正直、種子島も入江も、私に嫌がらせ紛いのことはするけれど、実際のところは嫌われてはいないのだと思う。二人の、特に種子島の場合、私に対するそれは、妹に向ける感情と似たものだった。私も最初に比べれば高校生に嫌な感情は抱かなくなったし、思うところと言えば、なんだこいつらただのテニス馬鹿か、くらいである。ハゲかけてるフラワーの人とか、友好的で私は好きだ。 しかし世界が全て友好的な人間で構成されているなら苦労はしない。そういう人間がいるということは、そうでない人間も間違いなくいる。 「なあ、俺のセグウェイ返してくれん?」 「嫌です」 私が高校生の担当になってから、敵意を剥き出しのまま一向に距離の縮まらない人もいた。それは主に真ん中のコートの高校生だ。下位コートは存外優しい人間が多い。というか人の優しさに弱いのだ。私がタオルを渡しただけで泣きそうな顔をする奴がたまにいる。そういうところでこの合宿のヒエラルキーの半端なさを感じてしまう。 上位コートは優しいというか、別に私の事はなんとも思っていませんよ、的な雰囲気だ。 「えー頼むで」 「嫌です」 中位コートは私がどうも気に入らない様子。中学生だからか女だからか、きっと両方なのだろうが、彼らはことある毎に私に突っかかってきた。その度に私は入江あたりに「気にすることないよ」と言われてきたが別に気にしているわけではない。私が人に好かれない性格なのは自分がよく理解しているのだから。しかしそう自分で納得する度に、以前はなかった胸の痛みを感じるのは何故だろう。 「何考えとんの」 横で騒がしかった種子島が私の前に回り込んで私を引き止めた。彼は先日私がテニスで晒し者にされた直後、彼から奪取したセグウェイを返して欲しいらしい。ムカついたから自分の部屋に置いてあるのだが、こんなに構われるならさっさと返せば良かった。 「何でもないです」 「そんなに俺にかまって欲しいか」 「は?馬鹿ですかあんた」 「口の聞き方なんとかしなさい」 「ふぉめんなはい」 両頬を横に伸ばされた。私の間抜けな面を彼は笑って、何故か私の頭を撫でる。かわいいかわいい。彼はたまにこうして私をからかうけれど、案外嫌いじゃなかった。恥ずかしいのは事実だが。 「種子島さんて私のこと大好きですよね」 「ハハハ、まあそうかも」 「…」 「自分で言って動揺すんなて」 馬鹿にしてくれれば良いのに。例えばこれが跡部だったら、調子乗ってんじゃねえよ、とか、そういう風に否定するのに。立海の皆以外に、こうしてはっきり好意を露わにされるのはまだ少し、慣れないのだ。前髪をおさえて後退すると、種子島は困ったように眉尻を下げる。 「あともう少しなんやけどなー」 彼のその言葉が、私にどういう意味をもたらすのか、いまいち汲み取ることができない。 私は「あと少し」で何かを変えられるということなのだろうか。何かに手が届くということなのだろうか。答えを求めるように彼を見つめ返していると、彼はすぐに私に探りを入れるような目つきをやめた。教えるつもりはないらしい。意地悪だ。彼は初めの調子に戻って笑った。 「ていうかセグウェイ返して」 「やっぱ嫌です」 「何、やっぱって。あれ黒部コーチのだから返して。怒られるやろ」 「ハッざまあ」 なんだかんだでこの人のことが、私も結構好きである。 久々にこの言葉を使わせていただくが、私の日常は非日常である。一日中穏やかに過ごせる日なんて、ある方が珍しい。常に変化と面倒事に囲まれた私の日々は、私にとって良いものか、悪いものなのかなんて、今の私には到底分からない。しかし、精神的に疲れる事は確かだった。 それは皆が毎日楽しみにしているもののひとつ、夕食の時間の事だった。いつも中学生で賑わうレストランに高校生が何人か現れたのである。中位コートの人間だ。「おい、いるか」嫌悪感丸出しのその声は、その場の空気をぶち壊すには十分なものだった。皆は私と高校生達を交互に見てから、その不穏な空気に微かに眉を潜めた。 彼らの用事は分かっていた。個人練習の時のメニューを取りにきたのだ。 「…めんどくさいなあ」 負けず嫌いな私も、あからさまに不機嫌そうな色を顔に出してのろのろと席から立ち上がる。後ろで忍足君がぼそりと、「こういう時は下手に出なあかん」と助言をした。やなこった。 皆は微かに会話をかわしながら、やはりこちらの様子が気になるようで、背中にバシバシと視線を感じた。 「何だかわかんねえが、齋藤コーチに言われてわざわざ来てやったんだ。さっさとしろ」 「せっかちは嫌われますよ」 ぴき、と青筋が浮かんだ高校生の一人は、私が出した紙をひったくると、それをさらりと眺めた。ハッと鼻で笑う声が飛ぶ。「おいおいお嬢さんまさか、これ君が作ったメニューとか言わねえよな」 「何か問題でも」 「大有りだよ馬鹿野郎」 彼らは手にしていた紙を私に投げつけると、それはひらひらと足元へ落ちる。その上に、彼らの足が容赦無く乗せられた。それを一瞥してから、私は彼らを見上げる。私が作ったメニューが気に食わないご様子。別に楽な練習メニューを組んだわけではない。多分彼は、「私が作った」というところが問題なのだと思う。こんな私が作るものだから甘ったれた練習メニューだと思い込んでいる。後ろでは中学生が何しやがる、と高校生に食ってかかっている。ほんと、何しやがる。 「こんなふざけたメニューやってられるかよ!」 「マネージャーだかなんだか知らねえがテメエ調子に乗ってんじゃねえぞ」 「そっちこそ、調子に乗ってるようにしか見えないんだけど」 「ああ?」 「お、おい!」 後ろで私を心配する外野の声が上がった。私は事を荒立てるのが上手いから、皆私にもう何も言って欲しくないのだろう。しかし私も黙ってはいられないのだ。胸ぐらを掴まれそうになった手を弾いて一歩前に詰め寄ると、高校生達は何だよと睨みを鋭くする。 「貴方達にはそれくらいのメニューで十分だと思いますけど。ていうかこれ以上のメニューができるんですかね」 「舐めやがって、この女っ」 「殴りたいなら殴れば良い。私はそんな脅し怖くない」 ついに我慢がならなくなったのか、赤也や鳳君が私達の間に割って入ろうとした。しかし私はそれを押しのける。悪いけど、邪魔だ。私がこうやって守られてるから、舐められる。 「良いですか、私が貴方達を舐めてるという事は、それは齋藤コーチが貴方達を舐めているという事と同じ事です」 「どういう意味だよ」 「私はこのメニューを齋藤コーチに頼まれて作りました。自由に作って良いと言われたけど、やっぱり貴方達がうるさくなると思って、わざわざ私は自分の中で大嫌いベスト10に入る齋藤コーチに頭下げて、このメニューで良いか聞いてんですよ。もちろん多少修正されて、それを貴方達に持って来てやったわけだ。メニューひとつを人がどれほど苦労して作ってるか分かりますか。貴方達にマネジメントに関して文句を言われる筋合いはない。何故なら私は貴方達よりマネジメント能力に長けているから」 「…な、は…」 「それでは、今の事を前提にお話しましょうか。貴方達は何が不服なんでしょう。製作者ですか?言っておきますけど、上位コートのメニューだってたまに私が案を出してそれを使ってもらう事はあるんですよ。それでも不服ですか」 ものすごく早口で私はそう言い切った。怒りでかなり興奮している。どうもこちらの勢いに、彼らは怯んだようだ。弱々しくうるせえと吠えると、一番前にいた高校生が、私達に指を差してヤケになったように声を上げた。 「そもそも女や中学生がこの合宿にいること事態、おかしいんだよ」 「女だ中学生だで未だに差別をしているなら、この合宿の本質に気づけていない大馬鹿ものですね」 「何だと…!」 「私はこの合宿にいる価値がある。だから私はきっと招待されたんだろうし、それに私は貴方達に危害を加えた覚えは無い。だから貴方達にここにいる事に関してとやかく言われる筋合いなんてないわけです」 それ以上、高校生が何かを言う気配はなかった。ざまあみろ。私に口喧嘩で勝てるとおもうなよ。 それから私はとどめとでも言うように、高校生の腕を掴んで引いた。「メニューが不服なんでしょう、最終決定は齋藤コーチです。文句を言うならご一緒しますけど」彼らは流石にコーチに文句を言うほどの度胸は持ち合わせていないらしい。私の手を振り払って、落ちていた紙を拾うと逃げるようにその場から立ち去って行った。やれば良いんだろ!と捨て台詞を残して。 「そうだよ。つまりやれば良いんだよ」 はん、と鼻を鳴らして彼らの背中を見送っていると、そのうち頭の中が冷静になってきた。あまりに周りが静か過ぎる事が、余計に私の落ち着きを取り戻させるのに加担していた。とうとう彼らが見えなくなってから、私はゆっくり自分の言ったことを思い返す。 何度も何度も自分の言葉を唱え直して、周りの男子達が動かない私を心配し始めた時、全てが見えた気がした。勢いよくしゃがみこんだ私に、皆がどよどよとこちらに集まってくる。 「ど、どうしたんスか先輩!」 「どっか痛いのか!?ま、まさか泣いてんのか!?」 「泣いてんの!?え、俺パス!」 「千石だろそういうの得意なの!千石!」 「えええ俺得意じゃないよ!」 哀れな事に、前に押し出された代表千石君はにじりにじりと私に近づいて、隣にしゃがんだ。耳を寄せて「ど、どうしたのー?」と問う。声が震えてるよ君。 私はボソボソと「泣いてないよ」と答えると「泣いてないって」なんてすかさず千石君が声を上げた。 「それじゃあどうしていきなりしゃがんだの?」 「…いや、ちょっとびっくりして」 真顔で膝から顔を上げると、千石君が泣いてないね、と今度こそ笑った。だから泣いてないって言ってんじゃん。 「んで、何にびっくりしたのさ」 「何にって、…じ、自分の、発言、に」 「は?」 初めて自分に自信を持てたかもしれない。高校生との言い合いで無意識のうちに出た言葉は、その事実を示していた。今までこんな風に自分を自分で認めたことがなかったから、これまでよりもポジティブな考え方に、少なからず私は動揺して、照れていた。顔を赤くする私に、千石君はわけが分からないといった様子だった。 「私なんて、代わりの利くマネージャーだと思ってたよ」 「…」 「でも、違う、」 「うん、違うね」 「せ、千石君もそう思う!?」 「思うよ。さんじゃなきゃできないことはたくさんある」 感極まって立ち上がると、私達を見守っていた皆を見回す。「俺も思うよー」間延びした芥川君の声が私に届いた。 「ちゅうか、さっきの無意識に言ってたんかい」 「そんなことに今まで気づいていなかったなんて、それこそ俺はびっくりですがね」 「ひ、ひよし…!」 皆は何だそんな事か、みたいな表情ばかりだった。あれ、思ってたより皆ってすごい良いやつなのではないだろうか。一個人を大切にしてくれる、すげー良い仲間なのでは、ないだろうか。 私は腕で赤くなった顔を隠す。「あ、あのですね」 「私、合宿にいる価値があるって、初めて思えた」 誰も口を開かない。黙って私の言葉に耳を傾けている。 「わた、わたし、皆と一緒に頑張ってこれて、良かったって思えてる、みたい。…多分わたし、皆のこと、…超好きだと、おもう」 多分というか、今後は絶対こんなことは言わないだろう。こんなテンションだからこそ出た言葉だ。絶対絶対もう言わない。「超好き」なんて。 しばらくの沈黙のあと、私はうつむいていた顔を上げる。千石君が、小さく笑った。 「俺らもさんのことすんごい大切に思ってるし、好きだよ」 そういう言葉が欲しかったわけではなかったのだけれど、それだけで胸がいっぱいになるのを感じた。そうやって必要とされてることに、幸せを覚えている自分が信じられなくて、恥ずかしくなった私は全力でその場から逃げだしたのだった。 きみとなら、きっとしあわせ、きみとなら (あ、逃げた)(あいつこういうの苦手だからなあ。困った奴だぜ)(とか言いながら丸井先輩嬉しそうですね) ←まえ もくじ つぎ→ ( 成長を遂げたヒロイン / 130919 ) |