冬の記録:10

じゃーね、さん、また明日。帰りのHRが終わるなり、A組の皆は挨拶を交わしながら教室を出て行く。真田や柳生はこのまま帰るのだろうかと伺っていると、彼らはどうやら、本来この時期の三年はやる必要もない風紀委員の仕事のために、会議室に顔を出すらしい。わざわざ私の元までやってきた二人はその旨を伝えて、出て行った。
さて、私はというと、ソノちゃんから託されたカメラで、好きなものを撮るという使命がある。正直、赤也と撮った後も、レンヤやクラスの子達との思い出も沢山カメラに収めたので、もういいかな、という気もしているのだが、まあ廊下くらい撮っておこう。ぱちりと。
それにしても、A組はそうとう早くHRを終わらせたらしい。廊下にはクラスの友達がまばらにいるだけで、どの教室も扉がしまっている。


「こんな様子じゃまだテニス部の午後練風景は撮れないかな」


肩をすくませた私はどこに行こうかと首をひねらせる。すると、ふと、とある場所が頭にチラついた。あの場所には、最近かなりお世話になっていたから見に行っても良いかもしれない。そう思って、私は階段を上り始めた。

屋上庭園の扉の前まで来ると、私はほっと息を吐いた。相田さんに鉢合うような予感がしたから、誰にも会わなかった事に安堵する。そうして、私は扉を開けようと手を伸ばした時、不意に扉が開いて私の額に衝突した。


「あ"あ"あ"いってええ激しくデジャヴ!」
「すすすいません…って、先輩!」
「…おおう、相田さん」


二度ある事は三度あるとは言ったものである。結局会いたくない人に会っとしまったじゃないかと、私は痛む額をさすった。それから、ちらりと彼女を伺う。剥き出しにされると思った敵意は微塵も感じず、なんだか拍子抜けした。もう怒っていないのだろうか。


「引っ越しするそうですね」
「え、」
「風の噂で聞きました。学校の殆どの人が知ってますよ」
皆、風の噂好きだよね
「はい?」
「こっちの話」


それより、私そんなに有名になった覚えがないのだが。まったく、テニス部に関わるとロクな事がないな。渋い顔をする私の横で、相田さんは、私の腕を掴んで中に招き入れた。首に下げているカメラを見てあらかた察したに違いない。私に背を向けていた彼女は、ちらりと私を省みた。


「先輩がいなくなったら、私、幸村先輩の事とっちゃいますからね」
「…」
「いいですよね」
「…ううむ、…それはちょっと、困るかな」


私の返答が予想外だったのか、相田さんは目を見開いて、そして笑った。「変わりましたね先輩」それから、スッと彼女はある花壇を指し示す。そう言えば、見せたいものがあるんですよ、なんて。それはいつだったか、デイジーの花が咲いたなんだと三人で見ていた花壇だった。未だデイジーは綺麗にこちらを見上げて並んでいる。見せたいものって何だろう。デイジーなら前に見た事があるのは彼女だって知ってるはず。


「先輩がこの子になんて名前つけたか、覚えてますか?」
「あー…私、なんか言ったっけ?」
「もー…覚えてないんですか?」
「ごめん、何だっけ?」


私の質問に、相田さんが答えをくれる事はなかった。代わりに苦笑と、「見れば分かりますよ」という言葉を残してこの場を去ろうとする。え、ちょっと待ってよ。そんな言葉も聞こえているのかいないのか、とうとう彼女は扉の向こうに消えてしまった。一体…何だったんだ。
花壇の前にしゃがみ込む私は、首を傾げながら、デイジー達を眺める。ふと、端にまだ新しい白いプレートが立ててあるのに気づいた。花壇の横に花の名前を書き込んだプレートがあるのは知っているが、この花壇には既にキチンとデイジーの名前が立てられているはずだ。


「ううんと、何が書いてあるん、…」


命名:メリッサ】
そこには幸村の字でそう書かれていた。



「なんか、デイジーっていうよりメリッサ?」
何で
「だってそんな感じしない?この子とか特に。よし、今からお前はメリッサだ!」
「可哀想に」



そう言えば以前にそんなやり取りをしたっけかな。相田さんの言ってた事ってこれの事か。やるせなく笑った私は、持っていたカメラで、そのプレートを写す。
嫌がってたくせに結局名前つけてるし。ていうかこんなプレート立てちゃってさ。
幸村は一体どんな顔をしてこのプレートを書いたのだろう。「まったくアイツは」なんて、ブツブツ言いながら立てたのだろうか。そんな幸村を想像したら何だかおかしくて、それで、


「どうして、こういう事するかな…」


切なくなった。


「あれ、?」


相田さんがいなくなったと思ったら次の客が来たようだ。どうやら彼のクラスのHRも終わったらしい。
幸村の声をしゃがんだまま、背中で受け止めていると、彼が私の隣に並んだ。


「よく来るね。お前が花に興味を持ったと喜んで良いのかな」
「いや、残念だけど違うよ」


私は立ち上がるなり、思い切り幸村に抱きついた。突然の事に驚いたらしい彼が珍しくふらついて、私を受け止める。


「幸村がいるからーーここに来れば、幸村がいるからだよ」
「そう。そんな直球だと照れるよ」
「幸村、」
「なに?」


幸村の背に回す腕に力を入れると、彼は私をあやすように、ぽんぽんと背中を叩いた。気持ちが落ち着くはずのその動作は、今は私の涙腺を緩めるものになっている。胸が熱くなる。


「…私の事忘れてなんて、嘘」
「…」
「忘れられちゃったら、やっぱり寂しい。あと、できれば、他の子は…その、…あんまり、あー……何でもない」


やっぱり忘れて。
途中で、悲しさとか切なさとか、そんな感情よりも、恥ずかしさが私の思考を占めた。何やってんだ。何やってんだ、私…!
ゆっくりと彼から離れると、私は小さく謝った。できる事なら私の頭から今の記憶を抜き取って欲しい。ああああ。


「あはは。、最近ずいぶん積極て、」
「あああああぴぎゃあああ。…え?ごめん何?」
「…ずいぶん積き」
「げっほごっほごほごほ今日は花粉凄いねえええ」
「…」
「はくしょーいどっこいしょーい」


ガッと口を塞がれた。幸村が若干面倒くさそうな顔をしている。私は引く気はないけども。誤魔化すならもっと上手くやりなよ。ちょっと怖かったので頷いて見た。頷いて見ただけで決して引いたわけではない。神の子に屈したわけではないのである。私を解放した幸村はどうやらもう私をからかう気はないらしい。彼の気はありがたい事にカメラに逸れていた。


「ここにいるって事は、もう全員と写真は取り終えたって事かな」
「あ、ああ、うん」


見るよーと、彼は私からカメラを受け取ると、データを開く。何で廊下なんて撮ってるの?なんて言葉を聞きつつ私は隣でホッと胸を撫で下ろしていた。私の歩の悪い雰囲気からは抜け出せた様だ。えーと、私は廊下の前に何を撮ったっけ?幸村と一緒に思い出にら浸ろうとする。あはは、転んでる。愉快そうに笑ってらっしゃる。結構結構、いやちょっとまてよ?私、転んだ時に、正しくはその前に何を撮ったっけ?いや、何を撮られたっけ?!
ハグじゃん!赤也のハグじゃん!


「幸村ちょっと待っ」
「…わー楽しそうじゃないか。赤也とハグ?
「ちが、これは不可抗力というやつで!」
「へえええ」


止めた時には既に例の写真を見ていらっしゃった。
ダメだ。逃げるしかない。くるりと幸村に背を向けて走り出す私。しかし一歩踏み出したところで案の定すぐに腕を掴まれて引き寄せられた。ぐええアイアンクロー決まってます幸村さんんん。


「不可抗力とか言ったよね
「そうなの。赤也がいけないの。あの馬鹿ねーホント困るねー馬鹿でねー」


赤也マジでごめん。いつかハーゲンダッツ買ったげるからな!
びくびくしながら、幸村の次のお言葉を待っていると、彼はスッと腕を解いて私を見た。あれ?


「不可抗力なら何されても問題ないんだ?」
「いや、そういうわけじゃないけどね」
「じゃあ赤也がお前に抱きついたように、俺がお前にキスしても問題ないよね」
「それとこれとは話が違わない!?」
「全然」


ぐいっと腕を引かれて再び幸村の腕の中に収まった私は身体を強張らせた。え、え?私心臓がうるさ!


「悪いけど、俺独占欲強いからさ」


そうして近づいてきた幸村の綺麗な顔を止める術を私は知らない。




お手上げポーズ推奨
(まあやったところで意味はないけど)

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ストックなくなった。
130325>>KAHO.A