夏の記録:14

自動販売機の前に立つ見慣れた背中に私は小走りに近づくとそっと手を伸ばす。
その先にはおしるこのボタンで、別の物を買おうとしていた彼より数秒早く押した私は下からおしるこを取り出す。振り返る切原赤也は唖然と私を見つめていた。


「おごってくれるなんてありがとう」


赤也に微笑みかけると彼は少し気まずそうな顔をしてから作り笑いを浮かべた。
はあ、と。やるせない気持ちが押し寄せる。しかしここで赤也に怒るなんて間違ってる事も分かっていた。


「やっだなあ。そこは『おごるなんて言ってないっス』ってツッコまないとー」
「…ああ、」


そろそろ本当に悲しくなってきた。戻りますね、なんて馬鹿に丁寧に私に挨拶してきたからとっさに赤也の腕を掴む。それからどうするか考えてなかったし、振り返った赤也と目を合わせたままお互い固まって、…うええノープラン!えっと、えっと、あれだ。まず謝んないと。せめて一言赤也に謝りたい。だけど何て言っていいか分からなくて、いや、言葉は思い付いた。今。言葉思い付いたなう。呟きたいよ誰かフォローしてくれよ。色んな意味で。何か声が出なくて、どんどん恥ずかしさが増していくよ。幸い周りに人がいないから変な目で見られる事はないが、…むしろ周りに人がいてくれた方が良かった気がする。二人しかいないとか逆に恥ずかしいぞ。無理だ。
ずっと目を合わせているのもあれだから私は視線を泳がせてみると、不意に赤也がふき出したから私は再び彼に目を向ける。


「ははっ先輩顔真っ赤っスよ」
「そそそんなわけあるか!この私がっ、ツイート好きなこの私がっ」
いや関係ねっス、絶対


やっといつも通り笑って、話せた事に安堵した反面、よく分からない感情がもやもやと渦巻いて。いや、違うな、もよもよと渦巻いて?ううん?…あ、そうだ。これだ。


もじゃもじゃだ
ああ、先輩喧嘩売ってんなら買いますけど
「違う!こっちの話だから!うん!」


てかいつまで腕掴んでんだ私。慌てて彼の腕を離すとすぐに掴み返されて、つい腕と彼を交互に見つめる。え、あのー…喧嘩は嫌だよ?
びくびくと言葉を待つ私だったが、赤也は言葉を発する前に私に笑顔を向けた。
安心する表情で、思わず赤也を見続けていると、彼は口を開いた。


「ちょっと話しませんか」


まさしく私が言おうとしていた言葉で、…違う、言わなくちゃいけない言葉だった。私から切り出すべきなのに。
赤也は私の腕を引いて、以前やかん先生に追い出されて丸井達とサボったベンチまでやって来て、ストンと近くのそれに腰を下ろした。隣を叩かれ私も座る。

数分沈黙が続いたが、赤也があの、と私の方を向いた。


「…すいませんした」


私はびくりと肩を揺らしていた。何で赤也が謝るの。無意識にそう呟いていて、赤也はそんな私に肩をすくめて見せた。聞くんスか、なんて。当たり前だ。だって赤也が謝らなくちゃいけないところなんて見つからない。


「俺がガキだったって事っスよ」
「…ガキ?」
「多分これから先も真田副部長に怒られて、馬鹿やって先輩達に迷惑かけると思うんス、俺」


正直、赤也がそこまで考えているとは思わなかった。何だかんだでちゃんと赤也はしっかりしてるじゃないか。


先輩、俺は最初から、一番最初から分かってました。先輩が俺の事を避けてること。…あ、いや避けてるってのはちょっと違う気がするんスけど…」
「…」
「…先輩、」
「…ごめんね。そうだよ」


今更こんな感情知ったって遅いのに、罪悪感が私に重くのしかかった。そう、私は赤也との間に、他の人以上との境界線を引いていたんだ。
一番恐れてた。赤也に情が移ることを。赤也の性格を知る以前から、彼と私にいつか面倒な事が起こると心のどこかで分かってたから、私は赤也に対して誰よりも濃くはっきりと境界線を引いていた。エゴなんて言えないほどしょうもない、弱いエゴだったんだ。


「俺だけ先輩と学年ちげえし、それだけで辛かったのに、仲良くしてる裏でかなり距離を置かれて、ムカついたんス。どんなに仲良くしようとしても心なんか開いて貰えないし。不安になって、どうしようもなくなった時に、原西先輩が現れた」


赤也はどこか私に似ていたソノちゃんの方に近付いたと、ソノちゃんは自分を避けないから安心できると思って私から離れたんだと呟き、俯いた。

赤也が私を慕ってくれているのは知っていた。それがレンヤと重なって、怖かったんだ。いつか離れていくのが。だから子供扱いなんかして自分とは違う事をはっきり示し、そうやって赤也を遠ざけてきた。
決めていたんだ。
何かあれば赤也を真っ先に切り捨てようと。


「…ごめん赤也」


でもね、そう続けて視線を落とした。
言い訳に聞こえるかもしれないけど、これだけは事実なんだ。


「今は、赤也に嫌われるのが、…怖い」
「…そういうの、ずるいっスよ」
「うん、そう思う」
「そういう意味じゃないんス」


泣いてこそいなかったものの、もどかしそうにくしゃっと表情を浮かべた赤也はボソリと先輩のばーかなんて呟いていて、立ち上がった。


「もっと先輩に嫌味も言ってやろうと思ったのに」
「…」
「そんなこと言われたら、俺…何も言えないじゃないっスか…」
「…赤也、あのね、」
「…もっと早くその台詞聞きたかったんスけど」


赤也はそう口を尖らせて私の手からおしるこの缶を奪うと、私に笑ってみせた。でも無茶苦茶嬉しいっス、なんて。


「俺が先輩を嫌いになるわけないじゃないっスか」
「赤也、」
「だけど、」


背を向けて歩きだした赤也はおごらないっスよ、金欠なんでーと苦笑して缶をちらつかせた。


「うん、それでこそ赤也だ」
「なんすかそれ」



じわじわと騒ぎはじめたセミ達の声に耳を傾けた。


ああ、ようやく本当の夏が始まる。




ここがあなたの居場所なんです
(だからもう、勝手に逃げないでください)

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なんと1週間ぶりに更新。更新する直前まで文芸部の作品も書いていたので目が疲れたー・・・
110411>>KAHO.A