冬の記録:02


ぴかぴかと眩しい校舎、広大すぎる土地。立海だって決して小さい学校では無いはずなのに、全てがウチと比べ物にならないくらい馬鹿でかく、豪勢なその建物を前に、私はあんぐりと口を開ける他ない。氷帝恐るべし。
思わず息を飲む私の後ろで、スラリと背の高いサングラスのスーツマンが恭しくお辞儀をし、私を校門の方へと促す。


様のご来校の許可は下りていますので、どうぞこのバッチをつけてお入り下さい。景吾様は生徒会室にいらっしゃいます」
「何だとアイツが生徒会!?」


ギョッとして、どしりとそびえ立つ校舎を私は舐めるように眺める。すると、スーツマンは自分の役目はここまでと言わんばかりに車に戻り、サッと見えなくなった。御礼が言えなかった。まあ跡部に言えば良いだろう。車の消えた方へ小さく頭を下げてから、私は遠慮がちに氷帝の敷居をまたいだのだった。
――またいだのだった、が、私はある重大な事実に気付く。


「生徒会室の場所知らねえええ」


うわあああばかああんと私は、頭を抱え込みオーバーリアクションを取った所までは良かったが、現在私にはツッコミを入れてくれる相棒もいなければ、苦笑してくれる知り合いもいない。まさか職員室に行って「生徒会室教えて、ちょきーん」なんて言えないし「ふーあーゆー?げっとあうと!きるゆー!(アンタ誰?出て行け!殺すぞ!)」で終わるのが関の山だ。こえええ氷帝こえええ。
そんなあらぬ妄想を繰り広げているうちに私はやはり氷帝生徒の注目を集めてしまうし、「誰あれ立海の子?」「何か一人でしゃべってますけど何あれ怖い」私のが怖いわああ助けてえええ!


「ふっざけんなよ迎え来いよ跡部、私ぼっちなんだよ知り合いいないんだよああそうさ!何度も言うがつまりぼっちなんだよぼっちなんだよ!ぼっち、…」


そこまで言いかけて発狂する寸前、私はパコーン、パコーン、ととても聞き慣れたその音を耳にした。はっと顔を上げる。私の視線の先からは女子の黄色い声援も交ざって届く。立海で既に何度も経験済な音達に、私の体は自然とそちらの方へ引っ張られた。
そうだ。知り合い、いるじゃんか。

そうして辿り着いた場所は言わずもがなでテニスコートである。やはり引退を終えているため、3年の姿は伺えない。(といっても後輩指導をしているヒマじ…げふん、宍戸君はいた)
まあ3年でなくとも良い。テニス部であれば私を知っているだろうし、生徒会室もわかるはず。
騒ぐ女子達に睨まれながらも私は堂々とコートへ入って行こうとすると、急に制服の首の衿を掴まれて、後ろに引かれた。


「あたたたた何をするんだここは客人にそういう対応をしろとしつけられているのかね」
「貴方何してるんですか」
「…んん?その声は…きの、」
日吉です。相変わらずですね、さん」


そういう君こそ相変わらず私に対しては冷たい目をしていやがる。
彼の目はまるで何故ここにいるか説明しろと言っているようだった。だから跡部に無理矢理連れてこられた事を簡単に説明してやる。そこまでハッキリとは分からなかったが、彼の表情からは微かに呆れの色が伺えた。それが私へのものかアイツへのものかは定かではないが。


「それなら、跡部さんはここにはいませんよ。もう引退している事ぐらい分かるでしょう」
「いや、生徒会室の場所を聞きに来たのだよ。全然分からなくってね」


無闇に動くと迷って餓死しそうなくらいここは広そうだから。その前に知り合いに聞いた方が早いと弾き出したんだよね。ほら私頭良いから。ヘラヘラと笑うと、私が秀才宣言したそばから、日吉はそれを馬鹿ですかとバッサリ切り捨てた。ホント、冷たい奴である。


「何でも良いけど案内してよ。暇だよね?」
「暇に見えますか。一応部長を引き継いだんですけど」
「…」
「…何ですか、急に黙って、」
「そっかそっか、日吉が部長かあ」
「…はい?」


ウチの赤也も部長だよと付け加えるなり、日吉は眉をしかめた。そんな顔しなくても。
それにしても、うん、日吉が部長か。いや予想はしていたけれど、後輩に私達の「色々」が引き継がれて行くと思うと感慨深いものがあるのだ。私が、頑張るんだよと頭を撫でてやると案の定それは弾かれて、私はその手をヒラヒラと空中に彷徨わせた。


「感傷に浸るのはよしてください。それと、いつまでもここにいられても困るので生徒会室の場所は案内しますから――ああ、宍戸さん、丁度良いところに」


酷い言い草であるが、一方で彼が照れている様子も伺えたので、傷つくことはなかった。どんなに反抗的でもやはりコイツは可愛い。ところで、呼び止められた宍戸君は、日吉に事情を話されると、そういうの先輩に押しつけるか?と肩を落とした。しかしすぐに仕方ないと言う様に私を一瞥する。どうやら案内してくれるらしい。分かってたさ。宍戸君は優しいって事。しかも私は何気に氷帝の3年とは仲良しこよしだったもんね!(ふぁさ男省く)
そうして私は生徒会室まで宍戸君に案内して貰うことになった。

それから校舎内に入り込み、やはりピカピカな床やら天井やらを眺め回しながら、はぐれぬ様に彼の背中を追う。
ふと、前を歩く彼のスピードが落ちた。


「お前さ、わざわざここに来るなんて、また何かあったのか」
「…いやまあ跡部に無理矢理連れてこられただけだからね」
「アイツお前の事結構心配してるんだぞ。呼ばれたんならそれなりの事があったんじゃないのか?」


ちらりと目を向けられて私は口ごもった。確かに何もない訳ではないけれど、今回はきっと跡部が呆れてしまうような内容なのだ。惚れたなんだと、騒いでいるだけなのだ。
閉口する私に、宍戸君は無理に言わなくて良いと笑った。話すのは俺じゃなくて跡部だろうと。
宍戸君は本当に優しかった。


生徒会室は3階にあった。宍戸君がその一際豪勢な扉をノックする。中から入室を許可する跡部の声が聞こえた。
宍戸君は、私を見てから扉を開く。中にいたのは跡部だけではなくふぁさ男もいた。


「跡部が呼んだんだろ」
「ああ。――しかしまた珍しい組み合わせで来たな」
「生徒会室が分からないって騒いでたからな」
騒いではないよ


あ、いや門の前で騒いだか。勝手に納得していると、宍戸君は後は頼むと生徒会室を出て行った。ありがとう宍戸君。
跡部は宍戸君に手を振る私の背中に、携帯で連絡したらコイツに迎えに行かせたぞと言葉を投げ掛ける。


「ちょぉ、何やねん。俺はそのために呼ばれたんかい」
「ちげえよ。お前は樺地の代役だ」
「もっと嫌やわ!」
「やかましいなお前ら落ち着け、どあほう」
さんキャラ不安定」
「ふぁさ男がいるなんて聞いとらん!」
「ふぁさ男て、いい加減名前覚えてくれへん?」


ていうか、どないして関西弁。いちいちツッコミを入れて来るふぁさ男に苛立つ。そんな私に跡部が近くのソファーを顎でしゃくったので、忍足君とはわざと間をあけて、どかりとそこへ腰を下ろした。
っな、こ、このやろう!なんだこのソファー…!おのれえええ


「ふかふかやないかいいい!」
「えええ何やこの逆ギレ」
「イギリスから取り寄せた」
「流石や、真っ正面からぶつかって行きよったわ」


何この宙に浮いたコントな空間、ものっそい帰りたいわと弱音を吐く馬鹿は放って置く事にして、わざわざ私を連れて来た理由を問う事にしよう。
わざとらしく咳払いをしてから私は疑問を跡部にぶつけた。


「お前が俺様の助けを必要としているからだろうが。テメエが苦しんでる内容なんざ知らねえから、ここで洗いざらい吐いて行け」
「ええええ何このキング、直轄外の私の上にも君臨するつもりかいな」
「しょうがないやろ、1年の頃からこうや。諦めぇ」


忍足君はやれやれと肩をすくめて、それからテーブルに置いていた小説に手を伸ばす。「リトル・ラブ」本にはそう書かれている。コイツ…。と思ったのは秘密にして、私はそれは面白いのかと問うた。


「おもろいで。純愛はええよ」
「…」
「なんや。もしやさんまで気持ち悪いなんて言うん?」
「いや、違うけど。…ねえひいたり君」
忍足です
「恋したことある?」
「スルーかいな…もうええわ」
「私って恋愛感情が理解不能なんだよなあ」


しれっと言い切ると、忍足君は目を見開いて「…それはまた、珍しなあ」と呟いた。跡部も先程から何かしら資料を見ていたけれど、ほんの一瞬その手を止めて私を見た。
下らない、恋愛感情なんて曖昧な感情、下らなさすぎる。押し黙る二人に、私は盛大に息を吐き出してやった。


「大体、中学生が語る『愛』なんてたかが知れてると思わないかい。これでこの先離れ離れになればすぐに相手の事なんて忘れるだろうに。しかも片方だけがそうなった時なんて最悪だね。相手を大切に思ってた分だけ裏切られた時の傷は大きい。でも仕方ないんだよ。人間てそういうものじゃん。飽きるじゃない、何でも。結局は元の友達に戻るのがオチなのに。いや、まだ友達ならましだけどね。…ああやっぱエゴからくんのかな、この考え。でもさあ、良くあるじゃない。『もう恋なんてするもんか』。それが正解だよ。でもそう言う子に限ってまた恋しちゃうんだよね、やれやれ」
「フン、ヤケに饒舌じゃねえか。さては誰かに『愛の告白』でもされたか」
「…」
「それとも、『それ』は自分に言い聞かせてんのかねえ」
「…変な事言わないでくれますかね」


きゅっとスカートの裾を握り締める私に、跡部が視界の端で笑うのが見えた。


「『恋愛が下らない』、それで良いじゃねえの。もしお前がお友達に告白でもされたなら同じように言ってやれば良い。違うか?」
「…」
「『ソイツ』大切な友達なんだろ。その大切な奴が今後『恋』をして傷つかねえように警告してやれば良い。わざわざそんな事を教えてくれるなんて『は友達想いの良い奴だ』なんて噂になるかもなあ」
「…っそんなの言える訳ないだろ!向こうは好きって言ってくれて、その気持ちをそんな形で踏みにじるとか、」
「じゃあテメエが教えてやらなかったばっかりに、ソイツはまた誰かと傷つく恋愛をするんだな」
「…」
「心から『下らない』と思ってる奴は、相手の好意を無下にできねえ、なんざ考えられるわけねえだろうが」


ハッと私は顔を上げると、横では忍足君が、せやなあと笑っていた。それから彼は「恋愛なんて傷ついてなんぼやで」と本を私の目の前にちらつかせる。


「傷ついて、それでまた強くなるんや。そらもう恋愛なんて、なんちゅう卑屈になる事もあるけど、傷ついた分よりも、きっと楽しかったり嬉しかったりする事の方が多いから、また恋するんやできっと」
「…忍足君ってロマンチスト」
「いいじゃねえのロマンチストで」


楽しげに語る忍足君から、私は跡部へ視線を映した。彼は真っ直ぐに私を見つめ返す。諭すようなその視線に、私は目をそらすこともできずに固まった。


「オイ、いつまで昔の臆病な自分にとらわれてやがる。昔の『弱い』考えなんて捨てちまえ。テメエはそんな盾、必要ないくらい今は強いだろうが」


そうだろう、。問われて、私は答えに詰まってしまう。私は強いのだろうか。自問自答を繰り返す。
それに、たとえ私が強かったとしても、分からないのだ。これまで遠ざけ続けたこの感情と今更どう向き合って行けばいいのか、分からないのだ。


「あ、とべ…私…どうしたら」
「簡単だ。――、お前はどうしたい」




「君は、どうしたいの?」




跡部の言葉と共に、何かが頭をちらついた。誰の声だろうか。聞いた事がある。


「俺は君みたいにテニスを楽しそうに見てくれる子がいてくれたら、嬉しいな」

「両親でも友達でもなく、君の意志で」



私は覚えている。桜が舞い散るあの日、私をテニス部に誘った少年を。



「テニス部に入るの?マネージャー志望?」
「…親が、そういう系やれっていうから」
「そういう系?」
「…人を支えるっぽいの。でも、テニス部かは、…考えてない。君は、入るの?」
「入るよ。俺、結構テニス強いしね」



「自分で気づいてない?君はテニスをすごく楽しそうに見てるよ。あってるんじゃないかな」
「テニス部…。家帰ったら、親に、聞いてみる」
「…こんな言い方、あれかもしれないけど、君は親の言いなりなの?」
「だって、わからないから」
「…」
「私、自分がどうすればいいか、わからないから」
「どうすればいいかじゃなくて、――君はどうしたいの?」


「私が、どうしたいか――?」




瞼の裏に残る記憶に思考を預けていた私は、ゆっくりと目を開ける。
私のやりたいことをすればいい。そうだ。私のやりたいようにして良いのだ。何も怖がる事はなかった。私にはもう、支えてくれる仲間がいる。失いたくない大切な仲間がいる。

もう逃げない。丸井にはきちんと、私の気持ちを伝えよう。それから、ずっと渦巻いていたわだかまりにも、決着をつけよう。
強く頷いた私に、跡部はふっと微笑んだ。


「…答えが見つかったみたいだな」
「ありがとう、跡部、忍足君」


二人のおかげで私はどうやら大切なものを失わずにすんだようだ。

既に傾きかけている日に、私はさらに長居をした事を詫びた。跡部は案の定気にするなと言って、再び自分の作業に戻った。
それから帰りは跡部がまた送ると言ったが、私は電車で帰ると断り、日が暮れる事承知で氷帝を後にした。流石に最後まで彼に頼りっ放しだと、いよいよずるい人間になってしまうと思った。








「『歪んだ少女』なあ。アイツ、色んな人間にぶつかりながら、いつの間にか歪みが取れて『まっすぐ』になりやがったよ」










しかしこの後、『最後の非日常』が、すぐに私の身に訪れる事になろうなど、この時に知る者は誰もいない。




ほどけた胸
、遅いから心配したわよ。ちょっとそこに座りなさい。お父さんとお母さんからお話があるの)(次に彼らが口にした言葉に、私はたまらず家を飛び出した)

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