![]() 「あ、、丁度良かった」 「ほわっつ?」 ある秋の暮れの昼休み。 久々に図書室にでも行こうかしらなんて私は廊下をトロトロ歩いていると、偶然C組から出て来たソノちゃんにそう呼び止められた。何かと振り返れば、彼女はC組の中に来いと手招きをする。 「はい。この間の御礼」 「…えと、あの、私何かしましたか」 「だから、この間のクッキーのお、れ、い!」 「いや、あれはソノちゃんに御礼で渡したものなので、返す必要は、」 「作ったらたまたま余ったから、ちょうどいいと思っただけ!さっさと受け取れ!」 ぐい、と押しつける様に私に可愛らしくラッピングしたそれを渡す。中はどうやらパウンドケーキらしい。らしくなく照れている所を見ると、そろそろ彼女のデレ期が来たのだと思う。喜ばしい限りだ。可愛いたまらん。 「そういやあ、ジャッカルにも渡したのかい」 「まあ一応…ってちょっと何でアンタ知ってんの!」 「あ、やっべこれ内緒って丸井言ってたっけ?」 「あんの赤髪コノヤロオオ!」 可愛かったソノちゃんの顔が一瞬にして般若に変わったのを、私はしかと見た。彼女は教室を飛び出し、隣りのB組へ向かう。ごめんね丸井…かっこわらい。 いつかの復讐をこんな形でするとは思わなかったがまあいいや。私は取り敢えず図書室に向かおうかな。私は手の中のパウンドケーキに頬を緩めて頷いた。 「、何貰ったの?」 C組を出ようとする所を引き止めたのは幸村だった。私は手の中のそれを自慢げに見せて笑う。すると幸村が良かったねと私に釣られて笑った。 「…って、そういう幸村は何見てるの?本?」 「ああ、これは画集だよ。相田さん、絵も趣味なんだって。それで俺が欲しかった画集を持ってるって言うから借りたんだ」 「へええ」 趣味が合うんですなあ。 私は園芸も美術も、綺麗だなあって事くらいしか分からないけどね。試しに画集をぺらりとめくって一人ごちる。そこにはツボから牛乳を注ぐひとりの女性の絵があった。 「フェルメールだよ」 「ふぇるめーる…」 「ああ、これなら有名だから知ってるんじゃないかな。ほら」 そう言って彼が開いたページには真珠の耳飾りをつけた少女の絵が写っていた。タイトルはそのまま「真珠の耳飾りの少女」。青いターバンの少女とも言うらしい。確かにテレビや町の広告で何度か見た事のある絵である。吸い寄せられるような深く鮮やかな服の青色が私の目を惹きつける。対照的に、唇の紅色も引き立っていて、絵を知らない私ても無意識のうちに感嘆の息を漏らしてしまうほどだった。 「この子、綺麗だね」 ぽつりと呟くと、幸村は何を思ったか、そんな私をじっと見つめた。え、何じゃい。口を開きかけて、それは幸村を呼ぶ声に遮られた。 「幸村先輩!お、屋上庭園の花、咲いてますよ!それもたくさん!」 興奮気味に教室に顔を覗かせたのは相田さん。クラスの人は何だ何だと言った顔でこちらを見ているが、彼女は気付いていない様で、頬を紅潮させて早く早く、と幸村を呼んだ。彼は画集を閉じて「そっか。良かった見に行こう」と立ち上がる。 「もおいでよ」 「え」 「ていうか来い。拒否権なしだよ」 「うえええ」 そんなわけで私は渋々寒空の下へ引きずり出される事になった。 屋上庭園に入ると、それは昨日まで咲いていなかった花が蕾を開いて花壇を華やかにしている。花なだけに。ぶふ。 顔には出さずに心の中だけでそんな事を呟いていたら急に幸村が呆れた顔で私を見た。彼は何も言わなかったが、明らかに私の心を読んでいたに違いない。てかあり得ないだろ。恐ろしいんだけども。 「これ何て花」 「デイジーですよ先輩。可愛いでしょう!」 「え、かわー…?…ていうか美人」 「え…美人、ですか?」 「らしいよ」 それより私はデイジーというとディズニーランドのアイツしか浮かばないのだが、やはりこの場は黙っていた方が良いだろうか。丸井か赤也がいれば笑い話ですむけど、この二人だとそうもいかなそうだ。 私は二人がしゃがんだので、釣られて腰を下ろし、ぼんやりとデイジーを眺める。 「なんか、デイジーっていうよりメリッサ?」 「何で」 「だってそんな感じしない?この子とか特に。よし、今からお前はメリッサだ!」 「可哀相に」 可哀相だと!?良い名じゃないかなあ相田さん!幸村の向こうにいる彼女に同意を求めると、彼女は微かに戸惑いの表情をして、それからぎこちなく笑った。あ、なんかせつねえ。 「無理に頷かせるなよ。困ってるだろ」 「えええだって、」 「はいはいうるさい」 「最近私の扱いかなり雑じゃね?」 そんな事ないよ、ねえ相田さん。今度は幸村が彼女に同意を求めた。しかし彼女はその問いに答える事無く、すくっと立ち上がる。「わ、私、用事あるの忘れてました!」わざとらしい物言いで、私達の返答も聞かずに、早足に屋上を出て行く。「それではまた!」パタン、そんな勢いで彼女はいなくなった。 「ゆー…きむらのせいじゃない?」 「え、俺?」 「うん、きっと最後が威圧的だったんだよ。逃げたい気持ち分かる、超怖いよ幸村」 「いやあ、それは違うって。だって俺テニス部以外には優しいし」 「アハハハチョーウケルー」 「殴って良い?」 ややややめろよ!すんませんでしたああああ! その場で土下座をすると幸村は「お前はそういう所変わらないね」とケラケラ笑う。…楽しそうでなによりですよ。幸村からのおとがめはないようなので、私は安堵してその場に座り直した。 そんな私の横で、彼は花壇にそっと手を触れて、それから土をそっと掴む。すっと、息を吸う音が聞こえた。 「多分、相田さんは俺達に気を遣ったんじゃないかな」 「…どうして?」 「さぁてね、どうしてだと思う?」 にこり、と何か企んでいそうな時に浮かべる笑顔が私に向けられた。どうしよう。え、怖。分からない。何。 「には分からないかなあまだ」 「えええ何それ、気になる」 「知りたいの?」 ばちりと私と幸村の視線が絡まった。透き通った綺麗な瞳に思わずどきりと心臓が跳ねる。どどどうした私。 きゅう、とスカートを握り締める手が強張った。視線も逸らせず、呼吸もままならない。 「なーんてね」幸村が視線を逸らした。ほっと息をつく。何か、よく分からないけど…殺されずにすんだ。 「緊張し過ぎだって」 「別に、そんなっ」 「はい嘘ー」 「…くそう」 頬を膨らまして、私は幸村と同じように花壇の土に触れる。何となく、温かいような気がした。不思議に思って、私は何度も土を撫でる。 「温かいだろ。不思議だよ本当に。こんな中だから、花は寒空の下でも元気に咲くのかもね」 愛しそうに、幸村は花弁に優しく触れる。確かにそうかもしれないが、育てる方はこんな季節は寒くて敵わないだろう。私だって、昨日、手伝いをした時、寒さで指が裂けるかと思った。しかも園芸は水を扱うから余計に。思った事を吐き出してみると、隣りでは苦笑が零れた。それでも、育てるのは楽しいからやめられないのだそうだ。(私もツイッターのためなら断食平気だしな!) まあ幸村も寒いだけで音を上げる様な奴じゃないか。 「えい」 彼の手がどれ程冷たいのか、私は試しに土へ手を伸ばしていたそれを掴んだ。冷たいね、眉をしかめる私に、幸村は驚いたのか、目を見開いた。 ちなみにその反応に、私は妙な恥ずかしさを覚えて、こんな馬鹿をした事について絶賛後悔中である。 「…あの、なんてゆーか、すんません」 「こそ、手冷たいよ」 「な!」 私は手を放そうとしたけれど、それを幸村に阻止されて、今度は幸村が私の手を握る形に治まった。あああ恥ずかしいいい死にたい。 膝に顔を埋めて私はだんまりを決め込む。隣りからクスクスという笑い声と「照れてる」なんて言葉が飛び込んで来た。 「ちっがう、よ」 「放そうか?」 「…勝手にどうぞ」 「じゃあ勝手にこのままにしておくよ」 そう言って笑った幸村を横目でちらりと一瞥した私は、言い様のない胸のうずきを覚えて、それから小さく唸るのだった。 これなんていう病気? (…先輩達の間に私が入る隙、なかったなあ) ←まえ もくじ つぎ→ ---------- 私は一番フェルメールの絵が好きです。リュートを調弦する女かな、あれがフェルメールの中で一番好き。中学の頃は美術部だったので実際に見に行ったことがあるんですけど、想像していたものよりはるかに小さい絵で、絵の具がキラキラして見えて、涙が出るほど綺麗でした。 耳飾りの少女は模写したことがあるんですが、難しかったなあ。 130313>>KAHO.A |