秋の記録:29



「最近幸村と一緒にいる女、あれ誰?」
「そう、私も気になってた」


最近、ますますいつ引退するのか気になり始めた部活に、私が足を運ぼうとA組を出た時だった。突然目の前に現れたC組女子コンビに私は行く手を阻まれた。恐らく相田さんの事だと思うが、何故私に聞くのだろう。同じクラスだし、本人に聞けば良いのに。
――まあいい。別に答えづらい事でもないので、彼女達には取り敢えず告白の下りを省いて説明してやる。


「へえ、後輩ねえ。私今日、幸村とその相田って子が一緒に学食食べてるの見たわけよ」
「へええ、仲良いね」
「仲良いねって…」
「ボケた事言ってるとアンタ、幸村取られるわよ」
「…は?」


どうしてそういう流れになったのだろう。意味不明。ていうか私そういう恋愛うふふみたいな話題に乗れない人間なので、盛り上がりたいなら別の人を誘ってやってもらいたいんだけど。
というわけで今の二人に構っているのは面倒だと判断した私は彼女達を無視して歩き出す。


「あああ待ちなさいよ。アンタ後悔するわよ絶対!」
「何が。相田さんと幸村が上手く行くなら邪魔するなんて可哀相じゃないか。大体そういう話は私、興味ないって知ってるでしょ。恋ばなしたいなら他をあたってくださいな」


じゃあね。
ノンブレスだった。自分でもどうしてこんなにまくし立てる様に言ったのかよく分からなかった。
ソノちゃんが言っていた一緒にご飯を食べていた発言が私の中でどうも引っ掛かる気がするのだが、きっと気のせいだろう。一人で納得して、後ろで騒ぐ二人を放置し、部活に急ぐことにした。




さて、所変わってテニスコート。今日もそこは、というよりその周りは相変わらず女の子が騒がしかった。「よ不幸になれ」なんて派閥に別れた割に、きっちり自分の好きな奴はマークしているなんて、面倒臭い女の子が多い。

思わず苦笑を零し、ドリンク配りをしようとコートの隅をノロノロ歩く。ホント、重くて敵わない。こんなだから私の手は豆だらけなのだとため息をついた。その時だ。突然「危ない!」という声が飛んだ。その言葉が誰に向けられた言葉だったのか判断できなかったのだが、その瞬間私の頭に何かが、否、この場では恐らくテニスボールがぶつかった。大量のドリンクを抱えていた事もあり、バランスを崩してそのまま思い切り横に倒れ込む。咄嗟にドリンクはかばったのでそれが零れる事はなかったから良かった。


「うおー痛いー」
「おおお大丈夫かよ」
「丸井いい痛いー」
「おー泣くな男の子だろ」
女の子だよ


こんな時までコントやらせんなよと、駆け寄ってきた丸井をぺすんと叩く。彼は安心したように笑って、それから「おいコラぶつけたの誰だ」と周りを見回す。すると端の方でヒョロヒョロと浦山君の手が上がった。ごめんなさいでヤンス。今にも泣きそうな顔でそう言ったものだから、正直私が泣きたかったけれど我慢して頷いてあげた。私は相も変わらず大人だ。


「歩けるか?」
「何とか」


ジャージの砂を払って立ち上がると、あーあーなんて呆れ顔の赤也もやってきた。あの日の事が頭の隅にちらついたけれど、私は首を振ってそれをかき消す。


先輩足擦りむいてますよ。これ運んどくんで、足洗って来て下さい」
「おー赤也イケメンじゃないか。ありがとう」
「はは、知ってまーす」


私がフラフラ持っていたそれを赤也は軽々持って、部室の方へ歩いて行った。そんな彼を見送りながら、丸井が浦山君の名前を呼ぶ。「赤也じゃなくて本当ならお前がドリンクを持って行くべきだろい」とか何とかびしびし指導しているじゃないか。おおう。


「丸井が先輩らしい」
「お前なあ…あーもうほら早く水道行け」
「うーい」


しっしっと適当にあしらわれたので、私は足を引きずりながらテニスコートの外に見える水道へ足を進めた。

私がテニスコートを出ると、試合を見ていた女の子達が、さん大丈夫?と声を掛けてくれる。なんで名前…あ、私有名なんだっけ?
何だかこそばゆく思いながらひとまず愛想笑いを返してみる。するとその時、その中から聞き覚えのある声で誰かが私を呼んだ。人込みの中から現れたのは相田さんだった。卑しくもソノちゃんの台詞が脳裏を過ぎり、私は少したじろぐ。


「あの、使って下さい!」


ずい、と差し出されたのはタオルだった。ああ、持ってなかったから丁度良かった。けど多分血で汚れちゃいますよ、良いの?受け取ったそれを見つめながら問えば、彼女は平気だと笑った。私と比べ物にならないくらい良い子である。


「ありがとう」


聞こえるか分からないくらいの小さな御礼を言って、私はすぐに相田さんに背を向けた。このまま彼女といたら何か変な事を口走りそうだったのだ。

それから私はこれまでのマネージャーとしての腕を生かして手際良く自らの足を手当てした。流石私である。
部室に戻って早速部誌にそう書いておく事にした。
今日もはやはり敏腕なマネージャーでした、見習え男子供、まる。


「…お前下らない事書くなよ」
「幸村いつの間に」
が帰って来た時からいたけど」


部誌を覗き込んでいた幸村は、やれやれと肩をすくめて、まだ練習があるはずなのに、悠々と私の前に座った。部長の特権…?まあ三年だから良いのか。私はさして気に止めず、ペンを動かし続ける。前から私の手元のタオルへ手が伸びてきた。


「あれ、このタオルの?お前にしては可愛いな」
「相田さんが貸してくれた」
「ああ、だろうね。っぽくないよ」
「…すいませんね」


わざわざそんなこと言わなくても良いじゃないかという意味も込めて前に座る彼を睨んだ。ていうか、そんなに相田さんを持ち上げたいのか幸村は。口をむんずと曲げてペンをノートに走らせるが、芯がすぐに折れて額に飛んできた。いら。


「何怒ってるの」
「別に、…あっ」
「お前も学習しないね」

頬杖をついて苦笑した幸村に腹立たしさを覚えた。だから命知らずにも奴の足を踏みにかかる。しかしそれはいとも簡単にかわされ、逆に踏み返された。くそう。いらいら。


「怒ってるね」
「怒ってるっていうか、ムカついてんの」
「それを怒ってるっていうんだよ。どうして?俺にからかわれるの嫌?」
「何それ。確かにからわれんのもムカつく。けどそうじゃなくて、幸村って何か相田さんばっかだから」
「…は?」


ふう、と息をついてクルクルとペンを回す。気持ちが落ち着かない。このままだと丸井の時みたいに喚いて喧嘩して、なんてなりそうだ。あの時の二の舞は踏みたくない。落ち着かないと。


「ごめん、それどういう意味」
「だからね…ていうかそのままじゃん。まあ?相田さんは幸村と同じで園芸にも興味あるし?美術にも興味あるし?可愛いし?――一緒にいて楽しいのは分かるけど、私と比べたりさあ、そういう引き合いにだされても私困るっていうか。へえへえどうせ私は君達みたいな美的センスないし、手だって傷だらけだし」
「…」


自分でも何を言っているのかイマイチ分からない。結局喧嘩腰になってしまった。あああ私の馬鹿。勢い良く部誌を閉じると、押し黙っていた幸村が、らしくなく遠慮がちに、それはつまりと口を開く。


「嫉妬、だよね」
「は、嫉妬?――何だろ、うんそうかも」
「え、」
、中にいるか?」


幸村の声とかぶる様にガチャリと部室の扉が開いた。顔を覗かせたのは柳だった。
彼は、外のゴミ箱のゴミがいつの間にかとんでもない量になっていたので部室内のと一緒に捨ててきて欲しいと言ってきた。私は素直に頷いて、近くにあったゴミ箱から袋を抜く。


「外のは重いから一人では無理だぞ」
「平気だよ。面倒くさいけど」
「怪我をしてるだろう」
「ああそういえば」


私はまだヒリヒリ痛む膝を一瞥して、それから「誰か暇?」と柳に尋ねる。すると彼は私の後ろにいる人を見たので、たまたま部室の前を通った丸井を引き止めた。


「丸井暇?暇だよね、ゴミ捨て手伝って」
「はあ?面倒くさ」
「口答えすんな」
「え、あ、はい。すんません…ん?あれ?横暴じゃね?」


ぼすんと乱暴にゴミ袋を丸井に渡すと彼はかなり戸惑った様に私と柳、それから中の幸村を見比べた。え、気まず。そんな心が顔にしっかり出ている。


「行くよ」
「へい」


しかし気付かないフリを決め込んで、私は歩き出した。





「すまない幸村。何かまずかったか」
「いや良いよ。俺にも何がなんだか…っていうかからとんでもない事言われた気がするんだけど」


これ、自惚れて言い訳?





私は足の痛みも忘れてズンズンと歩く。後ろでは3歩くらい間をあけて丸井が歩いていた。彼がどんな表情をしているかは知らないけれど、どうしよう、と焦っている確率100パーセントである。
私は視界の端にベンチが見えたのでピタリと足を止めた。丸井が遅れて私に並ぶ。


「ちょっと休憩」
「は?」
「カモン丸井」
「…え?」


ちんぷんかんぷん、って顔だ。しかしお構いなしに彼の腕を引いてベンチに座った。やはり相談事は丸井が一番しやすいのではないかと思う。
しばられた袋の頭をいじりながら、私はあのさ、と切り出した。隣りに座る彼も、何か相談なのだろうと察したのか、黙って頷いた。


「私、欲張りになった」
「良いじゃん」
「うん、仁王も良いって言った。でも、本当に?」
「どういう事だよ」


私は丸井とソノちゃんが仲が良い事に嫉妬した。でも仲の良い人を決めるなんてそんなの丸井の勝手で、この間の喧嘩でそれは理解したつもりだった。欲張りでも、こんな欲張り方をしていけないと、思った。ちゃんと分かったつもりだった。しかし私は今度は幸村と相田さんに嫉妬している。


「仲良い奴が取られたらそうなるんじゃね?行き過ぎなきゃ別に、」
「行き過ぎてるんだよ。…私、相田さんに嫌味とか、言っちゃうし、せっかくタオル借りても、きちんと、御礼すら言えなくて」


私の嫌味は彼女に通じて無かったけれど、だから良いと言う問題ではない。私は相田さんを傷つけようとした。ソノちゃんの時はそこまでしなかったのに。最低じゃないか。しかも挙げ句、幸村にもあたってしまった。絶対に、嫌われた。


「駄目だって分かってるんだけど、相田さんを前にすると、自分が情けなく見える。嫌になる。――どうしたら、私どうしたら良い?」
「どうするって…」
「謝れば、大丈夫かな…」
「…」


丸井はしばらく何も言わなかった。困ってる。そんなのすぐに分かった。
当たり前だ。こんな馬鹿みたいな事に彼だって付き合いたくないだろう。私だって申し訳ないと思ってる。


「ごめん、丸井。自分でなんとか、」
「あー…それさ、俺の時と、違うだろい」
「…どういう意味」


立ち上がった私を、丸井はその言葉で引き止めた。彼は私を見ようとしなかった。自分の足元をじっと見つめて、ぽつりと零す。


「それ、謝って終わる問題じゃないんじゃね」
「…幸村が怒ってるって、事?」
「いや、そうじゃなくて。…多分、謝っただけだと同じ事また繰り返すぞ」


丸井の言ってる意味がイマイチ分からなかった。丸井の時と違う嫉妬…じゃあそれって何。
思い当たるものが、一つだけある。私がずっと遠ざけてきた、それだった。しかし、信じられなかった。だって私がそんな下らない感情抱くはずが無いのだから。
確かに今まで告白されて、何度かそういう感情に触れた事はある。自分を好きでいてくれたことは嬉しい事だった。
しかしそう思うまた別の所で、下らないと、冷めている自分も確かにいたのだ。恋情を抱いて何になる。何が変わる。それは友情よりいとも簡単に崩れ去るのだ。うすっぺらい、好きだの愛してるだのという言葉で繋がった、バカバカしい感情。


「私が幸村が好きって言いたいの?ごめん、その回答は下らなくて笑っちゃう。恋愛感情なんて正直バカバカしい」
「今更逃げんな」
「逃げる?何から?丸井、ちょっと変な事、」
「…何でわざわざそうやって突っぱねんだ。お前本当はそんな冷たい奴じゃねえだろ」
「丸井には分からない」
「どうしてそんな事わかる。お前こそ俺の事分かんねえくせに」
「だって親友だもん。分からないわけない!」
「じゃあ俺だってお前の事分からないわけねえだろ!」


ぐ、と私は言葉に詰まった。丸井はフンと鼻を鳴らして、それから勝ち誇った様に笑った。
何年親友やってると思ってやがる、そんな台詞も添えられた。何偉そうにしてやがる。たった三年弱じゃないか。馬鹿かよ。の方がなげえわ!そう言ってやると、丸井はゴミ袋を蹴飛ばして立ち上がった。


「あーあーいちいちムカつく奴だなああ!もう怒ったぞ俺!お前が絶対知らねえ事言ってやらあ!」
「そ、そんなのあるもんか!」
「いやあるね!――俺はが好きだ!」
「な、はああ…!?」
「どうだ参ったか。お前が嫌いな恋情って奴だよ悔しいかバカヤロー」


な、なんだ、これ。
一気に顔に熱が集まる。知らなかった。丸井は私の親友それ以上もそれ以下でもなくて、本当にそれだけだと思ってた。そういうとまるで丸井が大した事無い存在みたいに聞こえるかもしれないが、私の中じゃ親友は最高ランクに位置していたのだ。


「俺は、…本気だかんな」
「何で、そんな事、言うの」
「今言わないと後悔すると思ったから」


急に丸井は真剣な顔になって、それから何故か謝った。混乱させたからと、彼は言った。
じわじわと視界がゆがんだ、ぼろりと涙が零れる。どうして泣いたのか分からなかったけれど、心の中でぐちゃぐちゃと渦巻いていた感情が、押さえ切れなくなってしまった。


「…今、お前を慰めてやれるほど、俺も余裕ない。ごめん」


彼は私からゴミ袋を取って、私に背を向けた。お前は先に戻ってろという意味だと分かった。私は遠ざかって行く丸井の背中をただ見つめて、引き止めたくても声すらでなくて。
置いていかれたようだった。そばにいた丸井が、遠くにいってしまった気がした。


一人その場に佇む私の涙を秋の風が冷していく。
私を通り越していったその風も、冬を追いかけて冷たさを孕み、どこかへ消えていった。




秋よ、さらば
(私は、どうすればいいの)

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秋の記録<終>
ここまでお付き合いして下さりありがとうございました。残すはあと一章です。
130313>>KAHO.A