夏の記録:09「さーて帰るかあ…って、ちょっと」「うええ?」 わしっと肩を掴まれた私は振り返るなりいきなりため息をつかれた。え、何それひでえ。 保健室特有の消毒の匂いをすん、と嗅いでから私を微妙な目つきで見つめてくるマリコに首を傾げてみると彼女は近くの丸い椅子に腰を下ろした。 「何で君存在してるの?」 「出会い頭に存在否定ですか。随分なご挨拶っすね」 「いいから答えろ。いや、やっぱ答えなくていいから帰れ」 「うええつめってええ」 いや来た意味は特にないよ。この時間暇そうで構ってくれそうな人を脳内検索かけたらHIT1でマリコが出たんだよ。 まあちょっと私と話そうぜお嬢ちゃん、と私もマリコの隣に椅子を持ってきて座ると蹴り飛ばされてゴロゴロと床を転がっていく。ふは、無駄な体力を使ったぜ。 「さん、もう放課後なのに何でここにいるのかな、お母さんが心配するよ帰れ」 優しく言ったつもりなんですかね。全然優しくねえよ特に最後。おいお嬢ちゃんお痛が過ぎるん「触んなこのパッパラパー!」パッパラ…!?なんだそれ愉快だな…!てかマリコ不機嫌ね、さんに当たらないでよ。 「別に何でもないわよアンタが来たから腹が煮え繰り返っただけ」 「私の存在にどれだけ腹を立ててるんですか先生」 そんな私を毛嫌いしなくてもねえ? とか言って私が嫌いなんじゃなくてホントはあれでしょ、彼氏に振られたんでしょ。ロンリーか、淋しいね。あ、言い返せてないし。マジ図星か、うひゃひゃひゃ!痛っ 「お前のそういう所が嫌いなんじゃぼけえ」 「…うええ」 大体彼氏なんていないわよ、と淋しそうに言ったのはスルーしといてあげよう私優しいから。私優しいの。大事だから二回言ったんだよ。テスト出るからこれは。 「最近私の尊敬する人がツイッターに現れないからちょっといじけてるだけよ」 「お前もツイッターやるのか!」 「は?『お前』?」 「すいませんっしたマリコ先生」 メキメキと頭を掴まれて危うく潰される所だった私はそれにデジャヴュを覚えつつ痛む頭を摩る。馬鹿力め。 「私あの人のツイート好きだったのに。あの狂ったような感じがまた」 「へえええどーでもっ…、良くないですよね、はい」 いちいち怖いからやだこの人。ぶつぶつ文句を言いながらベットにダイブするとマリコは、そう言えばアンタ部活は?といつの間に入れたのかコーヒーを啜りながら私の方を見た。うわあ空気読めねえなコイツ。 今日休みなんだよ、うんとか適当な事言ってみる。保健室の窓から練習風景むっちゃ見えるけどね。 「もっとマシな嘘つきなさいよ。…アンタといると疲れるから私は帰るわ」 「ちょ、待ってよマリコおお!一人にすんなよ!朝まで抱きしめてくれよおおおうおお!」 「……うわ引く」 「ぐはっ今みたいな一言一番傷付くから。冗談で言っただけだから引かないで」 「うるさい近づくな」 「へぶ…っ」 顔を押しのけられてしくしくうずくまっていると不意に保健室の外から声が聞こえてきて、かと思えばガラリとドアが開いた。 …幸村…と、丸井。 この二人はテニス部のメンツの中で一番会いたくなかったから、私はつい二人から目をそらした。そんな私を一瞥したマリコはニコリと二人に微笑む。いつもマリコが彼らに向ける笑顔だ。ちょっと媚びるみたいな、女の表情。 「珍しい組み合わせね、どうしたの?」 「ちょっと怪我しただけなのに幸村に無理矢理連れて来られたんだよ」 私の事なんてまったく気にしてないように、いやまるで私の存在なんかないみたいに丸井はへらっと笑ってマリコにそう告げる。幸村もやっぱりいつも通り、こういうのを侮ってると痛い目見るんだよと微笑みながら静かに威圧してる。そんでびくつく丸井に、…うん、いつも通り。 「ちょっと見せて、…あらあら、結構凄い怪我ね。転んだの?」 「そう、ちょっとミスって」 いつも手当なら私がしてるけど、私マネージャー辞めちゃったからな。ここは居づらいからさっさと出たいけど三人が入口を塞いでるから出れない。一人ため息を零していると、不意にマリコが私を呼んだ。 「ぼーっとつっ立ってんじゃないわよ。消毒とガーゼ取って早く」 「う、うええ、はい…」 ガーゼや消毒の場所が分からないわけじゃないが、一瞬迷った。頼まれた物を取るとそろりと手を伸ばしてマリコに渡す。奪うようにそれを取った彼女は手際よく手当を始めた。流石保健の先生。 「…はい、完了。次は気をつけるのよ」 「先生サンキュ」 ほんと愛想はいいね。彼らのやり取りを見つめていると急に彼女は私の方に近づいてきたからビンタでも食らわせられるんじゃないかと身構えていたら鍵を渡された。見た所保健室のだ。彼女はぽそりと小声で呟いた。 「嫌な事から逃げちゃ駄目」 以前もに似たことを言われたっけ。私達三人の空気で読み取ったのかな。前言撤回。空気読めすぎ。鍵を握りしめた私はマリコを見つめていると彼女はバックを持って私は帰るわと手をヒラヒラ振った。 「さん、いつまでいても良いけど、戸締まりしっかりね」 「…え、は?ちょ、」 「ばいばーい」 「…な、」 ………何て、放任主義、というか、無責任な女だなあ。その場に取り残されたのは私と幸村と丸井で、(まだいたのかよコイツら)私達の間には異様な空気が漂っている。どうしよう、逃げたい。そう思う私の鍵を持つ手が汗ばんで、気持ち悪さを感じ始めた時、幸村が沈黙を破った。 「テニス部の手当てする道具が足りないんだ。ホントは部費で買うべきなんだけど、どうしても今必要でね、絆創膏で良いから少しだけくれないかな。先生には後で俺から言っておくよ」 「…あ、…はあ、」 マリコがいる時に言えば良いのに。あーやだなあもう。本日何度目か分からないため息を小さくついて彼らに背を向け保健室の棚を漁る。超沢山あるし、絆創膏は一箱あげていいよね、マリコなら許してくれそう。はい、と箱を差し出すと、幸村はニッコリ笑った。 「ごめんね、ありがとうさん」 「…は、」 何、今『さん』って、言った? 呼び方が変わった、たったそれだけのことなのに、その言葉からは明らかな、拒絶に似た何かが感じられて、首を傾げる幸村に見つめられた私はあの時みたいに目の前が真っ暗になった。幸村が、いや、丸井も、皆が皆、私を遠ざけている。…私が望んでいたことなのに。 それでも足の力が一気に抜けそうになった。何だろう凄く気持ち悪い。ぐらりとふらついてしゃがんだ私は床に手をつく。息が苦しい。疼く頭を押さえると二人が慌てて私を覗き込んだ。大丈夫か?そう聞かれて無理に笑顔を作った私はふらふらと立ち上がる。うん、大丈夫。 「もう暗くなるし、体調も悪そうだから帰った方が良いぜ?」 「…大丈夫っすよ」 「心配だな、大丈夫かい?さん」 ズキリとまた胸が苦しくなり、いや、それよりも幸村の態度が腹立たしく思えた。心配なんてしてないくせに。わざとらしく「さん」付けまでしちゃって、なんなの。私の苛立ちは募るばかりで、再び幸村が「さん」と呼び掛けた時、それはぷつりときれた。気づけば私は幸村を睨み右手を振り上げていたのである。 パンと渇いた音がして、幸村をはたいた手がヒリヒリと痛んだ。 「…あ、れ…?」 私、今、何を。幸村は赤くなった頬なんて気にしてないように私をまっすぐ見つめていて、私と丸井の方が明らかに動揺していた。 「ご、ごめ…っ」 鍵を放り出して、私は走り出した。保健室を飛び出した私の頭の中はもうぐちゃぐちゃで、私をまっすぐ見つめていた幸村の顔だけが、頭の中に鮮明に残っていた。 涙はもう出ない死んでしまったからね (だけどこんなに息苦しいのは、)(切ないのは、) ←まえ もくじ つぎ→ ---------- 幸村はやっぱ全部分かってて、犠牲を払っても最善の選択をする人。 んで、ついに4月に入りましたね。 110401>>KAHO.A |