「き、木手君!」


私達を物陰に押し込んだのは、なんと木手君だった。彼は、真田達の足音が通り過ぎたのを確認してから「行ったようです」とホッと息を吐く。それにしても何で木手君がここに。顎に手を当てて考える私の横では、追ってを撒いた堀尾君はすっかり安心して、彼に礼を言っていた。


「さあ、ここも危険ですから、場所を移動しましょう」


木手君は、私の思考を遮るように、そう言って私達の腕を引いた。
木手君を先頭に、廊下を小走りで進む私達。何で私までこんな事に巻き込まれているのだろうと首を垂れる。しかし今更出て行っても真田達に堀尾君の場所を問い詰められるだけだろうし、私には逃げるしか選択肢は残されてないのだろう。可哀想な私。


「あの、先輩…真田さんや大石副部長まで、一体どうしたんでしょう」
「…えええ?知らないよそんなの」
「確かにこの合宿所にはあらゆるものがある。しかし完璧ではありません。どんなに充実した設備があっても、すべてのニーズに答える事は不可能です」


私が肩をすくませる横で、木手君がそう口を挟んだ。「ましてや今回のような、嵐で搬入が遅れてしまう事態ともなれば、」そこで彼は一旦言葉を区切り、窓の外へと目を移した。大粒の雨が窓に叩きつけるようにぶつかり、時折唸る雷が私達の不安を余計に掻き立てる。


「山に囲まれたこの施設は、いわば陸の孤島。閉じ込められた人間達は、限りある食糧を求めながら、互いを信用できなくなり、やがて醜い争いを…」
「…ふうん」
「…何ですか、さん」
「そこまで分かってるという事は、木手君の事は信用していいんだよね」


堀尾君の前に腕を出して、彼の行く手を遮り、目の前を歩く木手君の背中へとその言葉をぶつけた。彼がこちらへ振り返る事はなく、表情を伺う事はできなかったが、動揺しているようには見えない。


「注意深いのは結構ですが、何にしても行き過ぎは感心しませんよ、君」
「なるほどね、覚えておくよ」


ボロは出そうにないので、怪訝そうに私を見つめる堀尾君に、何でもなかったと笑って私は歩き出した。


「ところで、堀尾君、その鞄の中身は?君は知ってるんですか?」
「は?…いや知らないけど」
「…に、肉なんて入ってませんよ!」
「俺は鞄の中身などどうでも良いですが、俺が疑われるならば、中身を知らない君も信用できない対象である事を心得た方が良いですよ」
「…はあ!?」


その言葉は果たして私に向けたものなのか、それとも隣のこの子か。どちらにせよ、彼の言い分は最もだ。しかしこんな事を言えば、私は堀尾君に疑念を抱かれる対象になる。正直そんなのはどうでも良いが、協力して逃げるべきこの状況で、仲間割れは私には痛手である。先ほどの仕返しなのか、それとも…。
余計な事を、と心の中で悪態をついてから、私は二人に私がそんな事するわけないでしょうと口を尖らせた。「まあ、いいですけどね」コノヤロー。
それから私達の間には少し気まずい空気が漂っていたが、大浴場の前まで来ると、堀尾君はリョーマはここにいるのではないかと、中に入ろうとした。しかし、その瞬間、木手君は誰かが出てくるのを察知し、堀尾君だけを連れて柱の陰にさっと隠れる。って、えええ!?ちょっと私はああああ!?


「くっそ、堀尾との奴、モンブラン独り占めしやがって…!見つけたらただじゃおかねえ…!」


中からおかしな悪口が聞こえて、私は慌ててその場から逃げ出した。他にも色んな人の好物を私と堀尾君が横取りした事になっていて、合宿所中を逃げ回りながら、この数日で鍛え上げられた脳をフル回転させる。
堀尾君の鞄の中身は彼しかしらない。つまり、だ。中に何が入っているかなど想像し放題な訳で、木手君の言うように、食べ物に飢えている彼らは、恐らく、堀尾君の鞄の中身に自分の好物を思い描いているに違いない。


「厄介な事になったな…どうしよう。頼りの丸井は、こんな事態だから一番信用できないし、…ここは幸村にでもヘルプを頼んで…ん?」


丁度木手君や甲斐君、平古場君達の部屋の前を通りかかる時、名前が呼ばれた気がして、私は足を止めた。部屋の扉にそっと耳を当てる。どうやら中にいるのは甲斐君と平古場君のようだ。彼らはやはり、私と堀尾君の事を話していたので、彼らが出てくる前にサッサとここを離れるべきかと思ったが、どうにも彼らの様子は、私達を狙う他の皆とは違っていた。


「凛、あの鞄の中身は、絶対ゴーヤに違いないさー」
「ああ、永四郎の奴、青学の堀尾や立海のとなんかコソコソ企んでるふーじーだったさー」
「この合宿所にはゴーヤがなくて清々してたのによー」
「あぬひゃーの事だ、こっそりゴーヤを持ち込んで、またわったーを虐めるに決まってるさー」


二人の少しビクつく声を聞きながら、なるほど、と私は頷いた。彼らの思う通りに木手君が動いているかは分からないか、そもそも彼が何もないのに面倒ごとに手を貸す方がおかしいのである。助けるのは、堀尾君を守って、彼に何かしらのメリットがあるからだ。善意から私達を守っているのだとすれば、私が鞄の中身を知らないと分かった直後、私を置いて堀尾君だけを助けるわけがない。


「考えろー。一体私はどうすればいい」
「あ、!」
「しまった…」


部屋の前で唸っていると、突然その扉が開いた。早速甲斐君達に見つかってしまったのだ。彼らは丁度良かったと言わんばかりに私を捕まえようとしたが、それを何とかかわして全力で走り出した。木手君を止めるのに彼らの協力を得るのも一つの手だろうが、何だかややこしい事になりそうだからやはり却下。そもそも、あの中にゴーヤが入ってるとは思わない。もちろん自分の好物が入っているとも。
私は慌てて近場の部屋に飛び込むと、そこにいた誰かに衝突して、床に倒れこんだ。


「いっつつ…」
先輩!無事だったんですね!」
「ありゃ?」


そこには木手君と、堀尾君がいた。どうやら、二人もここに逃げ込んだらしい。私とぶつかった木手君は、眼鏡をくいっと持ち上げると、堀尾君を匿うように私の前に立ちはだかった。


「堀尾君、彼女も君の鞄の中を狙っているのですよ」
「は…はあああ?何言ってんの木手君」
「俺が先ほど君を助けなかったのも君が裏切ると思っていたから」
「根拠がないでしょうが!」
「根拠など、必要はない。この合宿所にいる人間全てが信用ならない対象なのだから」
「ならお前もだろうが!」
「俺はここまで彼を庇ってきた信用がある」


めちゃくちゃだ。木手君こそ冷静さを完全に失っているようにしか見えない。いや、こいつこそ、自分の望む物を鞄の中に見ているに違いない。それを得るには私が邪魔なのだ。


「堀尾君、私を信じるよね」
「え、あ、…えっと」
「彼を惑わすのはやめなさいよ、君」
こっちの台詞じゃあああ!
「ど、どっちを信じれば…」


完全にパニックを起こしている堀尾君が焦ったくなり、彼の腕を引くと、自分の後ろに彼を隠す。本当は中身を暴くのが誤解を解く一番の方法なのだろうが、ここまで隠してきたということは、周りにばれたらマズイのだろう。そもそもリョーマに頼まれたと言う事は、リョーマの好きな物が入っている可能性がある。私の想像が正しければ、おそらくポンタジュースだ。皆が飢えてる中で、一人だけそんな形で優遇されたとなれば、皆は黙っていない。
とりあえずこいつを匿ったら、中身を確認して、幸村に助けを求める。明日には嵐がおさまって食糧の搬入が行われるはずだ。それまで持ちこたえればいい。でももし、…もし幸村がダメなら?…その時は皆の前で誤解を解くしかない。私の知る限りでは、少なくともこの鞄の中には、たこ焼き、ゴーヤ、焼肉、ラフテー、マムシエキスに高麗人参、もっと色々なものが入っている事になる。そんな事、普通に考えてあり得ないのだから。そこを突いて話せば、なんとか、なるはずだ。


君、諦めたまえ」
「おかしいんだよ」
「…先輩?」
「君は損得で動く人間でしょ。堀尾君を助けても得はないよ。この鞄を独り占めできる以外は」
「…君、何を。それは君とて同じ事」
「…あああもう。堀尾君、私の好物何でしょう!」
「え…えっと、お、お汁粉」


その通りだ。お汁粉はこの合宿所の至る所にある自動販売機に売っている。欲しければ買いに行けばいいし、それにあいにく私もお汁粉をエナメルバックに詰めてきたので当分は心配がないのだ。
堀尾君はそこまで聞くとハッと息を飲んで私の後ろに隠れた。良かった。どうやら信用してもらえたようだ。


「フン、腑抜けている割に、君は少々頭が回り過ぎるようですね。王者立海のマネージャーなだけある」
「き、木手さん…」
「その鞄の中身はゴーヤなんでしょう?…さあ、その鞄を渡しなさい!」
「どわあああ!」
先輩!」


突然沖縄武術で攻撃をし掛けられては溜まったものではない。慌てて部屋を飛び出せば、そこには枕を枕カバーをきちんと取り替え終えて、それを運び出す浦山君と壇君がいた。彼らは突然現れた私達を見て驚いていたが、それどころではない。どこに逃げようかと当たりを見回していると、そこに甲斐君と平古場君が滑り込んできた。


「そこまでだ、永四郎ー!」
「このゴーヤは渡さないさー!」
「なるほど、欲しい物がなくて不自由する人がいるように、なくて助かる人がいるのですね」
「なんかわけわかんない事になってきたぞ」
「わあああ先輩どうするんですかあああ」
「知るかああ私が聞きたいわあああ」


もともとは物分りが悪いこの馬鹿共がいけないのだから。そのまま私達は右往左往していると、ついに勝負をしかけ始めた木手君に、対抗するように、甲斐君が私の抱えていた枕を掴んで、それを放り投げたのだ。え、は?ちょっと!
それからはもう説明できないくらいカオスな空間が生まれた。中学生全員がその場に集結し、誰かが投げた枕が、誰かに当たり、そいつがキレてまた誰かに投げ。その繰り返しだった。


「誰だ今俺に投げた奴あああ!」
「あ、亜久津君落ち着いて…!」
「これは戦だあああ!」
「真田まで、…ちょっと、良い加減にしろよお前ら…!」


次々と、洗濯したばかりの枕が投げられ、せっかく掃除したばかりのロビーには埃が舞い、そこら中の額が落ち、植木が倒れる。怒りを抑えられるわけがなかった。私は怒りに任せて、空になったカートを床に張り倒すと、周りの皆がシン、と静まり返ってこちらを振り返った。


おいそれ誰が片付けると思ってんだコラアアアア!


ばこーんと、近くにいた木手君に思い切りアッパーを喰らわすと、彼はナイスアッパー…とだけ呟いて倒れた。


「君達さ、確かに毎日練習大変だろうよ。疲れるの分かるよ。でもさ、そんな疲れた貴方達のお世話をするのは誰?私達は四人しかいないの。何十人も世話をするのがどれだけ大変か分かるかい?その上…周りをみてごらん。ここの掃除にどれくらい時間かかるかご存知?それから君達、今何をしてるの。洗いたての枕で…洗いたての枕で何してるって聞いてんじゃゴラアアア!」
「お、落ち着け、!」
黙れ!しね!
「近年稀に見る荒れっぷりだ」
「お前ら何か皆高校生に負けろ!!」


カッと頭に血が上がった私は、手当たり次第の男子に殴り掛かろうとしたのだが、それを雑用トリオが慌てて止めにはいる。離せえええ!


地獄に落ちろオオオオ、
「おめえうるっせえよ


その瞬間何故か後ろで番長の声がで聞こえた。それと同時に後頭部に衝撃が走って、目の前が真っ暗になって、



おかしいな。その後の記憶がない。




いやー派手にかましたねぇ
(え、気絶しちゃいましたよ!)(だってうるさいし)(ば、番長…!)

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( 中高生は今日で夏休み終わりかな / 130831 )