冬の記録:04


あれから、数日が経ち、私の周りは幸村の事以外、以前と変わらぬものになっていった。――そう、幸村の事以外。
一番厄介な事だけが私の心の中にわだかまりとして残っているのである。色々と跡部に助言を貰って、自分の中で落ち着いた事はあっても、それからなかなか行動に移せていないのはやはり昔の私の意気地無し気質が残っているせいだ。きっと。


「どうすんだよ本当にさあああ」


ガツンと盛大に、自らの額を机にぶつける。そばに座る丸井と仁王は漫画から顔を上げて怪訝そうに私を見た。「何が」丸井がポッキーをくわえて問う。なんかムカついたので私は答えなかった。というより答えられる訳がなかった。
相田さんには「幸村に告白すれば」なぞと意地を張り、挙げ句、彼女に私の醜い感情を幸村にばらしてやるとまで言われて、それを了承してしまったのだ。嫌われる。いや、もう既に告白を受けて嫌われている可能性がある。あれからもう何日も経っているのだ。しかも私の引っ越しも近い。


「あああ」
「いい加減にしろい。相談しねえなら帰れ」
「つめってええ」
「じゃあ唸っとらんで何か言いんしゃい」


パタンと二人は漫画を閉じて改めて私を見た。脳裏に焼き付いたあの時の相田さんとのやり取りに意識をやりながら、私はじゃあ、と切り出す。


「二人は私がどんな奴でも友達でいてくれますか」
「俺、前にそう言わなかった?」
「言った、かも…文化祭の時…。仁王は」
「愚問っちゅうやつじゃのう。お前の面倒くささは今に始まった事やないし」


そう言って仁王は苦笑した。それを聞いて私は少しだけ安心したけど、でもそれは二人の場合だ。それにあんな醜い感情は、私だったらちょっと距離を置くかもしれない。


「実は私は蛙を丸呑みしますとか言ったらどうする」
「え、何それキモ」
「普通に引くんじゃけど」
「お前らあああ」
「いやでも、」


流石に友達はやめねえよ。
ポッキーの空箱を、丸井はひょいとゴミ箱へ投げる。それは見事にゴールへと収まり、本人はニヤリと口元に弧を描いた。
その態度も、口調も、何もかも、まるでそう答える事が、当たり前のように彼は言うものだから、私は恥ずかしくなって、肩をすくめる。仁王も仁王で丸井の発言に雑に頷いたが、多分照れ隠しとかそういうやつなんだと思った。


「まあ、考えて見ろよ。もし俺が雀を丸呑みしたら、」
「ああそれは友達やめるわ」
オイコラKY
「え、何。(K)キューティクル(Y)ヤバい?」
「言ってねええ」
「ちゅーかキューティクルってK?」
「俺知らね」
「私も知らね」


下らなかった。相変わらず私達の会話は下らなかった。しかしこのコントなやり取りのお陰で、気持ちを落ち着つけることができた。私はだらりと椅子の背も垂れに体を預けて、体をのけ反らせる。
そんな私の逆様の視界に飛び込んで来たのは廊下を歩く幸村と相田さんだった。
どわあ、とバランスを崩して後ろに倒れる。頭を打った。


「あだだ」
「…何やってるぜよ」
「パンツ見えてんぞ」


痛む頭をおさえる私は、そんな奴等の言葉も無視をして再び廊下へと目をやる。私が倒れた事に驚いた二人が一瞬こちらを見ていた。しかしすぐに相田さんが幸村を促し、歩き始めた彼らは私の視界から消える。
複雑な気分だった。相田さんはきっと今から告白するのだろう。ギュッと制服の裾を堅く握って視線を落とす。


「あーあ。俺なんかお汁粉飲みたくなってきたわ」
「俺も喉がカラカラじゃなあ」
「…は?」


突然脈絡のない発言を始める二人に私は口をぽかんと開けた。彼らはそんな私を見て、廊下の方を顎でしゃくる。


「パシってやるから買って来いよ。金は持ちだからな」


追いかけて来い、と私は言われているらしかった。しかし、ためらう。追いかけて何になるのだろう。私は一体幸村に何を伝える気なのか。追いかけて何か、変わる?


「何でもいいから、はよ行きんしゃい」


とんと背中を押されて私は廊下へと出た。後悔するなよと、丸井が笑って手を振った。
そうか、私は後悔しないために幸村を追いかけるのだ。幸村に彼女の告白なんて聞いて欲しくないし、このままギクシャクしたままなんて絶対に嫌だ。例え何も変えられなくても、ここで動かなかったら後悔する。
私は二人に大きく頷いて、走り出した。





しばらく廊下を駆けていると、いつだったか柳とあの告白現場に遭遇した場所まで来ていた。まさかと思い、キョロキョロと辺りを見回していると、――ビンゴ。幸村達があの時と同じように向かい合って何かを話していた。相田さんには申し訳ないが今は遠慮をしている余裕はない。
二人の元へ一直線に駆け出す私は幸村の腕を掴んで、彼女から逃げるように走り出した。何故かデジャヴを感じた。


「…!、何で」
「取り敢えず何かもう色々ごめん!」


頼むから私の事嫌いになってくれるなよ!
幸村の顔は見ずにそれを付け加えて、私は前を走り続けた。なんて、この期に及んで、今の台詞はあまりに身勝手か。言った後にそんな考えが頭にちらつく。
なんと都合の良い人間なのだろう。
ああ、けれどもう良いのだ。
後でずるいだなんだと周りから言われようが、私は構わないと思った。もう吹っ切れた。どうせなら欲張りで、ずるい人間になってやる。後悔なんてしたくないから、言いたい事はハッキリ言って、自分でやりたいと思った事をやり通してやるのだ。


私が幸村を連れて来た場所は屋上庭園だった。
やはり息を切らす私と、そうでない彼がそこにはいる。
私は呼吸を整えていると、いきなりどうしたんだと幸村がまず口を開いた。


「あ、の、ですね、…うええ、ごめん」
「…」
「きっと相田さんも幸村に大切な話あっただろうけど、私の方が大切だから、まず私の話聞いて」
「…自分勝手な奴だな相変わらず」


呆れ気味に幸村は言った。しかし少し笑ったようにも見えたのは私の気のせいだろうか。
ようやく荒い息が落ち着いて、膝を押さえて曲げていた体を起こす。
まず何を話したら良いのかまるでノープランだったのだが、とにかく言える順に言って行こうと思う。


「あー…ふと、思い出したんだけどね、」
「うん」
「一年の、仮入部の時に、私に声をかけてテニス部に誘ったのって」
「俺だよ」


マネージャー志望は私以外に沢山いたらしい。しかし、やはり立海テニス部のネームに惹かれてやってくる人間ばかりだった。そんなうんざりした中で、真剣に練習を見ている女の子がいたと。それが私だったそうだ。


「どうせマネージャーを誰かしら入れなくちゃいけないみたいだったし、ならマネージャーをやれると思ったから」
「実は私はあの時初めてテニスを生で見たんだよ」
「へえ」


頷いた幸村は、それを言うためにこんな事したの?と問う。いやまあそれだけではないが。色々と言いたい事が他にもあるから急かさずに聞いて欲しい。


「私は幸村のお陰で変われた。もしあそこで幸村に出会わなかったら、きっと私は今、本気で泣く事も笑う事もできてない」
「そっか、そう言ってもらえると素直に嬉しいよ」
「ああ、うん…それで、えーと…」
「うん」


いざ次の「言葉」を言おうとすると一気に体温が上昇し始める。目の前がグラグラと揺れて、心臓がこれでもかというくらい暴れていた。うおおお…どうしよう!よし、まず呼吸だよ呼吸。すう、と息を吸い込んだ私は泳いでいた視線を幸村に合わせる。


「すき、です。…私はっ…は、――幸村精市が、好きです」


言ったあああ…!あーもーやだ恥ずかしい。きっと今なら私の体温で地熱発電に近い事ができる。地球に貢献できる。だから私をこんな恥ずかしいフィールドから逃がして欲しい。俯いて、ぎゅうと目を閉じ幸村の事を待つ。が、どれくらい時間が過ぎただろうか。(いや多分1分も経ってないのだろうが、私には何時間にも感じるわけだよ)それにしても幸村が口を開く気配は伺えなかった。あれ、理由?好きな理由言った方が良い系!?


「うええと、っすね。幸村は意地悪だし、腹黒だし怖いしで、正直良いとこないと思ってたんだけど、…なんか今振り返ると私に何かあった時にさり気なく横にいたのは幸村だったような…あれ、違った…?」
「……ああ、お前は相変わらず馬鹿だよ」
「え、このタイミングでそ、どわあ!」


いきなり腕を引かれたかと思えば、私は幸村に抱きすくめられていた。花の香りに交ざって幸村の優しい匂いがした。私も遠慮がちにそっと、彼の背中に手を回す。


「嘘じゃないよね」
「多分」
「俺もが好きだ。もうこれからは多分とか言わせないよ」
「把握、しました」


幸村がくすりと笑ったのが後ろで聞こえた。それから私はもう恥ずかしいから放して欲しいと申し出たのだが、幸村の「嫌だ」の一言でバッサリ断られてしまった。まあ仕方ない。


「それならこのままもう一つ御耳に入れて欲しい事が」
「何?」
「私、引っ越す」
「――は?」


唐突な申し出に、彼が私から離れた。私は真っ正面から彼の視線を受け止める。本当は、言うのはためらわれたのだが、ここで言わなければもっと伝え辛くなってしまうと思ったから。
幸村は間髪を入れずに「いつどこに」と問う。


「年末に、アメリカへ」
「年末って…もう二週間しかないじゃないか」
「そうだね」
「そうだねってお前、…どうしていつもそんな能天気にいられるんだよ」


だって決まった事だから仕方がないんだ。だから、私の事は綺麗サッパリ忘れちゃって構わないよ。ヘラヘラ笑って言うと、幸村は目を見開いて、私の頬を挟み込む様に強く叩いた。「嘘でもそんな言葉聞きたくない」


「嘘じゃないって」
「笑い事じゃないよ。自分の事だろ、お前のはまるで他人事だ」
「だって、ねえ、…あははは、やっぱり私は最後まで幸村を怒らせてしまうんだなあ」


棒読みも良いところだった。それで幸村は私の心の全てを悟ったらしい。珍しく一瞬、悲しそうな顔をして、それからは何も言わずに、ただ私をもう一度抱き締めたのだった。


ちなみに、幸村の温度に私がちょっぴり泣きそうになったのは、彼には内緒である。




なくしたいものとなくならない哀、と
(他人事?当たり前じゃないか)(だって、)

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疲れた。
130319>>KAHO.A