ーご馳走さーん」


またか!と私は声の方へ素早く振り返る。視線の先にはセグウェイを乗り回しながらベンチに置いた徳川さんに用意したドリンクを攫って行く種子島の姿が見えた。私は抱えていたいくつかのドリンクのボトルを塀の上に置いて走り出すと、彼はこちらを振り返ってケラケラ笑った。最近毎日こんなことの繰り返しだ。彼はよく人のドリンクを盗む。運動能力がど平均の私が、セグウェイのスピードに追いつけるわけがないと、走り出した早々諦めの色を浮かべていると、種子島は先ほど塀の上に置いたそれまで掴みにかかったので、思わず「おいコラテメエエエエ!」と年上にも関わらず叫んでいた。周りの高校生はまたかと、こちらを一瞥しただけで、特に私を、そして種子島でさえ咎める者はいない。徳川さんも、ため息をついただけだ。そんな中で私の横に並んだのは入江だった。


「すっかり気に入られたね、君」
「いい迷惑ですよ」
「ほんと、修さんもよくやるよ。あの人、君の反応のことばっかり話してるんだ」
ほんと、いい迷惑ですよ


私が追いかけてこないのを良いことに、種子島は中河内さんのドリンクまで攫い、中河内さんには「どう落とし前々つけてくれんだコラアア」とか叫ばれている。そもそもあんなに取って飲みきれるのだろうか。そこまで水分に飢えているなら言ってくれれば作るのに。毒入りで。


「入江さん」
「ん、何かな?」
「なんかこう、一撃であの人を葬れるテニス技とかないですか。ちょっと覚えたいんですけど」
そんなのあったらテニスじゃなくなってるよ


あんた達は半殺しくらいなら余裕で実現できそうな技ばかり使うくせに。こんな時だけまともなことを言うから興醒めして足元の石ころを蹴飛ばした。石が転がってるなら、あとでコートの掃除しなければ。
私を見て苦笑する入江に、何と無くムカついた私は彼を一瞥してから「ああ、そうか貴方お遊戯テニスしかできないんでしたっけ?」と鼻で笑った。ぴくりと彼の眉が上がる。


「…ボクの演技にケチつける気かな?」
「言ってませんでしたけど、私も『嘘』、得意なんですよ。私からしたら『まだまだだね』」
「修さーん、なんかさんが修さんにテニスの技教えてもらいたいってさー!」
おいコラテメエエエエ!


入江の声に顔を上げた種子島は、楽しそうにこちらへセグウェイを走らせる。こっちくんなああああ

そうして結局種子島に捕まった私はラケットを握らされ、いつの間にかコートに立つことに。いくでーなんてまさに今からラリーを始めようとばかりの言葉をかけられ、私はストップを連呼した。おかしくないか。確かにテニスのルールはきちんと知ってるけど、まずは打ち方とか、素振りとか教えてくれないのか!?そんな私を気遣ってか、入江が「さーん、打ち方はこうだよ、こう」とコートの外からラケットを一振りだけした。


「そんなんで分かるかあああ!」
「習うより慣れろやー。ほいっ」
「ええええ」


鬼すぎる。と思ったのめ束の間。想像よりもゆるゆるしたサーブがこちらへ飛んでくるではないか。まあ、流石に素人に本気のサーブを喰らわす非情な奴はいないかと、安堵して見よう見まねでラケットを構える。これなら行けると私は全力で振りかぶったら、コートの外から「え、なんか違くない?」と誰かがつぶやいた。その瞬間、偶然にもスイートスポットに捉えられたボールが、私の振りかぶりにより真下に叩きつけられ、直ぐに真上に跳ね上がる。


「ほげっ…!」


下からのボールは私の額を直撃した。そうしてそのまま痛みに悶絶しながら後ろへ倒れる。いてええええ。私に降り注ぐ太陽がなんだか目に染みた気がした。


「…も、もう嫌だ、帰りたい。立海に帰りたい」


コートに仰向けに倒れたまま私は唇を噛み締めて泣いていると、向かいのコートの種子島の耐えるような笑い声が聞こえた。「ちょ、誰か今の動画撮った奴」「種子島、俺写真なら撮った」「ナイス」帰りたい。


「もう絶対テニスなんてやるもんか」


初めてテニスが嫌いになりかけた日だった。





「…それでここまで逃げてきたと」
「うん」


俺、神尾アキラは果てしなく困惑していた。
さんが俺の足を掴んで離してくれない。これから昼飯を食いに行こうとコートから上がった直後のことだ。何故かセグウェイに乗ったさんが半泣きで俺のところに滑り込んできたのだ。確かこのセグウェイは種子島とかいう人が乗り回していた気がするけど、と思ったのも束の間、彼女はしゃがみ込んでうずくまると、素早く俺の足を掴んだ。どうやら話を聞いて欲しいのだと察して、彼女の愚痴を聞いて今に至る。とりあえず行かないから離してくださいと頼み込んで、彼女の目線に合うように俺もしゃがむと、今度は俺の腕を掴んだ。だから逃げないって。


「神尾君は良い人だね。きっと種子島のあんちきしょうならこんな私を写メってる」
「…はあ」
「…やだよ、行っちゃやだよ。見捨てたら『橘さん』に言っちゃうからね」


めんどくさなこの人と一瞬感じたこの心を読んだのか、さんは腕を掴む力を強くした。もうなんでも良いけど、少し照れるんだよな、この状況。
こんな時のさんの対応の仕方を俺は知らない。きっと立海の人達なら簡単にさんを元気付けるなり丸め込むなりしそうだが。
俺は結局どんな言葉も思いつかずに俯く彼女の後頭部ばかりを見つめていた。すると、ふと彼女の顔が上がり、至近距離で目が合う。たじろいだ俺は、少しだけ体を後ろに引いた。顔が熱い。
彼女の表情には先程までの不服そうなそれはなく、ただまっすぐに俺の目を見つめ返していた。


「あ、の、さん?」
「うん」
「いや、うんじゃなくて…」


前から思っていたけれど、すごくよく分からない、この人。タメの切原でさえこの人と付き合っているのかと、少しだけ感心した。さんは、色んな意味で人を緊張させたり、どきどきさせるのが上手い。


「仲良くない人にこんなことされても緊張するし困るよね。ごめんね」
「え、」
「目を見れば分かるよ」
「…そんなに動揺してましたか、俺」
「うん。あと脈」


早いよ、と掴んでいた手を離して彼女は苦笑した。なんとなく、この人が王者立海で、マネージャーをやっている意味が分かった気がする。選手達に隠れてただのめんどくさがりの雑用係、としか見えないけど、多分この人も、凄い人なんだ。


「それで、悪いんだけど神尾君」
「なんですか?」
「赤也か丸井か、あとは柳か…私に優しくて心に安らぎをくれそうな人間を連れてきて欲しいのです」
「えーと、千石さんなら近くに」
「それは駄目。ここぞで役に立たない。あと彼に近づくとなんか丸井に怒られるから」
「千石さんに聞こえてますけど」
「うん」


きっとわざとなんだろうなあ、と向こうでしょぼくれている千石さんに憐れみの視線を送る。そんな彼を一瞥してから何事もなかったかのように彼をスルーして横を通過する切原が見えて、俺はバッと立ち上がった。ナイスタイミング。釣られてこちらを見たあいつは、その近くのさんに気づいて、途端にニコニコしながら近づいてくる。立海の奴らって正直興味のない人間にはとても冷たいと思う。


先輩!何してるんスか?」


それからお前は何でここにいるんだと鋭い視線を送られ、俺はやれやれと肩を竦めた。切原はさんを近くのベンチに誘導して、首を傾げる。


「…実はだな赤也、かくかくしかじかで、」
神尾、説明頼む


さんが言葉を言い切る前に切原の顔がこちらへ向いた。さんも俺に丸投げするらしい。どうぞと話を促している。さんの対応の仕方が、分かった気がした。彼女に主導権さえ握らせなければどうにでもなるのだろう。
俺は先程彼女から聞いた話をしてやると、切原はそっかーと腕を組む。


「立海に戻りたかったら戻ってくればいっスよ」
「あのなあ切原、そんなに簡単にいくわけねえだろ馬鹿か」
「うるせえな」
「よし、じゃあ私がこっちに戻れるように作戦考えようぜ!」
何であんたもノリノリなんだ


頭が良いのか悪いのか分からなくなってきた。そんな俺の横で、彼女は地面に齋藤コーチの下手な似顔絵を描き始める。「これを、こうする。レーザービーム」切原相手に、大真面目にコーチの体に光線を描き足した。「この光線で倒す」分かった。この人も馬鹿なんだな。


「そのレーザービームは柳生先輩に任せるんですね」
「いや柳生はやってくれなさそうだから、仁王かな。それか赤也が無我でやってよ」
「えー嫌ッスよ」
すいません、もっとマシな方法ないんすか


どうしよう、ツッコミどころばかりでこの場にいるのが正直辛いぞ俺。俺の文句に、さんは口を尖らせ、それならと土の付いた手を払った。


「この合宿所を乗っ取って、」
あー、ちょっと俺、誰かさんが怖がりそうな人連れてきますね
「し、しどいっ」


そうして立海の人、主に真田さんか幸村さん辺りを探していると、なんと彼女の心の安らぎ候補の丸井さんが現れた。バッドタイミング。彼は切原とさんが話しているのを見かけると、そちらに方向転換したので、さんて、ほんと、立海に好かれてるなあと、変なところで感心する。


「お前ら何してんの?」
「いやーそれがさあ、かくかく、」
には聞いてねえよ。お前きちんと説明しねえし」


やはり学年が上がるごとに、さんへの対応に無駄がないというか、プロフェッショナルだった。
まあ、俺や橘さんも深司のぼやきには慣れてるからそれと同じなのだろう。丸井さんは切原から話を聞くとさんの肩に腕を回し、痛いと訴える彼女を無視して、ズカズカと歩き出した。


「要は寂しいんだろい」
「いや、そうじゃなくて、雑な扱いされてるのがね、嫌という話で」
「俺たちだって雑ッスけどね」
「あ、うん、そうですね」
「え、何々、向こうに居場所がなくて寂しい?」
「そんな事言ってないよ」


否定する彼女の言葉を気にも止めず、丸井さんは立海の人達が集まって話しているところまで二人を連れて行く。幸村さんが彼らに気づいて振り返るなり、丸井さんはさんを輪の中に放り出した。


「のわっ…いい加減離してくれよ丸井」
「んないじけなくても、向こうに居場所なんて必要ねえだろー?」
「はあ、なんの話を、」
「だってお前の居場所はここじゃん」


目を丸くした彼女は、ぐるりと周りを見回してから、再び丸井さんへ向き直る。幸村さん達ははじめは一体何だとばかりにお互い顔を見合わせていたが、すぐに何かを察したのか、誰もそれを問うことはしなかった。
「どう?」ぽんと頭に手を載せられて、さんは、サッと前髪をおさえる。多分、彼女の照れ隠しだ。


「うん。やっぱり寂しかったみたい」
「だろい」
「私の居場所って感じがする」


そしてへらりと笑った彼女に、丸井さん達も笑い返す。
何だかんだで、お互い思い合っている良いメンバーなのだろう。

彼らがなんだか少しだけ、羨ましく思えて、俺も橘さん達の方へと走り出した。





心のささくれがやさぐれちゃって
(あーいいわ、ああいうの)(ふうん神尾ってああいう人が好みなんだ。趣味悪)(いや、ちげえよ。つうか深司、そんなこと言ってると怒られるぞ)

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( 神尾ブームが来て彼を出したんだけど、失敗だった気がする笑 / 130910 )