよね、さんて」 「えー…仲良いっつうか、うん、物好きだよねえ」 「ハハそうかな」 「君も物好きだね」 「あららー」 千石君は、君には他の人にはない魅力があると思うんだけどなあ、と言ったので、私はふうんと聞き流した。多分、聞いても教えてくれないし、彼のうまい口説き文句の一つだと思う。 それに顔が可愛いとか、そういう風にはっきりとしていない曖昧なものは嫌いだ。 「千石君、私はもっと褒めちぎられた方が嬉しいよ。すっごい可愛いとか」 「…。あ、はい」 「目逸らすなよ畜生分かってるよ」 ちょっとした出来心である。それにしても口説くのが趣味なら嘘でも可愛いとか言えるべきだとおもった。だいたい可愛くないのに誘おうとする彼の意図が分からない。私には顔に勝る魅力が本気であると思っていいのだろうか。 「人間て顔じゃないと、俺は思うよ」 「うるせえよ」 「はは、冗談だよ。ね、お昼休み散歩行こう?」 私は一向に諦めなさそうな千石君を困ったように見つめる。「残念だけどね、千石君といるとなんか丸井キレるんだよね。だから無理」「えええ」丸井は怒ると怖いのである。奴と親友をやってる私が一番理解している。悲しそうに背中を丸める千石君はじゃあしょうがないね、とコートに戻って行った。なんだか少しかわいそうだっただろうか。別に丸井の機嫌に合わせる必要なんてないのだから、昼飯くらいは千石君と食べてあげようか。そう思って、とりあえず彼の背中に向けて「お昼は千石君の隣キープでお願いします」と言うと、彼は目を丸くしてこちらに振り返り、すぐに嬉しそうにこちらへ手を上げた。そんな彼に私は小さく笑って「物好きはよく分からん」と呟いた。 それから私はいつものように種子島とドリンク争奪戦を繰り広げた。私にはセグウェイがあったので、初めは種子島からの攻撃に対応しきれていたのだけれど、しかし彼の巧妙な策で私はまんまとセグウェイを取り返されてしまった。ただ「空にUFOがああ」とか言われてそんなの引っかからないよーなんて種子島を馬鹿にするために小躍りしていたら両手から離れたセグウェイを取られただけだけど。あの時の徳川さんのドン引いた顔は多分一生忘れない。私はきっと相当恥ずかしい人だったに違いないのだ。まだUFOに引っかかっていた方が良かったかもしれない。そうこうしているうちに、私はロクに仕事もしていないのに汗だくになっていた。もう嫌になるよコノヤロー。 私は水道まで来るとざばざばと豪快に汗だくの顔を洗い始める。マネージャーらしくないななんて頭の片隅で思いながら台の上に置いたタオルを探っていると、見つける前に頭にタオルが乗せられる。 「…ありがとうございます」 「おー」 中学生か高校生かわからなかったので顔を拭きながら、くぐもった声でお礼をすると返って来た返事は甲斐君のものだった。相変わらず私に親切だなと思いながら私はタオルの隙間から彼を伺う。「お疲れさん」なんて笑顔が向けられて、私はたじろいだ。 「…そっちもお疲れ様」 「んー。わんより、やーだろ」 「え?」 いつも走り回ってる。彼は種子島のいる方を顎でしゃくって意地悪げににかりと歯を出した。ああ、見てたんだと思った事を口に出して、水道の台に背中を預ける。甲斐君は私の言葉に妙に慌てた様子で「いつも見てるわけじゃないかさー!」なんて口を尖らせた。はいはい。 「…やーは鈍臭いから」 「そうでもない」 「そうなんだよ」 「しっかりしてるよ」 「しっかりしてたらこんなにわんが心配してるわけ、」 「…」 「だあああ!ちが、違う!黙れ!今ぬはなしさー!」 「何も言ってないよ」 何だこの子は。一人で喋らすとどんどん墓穴を掘って行く。すごく面白い。「甲斐君が立海にいたら良かったかもね」からかいがいがありそうだ。ね、と隣にいた甲斐君を見ると、彼はカッと顔を赤くして今度は、本土はどうたらと言い訳がましく並べ始めた。う、ううん、やっぱり。 「…めんどくさいな君」 騒ぐ彼に聞こえない様に私は呟いた。その時ざわりと割と強い風が吹いて、砂が舞った。咄嗟に目をつぶった私達だったが、ちくりと目に痛みが走る。おおう、最悪だ。目に砂が入った。「うええいたい…」小さく呻けば、隣で砂を踏む音が聞こえた。「どれ?」目をこすろうと構えた両腕を掴まれて甲斐君に覗き込まれる。 「もうやだこのお約束な展開」 「何言ってるばぁ?」 「何でもな、いっ」 「ふらー、擦るなって」 水で洗う様に言われて軽く目を洗うと再び彼に目を覗き込まれる。痛みはそれなりに引いたけれど、どうですか、と目をカッと開くと吹き出された。「変な顔」失礼な。元からだよ。むすりと口を尖らせる。彼はへらっと笑ってから私に手を伸ばして、かと思えば髪を耳にかけたので、私はぽかんと口を開けた。あまりに自然な手つきだった。触れられた部分を手でおさえる。甲斐君は無意識にやったみたいで、すぐに我に帰るとかなり動揺しながら「邪魔だと思ったから!」と連呼した。 「別に変な意味じゃなくて、」 「いやあ、なんか私柄にもなく照れちゃったよ」 「…そうには見えないさー」 「あんまり顔には出ない奴なんだよ」 「へーえ」 何だか私が落ち着いている事が気に食わないようで、私をそのままジッと見つめていた。そんなに見られても私もどうして良いか分からなくなるので、へらりと笑い返して見る。彼はカッと顔を赤くして帽子を深くかぶった。「何故照れる」「照れてなんかいないさー!だいたいやーは、」彼がそこまで言いかけた時だった。 「あー喉乾いたなーあれー先輩こんなところにいたー丁度良いやドリンク作ってくださいよ早く今すぐほら行きますよ」 くっそ棒読みじゃねえか。そんなツッコミをさせてくれる暇もなく、赤也は突然現れて私達の間に割り込んだ。それこそまさしく風のようで、私の腕をつかまえるとズカズカと施設内へ入って行く。取り残された甲斐君は唖然とその場に立ち尽くしていた。彼は何を言いかけていたのだろう。しばらく歩いていると、彼が急に足を止めた。赤也が嘘をついていることを知っている私は肩をすくめる。 「赤也、喉が乾いたなら水道の水があったでしょ」 「…」 「私と甲斐君、話してたんだけど?」 「むっかつく」 「赤也…」 「先輩ムカつく」 どうしようこれ、と頭の中に、これまでイラついた赤也を宥めるのに散々手を焼いた三年の顔が浮かんだ。一番落ち着かせるのが上手かったのが柳だった。それから上手いわけではなかったけれど確実なのが怖い幸村。次に私だった。以前は私が厳しい声色をすると、彼は私を怖がって大人しくなっていた。しかし今はなんとなく、逆効果な気がする。しょぼくれていると、赤也が私を壁に押し付けた。壁ドン…。マジかよ…。 「ずっと聞きたかったんだけど、先輩ワザとなわけ?」 「何が」 「…先輩って、どうしてそんなに人気なのかわっかんねえんだよなあ」 「お前失礼だぞ」 普通のテンションで会話はできているものの、赤也との距離は近い。「物好きも俺くらいだと思ってたのに」彼は私の足の間に自分の足を割り込ませる。 「あのね、赤也やめなさい」 「先輩がムカつくから」 「後輩というのは先輩のムカつくところもグッとこらえなくちゃいけない時があるのだよ」 「すぐそうやってはぐらかすし」 「…めんどくさいなあ…じゃあどうしろって言うわけ?」 「うわ出た。先輩イラつくとそれ言いますよね」 こいつはワザと私を煽っているのだろうか。だとしたら乗せられない方が良いのか?それともこのまま怒って赤也を怯ませるべきなのか。思考をぐるぐると巡らせていると、赤也が苦笑した。その表情は、私の何手も上手を行きそうな、そんな奴がするそれと似ていた。 「先輩、今俺の煽りに乗るか反るかで迷ってるっしょ。分かりやすいッスねー」 「私、思考を読む奴って嫌い」 「先輩も読むくせに。まあ、良いや、先輩がどう言おうと良いんです。たまには俺のターンにしてもらいたいだけだから」 赤也のターン、って何だそれ。多分私の不利な状況は変わらなさそうなので、赤也の肩をグイグイと向こうへ押しやる。びくともしない。はい、無駄無駄。赤也が笑った。それからすぐに赤也が私の首筋をそっとなぞったので、身体が震えた。 「…ひっ…なにを」 「マーキングマーキング」 「はあ…!?」 何言ってんだお前と私が怒鳴ろうとする。しかしその前に赤也の顔が近づいた。私は驚いて顔を背ける。彼が口元を寄せたのは先ほど彼が触れた首筋だった。あむ、そんな勢いで肩と首との微妙な位置を噛まれる。えええ。 「わけが分からない、何故私は噛まれている」 至極真面目に私自身と、それから赤也に問うてみる。彼は未だに微妙な力で私の首筋に噛み付いている。ちょっとだけ痛い。これはいつまで待てば良いのだろう。あの、離してください。後輩なのに敬語を使うなんて私は情けない。とりあえず身体を捩ってみると、その瞬間首筋にざらざらと赤也の舌が這った。 「ひぁっ…」 「…」 「っ…だあああやめろおおお!!」 驚いて赤也を突き飛ばすと、彼は転ばないようにうまく体勢を整える。彼はすごく嬉しそうだった。 「へへ、良いもん聞いちゃった」 「…赤也は変態だったんだね」 「先輩が俺を怒らせなきゃこんなことしなかったッスよ」 「ふっざけんなよお前」 ギリギリと歯ぎしりをし出す私に赤也は大笑いだった。こいつ…。それから私は赤也を正座させて説教でも垂れようとしたのだが、彼はごちそうさま、と嫌な言葉を残して私に何かを言われる前にすたこら退散してしまったのである。 マジかよ。 気の抜けた私は左肩をおさえて下に座り込む。一体なんなんだ。 千石君に話しかければ丸井が怒るし、甲斐君と話すと赤也が怒る。 「…あーめんどくさいな…勘弁してくれよ」 そんな私の嘆きは、誰の耳にも届くことはなかった。 泣きたくもなるよ (泣かないけど) ←まえ もくじ つぎ→ ( 最近うまく小説が書けないなああ…もうやになるよ。はい、マネジらしくないシーンでしたね。明日はテニフェス! / 130920 ) |