残りの夏休み!:12
青学氷帝四天との合同合宿から丁度2週間経ったある昼下がりの事である。昼休憩のため、殆どの部員が太陽から逃げるように部室や校舎の中へと昼食を取るために隠れ、グラウンドには人の姿が見えなくなった。もちろん私もその例外ではない。部室に戻れば中で早速弁当に手を付けていた丸井の隣に勝手に腰を下ろして自分の弁当を広げ始める。私は丸井におかずをさらわれない様、彼へ睨みを利かせていると、それを遮るように不意に柳が私に声をかけた。ボールを補充して欲しい、と。


「は…ボールの補充?」


箸を止めて首を傾げる私に、柳はそうだと頷いて見せた。丸井はさして興味のなさそうに咀嚼を続け、私の注意が弁当から逸らされたのを良いことに、奴はから揚げをさらっていく。あ、ちょーおまー。ムカついたから私は仕返しに奴の髪を引っ張ると丸井は悪びれた様子もなく、ほらと寿司とかについて来る草みたいなジグザグのやつを寄越した。もはや食い物ですらない。ていうかいらない。「聞いているか」あああはい聞いてます聞いてますよ。


「で、何でまた。合宿行く前は沢山あったじゃん。足りてるでしょ」
「そのはずだったんだが。…最近弦一郎が最後まで残って練習しているのは知っているだろう」


丁度真田が昼を食べ終え、練習のためか、ラケットを抱えて部室を出たところで柳がそう言った。そういえば、確かについこの前から真田が隅で物凄い勢いでボールを打ち込んでいるのをよく見かける。でもそれがどうしたというのか。
尋ねてみれば、その練習のせいで真田のラケットもボールも、ボロボロになってしまったらしい。真田は相当な量のボールを使っていたから、部活で使う殆どが使い物にならなくなったというのだ。


「それでボールを持って来いと」
「ああ。恐らく海林館近くの倉庫にあったはずだ」
「聞いていい?何で私が
…フッ愚問だな。それはお前がマネージャーだからだ
「えええ真田が持って来いよ」
「まあ弦一郎を責めないでやってくれ。関東での事をアイツは悔やんでいるのだ」
「…別に責めちゃいないけどさあ」


私はさっさとご飯を喉に押し込んでしまうと、わざとらしくため息をついて立ち上がった。どれくらい必要なの。重いのは嫌だよ私。そう肩を竦める私に柳はそれなら心配はないと近くにいた赤也の腕を掴む。「赤也を連れていくと良い」どえええ。赤也はというと突然の事で全然状況が分かっていないようだったが、柳に任せたぞなんて言われて反射的に、え、あ、ウィッス!なんて答える。馬鹿。
赤也とは行きたくなかったのに。どうせなら丸井とか、ジャッカルとか柳生とか。てか、柳でいいじゃん。
改めてボールの事を赤也に説明する柳の後ろでふて腐れる私に何を思ったのか、丸井は私の頭をぐしゃりと撫でてあの兄貴性分を発揮してみせた。


「…どうせなら丸井がいい」
「…。お前、赤也と何かあったのか」
「え?」


眉をひそめてそう問うた丸井を私は見つめ返した。前のならそんな事言わなかっただろいなんて。…確かにそうかもしれない。私は何が変わってしまったんだろう。
赤也はもちろん今でも好きだ。嫌いなんて事は絶対にない。だけど以前、赤也に抱いていた感情と現在のそれは少し違って、今は居心地の悪ささえ感じる時があるのだ。


「んじゃさっさと行っちゃいましょ先輩」


柳の説明が終わったらしい赤也は、そう私と丸井の間に割り込んできた。丸井は何かを言いかけていたが、赤也は気づいていないのか部室のドアに手をかける。腕を掴まれた私は仕方なしにされるがまま、その場を後にした。
私の腕はその後すぐに解放された。赤也は相変わらず平然と倉庫に向かって足を進めているが、私は気まずさを感じて一人、押し黙っていた。赤也だって鈍いわけじゃない。私がまごついている事なんて気づいているに違いなかった。だけど彼の気遣いなのか、赤也は何も言わないのだ。
いつからこうなってしまったのか。――あの祭の時からすべてが狂いだしてしまったように思う。も、赤也も、そして仁王も。
唇を噛んで、前を歩く赤也の背中を見つめていると、ふいに彼が足を止めた。


「…どうしたの、赤也」
「あれ、誰ッスかね」


彼が指す方へ目を移せば、そこにパーカーを着た男が走りながら私達を横切る姿を見た。フードをかぶっていたため、横顔すらまともに見えなかったが、あれは一体誰だったのだろう。
テニスコートの方に行きましたよね、と赤也が見えなくなった男の背を追うように呟いた。ああ、確かにコートの方へ走って行った。不審者?私の台詞に赤也がまっさかあと笑う。まあ確かにあんなに堂々と入ってくる不審者なんていないだろうけど。だいたい、もしそうでもテニスコートの方に向かったのが運の尽き。レギュラーあたりにめためたにされて終わりだろう。


「ま、なんでもいいや。行きますよ」
「あーうん」


倉庫はもう目の前だった。遅くても文句を言われるだけだろうし、あの人物も少し気になっていたからさっさと仕事を終わらせてしまうに限る。赤也に目配せされて歩きだした私は、柳から渡されていた鍵で倉庫を開けば、すぐに埃っぽい匂いが鼻についた。
へくしょーいなんて赤也がくしゃみをする。ブレスユー。試しに言ってみたが彼に伝わるわけがなかった。


「…にしてもぐちゃぐちゃッスねー」
「そうだね。赤也の部屋と良い勝負だよ
「ちょ、それどういう事スか!」


どうもこうもそのままの意味なんだが。棚の一番上に載せられたテニスボールの箱を見つけると、私は台に乗って手を伸ばす。危ないですよ!俺がやりますなんて案の定止められた。しかし私はどこぞの漫画のように転んで赤也に受け止めてもらうなんて事にはならないから安心したまえ。思った以上に重い箱を手前に引き寄せる私に、さっきから赤也がうるさい。


「心配しなくても転びやしないよ」
「そう言ってる人が一番お約束な展開引き起こすんですって」
「うるさいよ赤、うおっ!?」
「えええちょ、せんぱ、」


言うまでもなく、お約束だった。
見事に後ろへ倒れた私は赤也にキャッチされなかったものの、降ってくるボールからは庇われた。赤也は私を抱きしめるように回していた腕を離すと、イテテなんて声を漏らす。あー何か、ごめんなさいね。バツが悪くなって、そろーっと視線を逸らせば赤也はだから言ったでしょ…と頭を抑えた。だからごめんてば。
だけどちょっともうどいてくれと赤也を押すと、彼は俯かせていた頭を上げて私を見つめる。視線が至近距離で絡まり、弾かれたように私は目をしばたかせた。それからしばらくそのままの状態で、…時間にして2分くらいはそうだった気がする。まあそんな事はどうでもいいのだが、長時間硬直していた私から出た言葉は予想しなかったほどにかすれて動揺の色を含んでいた。


「あ…かや」
「…ホント、馬鹿ッスよ先輩は」


悩ましげにため息をついた赤也が、するりと私の頬へ手を滑らせた。心拍数が一気に上がる。え、なになにちょっと待ってくれ。私の唇をなぞる赤也の仕草に、いつだったか部室で丸井と仁王と赤也が読んでいたエロ本の内容を思い出して今すぐに逃げ出したい衝動に駆られる。うええ何だか目が回ってきた。
そんな私の心情を知ってか知らずか、彼は自嘲気味に微笑んで、俺気づいますからと呟いた。
すぐに私が赤也を避けている事を言っているのだと分かった。
自分でも赤也に気づかれている事など承知だったのに、実際に本人からそう言われてしまうと申し訳なさと気恥ずかしさが込み上げてくる。


「…もう良いですけどね」


ゆっくりと額をつけられた瞬間、次の事が予想できた。微かに顎を持ち上げられて心の中で悲鳴を上げる。実際に口にだせないチキン野郎の自分を恨むばかりだ。
最近こんな事ばっかでまともに部員と向き合うなんて事できてない。私が地に足ついてないからいけないのか。が怒っている理由がここにあるのだろうか。色々な事が頭を巡り気づけば赤也を押し返す腕に力が篭っていた。


「ごめ、赤也ちょっと待っ」
「なーんてね」


ぐに、と頬を抓られたと思えば赤也はすぐに私から退いた。いつものへらへらとした顔を私に向けている。何事かと彼を見上げる私に、赤也は泥、ついてましたよ、なんてさっき彼が触れた頬を指し示した。
ああ、私の、…勘違い。
ふらりと立ち上がる私を尻目に、赤也は散らばったボールをせっせと拾い始める。
――私の勘違いだったわけだ。
妙に、空しいような、切ない気持ちになった。
だから私は押し付けるように赤也の背中に頭を預ける。びくりと彼の体が震えて、それと同時に驚きではなく、明らかに赤也は動揺しているのだと、そんな気配が感じ取れた。


「せんぱ、…っ…先輩、」
「…何」
「何してるんですか、早く行きましょうよ」


作り笑顔に見えないくらい自然に笑って、赤也は私を顧みた。だけど、いつものひょうきんな赤也からは想像できないような哀愁を纏った表情をするから、私は何もいえなかった。代わりに、そう言うと思ったと、口の中でそう転がして、私は頷いたのだった。

彼の背を追って歩き出した私は、もう彼から目を逸らす事はしなかった。



なんとなく、分かってしまったのかもしれない。私を悩ませる沢山のざわめきの1つの正体が。
一気に興ざめしたような、不思議な感覚が心を満たして小さく息を吐いた。


「どうか私の自惚れでありますように」




わたしはこの感情を明日殺すつもり
(いらないからね、こういうの)

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やっぱこの章で幸村を推し出すのは厳しいものがある。赤也と仁王の二人祭りにします。

サイトを続けるのが厳しくなってまいりましたが、それなりにがんばります。
120114>>KAHO.A