![]() 「さんはさ、が嫌いなの?」 原西が部室を出て行った後、俯くを前に俺達は何とも言えない気まずさを感じていた。そんな中、早速と言わんばかりに口を開いたのはやはり幸村である。きっと今の状況を誰よりも理解し、原西と同じように何かしら解決策を考えているに違いなかった。 俺は口を固く閉ざしたを見つめる。幸村の問いに答えようとする気配はなかった。しかし答えは知っている。 がの事が嫌いなんて、あり得なかった。あんなに仲が良かったのだ。あれが全て嘘だったなんて、それこそ信じられない話である。それにを責めるはどこか悲しげに見えた。あんな辛辣な言葉は彼女の本音ではないのだ。 だが分かりきっているとは言え、の口から聞かなければ意味がなかった。また彼女に逃げられては解決になど辿り着けないのだ。 「黙ってるということは嫌いじゃないんだね」 「…っ…嫌いなわけ、」 嫌いなわけない。 耳をすましてようやく聞こえる程の小さな声で、は呟いた。「そっか」幸村は安堵に似た息を漏らした。しかし、黙っていられなかった赤也がじゃあ何で!とに食ってかかる。しかし彼女も怯んではいなかった。 「アンタ達のせいよ!!」 キッと顔をあげたに、赤也は勢いに押されて一歩後退る。「アンタ達が…!」 「アンタ達がいなかったら、こんな事にならなかったんだから…っ」 「……。どういう意味だ」 口を開いたのは真田だった。彼はいつも以上に眉間にしわを寄せ、ぺたりと下に座り込んだ彼女を見下ろしている。ぽたりぽたり、と彼女の頬を伝う涙が、地面に丸く染みを作っていた。 「…皆が、羨ましかった」 「俺達がか」 「…そうよ」 はそれから少しずつ、昔の事を話し始めた。 とが出会ったのは小学校5年の時。今以上に誰とも付き合わず、孤立を決め込んでいたは、昔彼女といざこざがあった奴に仕返しとばかりに苛めのターゲットにされたのだとか。 クラスの誰一人、の味方はいなかった。 周りの人間に自ら境界線を引いて遠ざけたのが裏目に出たのだ。苛めはエスカレートし、ついには4階から突き落とされそうになった。しかしそこに助けに入ったのがだという。その時は彼女も彼女であまり周りの人間とつるむ様な性格ではなかったらしいが、それはどうも彼女は喧嘩にめっぽう強くて周りが避けていたからそうだ。 それからはを気に入り(恐らくが一匹狼ということもあっての事だろう)、彼女が進むと言った立海にまでついて来た。 「依存していたのはじゃない。私の方だった。あの子ならずっと私について来る。そんな妙な確信があった――でもね、」 変わったの。そう一言呟いて、彼女は頭を垂れた。 「立海に入学して、それから、は私と同じ部活か、帰宅部にでもなるんだと思ってた」 「しかしテニス部に来た、というわけだな」 「初めは自身、部活はやりたくないって言ってた。まあどうも親に絶対入れって言われてたみたいだから、渋々探してたみたいだけど」 しかしそれならどうしてテニス部なんて入ったのだろう。ここはからしたら絶対に入りたくない部類の部活に違いない。俺は試しに問うてみれば、は「そこなの」と自嘲気味に笑って言った。 「が変わり始めたのはそこよ」 「…部活に入ってからって事ッスか…?」 「その前。テニス部を見に行ったらね、凄かったんだって。普段何にも無関心なあの子がさ、目を輝かせてそう言ったの。そしてそこで言われたんだって。『君が入部してくれたら嬉しい。同じ部活に君みたいに、本当にテニスを面白いって、感じてくれる子がいたら良いな』って」 「…」 「まあその男子が卒業してる先輩なのか、はたまたここの中の『誰か』なのかは今は良いとして、それではテニス部に入ったのよ」 そんなの誰にでも言っている勧誘文句に過ぎないだろうに。吐き捨てる様には小さく付け足した。 ……に声を掛けたのはこの中にいるのだろうか。まず赤也はいなかったらあり得ない。仁王はそんなこと言わないし、真田だって自分から声を掛けるだろうか。ジャッカルも基本俺といたからに会っていたら俺が分からないわけない。柳生か、柳…いや、――幸村?…なんて、先輩の可能性もあるだろうし、考えても仕方がないのに。 それからは俺達を見回して、そしてゆっくり口を開いた。 「『髪の赤い男子が頻繁に話しかけて来る』『銀髪に騙された』『新入生が生意気で可愛かった』『帽子男にぶたれた』『本を借りた』『花について教えてもらった』『皆にお祭に誘われた』」 「…」 「…の話の中に、少しずつアンタ達が増えていった」 羨ましかったの。再び彼女は言った。 自分がそばにいたはずなのに、いつの間にか自分の隣りにいなかった。しかもは、の性格を直そうとしていた時期があったのだとか。しかし何もできなかったのだと。それなのに『テニス部』はをどんどん変えていった。いつも隣りにいて、彼女を良く変えていけるテニス部が羨ましいと、彼女は言った。 「私は彼女のただの逃げ場になったわ。つまり私がいる限りエゴから抜けられない事にも気付いた」 「だからワザと突き放したのかよ」 「俺はむしろエゴに戻ったと思うけどね」 俺に続き幸村は言葉を発した。は唇を噛んで悔しげに幸村を見上げる。彼は困ったような、そしてどこか呆れた表情を浮かべたまま、後ろの壁に寄り掛かる。ふっと息が吐かれた。 「逃げ場ってそんなに駄目なのかな」 「…は…?」 「ていうか、俺は友達ってそういうもんだと思うけど」 誰かに嫌な言葉をぶつけられたらそりゃあ逃げたくなる。一人で耐えようとするなんてそれこそ馬鹿げていやしないか。そんな時に頼るのは間違なく友達で、そもそも友達に助けを求めるのは、その友達が裏切らないと信じているからだ。言ってしまえば友達こそが安心できる『逃げ場』じゃないか。 「影で自分の悪口を言っている様な信用できない奴に相談なんてしないだろ」 「…」 「確かには逃げ込んだ先に閉じこもる駄目な部分はある。でもさ、それはが直さなくちゃいけない話で、さんの問題じゃないし、むしろ君はにとっていなくちゃいけない『友達』なんじゃないのかな」 君がいなくなったらは誰を頼りにするの? 幸村の言葉に、はくしゃりと顔をゆがめる。でも、と震える彼女の唇が反論を紡ごうとした。「私がいなくても幸村君達がいるじゃない」 「そう。じゃあ俺がいなくてもブン太がいるし、ブン太がいなくなっても仁王がいるからは大丈夫ってことだね」 「…」 「違うよね。友達ってそういうものじゃない。俺達一人一人の代わりがいないのと同じように、さんの代わりだっていない。自分を支えてくれる友達が一人さえいれば後はいなくなっても良いとか、そういう話じゃないことくらい、さんも分かってるだろ」 「…っでも、」 「…――ていうかはっきり言って、俺達からしたらさんの方が羨ましいんだけどね」 「なん、で」 「だって、アイツは自分の事とかあんまり話さないし、確かに苛めの話は皆に言う様な内容じゃないけど、今回みたいな大事になっても話してもらえなくて、知らなかった。でもそういう部分はさんは俺より知ってるだろ。悩みも聞いてあげられる」 にこりと微笑んだ幸村。しかし自身は、たかがそんなこと、とでも言いたげな表情を浮かべている。そんな様子に耐え兼ねて、俺はついに口を開けた。 「言っとくけどな、お前が羨ましがってることも俺達からしたら『たかが』だぞ」 「そうだね。大体さんがを変えられていないとは微塵も思わないけど」 確かにそうだ。 原西から聞いた事があったが、合宿の時にはわざと参加できないと嘘を吐いたらしい。言って見れば彼女のそういった気の利かせ方が彼女を変えるきっかけになったのだ。 「まあそんなことよりさ、今ちょっと俺の癪に障ってるのってさんより、実は原西なんだよ」 相変わらず爽やかな笑顔を纏ったままあっさりと言うもんだから、を含め俺達は唖然としてしまった。原西? 「だって何気に頭回るし、はっきり言ってアイツの『おかげ』の部分て多いと俺は思う。おいしいとこ持って行かれすぎて悔しいけど」 「あー…それはまあ、そッスよね」 「だからさん、嫉妬の相手は俺らじゃなくて」 「ちょっと待ちなさいよ。どーしてそういう話になるわけ」 バン、と乱暴に開かれたドアに、俺達の視線は自然とそちらへ向く。その先には目と頬を真っ赤に腫したとご立腹気味の原西がいた。「どうせ聞き耳でも立ててるかと思ったから」そう嫌味のカケラモなく言ってのけたのはもちろん幸村だ。この様子だと、どうやら彼女達は俺達の話を大分盗み聞きしていたらしい。 「ホント良い性格してるわ。…――まあいい。ほら。これで分かったでしょ」 皆アンタが好きだってこと。 原西に押されてフラフラとの前へ歩み出たは、自分に向かい合うその顔を見るなり、彼女へ思い切り飛び付いた。 「わああああん、が一番だってば馬鹿あああ!こんな男供の足元にも及ばないよわあああん」 「あー何か俺余計腹立ってきたわ」 「今は抑えろ精市」 俺も腹立たしさを超えて呆れてしまった。まあ何はともあれ、無事仲直りして良かったというか、何というか。 原西は事の次第を見届けて、ふっと表情を緩めると、俺達に背を向けてその場を立ち去ろうとした。しかしはそれを引き止めた。 「ゾノぢゃん…あ゛りがど…ござまず…!」 なんとも情けない謝り方である。原西も、こちらに振り返った表情にやれやれと書いてある。 彼女は「もう私に迷惑かけないでよね」とだけ言い残して、今度は本当に帰って行った。 とか何とか言って、また何かあればアイツは助けに来るんだろうな。出て行く彼女の背中をぼんやり見ながら、俺はこっそりと心の中でごちたのだった。 かくしてこの騒動は幕を閉じるのだが、俺達というか、『俺』の日常に平穏なんてまだしばらくやってこない事を、この時の俺達まだ知らない。 それでも空は青かった (俺達が泣こうが笑おうが)(つか、先輩頬腫れてますよ)(ああ、ソノちゃんにぶたれた)(あの人俺には釘打ったくせに…!) ←まえ もくじ つぎ→ ---------- 次は丸井お前だぞ!フラグ 130227>>KAHO.A |