「…中学生の担当から外す?」


予想外の事実を聞かされた事に私は動揺が隠せなかった。番長が告げた言葉を繰り返し、どうしてだとその場に足を止める。そんな私の様子に彼女も歩くのをやめ、齋藤コーチの決めた事だと、短く答えを口にした。私はそんな話をしているのではない。中学生の担当から外すという事は、次は高校生の担当にでもなるのだろうか。中学生の担当でさえ精神的な疲労が大きいというのに。ちらりと立海のメンバーの顔が頭に浮かび、面倒な事になったと、私は額を抑えた。そうしているうちに、齋藤コーチがこちらにやってくるのが見えて、番長は連れてきましたよと私を彼に引き渡す。


「ばんちょ、」
「なんて顔してんだお前は」
「行かないでください番長ううう」
「いやアタシも仕事あっからな」


彼女は私の頭をぐしゃりと撫でてから、ああそれと昨日は悪かったなと、妙なタイミングでそう告げた。ぎこちないその口ぶりから、ずっといつ謝ろうかと彼女が考えていただろう事が伺える。しかしながら今のタイミングはおかしいよ番長。私はそれどころではなかったので、私もごめんなさい曖昧にそれに頷いた。


「これで仲直りな!ああ、やっとスッキリした」
「あの、番長、」
「じゃ、齋藤コーチ、あとお任せします」
「いや、え?番長あの、」
「あとでな、
「ええええ」


番長はわだかまりがなくなった事に満足するなり、先ほどまでの気まずさを感じさせない勢いで持ち場へ帰って行った。番長の名にふさわしい嵐のような人である。おいて行かれた。その場に残された私はひとしきり絶望してから、ようやく齋藤コーチの方に向き直った。彼は相変わらずにこにこと笑ったままである。私はあからさまに嫌な顔してやったのだが、彼は気にした様子もなく、私を奥の部屋に通した。
さて、ここからは今までみたいにふざけてはいられない。


「彼女と随分仲良くなりましたね」
「番長が馴れ馴れしいだけですけどね」


齋藤コーチの質問に捻くれた答え方を寄越す。しかしこう答えたと言っても、番長にそうしてズカズカと入り込まれても今は不思議と嫌じゃないのだが。それは彼女が表裏がない人物だからだろう。
目の前の男はそうですかと頷いてから、どうやら本題に入るようで、手を組んでひゅっと息を吸った。


「貴方をここに呼んだのは、」
「中学生の担当を変えるというのは本当ですか」
「…彼女に聞きましたか。ええそうです。貴方には今日から高校生を担当してもらいます。それを伝えるために呼びました」
「私が納得する理由を聞かせていただけなければその話はお断りします」


私はあくまで強気に構えていた。どうせこいつらは私をここから追い出す気などないのだから、好き勝手に振舞って大丈夫だろう。齋藤コーチの理論なら、立海の成長に私は不可欠。私を中学生の担当から移動させる意味は立海ひいては他のメンバーを成長させるところにあるはずだ。まだ何かやりたい事があるだろうし、そんな中、いう事を聞かない私をどうこうする事はしないだろう。
齋藤コーチは少し考える素振りをしてからでは、と口を開いた。


「この数日、さんや立海、他の選手を見させていただいて、貴方の影響で精神面で成長した選手が多くいます。これは喜ばしい事ですが、僕が求めていた結果がどうしても得られない」
「…それで?」
「僕は選手の方にばかり目を向けていましたが、さらなる成長のためには貴方の成長が不可欠です。貴方はどうも一筋縄ではいかないようなので、」
「だから私を高校生担当に?意味が分かりません」


私の言葉に齋藤コーチは困ったように眉を下げた。一筋縄でいかないとご存知ならばそれを発揮してやろうではないか。しばらく沈黙が続いたが、私は彼の言葉を待ち続けた。下手に口を開けば、うまく話をかわされてしまう気がした。しかし、このまま待ち続けて、私の欲しい言葉が貰えるかと言えば、それは頷けない。この沈黙は、どうやら私の有利な方には進んでいないらしい。彼は余裕たっぷりに間をおいてから、困りましたねえと、笑った。


「残念ですが、貴方が理由を聞いて、素直にそれを理解するとは思いませんので」
「…教えない、と」
「教えて納得する人なら貴方はここにはいませんよ」
「…ぐ、」


痛いところを突かれてしまった。しかし彼はそんな私に、まるでヒントでも与えるように、「一つ教えるとするならば、」と指を立てた。君は矛盾の塊であると。


「はい…?」
「おや、自分で気づいていませんでしたか」
「何の事ですか」
「貴方は他人に自分のテリトリーへ侵入される事を嫌っていますね。しかし同時に孤独である事も恐れている」
「…」
「私の中に入ってこないで、でも見捨てないで。正直、そんな矛盾の中にいる貴方の心を満たす方法などはありません。しかし貴方が唯一許すもの」


彼はそこで言葉を止めたが、何を言わんとしているかなど、聞かずとも分かった。立海のあいつら以外に存在しない。齋藤コーチは、私は向こうからくる好意には無頓着であり、また、立海に関しては特に、執着された時に対応ができる冷静さを私が持っていると話した。私は丸井にわけも分からずブチ切れられて喧嘩していた先日の事を思い出していた。あの場では、彼らが私を必要としてくれている事が分かった。丸井の感情は恐らく、それゆえの感情なのだと。


「相手を信頼しているからこその執着、嫉妬。それを貴方はよく理解しているし、また、無駄だとも感じている。自分は相手を信頼しているのだから、心配をしてそんな感情を抱く必要はないと」
「…」
「しかし可笑しな事に、さんは相手がいざ実際に<それ>を実行すると酷く動揺してしまう。何故誰も自分に構わないのか。自分は必要がないのではないか、そう怯える。貴方の矛盾はここにあります」
「…テリトリーに侵入される事を嫌う癖に、孤独を恐れる」
「そうです」
「…そんなのっ、」
「そうするとさんが大切で仕方のない過保護な彼らの成長は、孤独を嫌う貴方を再び守るべく逆戻りする事は目に見えています。

貴方はそれを望んでいるでしょうがね」


どきりと、心臓が跳ねた。そんなはずはないと、そうだろうと、自分に言い聞かせる。しかし、自信を持って頷けないのは何故だろう。心の何処かで「知られてしまった」と、体を震わせる自分が見えた気がして、私はシャツの裾を固く握りしめた。
その横で、齋藤コーチは徐に立ち上がるとモニターのスイッチを入れる。スピーカーから漏れる聞き覚えのある声に、私は顔を上げてそちらへ視線を向けた。


「どうやら、負け組の皆さんが帰ってきたみたいですね」


モニターには、2番コートの高校生に次々と勝利を収めて行く負け組の面々が映し出されていた。すぐにこのコートは彼らに占領されるだろうことは、圧倒的な力の差を見れば分かる。齋藤コーチは、やれやれと肩を竦めてその様子をしばらく見つめてから、私に振り返った。


「負け組の皆さんに関しては、三船コーチの事もありますし、さんと毎日関わっていた勝ち組の方よりも貴方のいない生活をしているので、主に精神面の成長はめまぐるしいですね」
「…コーチは何が言いたいんですか」
「きつい言い方をさせもらうと…そうですねえ、今の貴方の存在は彼らには邪魔と言いましょうか」
「……。邪魔?可笑しな話ですね、成長に私が必要って言ったのはコーチでしょう。今度は私をあいつらから引き離して私が成長しろ?そんなの、そんなのめちゃくちゃだ。今まで私達に何があったのかも、し、知らないくせに、っ」


がたりと立ち上がってまくしたてるように騒ぐと、齋藤コーチは小さく息を吐いた。冷静さを失っていた私は彼の表情に一瞬我に返った。過去に囚われて一歩も進めていないのは、…私だけ?
彼は首を振ってゆっくりと口を開いた。



「ほら、貴方だけが成長できていない」





求めては失望する
(やれやれ、憎まれ役が上手ですね)

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