夏の記録:32やあなんてあまりにも普通すぎる挨拶をされた私はどうしたらいいか分からなかった。だからといって、逃げるというコマンドが瞬時に働く程私の性能は良いわけがなくて、ただ少しずつ顔が強張っていく事だけを感じている。(幸村の笑顔が崩れる事はなかったけど)そんな私がやっとの思いで絞り出した声は思った以上にいつも通りで、どこか安心している自分がいた。 「…何その普通の挨拶」 「え?ああ、ボケた方が良かった?」 「んなわけあるかい」 緊張が解けたのか、硬直していた私の体が動き出す。よし、逃げるぜとばかりに眠いからもう寝るとか適当な理由を並べて、その場から去ろうと試みたがそれは呆気なく失敗に終わった。まあ幸村から逃げようとする事自体がまず無理な話であるが。 幸村の手を振り払うのは諦めて、私は彼に掴まれた腕をだらんと垂らすと幸村はそれを見計らった様にそれを後ろに引いた。よろつく私の背中を幸村に受け止められたが、次の瞬間には彼の腕の中にいた。え、えええ。なんで、どうしてこうなった。渋い顔をしてしばらく微動だにしなかったが、幸村が私を離してくれる様子は微塵もない。 「あの…幸村さん?」 「ん?あ、照れてる?」 「違います」 「フフ、どうかな」 私を抱きしめる力を更に強めてふわりと笑う幸村に苛立ちを覚え、ちょっと幸村?と前に回されている腕を掴む。しかしそれはいとも簡単にするりと解けて、私を解放した幸村は悪戯っ子っぽく笑って見せた。なーんてね、と。 「今日はこういうふざけるのは無しにしようかな」 「…何なの、いきなり」 「ごめん、俺達はの事傷つけたのにね」 「ほんとだよ、理解不能すぎる」 私の台詞に苦笑した幸村は、嫉妬なんだと口にした。ふと昼間の事を思い出す。 『ようは独占欲っすかね』 しれっと言い放つ財前を思い出して顔が熱くなった。うわうわ、思い出さなければ良かったよ。頬を押さえると、そんな私を幸村はちょっとだけ苦い顔をしてみていた。 「ああ悔しいな。まさか他校の人に遅れを取るなんてね」 「…は?」 「は分からなくていいよ、まだ」 「…いつも、そうやって曖昧にするんだね」 視線を幸村から逸らしてテーブルに触れる。最初は幸村にまで拒絶されるとは思ってなかったんだ。だけど彼は私には四天の方が合ってるなんてほざきやがって。そんなのちっとも嬉しくない。私が邪魔ならそう言えば良いのに、なんて。 「傷つけたのは謝るよ。でも、曖昧なのはもだろ」 「…私が?」 「俺には未だにお前がどうしたいか分からないけど」 そんなこと私にだって分からない。こうしたいって意志がまだないんだ。幸村達とは確かに一緒にいたいけど、うまくやれなかったらやっぱりその時は仕方ないなって思うだろうし、もっと言っちゃうと生きる目的自体が曖昧だ。何がしたいとか、将来何になりたいとか全然決まってないし、特技があるわけじゃない。何をしていいか分からない。全てが曖昧なんだ。 「曖昧なのはお互い様」 「…」 「でもはっきりしないのは嫌だから、お互い『曖昧』はもうやめようか」 「…そんな勝手に…決めないでよ。ずるいよ」 「だってそうでもしないとは変わろうとしないだろ」 そうやって笑って、幸村は何でもないように私の嫌な所を浮き彫りにするんだ。唇を噛む私に、幸村は腕を広げて見せた。そして続けて、とりあえず、俺達と一緒にいたいかいたくないかはハッキリさせとこうか、なんて言う。 「ちなみに俺はといたいな。傷付けちゃう時もあると思うけど、そうしたらちゃんと仲直りして、やっぱりまた一緒にいたいよ」 「…私、は…皆といたいけど、」 「いたいなら他のどんな理由も、もういらないよ。言ったろ、曖昧はなし」 「…幸村…っ」 「おいで」 その言葉を待ってたみたいに体が動いた。しがみつくように抱き着いて、私は鼻をすすった。やっぱり私はコイツらがいないとダメなんだなって、そして幸村達もそう思ってくれてたらって思えた。 とりあえず今日からコイツらに関する曖昧は少しずつでもなくしていこうと思う。 そしたら何か大切な事に気づける気がするんだ。 素直におなりよ (とりあえず、仲直り) ←まえ もくじ つぎ→ ---------- 1100911>>KAHO.A |