秋の記録:02
の様子がおかしいことは今に始まった事ではなくて、私が合宿から帰ってきた辺りからずっと変だったのだけれど、最近になって態度が豹変したように思う。当然私にはその理由が分からないし、だいたい分かっていたらとっくにどうにかしている。そうして対処法が分からぬまま、悶々としていうるちに、私達は、否、私は彼女となんとなく距離をおくようになってしまっていた。


「あ、せんぱーい!」
「ああ、赤也」
「どしたんスか?すんげー眉間にシワ寄ってますけど」


幸村にでも用があるのか、三年の廊下に現れた赤也は私を見つけるなりそばに駆け寄って来る。相変わらず元気な子だと、自らの眉間を人差し指でぐりぐりと押す赤也を見て私は苦笑した。何でもないんだ、ちょっと今日の夕飯の事を考えていてね。今日はシチューなんだって、私がそう適当にごまかすと、彼はいッスねーなんて笑った。ああ、それよりこんな所でどうしたの?


「あーそうそう、俺と丸井先輩とジャッカル先輩で、この間文化祭の買い出しに行ったじゃないですか。そん時のレシート渡すのすっかり忘れてて」
「ああ、部費で落ちなくなるからなるべく早く渡せって言ってたもんね」
「俺今日、クラスの出し物の準備もあって、部活ん時に渡せないかもしんないんで」


そう言って赤也は、すんません、と何故か眉尻を下げた。私に謝る必要がどこにあったんだろうか。疑問に思いながら彼の手からレシートを取ると、私は渡しておこうかと首を傾げた。どうせ文化祭の事で幸村に呼び出されてたし。とりあえず幸村に渡せば良いんだよね。あ、会計なら柳の方がいいのか?


「それなら最初に部長に見せた方がいいって丸井先輩に言われました」
「…丸井が自分で行けば良いのに」
「ですよね」
「後輩って大変だね」


そう言った私の台詞に赤也はぎこちなく笑い返した。まあ私が渡しておくよ、指に挟んだレシートを私はひらりと揺らす。しかし赤也はいや、と私を引き留めた。「俺も行くッス」…ああ、そう?まあどうせここまで来たんだしね。頷くと赤也は私の後ろに続いた。

C組に赴いた私達は教室を覗けば、そこに幸村の姿は見当たらなかった。「いないねえ」「ッスねえ」そして沈黙。やはり私が渡しておこうか、そう言いかけたその時、ふいに肩を叩かれたから、私はそちらを顧みた。ハッと、息を呑む。


「やほー、どうしたのと切原君」
「あ、先輩どもッス」


幸村君なら屋上庭園じゃないかな、人差し指で上をさして彼女はそう言った。いつもの、である。いや、この場合は私が合宿に行く以前の、と言うべきか。『いつもの』はもはや私が苦手とする人間となっているのだから。
彼女は一体何を考えているというのだろう。この間、彼女がちらりと見せた敵意は何だったのか。そう思考を巡らせている私の手から、ふいにレシートが抜き取られた。文化祭の買い出し?が問う。


「布、布、布…アンタ達、布しか買ってないじゃん。何、劇でもやるとか?」
「実はそうなんスよ」
「へえ、題目は?」
「シンデレラッス!」
「…はあ?」


このメンツで?怪訝そうに眉を潜める。予想通りの反応。そんなを他所に、赤也は上機嫌にへへんと胸を張って見せた。実は演劇も題目も、先輩が提案したんスよー。私はギョッと赤也を見つめる。確かに私が提案したものだけど、幸村に話題を振られたから適当に答えただけなのだ。今年は講堂が使いたい、なんて言われたら脳足りんな私は安直にも演劇やれば、なぞと提案し、では題目は?となればその時ふと思い付いたシンデレラと言った。まさかあの部活で私の意見が通るなんて微塵も思っていなかったから適当に答えたわけだが、そうも胸を張られると申し訳なくなる。


「へえ、珍しいわ。がねえ。…何、アンタももしかしてシンデレラ役とか?」
「へ、いや、違」
「残念ながらそれは俺ッス」
「ああ、むしろ良かったんじゃない?」


は?赤也が目を見開いた。その場の空気が、少しだけ変わる。瞬時に分かった。ああ、私の歩が悪い方に傾いたのだなと。の口元が厭味たらしく歪められた。「この子にそんな役似合わないって」こんな言葉、ソノちゃんに言われ慣れてるのに、それとは違う。ほんの少しだけ敵意に似た何かが入り混じった嫌な言葉だ。
逃げ出したい。けれど、どうしたら良いか分からずに、自分の足元をじっと見つめた。…私今まで自分の事どうやって守ってきたっけ。どんな人でも切り捨ててきたけど、にはそれができない。怖いのだ。何故か分からないけれど。――嫌われたくない?それもあるのかもしれない。だけどもっと別の、――


「何よ暗い顔しちゃって。…もしかしてシンデレラやりたかったとか?」
「……。そういうわけじゃ、」
「あははってばキャラじゃないって!あ、ホントはそういうちやほやされるの好きな子だったりするわけ?」


自分て、情けなくないか。何も言い返せないなんて。隣にいる赤也は、いつもと違う私達の様子に驚いたらしく、目をしばたかせて交互に私達を見る。赤也にこんな言葉聞かれたくなかった。全部嘘だし、彼もきっと分かっているはずだけど、やはり聞かれたくなかったのだ。ぎゅうといつの間にか固く握りしめていたスカートを離す。その手がの手にあるレシートに伸びた。


「…幸村に届けて来る」
「え、は?」
「屋上でしょ。あと赤也はもう教室戻りな。授業始まるよ」
「あ、でも先輩、俺も屋上に」
「私は戻れって言ってるんだけど」
「え…ウ、ウィッス」


この場から離れる術がこれしか思い付かなかった。レシートをぐしゃりと拳の中におさめた私は赤也をおいて踵を返す。赤也は無言で私を見送っていた。冷たく当たってしまった。屋上への階段を上がりながら私は呟く。後で機嫌とっておかないと、さっきはどうしたのかなんて問い詰められてしまうだろう。アレも丸井に似て変な所が鋭い。特に人の感情が不安定な時に関しては。きっとテニスでの相手の心理を読む経験で養われたものだと思う。

そうしてたどり着いた屋上庭園には、の言った通り幸村がいた。彼は滑稽にも花に語りかけている。幸村らしいといえばらしいが。


「ああ、じゃないか。どうしたの」


幸村は私に気づくとごしり、と顔の泥を拭って立ち上がった。私は彼に丸まったレシートを突き出す。ぐしゃぐしゃだね、と苦笑されたから、私はふて腐れたように唇を突き出して、とりあえずごめんなさいと返した。「まあ読めるから良いけど」それは良かった。私も下手したら屋上庭園に埋められかねないからね!…なんてジョークだよジョーク。


「それにしてもこれ、ブン太達が持ってくるものじゃないの?」
「…私が、赤也から預かって」
「一緒に来れば良かったのに。そうしたら赤也に花について教えられたよ」
「まあ、赤也に花壇いじるのは無理だよ」


それじゃあ私戻るねと、やる気なく手を振れば、その手を幸村に掴まれる。ごめん、俺の手泥だらけだけど、と苦笑する幸村だったが、いや、そんな事よりも一体どうしたというのか。問うてみれば、彼は急に神妙な顔付きになる。それを見た途端に頭が痛くなった。ああ、どこに行っても私の歩が悪いのは変わらないってか。


「何かあったの?…ううん違うね。何があったの?」
「…別に、」
「お前は何かあるとすぐにそう答えるね。嘘をつくのが得意ならこういう時に使えば良いのに」


どういう厭味だ。私は離してと掴まれた腕を自分に引き寄せる。しかし幸村の手が私を解放することはなかった。いい加減にしてほしい。何でもないって言ったら何でもないのに。の事なんて幸村に言うほどの事でもない。きっと倦怠期とかそういうクチなのだ。だから平気。


「全然平気そうじゃないけどね」
「平気だよ」

「…」
「いい加減に嘘つくのやめたら?俺を、」
「…うるさいなあ!」


何んでもないって言ってるじゃんか!ヒステリックに叫んで幸村を押しのければ、彼は目を見開いて私を見つめた。ハッと我に返る。…しまった、つい。体裁が悪くなって私は視線を彼から逸らした。
幸村はやれやれと呆れたように肩をすくませる。「じゃあもう良いよ。行きなよ」え?
するりと解けた腕にはやはり少しだけ泥がついていた。それをぐっと押さえて私は、…ごめん、と息を吐くのと同じくらい微かに言葉を紡ぐ。


「天誅!」
「あでっ」


いきなり脳天に振り下ろされた鉄拳に私は頭をおさえる。私は、何なんだと、ちらりと幸村を伺えば、彼の目が「次にこんな事言いやがったら許さないからね」と言っているのが見て取れた。幸村はいつもそうだ。必ず許してくれる。
優しく微笑む幸村を見ていたら、先程までの蟠りが、すーっと消えていく気がして、思わず私は幸村の胸に頭を預けた。彼は嫌がるわけでもなく、私の頭を撫でてそれを受け入れる。

すん、と鼻を鳴らす。土と花と、幸村の匂い。


「珍しいな。がこんな甘えたなんて」


幸村が私の頭の上で笑うのが分かった。




しょうがないからそばにいてあげる
(幸村の傍にいると、)(落ち着く)

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昼休み、屋上庭園にて。
120318>>KAHO.A