残りの夏休み!:13
「あれ、二人共どうしたの」


倉庫から戻る私達をそう引き止めたのは幸村だった。彼は校舎の中にいたのか、何かの資料を片手に履きかけのシューズで地面をとんとんと鳴らしている。私はそんな幸村を視界に捕えた途端、不意に罪悪感に似たあまり芳しくない感情を覚えて、一度彼に合わせた視線を思い切り逸らしてしまった。その様子に、幸村は不思議そうにこちらを見つめていたが、私は何も答える気にはなれない。
きっとさっきの事のせいだと、赤也があんな事をするからと、私は赤也を恨めしく思った。…しかし、そんな事は醜い責任転嫁である事は分かっている。

先程の事を思い出せば思い出すほど、赤也に触れられた頬が熱を帯びた。でも今の私にはこの場から逃げるなんて行動を起こした後に、結局面倒な事になると先が見えていたので、私は耐え忍ぶように拳を握りしめたのである。


「俺は先生に合宿の報告書を提出しに行ってたんだけどね」
「お疲れッス。俺らは柳先輩に頼まれてボールの補充してたんですよ。ね、先輩」
「…あ、ああうん」


ぎこちなく笑い返し、幸村はますます怪訝そうな表情を私に向けたが、その時だった。バタバタと慌ただしい足音と共に部員がコートの方へと駆けていく。「何スかねえ」「さあ」気になって、私は近くにいた一人に声をかけると、彼は氷帝学園がテニスコートに乗り込んでるらしいんだよ、とだけ告げて、また慌ただしく去って行った。
私達が倉庫へ行っていたのはほんの15分程度。その間に本当にアイツらが来たとでも言うのか。にわかには信じられないが。


「…氷帝。…跡部か」


微かに呟いた幸村に、私は体を震わせた。聞きたくない名を耳にした。嫌な予感がする。
そんな私と対照的に、隣にいた赤也は幸村の台詞に目を輝かせた。戻りましょ!すぐに!なんて私の腕を引っぱるのだが、私は御免被る。しかし私の抵抗する力なぞたかがしれているわけで、あれよあれよとテニスコートの方へ連れていかれてしまった。ちなみに幸村はというと、まだ手が離せない用事があるらしい。すまないが俺が戻るまで真田の指示を仰いでくれ、なんて無責任な言葉を私に託してジャージを翻し何処かに行ってしまった。つまり私を引き止めてくれる人材がいなくなった今、もはや私にはテニスコートに向かうという選択肢以外残されていなかった。
テニスコートの近くまで行くと、相当大きな騒ぎになっているらしい事が、部員の雰囲気から見て取れた。赤也はいてもたってもいられないのか、どうなっているんだと仕切に周りに尋ねていたが、皆それに答えるほど余裕がないようだ。そんな彼は丸井達の背中を見つけるなり、ラッキーなんて呟いてそこに向かって走り出した。…ついていけないよ。


「せんぱーい!」
「お、赤也じゃん」
「ボールの補充、ご苦労だった」
「ウィッス!つかそれよりどうなってるんスか、これ」
「ああ、あれ見ろよ」


丸井が指した方には真田と氷帝ジャージではなく、パーカを着た跡部の姿があった。…あ。もしかしてさっきすれ違ったのは跡部だったのか。
柳の後ろに隠れる様にして、彼らの様子を伺う私に、柳がどうしたと問うたが聞き流す。
試合は完全なる真田の優勢だった。真田がポイントを取る度に沸き上がる歓声。ここまでずたぼろな跡部は見たことがなかったから、私は思わず息を呑んだ。正直、止めに行きたい。彼らのプライドがそれを許しはしないだろうけど。
案ずるなと、柳に声をかけられた。そんなこと言ったって。コートに膝をついた跡部に、赤也が口元を歪めた。


「あらら惨めー」
「勝負あったな」


意味が分からなかった。関東大会での敗北のため、氷帝は全国にはでられないと聞いている。それなのに何故わざわざ神奈川までこんな事をしに来たのか。無意識に柳のジャージの裾を、握りしめていた。
跡部はあとワンポイントという所まで追い詰められていた。誰もが真田の勝利を確信した時だ。跡部がサーブを放ち、しかしあろう事か真田はそれに反応できないでいた。先程とスピードが変わったわけではない。真田も何を思ったか、跡部を見据えていた。
しん、と静まり返る中、跡部の高笑いだけが響き渡る。ファーッハッハなんてかなり恥ずかしい笑い方だ。


「完成だ」


負けているはずなのに、跡部は明らかに、自らの優勢を感じとった様に見えた。彼の雰囲気からして、新しい技を開発するために真田を利用していたのだろうが…、何故今更。 真田の奴、どうしたんだ、と丸井が眉をしかめる。そんなの私が聞きたい。
再びボールをつきはじめた跡部は、間違いなくあの合宿で見た跡部だ。あの敗北などという言葉を知らない強さを持った。


「そこまで」


しかし凛とした声がコートに響き渡り、幸村が二人の間に割って現れた。どうやら間に合った様だ。一先ずは安堵の息を漏らす私。跡部は不服の声を上げていたが、幸村がそれを許しはしなかった。まあ幸村がいるのだからもう大丈夫だろう。私はそう踏んで、とりあえずその場から離れようと彼らに背を向けた。嫌な予感が止まらないからだ。
跡部は試合で大分ボロボロで、恐らく私が手当てをした方が良いのだろうが、彼はいらないと言うのが安易に想像できる。よって私がこの場において必要性が皆無だ。跡部ももう帰るぜ的な雰囲気を醸してるわけだし、よし彼が見えなくなるまでしばらく身を潜めよう。
コートを出て、幸村と真田に見送られる跡部を一瞥してから、私は真逆に歩きだした。


「そこの女。ちょっと待ちやがれ」


が、やはりそうはさせてくれなかった。
お前帰るんじゃないのかよ。彼に届くわけはないが、心の中で悪態をついてみる。彼の声にびくついて思わず足を止めてしまった事に後悔した。私が無反応なので痺れを切らしたのか、再び跡部が声を張り上げて私を呼んだ。跡部からの視線もいたいが周りの視線もいたい。
これもう気づかないフリして逃げて良いかな。


「俺様を無視するとは良い度胸だな、


今度は完璧に名前を呼ばれてしまったので、気づかないフリはできなくなった。どうしよう。振り返るに振り返れないでいると、不意に私を庇うように背後に誰かが立った。ちらりと見遣れば赤い髪が見えて、誰だかすぐに分かった。


に何か用かよ」
「別に用なんかねえよ。久々に会ったんだ。声くらいかけたって良いだろうが」


跡部は恐ろしい男だと、つくづく思った。私の様子がおかしい事にきづいているのだろう。探りを入れている事がありありと分かる。どうして分かったんだろう。今、瞬時に気づいたのか、それともそもそも神奈川まで来た理由が、テレパス的なミラクルで無意識のうちに私に呼び寄せられていたか。どちらにせよ末恐ろしいわ。
跡部が私に近づくのが、足音で分かった。丸井が止めたが彼が聞くわけがない。
おい、と真後ろで声がした。それでもやはり無言でいると、いきなり首に腕を回され、頭を後ろへ傾けられる。至近距離で、跡部と目が合った。


「相変わらず、ひでえ顔だな」
「…」
「結局何も変わってねえじゃねえか」
「…」
「何か言ったらどうだ、あーん?」
「あ、とべ…ちょんいでっ


殴られた。
しかし一瞬にして周りの緊迫な雰囲気をぶち壊せた事に、安心する。
「そうやって逃げてきたのか」「…」…いや、違った。彼の台詞に私は表情を歪ませる。跡部だけが私のペースに呑まれなかった。安心できる隙などこの男の前で作れるわけがないのだ。


「おい。てめえは何を怖がってる」
「…別に」
「嘘だな。俺様に見抜けねえものはない」
「自意識過剰だよ」


ああ、皆がいなければ良かったのに。私は跡部と視線を交わしながら心の中で小さくごちた。跡部しかいなかったのなら、そうすれば全部言えるのに。八つ当たりにだって何だって利用してやるのに。そんなの彼の優しさに甘えてるだけだけど。結局跡部にも呆れられるのがオチなんだろうけど。
私はくしゃりと顔を歪めると、跡部は何を思ったのか、あっさりと私を解放した。


「俺様もつくづく過保護過ぎるぜ」
「…は、」


何が、そう口を開きかけた私の顔に彼は思い切り紙切れを押し付けると、そのまま背を向けて行ってしまった。
私は、いや私達は跡部の姿が見えなくなるまで、呆然と立ち尽くしていた。


「…何渡されたんだ?」


沈黙を破ったのは丸井である。私の手に握りしめられている紙をさしてそう言う丸井に、ちらりと私は小さく手を広げて見せた。
何でもない、ただのゴミだよ。
私はポケットにそれを押し込んで肩をすくませた。


「……馬鹿跡部が」


呟いた私の声は、恐らく私にしか聞こえなかっただろう。




やさしい、が痛い
(きっと甘えちゃうんだから)(連絡先なんて、いらないよ馬鹿)

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ぐだぐだにもほどがある。めちゃくちゃな内容だし、文章も気に入らないけどとりあえず更新。
120122>>KAHO.A