秋の記録:04


丸井がソノちゃんと仲良くなった。それは私にとってかなり衝撃的な事実だった。
ソノちゃんは、――まあ良い人かどうかはおいておくとして、私達に害を与えるような人間ではないと思う。その事は多分、丸井以外の全員が理解しているし、だから丸井もあんなに毛嫌いしなくても良いのにと、ずっと私は思っていた。彼女と話す事さえ拒もうとするのは丸井だけだったのだ。それなのに、あの丸井が、最近頻繁にソノちゃんと話す様になったのである。それだけでなく私がいくら会話の内容を聞いても丸井は口ごもるだけだし、挙げ句の果てにお前には関係ないだとか、大した話じゃないとお茶を濁すものだから気になって仕方がない。


、何怖い顔してんだよ」
「…」


よりによって何でソノちゃん。何が「よりによって」なのか自分でもよく分からないのけれど、そんな言葉がぽつりと浮かんだ。
を避けるようになってから、私は丸井と行動を共にする事が多くなったけれど、そのせいで丸井の行動が余計に目につくようになった。しかもアイツは変な所鋭い癖に、自分では隠し事が苦手なタチで、見え見えの嘘をつくから困る。


「おい、話があったんじゃないのか」


黙りこくる私に、ついに痺れを切らしたか、ジャッカルは眉を潜めて私を見た。悪いとは思っているが、そう急かさないで欲しい。私は丸井の事ならジャッカルが一番分かっているだろうと踏んで、見かけるなり後先構わず彼に声をかけたわけだが、自身でこの感情がなんなのか全然分からないのに、他者に話してどうにかなるのかと、それが口を開くことを思い止まらせているのだ。


「…ジャッカルさあ、ソノちゃんの事好き?」
「はあ?」


何だその質問は、とでも言いたげなジャッカル。その反応は予想の範疇さ。彼は、まあ普通だけどとぎこちなく答えた。多分こういう質問に慣れてないのだと思う。そんな彼にそれじゃあ、と次の質問を繰り出した。…丸井はどう思ってるかな。


「アイツか?快くは思ってねえと思うけどな」
「どうして」
「そりゃ、原西はお前を陥れようとしてたわけだしな」
「…ふうん」


確かに前の丸井だったら、即座に「嫌いに決まってんだろい」と答えると思う。しかし、今はどうだろうか。ソノちゃんと仲良いじゃないか。私の言葉に、ジャッカルはああ、と頷いた。確かにそうかもな、と。やはり私の思い過ごしでなかった事に、少なからず肩が落ちる。どうしたんだ、何でこんな落ち込んでるんだろう私。


「つーか、お前そんな事気にしてんのか。らしくねえな」
「私もそう思う。何だろうこの感情」


顎に手を当てれば、ジャッカルは苦笑して私の頭に手をのせた。多分あれだと思うぞ。口ぶりからしてジャッカルは答えを知っているようである。あれって何。


「ブン太が好きなんじゃねえか?嫉妬だぜ、きっと」
「は?好き?」
「…は、―例えば、ブン太といて緊張とかしないのか?…してるようには見えねえけど」
ぜんっっぜん
「…だよな」


丸井が好き?馬鹿言うな。もちろん友人としては好きな部類に入るだろうが、彼の言い方的に、恋愛としてだろう。はっきり言って「恋」だの「愛」だの言う曖昧な感情なんて私は大嫌いだ。それなのに丸井にそんな感情を抱くのは失礼だろう。私が感じているこの感覚は、もしかしたらジャッカルの言っている、それにかなり近いのかもしれない。しかしそんな不安定なものではないと、思う。私の台詞に彼はとんでもねえなと呟いた。


「…まあ、確かにお前が恋愛なんてそうぞうできねえしな」
「…」
「わっかんねえけど、多分、はアイツと特に仲が良いから、急に仲良くなった原西に嫉妬してんじゃないのか?」


嫉妬。嫉妬…ううん、嫉妬?財前とも前に嫉妬やらなんやらの話をした事があるけれど、実際その感情というのも良く分からない。これがその「嫉妬」ってヤツなんだろうか。そう首をひねった時、私は突然背中にタックルを喰らい、私は前によろけた。危ないな、口を尖らせて振り返った先には、タイムリーな事に丸井がいて、ニカッと笑いながら何話してんの?と私達の間に割り込んでくる。


「いやな、がお前が原西と話して自分に構ってくんねえって」
「ちょちょちょジャッカル桑原、そりゃちょいと語弊がないか」
「何故フルネーム」
「まあ良いじゃねえか。間違ってないだろ。はっきり言わないとコイツわかんないし」
「だからって」


ちらりと丸井を伺うと、彼は私の視線に気づいて、今まで見たことがないほど温かい眼差しを私へ向けた。「へえお前って何気に可愛いとこあんじゃん」うわああああ何だその目。いきなり羞恥が沸き上がり、自身がいたたまれなくなった。思わず後退りする。そんな私に丸井は「今なら俺の胸に飛び込んでも良いぜ!」なぞとわけの分からない事を言い出す。結構です。


「まあまあ遠慮すんなよ。よし来い!」
いや行かないよ


腕広げられたって行かないぞ。咄嗟に逃げようとして、私は彼に背を向けたが、ふと、向こうからこちらをじっと見つめていると視線が交わった。反射的にびくりと体を震わす。?丸井が怪訝そうな声を上げたが私は振り返らなかった。――やはり彼女は私を睨んでいたからだ。先程まではなかった小さな蟠りが生まれ、一気に拡張する。…、私が呟いたのと同時に彼女は背を向けて行ってしまう。勝手に足が動いていた。後ろで丸井やジャッカルの声が聞こえたが気にせず彼女を追う。


!」


けだる気に振り返る彼女は何、と短く言葉を零した。敵意が剥き出しにされている。そう思っただけでゾッと恐ろしくなり、言葉が喉の奥で詰まってしまった。手も足も一気に熱を奪われたように冷たくなり、強張っていく。あの時と似ている。ベランダから突き落とされそうになった時と。


「…あ…その、は、私が…嫌いなんだよね」


やっとの思いで絞り出した言葉は、私の言いたかったものとは掛け離れていた。彼女の返事はない。静寂が怖い。私がきゅっと手を握りしめると、彼女は息を吸った。「別に?」感情の篭っていない台詞だった。


「私なんかに構ってていいの?丸井君達待ってるんじゃない?」
「…」
ってばいつの間にあんなテニス部を手懐けられるようになったんだか。あー怖い怖い」
「そんなんじゃな…っ」
「は?だいたいアンタみたいなのが何でテニス部のマネージャーやってんのよ。どーせ男子がいるからでしょ」


テニス部の皆が可哀相、まるで作り物の様な台詞に聞こえた。以前先輩マネージャーが虐められているという噂が立った時も、私は陰で似たような台詞を聞いた。しかしの言葉はごてごてと吐き気のするようなテニス部に対して媚びを売る、飾りのついたそれとはまるで違っている。怒りと、悲しみと、それと似た何か。それだけが含まれた言葉だ。
黙り込む私に、は背を向けた。


なんて嫌い。大嫌いだよ」


ずきりと頭が痛む。幸村達に切り捨てられてしまったと思い込んでいた時期の事が思い起こされた。何故同じ事ばかり繰り返されるのだろう。エゴが自分を守る術だと信じていた時の方が私には平穏に思われた。エゴを手放した途端に、見計らった様に誰かが私を傷つける。ぐらぐらと目の前が歪む。以前のはどこに行ってしまったのか。
辛うじて視界に捉えたは、まだ私に背を向けたままだ。


「…逆に聞くけど、アンタだって私が嫌いでしょうが」


ふいに言われたその問いの真意が、私には理解できなかった。ただ分かったのは、彼女の声が微かに震えて、泣きそうだったってこと。







はどうしたの」


幸村が彼女と同じクラスである柳生や真田に尋ねているのを耳に挟んでそちらを顧みた。どうやら午後の部活が始まってから既に30分が経過しようとしているのに、未だにが来ないのだとか。
柳生は帰りのHRの時には確かにいたのですがと表情を曇らせる。


「あやつめ、まさかまだ教室にいるのか」
「どうでしょうね。行ってみるしかないでしょうが、」
「二人とも待って。その前に、」


真田と柳生の会話を遮り幸村が俺達の方へ振り返る。「最近のに関して何か気になる事がある人」先日から原西に忠告されていたこともあり、考えることはやはり皆同じであると俺は周りを伺った。すると赤也がおずおずと手を挙げた。何、赤也。幸村の視線が赤也へ向く。


「…何か、この間、先輩と先輩の様子がおかしいかったッス。先輩が喧嘩腰っつーか」


赤也でさえ気づいたというのか。何故俺は原西に言われるまで気づかなかったのか。幸村は赤也の言葉に頷いた。まるで知っていたかのようだ。否、実際知っていたのだろうが。原西が幸村や仁王は勘が鋭いと言っていたし、俺もそれは思う。


「他には誰かいる?」
「幸村、がどうかしたのか」
「真田君は気づきませんでしたか。最近さんの元気がないのを」
「ああ、それなら何となくは気づいていたが、」


真田はまだそれが今回の事にどう繋がっているか納得が行かないようだったけれど、今は一つ一つを質問している場合ではないのだと思ったらしく、口をつぐんだ。は不安定な時期だからと幸村が言う。原西も確かそんなことを言っていた。…そういえば今日の昼休み、ジャッカルと話していたは急にどこかに走って行っちまったが、これと関係があるのだろうか。確か駆け出す直前に、「」とかなんとか呟いていた様な。まさか、あの後と何かあったのか。


「何か知ってるみたいだねブン太」
「俺、探して来る」
「ちょっと待ってくださいよ。それなら俺も」
「待って赤也。今はブン太に任せた方が良いよ」


幸村の制止に赤也は渋々引き下がる。自身が引き止められると思っていたから、予想外の展開に少し驚いたが、幸村が俺で良いというなら今はそれが良いのだろう。
わりいと呟いて、俺は小走りに部室を出た。

は恐らく教室か屋上にいるだろうと、俺は踏んでいた。アイツは頭は回るが、こういう場面ではかなり安直な考えを弾き出していたりする。もしくは何も考えていない。
一番の可能性としてはA組だと教室の扉を開くと、案の定はそこにいた。窓側の列、前から四番目。それが彼女の席らしい。日も暮れかけており、教室が薄暗いにも関わらず、電気もつけないで、彼女はやはり机に伏せている。


、」


声が妙に響いた様な気がした。はこちらを向かない。何。あの時と同じく、くぐもった声が返された。ここでの事を問うべきか。それともいつも通り接するべきか。俺には分からない。
…幸村ならどうするだろう。


「部活、来ないのか」


俺が取ったのは後者だった。彼女はおもむろに携帯を開くと、それからわざとらしくガタガタッと騒がしく立ち上がった。もう5時じゃないかっ!わたわたと鞄を抱える彼女は、おずおずと幸村怒ってた?と問うた。いや、むしろ心配してた、――とは言わないけど。
彼女は俺の無反応を肯定と取ったらしく、わあああなんて頭を抱える。
見ている限りいつも通りのだけど、しかし無理してそうしているのだと思う。


は、どうして教室にいたんだよ」
「…うええ、実は真田の教科書に落書きしてさあ、言い訳を考えてたんだけど、」


あ、内緒にしてね、なんて笑うは余りにも痛々しい。作り笑いの下にはきっと、合宿の時のように苦しんでいるがいるように思えて、俺は堪らなくなった。彼女を引き寄せて腕の中におさめる。「…やだ」微かにが呟いた。


「私は…こんなことしてもらいたいから、苦しんでるんでも、テニス部に入ったんでもない」
「んな事分かってる」
「分かってない!」


はっと顔を上げる。は俺じゃない誰かに言っている様に見えた。誰かにそういう風に言われたのか。


がそんな奴じゃねえ事くらい皆分かってる」
「…やだ離して!」
「いい加減一人で抱え込むなって、ずっと言ってんだろい!」
「…!」
「俺はお前が心配で、…散々辛い思いしてきたがこれ以上苦しむのなんて見てられねえよ!」


俺の言葉が言い終わるや否や、彼女は今までの比にならないくらい強く、俺を突き飛ばした。微かに震える息。彼女は怒っている。


「ごめん。丸井の言ってる意味が分からないよ」
、」
「私が今以上にどう傷付くって言うの」


顔を上げたの表情は冷たいものだった。俺は知らなかった。彼女がここまで闇を抱えていたなんて。


「私はこれ以上ないってくらいもう限界だよ」


擦り切れそうな心の悲鳴が聞こえてくる。


そうして俺はただ、彼女の背後に迫る夕闇に不安を覚えて。




とっくにキャリーオーバー
(だったら泣けばいい)(気持ちが楽になるまで、全てを出し切ってしまえば良い)

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慌てて書いたからもうぐっだぐだ。
120320>>KAHO.A