残りの夏休み!:09
赤也に悪い事をしたかもしれない。
保健室へ歩み出した自らの足を止めて心の中で、私はそんな事を密かに思った。
つい先程、恐らく熱中症であるだろうと保健室へ行くように、私に説き伏せられたた赤也。――彼はもちろん私に支えられて部室を出たわけだが、さあ、保健室へと足を踏み出すなり、練習に勤しんでいたレギュラーを始めとする部員の殆どの視線が、私達の方へと注がれた。皆の顔はポカン顔で情けない事極まりなかったが、赤也が私に支えられていたのにたいそう驚いたのだろう。ああ、赤也のプライドが傷つかなければいいけど。保健室のベッドにやっとこさ赤也を寝かせた私は、一息つきながら呟いたのだった。

ところで、今がお昼時だからか、保健室にはマリコの姿はなかった。あの人の事だから多分与えられた昼休みをフルに使って、ここに戻って来たとしてもそれは1時間後の話になるだろう。
さてどうしよう。熱中症の対処は残念ながら私は心得ていないんだが。保健で習った気がするけどそんなの覚えてるわけないよ、うん。柳に聞いておけば良かった。とりあえず冷蔵庫を漁ると粉末スポーツドリンクがあったので拝借して、あと氷も袋につめてみた。水分取って冷やせば死なないって。
ぺちしょんと赤也の顔の上に袋を乗せてみると、彼からは、う…なんてくぐもった声が漏れる。


「ん?嬉しい?それは良かった」
「…いや布に包んでほしッス。そして顔の真ん中じゃなくせめて額に
「うおおそっか」


的確なツッコミだね安心した!とか思いながら、さっき赤也の手に無理矢理渡したタオルを彼はまだ握りしめていたので、それを引き抜き、氷を包んで今度は額にのせてあげた。すると赤也は何を思ったのか、腕で目を隠すようにしながらくすくすと笑い出すもんで、もうびっくりである。え、どうしたの。問うても、赤也は笑うだけで、答えないから諦めた。すとんと近くの椅子に腰を下ろす。元気そうだけど、ちょっと心配だからしばらくここで様子を見ていくつもりだった。


「ねえ赤也…って寝てるし早えええ!


早速というか、既に心地よさ気に寝息を立てている赤也に苦笑せざるを得ない。私も近くの壁に頭を預けて目を閉じると聞こえる、ストローク音、蝉の声、赤也の寝息、そしてカーテンの揺れる音、エトセトラ。すべてに満たされてる気がして、多分これが充実って言うんだろうなって、私は小さく笑った。


ー、赤也の調子どうよ?」


不意に後ろから声をかけられたと思えば、窓からは汗だくの顔をタオルで乱暴に拭いて顔を覗かせる丸井の姿と、こちらも赤也同様だいぶやつれている仁王がそこにはいた。私はその二人に多分大丈夫と、すやすや眠る赤也を指さす。するとやはり彼らも少なからず心配していたのか、お互い顔を見合わせて安堵の息をもらしていた。
その時、急に仁王君!なんて柳生の声が聞こえて、かと思えば、少しばかり苛立ったご様子の柳生がこちらにかけてきた。彼は赤也の様子を私に尋ね、丸井達と同じ答えを返すと、それは良かったと頷いて、それから仁王の腕を掴んだ。どうしたの。


「仁王君、私達はこれから試合だと言ったではないですか。真田君が怒っていますよ。早く戻りましょう」
「嫌じゃあああ」


なるほど、丸井は分からんが、仁王はサボるためにここへ来たんだな。
彼は俺も保健室で休まないと多分二度とテニスができん様になるなんて喚いていたが、残念ながら柳生に連れていかれ、私と丸井はやれやれと肩をすくませた。
ところで丸井は良いのだろうか。尋ねれば彼は丁度ジャッカルと終わったばかりで、今休憩中なのだとか。ふうん。


「…あ、もしかして、試合の記録、」
「ああ、そりゃ柳がやってる」
「うえええ…」
「何か久々に聞いた気がするな、それ」
「そうかい」


私は窓の外に目をやった。戻った方が良いのだろう。赤也も寝ているからこのままにしていても大丈夫、だと思う。一応机に、赤也が熱中症だからベッドで休ませていると書いておいて置こう。彼女も保健医の端くれなわけだから、私より良い対処を取ってくれるはずだ。あとは彼女がなるべく早く戻って来るのを願うだけだ。


「んじゃ次の試合あるし俺戻る、けど」


まるで私に促すが如く彼はこちらを顧みた。私も仕方なく立ち上がって丸井の後を追おうとする。するとくい、と誰かに、否、赤也に腕を掴まれてそれは阻まれた。駄目ッスよ。そう言われてさっきまで落ち着いていたはずの胸が急にざわめき出した。咄嗟に丸井の方に目を向ける。彼は太陽の光でまぶしく光るグラウンドの中、私をじっと見つめていて、そんな彼は余計に心の中の影を掻き立てた。


「いてやれば?」
「…は」
「いや、だから、いればイイじゃん。こっちには柳がいるから大丈夫っしょ」


ニッと笑ったその表情は紛れも無く丸井ブン太が弟なんかに向ける優しい兄の顔であった。しかし、それでも胸騒ぎが止まらないのは何故だろう。
赤也は依然、私の腕を緩く掴んだままであり、そうであるからこそ振り払うに振り払えない。それでも赤也の体調がそこまで深刻でないと分かった今、私がいるべきところはここではないだろう。柳がすべて記録を取っているのなら彼は練習ができていない事になるわけだし。


「あの、さあ…赤也」
「いてやれば」


口を開いたのは赤也ではなく、丸井だった。彼のその台詞は、一番初めの問い掛けのそれとは全く別物である。クルリと私に背中を向けてしまったからどんな表情かは分からなかったけど、提案ではない、押し付けているような、『』に対する明らかな拒絶のような、そういう言葉。合宿で喧嘩した時の事が思い起こされて、私は何も言えなかった。どうして丸井がそんな態度なのかやはり理解に苦しむけど、また喧嘩なんてしたくない。


「俺、行くわ」
「え、ちょ待ってまるいでででで痛い痛い赤也痛い!


さっきまで触れる程度にしか掴んでなかった癖に、丸井を追い掛けようとした私の腕を、赤也は潰すんじゃないかってくらい強く握り締めてきやがった。何なのこの子。意味わかんないんだけどめちゃくちゃ痛いんだけど。


「丸井先輩もああ言ってんスよ。先輩は俺の傍にいればいーの」
「…」


キュッと、手が握り直されて、私はやれやれと壁に頭をぶつけたのだが、心を侵食し始めた影はやはり収まる事なく、じわりじわりと私の不安を煽るのだった。



そしてこの時の丸井の心の内など私が知る由もないのである。




罪悪感の塊になる
(あれ、ブン太はどうしたん)(知らね)

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とりあえず赤也が熱射病の話は終わった、かな。
めりーくりすますいーぶ!
111224>>KAHO.A