冬の記録:03


私が氷帝から家に戻る頃にはすっかり日も暮れ、辺りは真っ暗になっていた。今日は土曜日授業で本来は午前中で帰れたわけだし、もう部活もないから遅い事を連絡すべきだったかと、冬の日暮れの早さを痛感する。
怒られなければ良いがと、自宅へ帰ると、そこには珍しく、二人が揃ってリビングで向かい合って何かを話している様だった。


「…ただいま?」
「ああ、。やっと帰ってきたのね」


彼女達は私から遅い帰宅の理由を問いただすと思いきや、私をリビングの椅子に座らせて、話があるのよと切り出した。普段からはあまり見受けられない二人の真剣な様子に私は釣られて背筋を伸ばす。
一体何事かと、私は二人の言葉を待ったが、彼らはお互いをちらちらと伺うだけで、一向に話だそうとしない。


「…あの、何?」
「あのね、、」


ようやく口を開いたのはお母さんの方だった。


「引っ越す事になったわ」
「…はい?え、ちょっとま、どこに?」
「アメリカに」
「…アメリカ?」


ちょっと待って欲しい一体なんの冗談?
顔を引きつらせる私を余所に、話はどんどん進んで行く。仕事の関係で、どうも年末には引っ越す事になるらしい。


「ちょ…一か月ないってこと?ていうか、なんでそんな、いきなり…」
「ごめんね。でも…いきなりじゃないわ、ねえお父さん」
「ああ。夏にお父さん達が海外へ行った時に引っ越すかもしれないと、お前に手紙を寄越しただろう」
「は…」


そんなの…そんなの…、…あった、気がする。パパッとライスと一緒に意味不明な手紙が送りつけられてきたが、そこに、そんなことが書いてあった気がする。
その時はふざけているだけかと思って流していたけれど、まさか、こんな事になるなんて。私の頭の中を、一瞬テニス部の皆の顔が過ぎった。


「て、ていうか、いつも私を置いてってたじゃないか。今回だって二人でいけば、」
「今までみたいに一か月や二か月で終わる仕事じゃないんだ。もうお前を置いてはいけない」
「なんで、いつも、全部終わったと思ったら、…」
…」


ごめんな、と父さんは深々と頭を下げた。やめてよ、本当に皆と離れ離れになるみたいじゃないか。かっと顔が熱くなって、何も考えられなくなった。だから私は家を飛び出した。頭を冷やして来ると告げて。
二人は私を引き止めなかった。それが余計、私の気持ちの整理を――皆と別れる決意を固める事を待つように見えて、やるせなくなった。





「最近、に避けられとるのう」


今日の放課後、仁王に言われた事だった。そんなの言われるまでもない。告白したらこうなる事くらい分かっていた。しかし、分かっていたとはいえ、キツくないと言えば嘘になる。もう家にすらいたくなくて、俺は部屋着に上着を適当に引っ掛けてあてもなく外をぶらついていた。
あ、ポケットにテニスボールが入ってらあ。ラケットも持ってくれば良かった、そうすれば少しでも憂鬱な気分が晴れただろうに。
俺はトボトボと道路を歩きながらテニスボールを弄ぶ。その時だ。ふいに、後ろからバタバタと走る音が聞こえた。振り返ると誰かがこちらへ駆けて来る。立海の制服を着ていた。誰だ?俺は目をじっと凝らす。


「…って、!?」


意外な人物にすっ頓狂な声を上げると、本人はびくりと体を震わせて足を止めた。数メートルの距離をあけたまま、俺は「どうしたんだよこんな時間に」と声を掛けた。しかし俺がそう言い終わるや否や、彼女は踵を返して再び走り出した。多分、気まずいとかそう言う理由で今俺に会いたくないのだろうけど、あんなあからさまな避け方をされたら流石にムカつくわけで。


「おいテメエ!逃がすか!」


ここで逃がしたらもう一生、話せなくなる気がして、そんなの絶対勘弁だと俺も走り出した。しかしそれも焦れったくなった俺はしばらく走って距離を埋めてから、手にしていたテニスボールを思い切り振りかぶる。ひゅっとそれは鋭く、まっすぐに飛んで、の頭に直撃した。「ぐえっ」ぱたり。そんな勢いで彼女は道に倒れた。ついこの間も浦山にボールを当てられたばかりだし少々可哀相な気もしたがまあ仕方がない。それからはゆっくりとした足取りで追いついた俺はしゃがんでを覗き込む。


「大丈夫か」
「しね丸井」
「お前が逃げるからだろい」
「さいてーさいてーボール投げるとかさいてー」


俺の手に掴まって起きたは、制服の砂を払って俺を睨んだ。あ、良かった、普通に会話できた。 そんな俺の感情が顔に出ていたのか、彼女はハッとしてまた逃げ出した。ところが、数歩動いた所でぴたりと足を止め、てくてくとこちらへ戻ってくるではないか。


「どういう心境の変化だよ」
「もう私は弱くないので」


だからもう逃げないんだよ。
今度こそまっすぐ俺を見た彼女に、こちらが目を背けたくなった。怖くなってしまったのだ。告白の返事をされると、分かった。


「ねえ丸井」
「…ん?」
「あのね、…この間の、返事、なんだけども」
「…おう」


やっぱりだと、俺は咄嗟に彼女から顔を背けた。心臓がうるさい。いい意味の緊張ではなかった。俺は彼女の答えを知っている。ずっと前から。


「好きでいてくれて、ありがとう。でも、ごめんなさい」
「…」
「丸井は、私の一番大切な友人なの。だから、これからもそうであって欲しい」


何か言おうと思った。「そうだな」とか「当たり前だろ」とか「ありがとう」とか。言葉は沢山浮かんだ。ただ、どれも言えなかった。
言うべき台詞は一つも口からでなくて、代わりに出たのは、フラれた事でこれからがぎこちなくなるのを恐れた、臆病者の一言だった。


「なんだよお前本気にしてんの?あれはジョークだっつうの。喧嘩した勢いで言ったんだよ」


一瞬、彼女の表情がすっと真顔に戻った。というより、驚きに近い顔だったのかもしれない。しかし、すぐにそれはぎこちない笑顔に変わって、「そ、そうか、冗談だったのか!」なんてわざとらしい言葉が吐き出される。


「そうか冗談か!なあんだ、やめてよ!あはは」


俺もも、嘘を吐くのが下手になったと思った。お互いの下らない気遣いがバレバレだった。きっともそう思ってるに違いない。
でも、もう良いんだ。このまま、この事は大人になった時の笑い話になって、それでいつか忘れてしまえば。親友の俺達にはいらない出来事なんだ。


「あー畜生丸井の分際で私を騙しおってからに。…とりゃ!」
「お!?」


ガッと俺の首に腕を回したは俺の頭を固定して髪をボサボサに掻き乱す。初めこそびっくりしていたが、なんだかこんなやり取りが心地よくて、俺はつい、笑った。


さんからの撫で撫でもこれで『最後』だから、せいぜい噛み締めろよ馬鹿」
「……?」


俺は横目で彼女を伺ったが、ぐしゃぐしゃと相変わらず容赦なく頭を撫でるは、それから何も言わなくなった。されるがままの俺も、黙った。なんだか言い様のない切なさが込み上げてくる。

無性に、泣きたくなった。

何が悲しいのか分からないけれど、全てがやるせなく思えて泣きたくなった。

それからは俺を解放し、二、三言交わした後で、何かまた一つすっきりしたような顔をした。はそれじゃあまた明日と俺に手を振って来た道を帰っていく。 しかし少しだけ元気になったかに見えたはずの彼女の背中は、俺の知らない間に、また何か背負ったように何故か寂しそうに見えて、それから俺が引き止める間も無く、闇に消えていった。

彼女が見えなくなった後、俺は小さく息を吐いてテニスボールを夜空に放る。


「あーフラれたー」


言葉が白い息に溶けていく。
誰かこんな格好悪い俺を笑ってやってくれ。好きな女への告白を冗談だと、嘘を吐いたのだ。しかも俺の馬鹿馬鹿しい『エゴ』は、当然彼女が見抜けないわけなくて、それが余計に笑えた。


「だせえ。…あー…もー…何でこうなるかな…。俺、マジ…ダサいんだけど」


じわりと見上げた夜空が滲んでいく。
どうやら俺とは似た者同士だった様だ。嘘を吐いて、自分を守り続けていた。
ただは、もう眩しいくらい、まっすぐに強く立っているけれど。


「だああくそ!…泣かねえって、決めたのに、」


――なれたらいい。

いつか今のくらい、まっすぐな奴になれたら。




ありがとうきみがいてよかった
((君は(俺に)(私に)沢山の事を教えてくれた))

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丸井君はちょいと贔屓目に、っとかいって、前回に比べるとかなりグダグダですねすいません。本当は一番書きたくない話で、すごい雑に書いてしまったという。引越しの話も、ずっと前から伏線張り放題だったのに、ネタばらしがしょぼい。
130316>>KAHO.A