ああ、体が怠い。朝からずっと頭がぼんやりする。昨日はかなり動き回ったからか、それとも慣れない環境に疲れが出たのか、最早どちらでも良いが、まだ昼にもなっていないというのに、私はすでに一日の体力を使い切ってしまったのではないかと言うほどの疲弊具合を感じていた。この疲れの理由は何と無く予想はついていた。しかしその可能性は頭の隅へ追いやる。認めてしまえばそれ以上動けなくなる気がした。 壁に体を預けて、小さく息をついていると、不意にあの、と声をかけられる。そちらを向けば、そこにいたのは初っ端から私に敵意を剥き出しにしていた神尾だった。めんどくさいのがまた、と思うのが早いか、彼の表情には攻撃的なものは感じなかったため、私はなるべくめんどくささが気どられないように「何かな」と首をかしげて見せた。 「あー…医務室の場所、わかんなくなっちまって、知ってますか」 気まずそうに目を左右に彷徨わせながら神尾は私にそう訪ねた。敬語になってる。橘君にでも指導されたのかなんなのか。心の中でぼんやりごちてから、彼の足へ目を落とした。足を擦りむいたらしい。ああ、と私は頷く。「それならここで待ってて」彼は不思議そうにしていたが、素直に近くの階段に座ったのを見届けてから私は本部棟へと入って行った。 それから私は救急箱を抱えて神尾の元へ戻ると、彼はギョッと目を見開いた。まさか私が手当をするとは思わなかったらしい。 「不服そうだね。きちんとした医務室はあるけど、こっちのが手っ取り早いと思うよ」 「…は、はあ、」 「嫌ならやめる」 「あ、いや、そうじゃなくて、」 「何、意外?私も一応マネージャーなんですけど」 とりあえず私が手当をして良いらしいので、口を動かしながら傷口を消毒して、手早く包帯を巻き始める。そうしているうちに途中から神尾が黙り込んだので、チラリと顔をあげると、しっかりと目があって、神尾は慌てて顔を俯かせた。なんだこいつ。 「…て、手際いっすね」 「これくらい普通だよ」 はい、終わりとワザと手当したところを軽く叩くいてやった。神尾は困ったように小さく笑って肩をすくめてから礼を告げた。もう彼と面倒な口論はしたくなかったので、怠い身体に鞭を打って、なんのなんの、とほんのり笑顔を作る。きっと立海のメンツにやったら気持ち悪がられるに違いない。 それから私は赤也にやるいつもの勢いで、彼の頭をぐしゃぐしゃと撫でながらガンバんなと声をかけてやる。普段、赤也限定でやっていたものだったから神尾に対してはあまりに馴れ馴れしかったかと、癖で伸びてしまった手に、罰の悪さを覚えた。しかし、彼の表情を伺う前に、彼は急に立ち上がって、かと思えばがばりと頭を下げたのだ。 「その、言い忘れてましたけど、この前は生意気言ってすいませんでした!」 この前、とは多分私と初めてあった時の態度の事を言ってるのだろう。慣れてるから良いのに。 それより彼の赤い耳を見るに、どうやらさっきのは不快に思われなかった、という事に安堵した。赤也同様割と純粋な子なんだろうなあと、ぼんやりとする頭の中で他人事のように考える。 「男の子は生意気なくらいがちょーど良い」 グッと親指を出して私は頷いた。いくら疲れていると言っても対応が適当にもほどがある。しかし悪いな神尾よ。他にも仕事は沢山あって君だけに構っているわけにもいかないのだ。私は「赤也と仲良くしてやってね」と自分でもわけの分からない別れの告げ方をして、さっさと本部棟へと逃げ込んだ。 さて、今のうちにタオルの洗濯をしなければなるまい。確か浦山君達がやっているはずだけど、彼らだけでは手が足りないはずだ。まあ私が増えたところであまり変わらないだろうが。データをとったノートを自室に放り投げてランドリールームへ急ぐ。そこでは案の定三人が目を回してタオルを運んでいたので私は小さく息を零して助太刀に入った。 そうしてお昼休みに入る頃には正直クタクタだった。いや、朝からクタクタだったけども。昼飯を一緒にどうかと千石君から執拗なアプローチを受けたが、食欲もなかったため、早々に自室のベッドへ倒れこんだ。昼は一時間休憩があるから、その時間はもう睡眠に使って体力を取り戻してしまおう。一日お汁粉だけで過ごした時を思い出せば腹の空きようはなんとでも我慢できる。 そうして、私はすぐに夢の世界へ誘われて行った。 ▼ それからどれぐらい経っただろうか。ふと目が覚めた私は、壁の時計へ視線を移す。目に入った時刻に途端に冷や汗が吹き出た。 「よ、四時…だと…!?」 窓から差し込む光りも僅かに赤みがかって日が落ち始めている事を示している。12時から眠り始めたのだから、私は四時間も眠りこけていたという事になる。今日のノルマの一つの中学生同士の対戦のデータを二つ取る事は当然やれていないし、食堂の掃除も終わらせていない。掃除くらいなら堀尾君あたりが気づいてやってくれていそうなものだが、いや、違う。そういう問題ではない。仕事もまともにこなせずに眠りこけてしまうなんて。今までこんな事あっただろうか。不真面目な自分がどうしてここまで焦っているのか自身でもよく分かっていなかった。しかし妙な焦りと苛立ちが意識を支配して、次の瞬間には私はベッドから跳ね起きて自室を飛び出そうとしていた。 「…っ!?」 だが、踏み出した足に力が入る事はなく、ぐらりとバランスを崩した私は、そのまま床に倒れこむ。身体は昼の時以上に重くなっていた。 「困ったなあ…幸村や跡部にまた呆れられちゃうよ」 私はのそりと身体を起こして、自嘲気味に笑う。あまりふらふらしていたらそれこそ自己管理もできないのかと笑われてしまう。それだけは勘弁だった。だってなんか悔しい。あくまで平然を装って、番長を探す。きっと私がいなくてキレているに違いない。そんな時、早速堀尾君の姿をラウンジで見つけた。 「あ、先輩っ!もーどこに行ってたんですかっ」 「あー堀尾君、ごめんごめん。秘密の特訓をしててだね」 「先輩いなくて大変だったんですからね!番長さんカンカンですよ!」 確かに私しか道具や場所を把握できていない仕事も沢山あっただろうから、堀尾君達にも相当迷惑がかかったに違いない。申し訳ないと思いながら、何故か悔しくて素直に頭を下げる事ができない。へらへらとした笑みを浮かべながら、番長はどこだろうとコートの方へ探しに出るなり、私は誰かに首根っこを掴まれた。ああ、もう見つかったか。 「今までどこにいやがった!このすっとこどっこい!!」 「やだなあ、そんなに怒らないでくださいよ、ばんちょ。私、目立つの嫌いなんです」 コートにいた中学生高校生の目が全て私へ注がれる。困ったなあ。私ってばカッコわる。番長はガチでキレていらっしゃるようで、私の舐めた態度に、手を振り上げて、頬に平手をかました。どよっと周りがざわめいた。熱くなる頬に、私は小さくため息をつく。痛い。ソノちゃんにもそういえばこんな様な感じで平手を食らったことがあったっけな。 「今までどこにいた」 「自室で休憩してました」 「ふざけてんなら帰りな」 「ふざけてませんよ。これが私の普通です」 「…ああ、そうかい!こんな生意気なガキ、誰が面倒なんて見てやるか」 何故素直に謝れないのだろう。私の何がそうさせているのだろう。ただ自分が情けなく感じて、悔しく思えて、喉の奧から苦い何かがせり上がってきた。それを下唇を噛んでやり過ごす。 「素直に謝ることもできないなんざ、齋藤コーチの飛んだ見込み違いだ」 もう勝手にしな、冷たい言葉を突きつけられて彼女は踵を返し、室内に姿を消した。私はしばらくその場に佇んでいたが、とうとう周りの視線に耐えきれなくなり、ふらりと歩き出した。そこにすかさず私の行く手を塞いだのは幸村である。ちらりと顔をあげると、彼は私が怒られた内容を全て把握しているらしい事が見て取れた。 「お前らしくない」 「私らしいって何さ」 「普段こんな失敗はしないだろ、は」 「…だって私、めんどくさがりやだもん。仕事なんてやってられないし」 「せっかく朝は褒めてあげたのに」 「私は別に凄くもなんともない。私なんて、いくらでも代わりの利くマネージャーだ。皆私を買い被りすぎなんだ。どうせ今の番長みたいにすぐ気づく」 「、」 「勝手に期待したのはそっちなのにね、めんどくさい」 何をムキになっているのか。幸村に掴まれそうになった腕を引いて、一歩後ろに下がると、幸村が困ったように眉尻を下げたのが見て取れた。もう後に引けないくらい馬鹿な台詞を並べている。頭が熱くてぼんやりとした思考の中、自分へのやるせない気持ちだけがはっきりと見えていた。 「おい、少し落ち着け」 跡部が後ろ方私の頭を軽くはたいた。こいつにバカにされるのが嫌で、私は無理をしていたというのに、結局こんなダサいところを見られた。もう私は何をしているのだろう。ぐしゃりと髪を乱してから、唸るように「落ち着いてらあ」と呟いた。 その時だ、跡部が何かに気づいたように、「お前…」と口を開きかける。それにハッとして、私は二人を押し退けて歩き出した。 「やってない仕事があるから」 「おい待て、!」 「待ちません。一分一秒が惜しい。巻き返さなきゃどうせまた後で怒られるんだ、だから、っ…」 それが私の限界だったようだ。踏み出した足がぐらりとバランスを崩す。次第に抜けて行く力と、薄れて行く意識に、またかと我のことながらに飽きれてしまった。それから誰かに身体を受け止められた感覚を最後に、私は意識を手放したのである。 やっぱり熱なんて意識してもしなくてもキツイものはキツイんだなあ。 スローモーション。すべて真っ黒だ。 (お前って本当に馬鹿だな)(俺にどれほど心配かけさせれば気が済むの) ←まえ もくじ つぎ→ ( 八夜に相談してマネジの着地点を見つけました笑 / 130623 ) |