「随分酷な事するんですね」


モニターに映し出された桃城と鬼十次郎との試合をぼんやりと眺めながら、私は隣にいる齋藤コーチにわざと聞こえるようにそう呟いた。桃城が得意とするジャックナイフを打ち砕く、ブラックジャックナイフなんてものを持つ鬼とぶつけるなんて。
「全ては彼らを成長させるためのものです」彼はにこやかにそう返したが、はたしてどうだか。そんな事ではなく、本当は中学生を黙らせるのが目的の合宿なのではないか。
両手が使い物にならなくなってもなお闘い続ける桃城の姿は見ているのが少々辛かった。鬼に負けてコートに仰向けになる彼の姿を最後に私はモニターから、黒部コーチへ視線を移す。


「それで、私はなぜここに呼ばれたんですか」


そう。私は木手君と別れた後、私を指導するトレーニングマネージャーの一人に、データの取り方を教わっていたのだが、すぐに本部棟に戻るようにと呼び出されたのである。まったく、人をあちこちに走り回せていい気なものだ。


「君を呼んだのは一つ目に…まず君にこの場所を知ってもらうため。まあ、あまりここに用がある事はないと思いますが、我々は基本的にこのモニタールームにいるので、私達を探すのであればここに来るといい。頭に入れておくように」
「…はあ、」
「それから、さんは今の桃城剛対鬼十次郎の試合を分析して報告書として出すように」
「…え、はいいい!?え、ちょ、本気ですか」
「ここで嘘を言って何かメリットでも」
私が喜びます
「明日の朝一で私に提出してください」
「無視かよ!」


つうかそういうのは今度から先に言っていただけると嬉しいのですが。とは心の中で文句を吐き散らかしたが、口には出さず、唸った私は渋々小さく頭を下げた。残ると決めたのは絶対私のチョイスミス…!
そんな私の気持ちもつゆ知らず、黒部コーチは、それではもう結構ですと、私を外に出るように促した。シャッフルマッチに続く練習メニューが始まるらしい。どうも齋藤コーチが担当するようだ。彼は私とモニタールームを出ると、私とは逆の、階段の方へ進んで行った。ここの人達は上から指示を出すのが好きである。


「お、さん、どこ行ってたん?」


外へ出ると入口近くにいた白石君が私に気がついた。「ああ、まあ、ちょっと」誤魔化す必要はきっとないのだろうけれど、皆とその場で感情を共有しなければならないであろうマネージャーであるこの私が、モニタールームから、まるで高みの見物のように試合を観戦していた事を知られたくなかったので、私は適当にお茶を濁したのだ。白石君は少し怪訝そうな顔をする。しかし、彼が何かを問う前に、齋藤コーチが、本部棟の上からひょっこりと顔を出した。
彼はあの背の高さ故に壁に頭をぶつけていたが、ざまあとしか思えない。


「いてて…。ええと、おはよ。U17メンタルコーチ、はい齋藤でーす」
「なんや、次のメニューかいな」
「…そうだね」
「…さん、」
「え、何」
「いや…やっぱ何でもあらへん」


一瞬白石君が、私の何かを探るような視線を寄越して来たが、それは気づかないフリをした。こんなところで余計な体力を使いたくない。何だか知らないが、深追いして来ないのならば、私もあえて変な事を言わない方が良いだろう。


「まずは2人組を作って下さい」


誰とでも良いですよ。
私と白石君が話している間に齋藤コーチは話を進めていた。周りはやっとダブルスができるとばかりに騒いでいる。白石君も、パートナーを探しに行こうとしていた。


「ダブルスねえ、はてさてどうだか」
「…どういう意味や」
「あの人は人の心をかき乱すのが上手な方ですから」
さん、齋藤コーチの事、知っとるん、」
「それじゃ、パートナー探し頑張って」


次のメニューが始まったら私はなるべく多くの中学生のデータを取るようにという課題が出されている。油を売っているわけにはいかないと、彼の言葉を遮って、その場を退散した。別に、説明が面倒とか、そういうわけではないのである。毎回そうやってごまかしているが、本当に違うんだからな。
ダブルスだと騒ぐ菊丸君と大石君を横目で伺いながら私は小さくため息をついた。


「…では、シングルスの試合の開始です。負けた方は脱落という事で」


途端にざわめき出す皆に、やはり私はあーあと息をつく他なかった。

ほれ見たことか、アホどもが。







かくして同士討ちが始まったわけであるが、それはデータ取りの素人である私にも分かった。皆が明らかに動揺している事が。私だって、感情を押し込めているだけで、皆と同じであった。仁王、柳生ペアの試合を観戦しながら、ノートに鉛筆を走らせる。


「ほう、貴方がデータ収集とは。感心ですね、さん。んふっ」
誰だアンタ
「誰、ですと…?あ、貴方はそれでもマネージャーですかっ…聖ルドルフの観月はじめです、覚えておくように!」
「悪いんですけど、今試合見てるから静かにして」
「…貴方ごときに、屈辱的ですね…!」


むきーなんて騒いでいる観月の隣で、パートナーらしい乾君がまあまあと彼を宥めていた。全国大会ではミイラ男みたいで怖かったけど、実は彼はそれなりに優しい人らしい。
まあそんな事はさておき、そのまま記録を書き進めていると、ふと今度は逆側から視線を感じた。


「随分と険しい顔でデータを取っているんですね」
「木手君か。よく会うね。まさか貴方ストーカーですか。殺し屋の異名も伊達じゃねえな!『お前を殺して俺も死ぬ!』」
「同じ合宿にいるのだから会うのは当然でしょう」
君っていい人みたいだけど、ツッコミはできないの?


私は肩を竦ませて、木手君へそう切り替えした。しかしそれには答えず。彼は「茶化さずにこちらの質問にも答えなさいよ」と言う。だから私は彼の隣にいる、そしてこちらを伺っている甲斐君の方を覗き見た。


「険しい顔なら、彼も負けてませんけど」
「な、俺は別に…!永四郎ー!コイツといつの間に仲良くなったんばあ?!」
「仲良くなったつもりはありませんが」


甲斐君は私が相当苦手と見た。私と木手君が話し始めてからずっと顔を引きつらせている。まあ全国大会一回戦の日の助けてもらった時も、あまり友好的なやり取りはできなかったしな。それを取り繕う気はないが、試しに甲斐君へへらりと作り笑いを浮かべて見せると、案の定彼は嫌そうな顔をした。


「やーはそうやって、すぐに、」
「甲斐君は黙ってて下さい。さんも私の質問に答えるだけで良いのに、どうしていつも話をややこしくしようとするんですかね」
「性分なもんでー」
「そうやってふざけて誤魔化しても無駄ですよ」


「何を焦ってるんですか」木手はノートに鉛筆を走らせ続ける私の腕を掴んだ。何も考えずにひたすら文字を書き込んでいた私は、自分の手が震えていた事に気づく。


「…別に」


私がそう言って自らの手をおさえるのて同時に、試合終了のコールがかかった。柳生が勝った。互いに全力を出し合っていただけあって両者とも清々しい顔をしている。ぐっと唇を噛み締めて、ノートをとじると、もう用はないと私はその場を去ろうとした。


「貴方の思考は単純で読みやすい。まるで幼い子供同然です。しかし奥底の暗闇には手が届きそうで届かない」
「それは私を貶してるのか」
「褒めてはいませんよ」


ふざけるように発した言葉も、すべて彼にいなされてしまう。まっすぐにこちらを見つめる木手君に、べ、と小さく舌を出して、「次行くわ」と手の代わりにノートを振った。もう私を止める人はいなかった。

再び、コートの仁王と柳生を横目で伺い、すぐに視線を足元に落とす。



この合宿は「私達」の心を脅かす。それが成長のために良いことなのか、悪いことなのかはもはや私には分からない。しかし、私にとっては必ずしも良いわけではないことは、口に出さずとも明らかだった。



聞こえない声にこの胸掻きむしられるだなんて愚かだと笑いますか
(それでも彼らを置いて逃げることもできないのです)

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( 出張版の推しメンは木手 / 130519 )