59_愛を飼ってはいけない
のクラス、柳先輩のクラス、それから幸村先輩のクラスと、私達は桑原先輩の店番の時刻になって先輩と別れてからは、知り合いのクラスを片っ端から回って、きっと一人だったらここまで文化祭を巡ることはなかったのだろうが、一応、学生らしく私はこのイベントを謳歌した。ちなみに私は初めに宣言した通り、切原君には一銭も奢ったりはしなかったのだけれど、彼は、例えばストラックアウトで全面当てたら無料でお菓子プレゼント、とか、サッカー部のレギュラーを抜いてシュートできたらたこ焼き無料券プレゼントみたいなゲームに果敢に挑んで行って私より文化祭を謳歌しているようだった。挑戦料は一時的に貸すことになるけど、成功したらきちんと返ってくるんだから構わねえだろ、とか切原君は思ってるのだろうが、もし失敗したらどうするんだっていう。

「はあ?失敗?するわけねえじゃん」
「そうやって君が今までお金を使わずに文化祭を楽しんできたことがこの数時間でよく分かったよ」

それから私達はラスボスのように残しておいた真田先輩と柳生先輩のクラスへ訪れたわけなのだが、正直な話、私は昨日、越前君達をそこへ案内した際に、ちらりと先輩達の姿を見ることができたので、もうこのクラスへは行くつもりはなかったのだ。だけど、切原君が「他の先輩のクラスは全部回って、真田副部長のとこだけ行かないのはまずいだろ」とここぞとばかりに後輩精神を発揮しなさったので、(私を道ずれにすれば怖くないと踏んだのかもしれない)しようがなく彼に付き合うことにしたのである。
とは言え、昨日、先輩達が店番をしているところを見たので、先輩のシフトは昨日で終わっているはずで、きっともういないだろうと私はタカを括っていた。実際どちらの先輩もいなかった。しかしやっぱり問題は起きた。財布の中身がすっからかんの切原君は私の頼んだものを遠慮なしに攫って行くので、痺れを切らした私を火種に喧嘩が勃発。切原君関連となると耳が早いのは真田先輩で、どこからともなく現れた先輩が私達をバッチリ叱りにきたのだった。

「ったく…あの人は怒鳴るために生きてんのかっつう」
「そんなこと言ってるとまた真田先輩が湧いて出るよ」
「う…」

説教は、私達のシフトの時間にかぶさる勢いだった。というか若干過ぎていた。仕事に行かねばならないという義務感二割の、逃げ出したい気持ち八割くらいで、私が咄嗟に「もう店番の時間なので!」と切原君を置いて逃走したことで幕を閉じた。もちろん切原君も「一人で逃げんじゃねえよ!」とか怒りながら追いかけてきたけど。
結局シフトには少し遅刻して教室に飛び込んだものの、公開終了間近のこの時間では、校内に残る人も少なく、まるでおとがめはなかった。先輩達も、幸村先輩と柳先輩が数分前に顔を出してくれたけれど、他の先輩はどうやら昨日遊びに来てくれたようだし、この時間はグラウンドでフィナーレの吹奏楽とかマーチングとかライブが開かれるので、皆そちらに集まっているのが窓からよく見える。

「これ俺達いる意味あんのか」
「それは皆思ってることだよ切原君」
「なーお前ら他のクラス少し早めに切り上げるみたいだけど、俺達どうする?」
「あーならもうさっさと片付けちまおうぜ」

きっと最後になるのではないかと思われる客が出て行くなり、宣伝から戻って来たクラスメイトが隣のクラスの様子を伺いながらそんなことを言った。まだきちんと店仕舞いをしていないのに、テーブルを拭いていた切原君は、椅子を乱暴に引いてそこに腰を下ろしたので、もうすっかり客は受け付けませんとでもいうような体勢だ。次いでまもなく公開終了30分前を知らせる放送が入って、それを合図とばかりに、他のクラスメイトも黒板にごちゃごちゃと描かれた「ようこそ2年D組へ!」という文字を消しにかかった。文化祭前はあんなに盛り上がりを見せていたのに、終わるときは案外呆気ないものである。まあ出すメニューがほとんど品切れになって、もはや飲み物くらいしか出せなくなってしまった今では、早仕舞いとは言えそうするほかないだろう。グラウンドの屋台は、私達よりも随分早く品切れで後片付けにはいっていたらしいし。

「纏めたゴミ袋は邪魔だから全部廊下にお願いしまあす」
「おー」

誰かの間延びした声に誰かが答える。もはや分別も忘れ去られたゴミ袋が二つ、廊下に放り出された。
本格的な掃除は、明日の午前中にクラス全員で行うことになっているので、私達でやることと言えば、テーブルを拭いてコンロやフライパンを洗うことと、それからゴミ捨てくらいで、大体が早く片付けから解放されたいなんて考えてるものだから、片付けは思っていたよりはスムーズだ。そんな中クラスメイトが切原君の名前を呼んだ。

「切原ぁ、ゴミ捨て頼む」
「はあ、別に良いけど…ってこのゴミ袋超重いじゃん」
「なんなら洗いものやるか?ぜんっぜん落ちねえぞ」
「…だああ、分かったって」

フライパンやコンロの汚れと先程からずっと奮闘している男子がそれをずいっと切原君に差し出して、彼はあからさまに面倒そうな顔をして見せた。いくら冬でないとは言え、この時期ずっと洗いものをやらされるのもきっと寒くて勘弁して欲しいところだろう。テーブルクロスを畳んでいた私は壁にかかった時計を確認すると、16時を回ったところでそろそろ料理コンテストの結果が出る頃だった。ステージには相変わらず人集りができている。ここからじゃあよく見えないけど、丸井先輩はあの中にいるのだろうか。

「おい
「えっ」
「ぼーっとしてんじゃねえよ行くぞ」
「は?」

彼はゴミ袋の一つを私に押しつけると、こちらの返事も聞かぬままに先に廊下へ出てしまったので、私はステージの方をもう一度見てから、肩を竦めて切原君の後に続いた。ゴミ捨てなんぞ一人で片付けられる仕事なのに、それに付き添って教室の仕事を放置して行くのは何だか忍びなかったのだが、女子の一人が苦笑しながら「さんも大変だね」なんて送り出してくれたので、何度も謝ってから切原君を追いかけることにした。


「切原君はどうして私がいないと何もできないかな」
「はあ?お前が暇そうにしてたから仕事わけてやったんだよ」
「暇じゃなかったよ」
「呑気に窓の外見てただろ」
「チラッと見ただけなんですが」

ぶちぶちといつもの言い合いが始まって、私はゴミ袋を半ば引きずりながら切原君の後ろを歩いていると、ふと外から「それで只今より料理コンテストの結果発表を行います」なんて放送が聞こえて、私はふと空き教室の前で足を止めた。釣られて切原君もこちらへ振り返り、私はしばらく彼と顔を見合わせてから、何も言わぬまま空き教室へと入り込んだ。ベランダの鍵を開けて、彼を手招きする。言わずともコンテストの結果を見るためだと分かって、彼もまた無言でベランダへ出ると手すりからぶらんと腕を放り出した。そこからは、なんとかグラウンドのステージ全体が見えた。
この時間にもなると、西の空には殆ど落ちかけている夕陽が見えて、辺りは夕闇色に変わりつつある。
「やっぱ気になるんだ」切原君が不意に言った。

「ん?」
「コンテストの結果」
「あー、…私、丸井先輩にたくさんコンテストの試作品貰ってさ。切原君もでしょ」
「まあ…」
「どれも美味しかったから、私は絶対優勝すると思うんだけど」
「するだろ、あの人なら」
「でも、っていうか、だから気になるじゃん結果」
「ふうん…」

切原君のぶっきらぼうな口調が、秋の風に攫われてやけに弱々しく聞こえる。盛り上げるためか、ステージに立つ司会はやけに長々とした前置きを挟んで、審査員の紹介など始めたので、私は手すりに顎を乗せて、丸井先輩はあのステージの裏に待機してるのかなあとか、先輩を応援に行ったであろう他の先輩達はあの人集りにいるのかなあとか、そんなことを考えていた。
この二日間、自分ではそんなに楽しんでいるつもりはなかったのだけれど、存外悪くないものだった。まるで夢から覚ますように、秋の夜風は身体を冷やして行って、途端に文化祭ももう終わりかあ、とそんならしくない言葉を私に吐かせた。

「何、寂しいのかよ」
「ちょっと」
「…」
「ちょっとだけね」

ついこの間まで夏真っ盛りで、汗だくで部活に励む皆の様子をきまぐれに見に行ったり、一緒に宿題をしたり、全国大会を見に行ったり。それから面倒くさがりながらなんだかんだで文化祭の準備をやって、あっという間に今日まで来たけれど、振り返ると全部、まるで、夢の中の出来事みたいに、どこかふわふわと不安定で、だけど妙に私の中にしっくり落ち着いて離れない。
こんな風に毎日が過ぎていくのが寂しいと思う。その思いは、1日ごとに、膨らんで、来るだろう明日も不安定さを増していくような、そんな気がする。
ぽつりぽつりとそんなことを零していると、てっきり馬鹿にされると思ったのに、切原君はステージの方を見つめたまま「あのさ」と呟いた。

「うん」
は丸井先輩のこと、どう思ってんの」
「…人としては好きだって、前に言わなかったっけ」
「そうじゃなくて、」
「ねえ、どうしてそんなこと聞くの」

嫌な質問だなと思った。こうやって、言わなくても良いような、わざわざ人の心に土足で踏み込むような、そんな質問は嫌いだ。風に煽られた髪を押さえながら、切原君の方へ向き直ると、彼はやっぱりこちらを見ないまま、「それは、多分」と続ける。ぴり、と一瞬感じた緊張感に、私は釣られて身構えた時。

「多分、俺がお前のこと好きだからだと思う」

優勝者は3年B組、丸井ブン太さんです!長い長い前置きの後、そんな声が聞こえたけれど、それは随分遠くのことのように思えて、それよりも私は切原君に言われたその言葉を頭の中で繰り返していた。…あれ?


「ち、ちょっと待って」
「待たない。今返事が欲しい」
「そ、そんなこと言われても私、なんと言うか…」
「別に付き合ったからってお前は何もしなくて良いよ。今まで通りで。だから丸井先輩が好きじゃないなら俺と付き合って」
「え、と、…その」
「…質問変える。は俺のこと好きか嫌いか二択」
「そんなの、」

そりゃ、切原君のことは友達として大好きだ。嫌いだなんて言えない。どう答えたら良いかまごついていると、ふとポケットの携帯が震えて、取り出したそこに表示されていたのは、着信の文字の次に、丸井先輩。どきりと嫌な汗をかいた時、自分の手から携帯が取り上げられた。それは切原君の手の中に収まって、彼はすぐに通話を切ってしまった。

「悪いけど、丸井先輩に邪魔されたくねえから、掛け直すなら後にして」
「…切原君、」
「うん」

私は、いつだって切原君には憎まれ口を叩いていたけれど、でも本当はこんな私を友達だって認めてくれていることが嬉しくて、感謝してて、切原君はたまにつっけんどんだったり、怖かったりもするけれど、実は優しいことを私はよく知っている。
だけど、私には、切原君は友達としてそばにいて欲しくて。

「…ごめん」
「…」
「私は、」
「丸井先輩が好きなんだな」

携帯を差し出されて、私はそれを受け取ると、そういうわけじゃ、と首を振ったのだけれど、彼はベランダの手すりの方へ背中を預けてぼんやり薄暗い教室の中を見つめながら、小さく笑った。

「お前はそう言うけど、俺はずっとそうなんじゃねえかなあって思ってた」
「…」
「初めはマジでお前冷たいし、丸井先輩が嫌いなんだなあって思ってたけど、最近はなんつうかさ、それがわざとっぽいっつうか、」

丸井先輩が好きなの、認めたくないみたいに見えてて。
彼の視線がこちらに移って、私は思わず俯いた。触れて欲しくなかったところに、頑なに見えないふりをしていたその一線に踏み込まれたような気がして、否定の言葉が一気に喉の奥へ戻っていく。
丸井先輩に辛く当たることにおかしな義務意識を感じたのはいつからだろう。私は手に握りしめる携帯へ、じっと縛り付けられたみたいに視線を落としていた。

「なあ、何で」
「…何でって、言われても私には、何のことか、」
「嘘だな。顔上げてみろ、『切原君に踏み込まれたくない場所に踏み込まれた』って顔してる」
「やめてよ、…」

丸井先輩に近づかないようにしていた。だから自分でも知らないふりをしていた気持ちがうっかり口から出た時、私はどんな時より取り乱して、丸井先輩を突き放して帳消しにするように、酷いことばかり並べ立てた。
何故なら、いつのまにか私は丸井先輩のそばを去り難く思い、元の場所に帰ることを恐れ始めたからだ。きっと気持ちを口すれば、この世界に繋がれた足枷が完全に外れてしまうような気がしていた。丸井先輩との関係がいつまでもこの不思議な距離にある限り、私は丸井先輩とあの日の約束でこの世界に繋ぎとめられていると。
だけど、いつからか距離を保つために丸井先輩を傷つけるのも怖くなって、いつか先輩がその約束を忘れて繋がりを失うのも怖くなって。せめてあの日の下らぬ約束で緩く繋がっていようとしていた私の心は酷く臆病になっていた。気持ちを押しとどめることに、限界を感じていた。
気持ちを知られたくないのに、知って欲しいとも思っていたなんて、矛盾だらけだ。
どんなに遠ざけても、笑って隣にいてくれた丸井先輩に私は甘えていた。その先輩には、人の心を踏み荒らすくせに、決して踏み込んでこない一番最後の一歩があって、その存在は、私にも都合の良いもののはずだったのだ。
丸井先輩と距離を保つためには必要な一歩だった。だけど、私にはそれがもどかしくもあって、私を不安にさせて。

「結局、私には矛盾しかなかった」

全部、私のやっていたことは意味のないことだったのかもしれない。
いや、意味があったとしても、ここで切原君に見破られた時点で、辿り着く場所は一緒だ。

結局のところ、
私は丸井先輩を突き放してこの世界に留まるのも、先輩にきちんと思いを伝えて元の世界へ帰るのも怖いのだ。

(愛を飼ってはいけない)


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( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 150401 )