残りの夏休み!:14
ポケットに押し込まれていた紙切れは思った以上にぐしゃぐしゃになっていた。これを押し付けた本人に見られれば、きっと嫌味も皮肉も散々に言われるだろうが、別に気にしてはいない。
『つくづく俺様も過保護過ぎるぜ』
彼の台詞を思い出して私は眉をしかめる。合宿の時から思っていた事だが、そもそも私が嫌なら関わらなければ良いものを。それなのに己の連絡先を記した紙を押し付けるなど、私の理解の限度を超える。
掠れて、もう大分読みづらくなった電話番号を再び握りしめて、私はごみ箱目掛けて振りかぶってみた。しかし、それがごみ箱に入ることはなく、結局、勉強机の奥に収まる形で落ち着いたのだが、跡部の忌ま忌ましさに思わず紙を引き裂いてしまおうかとも考えた。けれどそうできないのは、――捨ててしまう事ができないのは、私がそれだけ跡部に縋りたいという弱い感情があるからだ。情けないことこの上ない。
それでもやはり自分のためにも捨てるべきなのだろうかと、私はそろりと机に手を伸ばした時だった。


「宅配便でーす」


その行動を遮るように、インターホンが鳴り、そういう声が私の耳に微かに届いた。
一瞬、前に仁王達が押しかけてきた時の事が蘇ったが、時刻は午後8時を回っている。まさかこの時間には来ないだろう。

そうして扉を開いた私に宅配便の人が渡したものとは、心のどこかでは予想していたのだが、案の定両親からの荷物であった。玄関前の彼に会釈を返して扉を閉めれば、私はすぐさま中身を確認する。旅行前日に家の食料をありったけ持っていったのだから食べ物でも入っていれば良いのだが、箱の軽さ的にそれは望めないだろう。
中にはパパッとライス(アメリカンVer)にそれと、手紙が一枚。
ちなみにパパッとライスの蓋の部分には母からであろう『母の味が恋しくなったらコレを食べなさい』というメッセージもあった。ワオ、どこからどうみてもアメリカン。何が母の味なんだかよく分からない。あの人達が何をしたいのか分からない。だいたい、私はてっきり両親はアフリカの方に行っいるのだとばかり思っていたが、どうやら現在はアメリカを満喫しているらしい。
親不孝者!そう書きなぐられた冒頭から始まる手紙には今言った事が大まかに書かれていた。
『親不孝者!手紙くらい寄越しなさい』?いやいや、こっちの台詞じゃないすかと声を大にして言いたい。
手紙をぐしゃりと握りながら再び文面に目を這わせる私だったが、彼らもただ遊びに海外へ出ているわけではないということに、思わず驚愕した。父はアメリカでビジネスを始めたらしい。知らなかった。他には、ビジネスが割とうまく行っているから、いつかはアメリカに住むようになるかもしれないだとか、そんな話ばかりだ。


「…どーでもいいわ」


私の呟きは、静寂に埋もれ、私を妙に物悲しくさせた。さっきまで何ともなかったのに。よく分からないけど多分、これは寂しいという事なんだと思う。
しかし私はこの感情を紛らわす術を知らない。パソコンさえ開く気にならないのだ。つまりこのまま家にいてもつまらないだけだと踏んだ私は、散歩に出かける事にした。もしかしたらレンヤが夕飯を届けに来るかもしれないが、すれ違ったら、それはそれで仕方がないね。うん。

蒸し暑いと思っていた夏の夜は、存外快適なものだった。出掛けに適当に着てきたワンピースを翻しながら私は跳ねるように夜道を歩く。どこかでガキどもが花火をしたのか、微かにする火薬の匂いをすん、と嗅いで、むせた。あほか私は。


「おい、
「…はい?」


自嘲気味に肩を竦めた私の背中に声をかけたのは、なんと真田だった。振り返った私は、彼の後ろに隠れるようにして立っていた見慣れぬ少年の方に目をやる。(おかっぱ頭だから、昔の柳に見えた)少年も私が気になるのか、逸らすことなく私の視線を受け止めた。なかなか可愛いげのないガキだ。「おじさん、誰この人」はっきりと聞こえたこの声には勿論聞き覚えがない。少年から発せられたものだと気づいてから、はたと真田に目を戻した。おじさん?
その呼ばれ方が気に入らないのだろう。私が復唱すると、さらに眉間のシワを深くする。「…部活の友人のだ」真田は静かに答えた。


「すまないが左助君、俺は少し出掛けて来る。お祖父様に伝えてくれないか」
「えー。約束破るのゲンイチロー」
「帰ってきたらまた付き合う」
「…」


大分不服そうであるが、微かに頷くと、彼はおかっぱを揺らして近くの家に入って行った。ああ、そういえばこのデカイ家は真田の家だったか。なるなる。家を仰ぎ見ている私に、戻ったかと思われた左助君とやらが塀からひょこりと顔を覗かせた。後でもやる?花火をちらつかせるおかっぱ。


「お前か」
「は?」
「いえ何でもないです」


どうも私は自分より年下の相手に弱い節がある。
どこの悪ガキが花火をやっているのかと思えば真田家だったのかと一人で納得して、左助君には気が向いたら戻って来ると伝えた。そうして彼が引っ込んだ後、私は真田に向き直った。


「それで、真田はどこに行くの」
「お前についていく」
「うえええ何ストーカーとかそういう」
「夜道を一人で歩いていては危険だろう」


私の茶化しに、真田はいつもみたく本気で取り合うことはしなかった。面倒な事になったとあからさまに舌打ちする。真田は気にしていないように歩きだした。こういう時のテニス部は鋭いから、まずい話になった時に下手なごまかしは通用しないんだが。
別段どこに行くわけでもなかったので、前を歩く真田についていく。


「左助君は俺の甥だ」
「は?…あ、うん」


唐突に言われた言葉に反応が遅れる。つかその顔でおじさんとか似合いすぎてて困るわ、どうしよう。「別に困る必要はなかろう」ボケ殺し。
やはり色々な意味で真田と歩くのは失敗だったのだろう。今日の跡部の事もあるし。なるべくならその事には触れて欲しくないのだが、真田は聞いてくるだろう。
彼が私を顧みたのと同時に、それ見た事かと目を細めた。


「今日の事だが、」
「跡部に何を渡されたかって?それともアイツの言葉――あれはどういう意味か?」


少々怒り気味に問えば、珍しく真田が口ごもった。きっと、私が自分の弱みに関して触れられる事を、誰よりもタブーにしていると彼は理解しているからだ。私にも茶化しは通用しない。失言は恐らく私と縁を切ることにも繋がるだろう、と。尤も、彼が茶化すなどという私のような小癪な真似はしないだろうが。
しかし跡部の事を持ち出したのが真田のそもそもの失態だと知った方がいいだろう。


「言っただろ、あれはゴミ。跡部に言われた事は私にもわかんないよ」


嘘はついていない。跡部の番号なんて、連絡しなければゴミに等しい。話の内容も、全てが分かったわけではない。


「お前はいつになっても何かを恐れる節がある」
「真田みたいに力が強ければ怖いもんなしだけどね」
「そういう話ではない」
「うん。分かってる」


逃げるのは私の専売特許なんだよね。にやりと徒に笑うと真田は深く息をついた。ある意味私は赤也よりも扱いづらいのだと思う。


「でも、これは真田に相談しても仕方ない事だと思うなあ」
「それは言ってみなければ分かるまい」


じゃあ、
そう口を開いた私は、地面に落としていた視線を真田に向けた。


「…恋心ってさ、理解に苦しまない?」


私の悩み事が予想外である事に、驚いているのか、それともイマドキの娘が「恋心」というものの理解ができないという事に驚いているのか。多分両者だ。真田は目を見開いてしばらく何も言わなかった。


「いらないんだって、そういうの。面倒でしょ」
「…、」
「それに自分から裏切られる要因を作る気はない。…ああ、エゴかなこれ」


でもね、これって仕方のない事じゃない?恋愛なんて後にも先にも裏切りしか見えて来ない。裏切られるまでは幸せなのかもしれないが、幸せな分だけ裏切りの傷は深くなる。それを知ってなお、恋愛をしようと意気込む意味が分からないのだ。私は正論を言っているはず。エゴじゃない。
例えばの話だ。
「川で遊ぶと楽しい。だから危険だけど遊ぶ」
「川は遊ぶと楽しい。でも川は危険だから遊ばない」
正しいのは後者である。楽しくとも危険を回避するのに重きを置くのは当たり前の事だろう。恋愛と何が違う。
すっかり黙り込む真田に、皮肉の意味を込めて苦笑すると、ひらりとスカートを揺らした。


「私帰るわ」
「…」
「左助君に行けなくてごめんて、言っておいて。あと『私は火薬の匂いは嫌いだ』とも」


私は別れの言葉も告げずに来た道を戻って行く。真田の家の前は通らないようにしよう。少し回り道だ。
そんな私に、真田は少しだけ表情を曇らせて、ぽつりと呟いたのだった。


「…相変わらずだな」




特別な感情?この腐った感情が?
(吐き気がするね、こんな感情)(そう、微かに息を吐く)

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何でこうひねくれてるのか自分でも分からない。
120125>>KAHO.A