秋の記録:25

やかんが授業放棄を決め込んだ日の昼休みの事だ。私は廊下で柳とばったり居合わせた。
ばったり、なんて、同じ階にクラスがあるのだし、廊下で会うのは不思議な事ではないから少し変な表現だろうか。そうであっても私は柳とは基本、部活と図書室でしか会わないので、それ以外の場所で会うのは新鮮な感覚だった。だからその言葉がしっくりくる気がした。


「…珍しいな、部活と図書室以外で会うのは」
「私もそう思った」


私と柳の間の妙な距離感。
今まで大して気にならなかった、というかきっと気付かなかった僅かな距離が私たちの間にはあった。私達は廊下で相手と目が合ったその場で足を止めた。だから二人の距離が話すには遠く、しかしそのまま何事もなしに立ち去るのも不自然な近さにいることが、この隙間に埋まるぎこちなさの原因の一つだろうけど、それとは違う理由もある。
多分それは私が一方的に感じている気まずさなのだろう。


、昼はもう食べたか」
「あ、いやまだ…これから買いに行こうかなと」
「時間があるなら俺に付き合わないか。久々に食堂に行くつもりなんだが」


どうしよう。私は戸惑った。今までなら多分、すぐに頷いていただろうに。
柳は、頭は良いし、優しい奴だし、頼りのある人間だ。一方で私は彼とは違いできた人間ではないから、醜い感情もあって、それはもちろん、今まで皆にさらして来たものも多いけれど、それでも彼に今でも実は少し持ち合わせているそういった心を見透かされるのが、私は怖いのかもしれない。
…なんて、きっとこんな風に私が考えているのも彼はお見通しなのだろう。
私はなるべく感情を悟られぬようにわざと挑発的な顔を彼に向けた。


「柳の奢りなら良いよ」
「俺がそれを嫌がってお前を誘う事を諦めるのを狙っているのだろうが、生憎俺には通用しないぞ」
「…あ、そう」


奢って欲しいなら奢ってやる、お前は昼はあまり食べない方だしな、と少し意地悪な表情になって彼は付け加えた。くそう。
柳も分かっているだろうが、別に奢って欲しいわけじゃないさ。


「あーもー付いて行くよ」
「すまないな」
「すまないって顔じゃありませんけど。ていうか、柳が嫌なわけじゃないから」
「分かっている」


何それ。
口を尖らせた私を見なかったフリをして、彼は行くぞと私の前を歩き出したので、仕方ない後に続いた。
心を読まれるのは正直嫌だ。けど、話題がなくてテンパる自分はもっと嫌だから、あんまり彼と一緒にはいたくなかったのだ。今までは図書室や部活帰りの流れで話していたから平気だったけれど、いきなり柳と世間話なんて私にできるのか。よく考えたら私と柳ってかなり釣り合わない友達じゃないか。


「別に友人だからと言って、共有する空間を何かしらの話題で埋めなければならないという事はないだろう」
「…」
「なに、お前は心を読むまでもない。全部顔に出ている」
「うそ!」
「本当だ」


柳は残念だったなと笑った。そんなに私は顔に出やすいだろうか。腕を組んで首をひねる。私の様子がおかしかったのは、柳は私の頬を軽く抓った。


「以前は仮面をかぶったように何も分からなかったさ。今のはとても素直だ。ちなみに、お前の抱えている感情が醜いなんていう事も思わない」
「柳って何も言わなくても会話がイイ感じに成立するから便利だねえ」


嫌味混じりに笑顔で言葉を柳の背中にぶつける。しかしそういう私と自分のやり取りすら、柳は楽しそうだった。
って私、柳と普通に話してるし。なんか楽しんじゃってるし。上手く柳に乗せられているような気がして、ちょっとだけ自己嫌悪した。


「俺はお前と一緒にいるだけで楽しいさ。『絶対に話す』必要性は感じないな」
「…柳、なんでサラッとそういう事言うかな」
「本音だからだ。それには普通の女子と違って恋愛の話題より、友情の話題の方が弱いと言う事を俺は知っている。だからわざと口に出した」


じと、と柳を睨んだ。あああ良い性格してるなあああ。そうですよ、友達とか、私にはこそばゆいですよ。だって、今までそんな温かい言葉、聞いた事ないんだもん。コイツらといると、そういう事が沢山あって、胸が温くなる度、嬉しくなる。


「…柳には敵わないなあ」
、止まれ」
「え?」


不意に手で行く手を制された。私は柳を見て、それから彼が向けている視線の先へと目をやる。斜め前方に幸村と、…女の子。雰囲気的に見て告白とかそんなところだろう。この時間、ここを通る人はあまりいないから、校内の良い告白スポットになっているのは流石の私でも知っている。


「あの、幸村先輩…!好きです、付き合って下さい…っ」


ぺこり、そんな可愛い効果音が付きそうな勢いで彼女は頭を下げた。口振りから後輩らしい。確かにあんな子同学年で見たことないな。まあうちの学校、1学年に500人は軽くいるから全員知ってるわけじゃないけど。
幸村は困ったように眉尻を下げた後、ありがとうと笑った。その表情にもやもやとした感情が私の中を渦巻く気がした。


「でも、ごめんね。君の事、委員会で良く頑張ってる子だって知ってるけど、でもまだそれ以外は俺は知らないし、気持ちに応える事はできない」
「…はい」
「でも、友達にならなれるよ」
「…え?」
「先輩とか後輩とか、堅苦しいのはやめて、そういう友達からでいいなら」


幸村がふわりと笑えば、女の子も泣きそうな顔を笑顔に変えた。幸村にはもったいないくらい優しそうで、可愛い子じゃないか。
彼女が再び幸村に頭を下げて去ったのを見届けると、私は口を開いた。


「幸村の優しさが今世紀最大に神々しい件」
「何を言っている。幸村はお前にだって十分甘いし、優しいだろう」
「えええ」


どこが、どこら辺が!?私とあの子を比べたらかなり扱いが違うじゃないか。私が喚くと柳は「まあ、そうだな」とあまりにもおかしそうに同意するので、私は訳が分からず閉口してしまった。
一体何がおかしかったというのだろう。


は不服か」
「いや、まあ私Mとかそういうのではないし…ねえ」
「聞き方を変えよう。今幸村にあんな風に振る舞われたら満足なのか」
「…今更だからね、逆に怖い」


私が小声でポソリと呟くと、そういう回答が欲しい訳ではなかったがまあ良いだろうと柳は自分で勝手に納得して、また歩き出した。


に向けられるのは、幸村が誰しもに向ける平等なそれではなく、もっと別のものであることを自覚すべきだな」


柳はそんな意味深な言葉を私に寄越した。その意味まではイマイチ察する事ができなかったけれど、先程の質問では柳が私にどう答えて欲しかったかということは分かっていた。幸村に他意はなく普通にあのように接されたらきっと私は淋しく思うだろう。あの威圧的な物言いも、私を馬鹿にする台詞も、全ては他の皆も含む私達に『仲間』という意識があってこそのものだ。だから遠慮なく相手に踏み込んで行ける。

それは分かっている。
――ただ、それでも羨ましかったのだ。幸村から求められて友達になるあの子が。例えあれが猫かぶりのものだったとしても、私に対する時とは違う笑顔を向けられるあの子が。

ああ、私のこんな醜い感情は、誰も――いや幸村だけは、




気付かないで永遠に
(きっと面倒くさいって嫌われちゃうよね)

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花粉撲滅運動実施中。
きっとヒロインも花粉症。
130309>>KAHO.A