冬の記録:01


ついに12月に入った。私達3年はようやくきちんと部活から引退し、放課後はかなり暇な日々を送るようになった。ちなみに部活のメンツとも廊下なんかですれ違う以外は、関わらなくなった。それも当然だった。元々よく休み時間に会っていた幸村と丸井を私は避けているのだから。仁王とも割と話していたけれど、彼は丸井と同じB組であるから、やはり彼との接触もなくなっていた。ソノちゃんやも同様である。まあ彼女達は向こうから私の所へやって来る事はあるけれど。
このまま、こんなぎこちないまま私達は卒業を迎えてしまうのだろうか。そうしたら私はきっと、高等部で皆がテニス部へ入ろうと、マネージャーはやらないだろう。


「…それで、良いのか」


良いわけない。せっかくできた本当の仲間を切り捨てられる程の下らない潔さはとっくに捨てたはずだ。
ここ最近、毎日入口まで来ては引き返す事を繰り返していた屋上庭園の扉を開けようと、私はノブに手を掛ける。しかし力を入れる前にノブが動き、ギョッとするや否や以前の様に私の額に扉がぶつかった。


「あだっ」
「…あ、先輩」


やはりそこにいたのは相田さんだった。何故かどきりと嫌な緊張が私の体を強張らせる。彼女は私に謝った後、じとりと、睨む様に私を見つめた。それは今までに見たことのない表情だった。


「幸村先輩は今いませんよ」
「…ああ、そう」


ノブに触れていた手を、ゆっくりと下ろす。彼女の瞳は、もう帰れ、もう来るなと私に訴えている様だった。しかし今の私にそれをかわす程の気力は残っておらず、小さく頷いて彼女に背中を向ける。
何となく、もう私がここに来る事はないのだろうと、思った。


先輩はずるいです」


ふいに背中にぶつけられた台詞に、私の足が止まった。知ってる。私はずるい人間なのだ。何を今更。振り返らずに彼女の言葉を心の中で噛み締める。


「何で避けてるんですか。幸村先輩の事も、丸井先輩もです」
「な、んでそれを」


がばりと階段の上にいる相田さんを見上げる。唇を噛み締めて私を睨み付けているその様子は変わっていなかったけれど、彼女は今にも泣きそうでもあった。


「この間、偶然見ちゃったんです。先輩が、丸井先輩に告白されてるの」
「…それは、幸村には、」
「貴方がそれを気にする資格なんてない」


幸村先輩はただの友達なんでしょう、恋愛なんてバカバカしいんでしょう。
彼女の言葉に私は押し黙った。


「恋愛なんて下らないと思っているなら丸井先輩を避ける必要ないですよね。『貴方の感情は理解できません友達でいましょう』って言えば済む話じゃないですか!」
「…」
「どうでも良いと思ってる癖にあからさまに避けて、二人の気を引きたいんですか!?」
「そんなつもりじゃ、」
「私からはそう見えます」


相田さんは階段を降りて私と目線が揃う所まで来ると、私の胸倉を両手で掴んで引き寄せる。彼女の頬は既に涙で濡れていた。途端に私はどうすれば良いのか分からなくなった。


「幸村先輩が好きじゃないなら、いつまでもあの人の気持ち独り占めにしないでよ!」
「…そんなつもりないよ。上手くいかない理由を私に押しつけられても困る」
「…っ」
「振り向いてもらいたいなら何度でも告白すれば?私は構わないよ」
「そのつもりです。先輩が丸井先輩に告白された事も、どれだけ酷い人かも、全部言います」


彼女は私から手を放して涙を拭う。先程より強い意思を孕んだ瞳が、私を捉えていた。
本当に、良いのか、私。
心の中で何度も問いただす。返ってくる返事はなかった。
私の横を通り過ぎて行く相田さんを見る事もできずに、私はただ足元を凝視する。情けない、情けない情けない。
彼女の言う通りなのに。私が気にする事は何も無いはずなのに、この心の中に残るわだかまりは何。


「私、どうしたら良いの、ねえ」


一人ごちた言葉が誰かに届く事は無い。その場に崩れる様に私はしゃがみ込んで、込み上げて来る涙や感情を必死に押さえ付けた。


「泣くな、泣いたら後悔してるみたいじゃないか…っ」


ぎゅう、と胸を押さえ付けた時だった。ポケットから携帯が床に滑り落ちる。私はそれに視線を這わして、それからふとある言葉を思い出した。

―俺様が渡したのは逃げ道じゃねえ、近道だと思え―

こんな時に跡部にまで頼るなんて、私は、どうかしてる。
以前に登録しておいた電話番号を開き、しかし、私はなかなかボタンを押せずに携帯を額にあてる。


「…――っ」


駄目だ。これ以上ずるい人間になりたくない。
小さく息を吐いた、その瞬間だ。突然携帯が手の中で震える。驚いて通話ボタンの上に置いていた指に力が入り、なんとそれを押してしまった。
一体誰からだったのか分からないけれど、そっと携帯を耳にあてる。


「…もしもし」
『俺様からの電話だっつうのに、随分暗ぇじゃねえか、アーン?』
「―っあ、とべ!?」


どうしてだ。今まさに電話をかけようとしていた相手ではないか。こんな偶然があるだろうか。私がかけようとしていたのが分かったのか、いやまさか。
私は仕切りに理由を問いただすと、携帯越しにフッと笑い声が聞こえた。


『お前がそろそろ助けを求めて来る頃だと思ったんだよ。ビンゴだったようだな』
「…お、恐ろしい奴だな跡部」
『フン、俺様なら当然だ』


それから彼は今どこにいると私に問うた。土曜日の授業は午前中だけだからとっくに終わってもう放課後であるが、あんなこともあり私はずっと階段にしゃがみ込んでいる。だから立海にいる事を告げると、今から迎えに行くと行った。


「…いや、いいって。そこまでしなくても」
『無理してんじゃねえよ。俺様が話を聞いてやるって言ってんだ』
「…いい」
『何を気にしている。まさかお前、甘やかしてもらってる自分がずるい、なんて馬鹿な事考えてんじゃないだろうな』
「…」


図星だな、その言葉と共に跡部はため息を零した。…何でコイツは、全部分かるんだ。
唇を噛むと、電話の向こうから彼の呆れ声が続く。


『利用できるもんはとことん利用すりゃいいだろうが。大体な、俺様が好きでやってる事だ。テメエが気にする事じゃねえ』


とにかく、近くにいる奴を迎えに行かせるから門で待ってろ、と、一方的に切られ、私は唖然と手の中のそれを見た。
…近くにいる奴って、何。この近くをうろついている跡部の部下でもいるのか。
ひとまず私は校門まで出ると、そこには既に黒くて長い車が止まっていた。車なんて私には分からないけれど、多分リムジンとかそういうやつ。たまらず白目を剥きそうになった。周りの人が凄い見てるんですけど、どうしようスルーして帰りたい。


様でよろしいでしょうか。どうぞ、お乗りください」
「…し、失礼します…です」


正直死にたかった。しかし名前を呼ばれては仕方が無い。
私はソロリと車の中に入ると、ていうかもう車じゃなかった。車の中に冷蔵庫とか初めて見たし、テーブルまである。かなり落ち着かない。
それよりここから氷帝まで結構あると思うのだが、その間ここに閉じ込められるとか――絶対無理なんだけども。

ちらりと、私は黒いスーツにサングラスをかけた運転手を見やり、額を窓にあてた。


結局…跡部に頼ってしまった。
私はいつまでもどこまでも、この先ずっと、ずるい人間なんだろう。




寄りかかって生きている
(皆の優しさを利用して)

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