秋の記録:03
深い深いため息。きっと誰かが見たら、俺らしくないとさぞかし驚く事だろう。
連日の文化祭の準備はある意味テニスをするより疲れるのだ。まあ、今は重く息を漏らしたくなる原因がもう一つあるのだが。それは俺の机に突っ伏すだった。彼女が昼休みに俺のクラスに来るのは日常茶飯になっていて(…最近は学食に通い詰めらしいけど)、今日も例に漏れずやってきたかと思えば、大好きな焼きそばパンを一口かじったきり、机に突っ伏してしまったのだ。もうあと数分で昼休みが終わるというのに相変わらず顔を上げる気配は伺えない。さらに、何を言っても「んお」なんて未知の言葉で返される。
ところで、は二学期に入ってから急に元気がなくなったが、もしかして今のこれは何か関係あるのだろうか。この間は両親が帰ってきたなんだで、若干嬉しそうにしてたのに。テンションの上がり下がりが激しい奴である。…ツイッターにすら現れないし。
彼女はかれこれ30分近くもこの調子で、俺はどこにも行けず、は話し相手にもならないから、そんな彼女の頭に数学の教科書を載せてみる。しかし彼女からは、あのさあ、やめてくれる?なんてくぐもってはいたが、はっきりとした拒絶で返されて俺はショックを受けた。何だってんだよ、人が構ってやったのに!
俺ももういっそ机に伏せてしまおうかという考えが過ぎった時、ふいに丸井ブン太!なんて俺を呼ぶ声が聞こえた。ああん?振り返った俺は、そこにいた相手に、…うわ、と声を漏らす。


「…原西かよ、何か用?」
「用があるから来たんでしょ」


奴は偉そうに仁王立ちしやがって、俺の前にいるへ視線をずらしてから、俺を手招いた。ちょっと話がある、と。しかし俺は正直コイツが大嫌いで、こう会話をしているだけで腹立たしいというのに、アイツのために教室を出なければならないなんて御免である。けれど、原西は余りに神妙な顔をしたもんだから、俺は仕方なく伏せるをおいて廊下へ出て行った。「いつも一緒なのね」は?
顎でを示す原西は苦笑する。俺が物好きとでも言いたげだ。ああ物好きで結構って話だぜ。


「…てか話って何だよ。お前そんだけのために俺を呼んだのか」
「この私がそれだけで、わざわざアンタに声をかけるわけないでしょ馬鹿ね」
「おま、…殴るぞ
「やれるならどうぞ」


…勝ち気すぎる。なら話は別だが女を殴るのは気が引けるので、大人しく拳を下ろすと、彼女はふんと鼻を鳴らした。本題だけど、と口を開く。


の様子がおかしい事について何か知ってる?」
「…は?…いや、…まあ特には」


コイツがの事を気にしているなんて思ってもみなかった。そういえば、合宿の時もの様子をちょくちょく気にしていたのは原西だったが。それにしても、やはり元気がないのは俺の気のせいではないらしい。がどうかしたのか?原西に聞くのは少しばかり癪だったが、何かを知っていそうなのだから仕方がない。しかし原西の口から出た言葉は「分からないわ」の一言だった。歯痒そうに、それだけを吐き出す。


「私の思い過ごしじゃなければ、多分、近いうちにがエゴに戻るわよ。下手したらエゴの殻から出てこないかもね」
「…それ、どういう意味だ」
「私は理由は知らないけど、今の仲が悪いのは知ってる?」
「いや、」
「まあそうよね。を避けてるから仲が悪い所なんてあんまり見る事ないと思うし」


確かにあの二人、最近一緒にいる所を見かけないが、喧嘩か何かしたのか。全然気づかなかった。そんな事があれば、は俺に愚痴なり相談なりしてくると思っていた。原西は、今あの二人の間に亀裂が入るとまずいかもしれないと言った。は立ち直れなくなるかもしれないと。
いやいや、大袈裟過ぎじゃね。二人は友達なんだからだって喧嘩くらいするだろい。


「馬鹿ね、だから危ないって言ってるのよ」
「は?何でだよ」
「アンタ合宿の事忘れたわけ?は、それが例えその人の本心じゃなくたって、強く当たられたら、それをそのまま受け止めて自分は相手に必要とされてないと思い込む子なのよ?」
「…そうだけど」
「アンタ達に嫌われたと思い込んだだけで、あれだけ苦しんでたのに、今回の相手は、アンタ達よりずっとあの子の傍にいて、テニス部に嫌われても彼女さえいればとまで言わせたって事分かってる?」


今まだ不安定なあの子が完全に壊れるわよ、そこまで言って、原西は頭をぐしゃりとおさえた。確かにそうかもしれないが、ホントにちょっとした喧嘩かもしれないじゃないか。彼女の焦りが尋常ではないから、俺は怪訝そうに眉をひそめた。すると原西は俺の考えてる事を悟ったらしく、小さく息を漏らす。「…確かに私の思い過ごしかもしれないわ」


「…だけど、嫌な予感がするのよね。それに様子がいつもと何か違うし。ああ、それが余計に不安要素になってるのか」
「…ふうん」
が頼れない今、丸井――アンタがの心の支えなのよ」
「…は、俺…?」


勘の鋭さとかだったら幸村も仁王辺りも彼女の助けになるだろうけどね、原西はそう付け加える。だけどそこまで分かってんならお前だっての助けになんじゃねえの?視線を原西から外しへ向ける。「一度を傷つけようとした私の言葉なんて、届くわけないでしょ」らしくない自虐的な彼女の台詞に俺は驚いて前に向き直る。原西は肩を竦めて笑っていた。


「きっと肝心な事はアンタ達にしか分からないわよ」
「…お前、」
「しっかり気配ってやんなさいよ。アンタの親友なんでしょ?あの子から聞いたわ」


原西が教室にいるへ向けた視線は、彼女を見守るのそれに似ていて、俺は何も言えなかった。もしかして原西って良い奴?数分前まではあんなに憎たらしかったはずが、今は考えを改めかけている。…え、俺ってばどうした。あの原西だぞ。良い奴なわけないだろい。しかし彼女を見ていると何だか母親が子を見ているのに似た雰囲気がある。本当に改心したということなのか。


「…お前ってさ」
「は?何よ」
「…何だかんだで、が大切なんだな。俺らと一緒じゃん」
「…は、はああ?」
「ちげえの?」
「違うわよ。なんて大嫌い。だから派閥だって作ったんだし」
「派閥?」
「…あー……こっちの話。とにかく、わけ分かんないこと言わないでよね」
「へーい」


表情や話し方こそいつも通りだったものの、どこか早口だった気がする。すたすたと、恐らくC組に向かっている原西の背を俺は見ていたが、教室から腑抜けた声が俺を呼んだ。まぁるいぃいー。紛れも無くである。やれやれやっと起きやがったか。


「何だよ」
「これ、あげる」
「食いかけか」


俺は席に戻るなり、から差し出された、彼女の焼きそばパンを受け取る。その時予鈴も鳴ったわけだが、…あと5分でこれを食えと。いや、いけるけどさ。
焼きそばパンを仕方なく口に運びながら、はもう教室に戻った方が良いぞと、告げる俺に、彼女は小さく頷いた。じゃあね、開かれたの口からは多分そう出かけていたのだと思うけど、それがすべて俺に届く前に、はぐるりと俺を顧みる。絡まった視線はどことなく睨んでいるように見えた。


「…どうし、」
「丸井さあ…」
「ん?」
「今ソノちゃんと何の話してた?」
「……は、…」


低くなるトーンに俺は口をつぐんだ。まさか、聞かれたか。いや、でもはずっと伏せてたはずだろ。確かに本人からしたら、こんな自身を探るような話不快だろうな。

…とりあえずはぐらかしてみるか。しかし果たして今のに通用するか。
彼女の言葉は最初のそれだけであったが、まるで詰問されている気分だった。俺は閉口するほかない。


「…何、そんな黙らないでよ」
「ああ、わり…」


はすぐにいつもの調子に戻った。困ったように俺を見つめている。怒ってるように見えたから。素直に答えた俺に、はわたわたと顔の前で手を振った。まるで何かをごまかすように。


「お、怒ってない怒ってない。ただちょっと、…気になっただけ」
「…そっか。ま、別に、大した話じゃねえから」
「…うん」


まだ煮え切らない様子だったが、本礼がもう鳴ると分かっていたので、彼女は教室を出て行った。

さて、理由がなんであれ、に何かしら変化が訪れているのはあながち間違いではなさそうだ。




雑音だらけの心臓で
(…丸井とソノちゃんて、仲悪かったはず、だよね)

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ソノちゃんとブン太の会話はこの話の3分の1にまとめようとしてたはずが、一話分に…!
ていうか、最近の立海マネジ読み返すと全然面白くないな。何かが違う。なんだろう。
120319>>KAHO.A