60_愛ではなくてただ君なんです
すっかり日も落ちて、グラウンドの方では後夜祭が開かれているのが、遠くに聞こえてくる喧騒で分かった。校舎裏のゴミ捨て場には文化祭の片付けで出たゴミ袋が山積みにされて溢れんばかりであり私はその上に引きずるように持ってきたゴミ袋を2つ放り投げる。切原君に告白されたあの後、私は丸井先輩についてのことは何一つ打ち明けぬまま、自分と切原君の分の袋を掴んでその場から逃げるように去った。切原君がここに来ることは恐らくないだろうが、彼はあれからどうしただろう。
ゴミ捨てのために切原君と教室を出てから、寄り道をして話していたこともあって、もう随分と経つけれど、クラスメイト達の方は、片付けを終えて、先に帰るなりことも後夜祭に参加するなりしているかもしれない。
私も教室に戻って鞄を持ってさっさと帰ろうとは思ったのだけれど、切原君と教室で鉢合わせるのではと考えると、どうにも足が動かなかった。
「多分、俺がお前のこと好きだからだと思う」
ライトでまぶしく照らされた、騒がしいグラウンドをぼんやり見つめて零した彼の台詞を思い出して、私は途端に顔が熱くなるのが分かった。思わずその場に座り込んで、今まで切原君と過ごした毎日を振り返っては、一体いつから、とか、どうして、とか、今更聞けないことばかりが頭を巡った。

「こんな私なんか、どうして」

もしかしたら、好き、嫌いの簡潔な言葉だけ求めて、切原君自身もいつから、とか私のどこがとか、多くを口にしなかったのは、自分が友達以上になり得ないことを理解して、それから私を必要以上に追い詰めないようにするためなのではないかと、そう思った。そこまで気を遣わせて、切原君の気持ちに応えられぬと傷つけた上においてきぼりにして、私は次から彼とどんな顔をして会えば良いのだろう。膝に顔を埋めた時、再び携帯が震えて着信音がポケットから漏れ出した。

「…丸井先輩、」

案の定、そこに表示されていた名前、先程電話に出る前に切ってしまったその人で、きっと料理コンテストで優勝したので、その結果報告で連絡をしたのだろう。でも、もしかしたら一方的に切ったことを怒っているのかもしれない。どちらにせよ、電話に出るつもりはなかった。今丸井先輩と話をしたら、また余計なことを口にしてしまいそうで、怖かったのだ。そうは言っても、さっきのように電話を切ってしまえる勇気など私にはなくて、そっと電源のボタンに指を置いて、携帯を抱きしめるようにうずくまっていると、ふいに近くで足音がした。

「みっけ」
「っ!」

丸井先輩の声。会いたくなかったはずなのに、逃げるための足はどういうわけか動かなかった。着信音を頼りに私を見つけたらしい先輩は、耳に当てていたそれを閉じる。私の着信もそこで途切れて、先輩が私の前までやって来ると、同じようにしゃがみ込んで私の顔を覗き込んだ。
どうやら電話を切られたあの後、丸井先輩は私達の教室まで行ったらしいのだけれど、そこには誰もいなくて、黒板に、ゴミ捨てが終わったら帰っても構わないという私と切原君宛の伝言が残っていたらしい。

「赤也は?」

その名前に、私はびくりと身体を震わせた。先輩はそれで私が切原君と喧嘩でもしたと勘違いしたのかもしれない。まるでいじけるように座り込んでいた私に、一瞬だけかち合った視線が丸井先輩の呆れた顔を捉える。だけど、先輩は今は触れて欲しくないと悟ったのか、切原君のことは何も問わないまま、いつもの調子で私の名前を呼んだ。

「お前ってさ、どうして俺の電話にすぐ出れないの」

抓られる頬に、いつもは抵抗するはずが今はそんな気も起きずに、されるがままにしていると、ぐいぐいと遠慮なしにつままれていた手が止まった。私が何も言わないので、先輩は少し困惑しているようだ。だが頬からゆっくり離れていくその手を私は無意識のうちに捕まえていた。丸井先輩は一瞬面食らったように私を見たのだけれど、すぐにゆるく手が握り返されて、繋がれる。

「…全部、タイミングが悪いからじゃないでしょうか」
「え?」
「電話に出ないのは、先輩のタイミングが悪いからです」

丸井先輩はそれを聞くと苦笑して、お前らしい答えだなと言った。
そうだ、先輩はタイミングが悪い。今だって会いたくなかったのに、どうしてこんな時ばかり私を探し当ててしまうのだろう。

「…欲しいと思う時に求めるものをくれない。意地悪です」
「俺と電話がしたいなら、自分からかければ良かっただろい」
「先輩と電話なんてしたいと思ったことなんてありません」

私の欲しいものは、そんなものではないのだ。どうせ伝わらぬと押し黙った私に、先輩は「相変わらずの毒舌」と私の額を弾いた。私の気も知らないで。しかし先輩の声はふざけた調子からすぐに優しいそれに変わって、繋がれた手がぶらりと揺れる。

「でも、じゃあその寂しそうな顔は、電話のことで俺がさせてるんじゃないんだな」

電話のことでなかったとしても、半分くらいは丸井先輩のせいであることは変わらないのに。安堵したように微笑んだ先輩が、おもむろに繋がれたその腕を引いた。私は倒れ込むように丸井先輩の腕の中に引かれて、抱きしめられた。料理コンテストをしてきたから余計なのかもしれないが、やっぱり先輩は甘い匂いがして、今はそれがやけに私のこわばった心を解いていくようだった。
先輩のせいなのに、いつだって私を混乱させるのは、ほとんど先輩が原因なのに、どうしてこんなに優しく抱きしめるんだ。

「なんで、…こんな、」
「言っただろい。が寂しそうだから」
「…へえ、先輩は、寂しそうな顔の女の子には皆にそうするんですか」
「そういうわけじゃねえよ」
「じゃあ、」

なんで?
その問いには、先輩は何も言わなかった。ほら、欲しい答えをくれない。意地悪だ。
先輩は以前、私を「右手みたいな存在」だと言った。ないととても困るけど、好きか嫌いかの気持ちは持ち合わせないもの。そうであるから、私は丸井先輩の言う、特別扱いを受けるのか。先輩が何も答えないのは、既に私にその答えを託しているからなのか。

「…ただないと困るものなんて、そんなの、目に見えない空気と同じじゃないですか」
「…」
「先輩は右手や空気をありがたがって抱きしめたりするんですか」
、」
「先輩は私が何を考えてるかとか、どうしたいかとかきっと分からないだろうけど、私も先輩のことが他の誰よりもよく分からないんです」

そして今日、切原君までよく分からなくなってしまった。切原君だけじゃない。彼に対する、確かな自分の気持ちまで。先輩の腕の中で、ぽつりぽつりとそう零し始めると、丸井先輩は私を身体から離して、すぐに視線を足元へ落とす。沈黙を決め込んでいた、と言うよりは、困惑して何を言えば良いか分からないという様子に近いように見えた。

「…切原君に告白されました」
「…」
「私はずっと友達だと思ってました。だけど、…なんか、それももう全部分からなくなって、私はこれから彼にどう接すれば、」

私がそこまで言いかけた時、先輩の手が頬を滑った。「なっ、」私が驚いて身を引く前に、先輩の口が私の口を塞いだ。押し当てられた唇は私を捕らえて、頭の中を真っ白にさせる。そうして先輩の手が頭の後ろに回り、少しだけ唇が離れた時、私はすかさず先輩を押し退けた。
頬を撫でていく秋の風がやけに冷たく感じられて、呼吸を整えながら口元にそっと触れる。
丸井先輩と、キスした。

「…何でですか」
「…」
「先輩」
「…ごめん」
「何でですかって聞いてるんです」

先輩は目を伏せたまま、謝るだけだった。納得できるはずがない。丸井先輩のやっていることはめちゃくちゃだ。好きなわけではないと遠ざけたくせに、今まで散々線引きをして来たくせに、どうして今になって踏み込んで来たのか。しようがないと、自分でも気持ちを押さえ込もうとしたのに、どうして、今。

、今のは、」
「…っなかったことになんてできませんよ」
「…」
「丸井先輩はいつもそうやって逃げるじゃないですか…!」

どれ程私を混乱させれば気がすむというのか。丸井先輩はもうそれ切り私とは目を合わせないようにして、ふらふらと立ち上がった。

「…なかったことにできねえなら、あのなんでもするって約束したお願い、今聞いて」

先輩の声はらしくないほどとても弱々しいものだった。それはまさに懇願するような響きである。私はゆっくり顔を上げた。

「誰のことも好きになるな」
「…は」
「赤也のことも、誰も」

ざり、と先輩が足を引く。それは酷く身勝手な願いだと私は逃げるようにこちらに向けられた丸井先輩の背中に向かって怒鳴ってやりたくなったけれど、その時の私にはそんな風に怒りを露わにする気力はすっかり消えて無くなってしまっていた。
ただ、もう一度ごめんと謝った丸井先輩が見えなくなるまで、その場で力なく見送るだけである。
それから、先輩の姿が見えなくなった途端、私は怒るよりも先に、無性に泣きたくなってしまった。


(愛ではなくてただ君なんです)


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( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 150405 )