57_星座が二人を繋がないなら

「お前ってさ、テニス部の出し物知ってる?」
「シンデレラの劇をやるって聞きましたけど」

丸井先輩に右手をがっちり掴まれてからずっと、それが離してもらえるような様子はちっとも伺えなかった。人混みをすいすいと器用に進んで行くので、腕を引いてもらえるのはとても助かるのだけれど、いかんせんこの指が絡まりに絡まった繋ぎ方はいただけない。人で混雑しているため、周りからはあまり手を繋いでいることが見えないのが唯一の救いである。

「今日、海林館で劇やるんだぜ」
「はあ」
「見に来いよ」

丸井先輩は、あちらこちらの食べ物の露店を忙しなくチェックをしながらずんずんと歩いていく。その中でも気に入ったものは私に御構い無しに買いに行ってしまうのだが。真っ赤なりんご飴を片手に、先輩は黙って後ろについてくる私を一瞥して、ふっと微笑んだ。大きなりんご飴は丸井先輩にとてもよく似合っている。真っ赤なところとか、りんごってところとか。透明な水飴がきらきら光って見えるところとか。いや決して丸井先輩が輝いててかっこいいってわけじゃあなくて、丸井先輩は色んな意味で眩しいということだ。
私も私で、先輩を無理やり引き止めて目的の特大サイズのベビーカステラを買って、先輩のあとに続く。

「見に来いって言われても、どういうわけか、切原君には絶対来るなって言われてて」
「あーなるほどねえ。…でも見に行ったところで、バレねえって」
「はあ」
「興味ないから別に良いのにって顔してるな」
「せっかく口に出さなかったのに」
「生意気」
「あっ、私のカステラ!」

袋に手を突っ込んだ丸井先輩は指で器用に三つカステラを挟んで攫っていくと、二つを口に放り込んだ。もりもりと動く頬を押しつぶしてやりたい。しかし先輩は物を食べる時急に顔があどけなくなって、何故か邪魔をすることに少なからず罪悪感が湧いてしまう。私は丸井先輩から何も奪えるものがないので、逆に自分のカステラがさらに攫われることを案じて、しょうがなく食べるスピードを上げた。
先輩はそれを見て苦笑しながら「ゆずるに席取らせとくから来いよ」と言った。もう弟が完全にパシリである。

「ところで、配役ってどんな感じですか」
「んー」
「見てのお楽しみですか」
「ま、俺と柳生はとりあえず意地悪な姉だぜ」
「ぶふ、ぴったりですね」
「…」

シンデレラなんて、普通は女の子がそれなりにいるメンツの中で行うはずの劇であることは誰にだって分かることで、男子テニス部がそれをやるとなれば、どうなるかはおおよそ予想できたが、まさか丸井先輩が意地悪な姉。レギュラーの人は美形揃いなのに、演目次第でこんなふうになってしまうのだなと思う。

「俺は結構ノリノリなんだけど」
「丸井先輩意地悪なとこありますから、良いと思いますよ」
「つまり王子様ってキャラじゃねえと」
「冗談ですよ」
「ふうん、へえ」
「先輩…」

丸井先輩は私から視線を外して前に向き直ってしまった。てっきりいつもみたいにちょっとした言い合いになって終わると思っていたそれは、殊の外先輩の機嫌を損ねてしまったらしい。先ほど私から取ったカステラの最後の一つを口に放り込んだのを見て、私は機嫌を取るためにベビーカステラの袋を後ろからそろそろと差し出すと、彼はそれからまた一つカステラを取り出した。

「…別に、シンデレラの王子じゃなくて結構だっつうの」
「だから冗談なのに」
「お前も分かってない」
「はあ」

いつものことと言えばそれまでだけど、丸井先輩の言っていることがさっぱりだった。私もまたカステラを一つ口に放り込んだ。
正直、私はベビーカステラを買ったら海友会館に籠るつもりだったのだけれど、機嫌を損ねた先輩はあてもなく歩いているようで、進路は目的地には向きそうにない。それどころか、丁度通りかかった射的の店を丸井先輩が指差したので、流れ的に一緒に射的をすることに快諾しなければならないような空気になった。
そもそも文化祭でこんなに本格的な射的の店があるとは思わなかった。五発のコルクをと銃を店の人に手渡されて、少しだけ粋がって銃を担ぐと先輩を一瞥する。とにかく、機嫌が悪いと面倒なので、ここは先輩にきちんと付き合うしかあるまい。

、どうせだから勝負しようぜ」
「何がどうせなんですか」
「ただやるだけじゃつまんねえし。どっちが多く倒せるか」
「…別に構いませんけど、私、立海のガンマンって異名があるんですよね」
「初耳なんだけど」
「今作ったんです」
「…。そう」

あ、今どん引かれたと思った。どうせ丸井先輩に振り回されるなら楽しんでやろうと思ったから言っただけなのに。前の夏祭りの時は、先輩とすっかり喧嘩腰のまま、何も楽しまずに終わってしまったから、その罪滅ぼしも含めてのつもりだった。銃を構えて見せながらそう零すと、先輩は良い心がけだな、と隣で笑ったのが分かった。

「じゃあまあ決まりだな。負けた方は勝った方の言うことを何でも、」
「賭けるのは嫌です。勝ち負けだけなら良いですけど」
「えー」
「だって丸井先輩、こういうの全般的に上手いじゃないですか」
「ま、天才だからな」
「それでは俺がに助太刀しよう」

私達の会話に突然そうして割って入ったのは柳先輩だった。いつからいたのか、彼は相変わらず涼しげな顔でそこに立っており、私の横に並ぶと、それで良いかと丸井先輩を見やった。いつからいたんですか、という質問に、先輩はほんの少し前だと先輩にしては曖昧に答えた。まあ、別にいつだっていいんだけど。
それよりも、柳先輩も、丸井先輩とは別の意味で、文字通り全てのことをそつなくこなしてしまう人なので、柳先輩が味方についてくれるのはありがたい。

「オーケー。構わないぜ」
「では、良いだろうか」
「お、お願いします」

そうして、柳先輩と私の連合軍対丸井先輩の勝負のゴングが鳴らされたわけだが、丸井先輩は早速構えると、パンと鋭くタワーになっているお菓子をバラバラと倒し、そのお菓子の雪崩で、隣の玩具も倒していた。射的なんかお祭りの時にしかお目にかかれないものだし、毎度やってるわけではないだろうに、この人ってどうしてこういうことをそつなく、いや、むしろ自慢できてしまうくらいにこなしてしまうのか。
ぽかんと先輩を見つめていた私に気づくと、彼はふっと得意げに笑った。

「むか、柳先輩お願いします」
「一番上のぬいぐるみを狙っているならあと12度上に傾けろ」
「じゅうにど」
「そうだ。…それでは20度程傾いている。8度下だ」
「すいません、もうちょっと分かりやすくお願いします」
「お前の消しゴムを縦にした長さの分、下だ」
「あんまり分かりやすくないですけど分かりました」

そんな風にもたついているうちに隣から二発目の音が聞こえて、私の狙っていたぬいぐるみがいとも簡単に倒された。「丸井先輩!」「あれ、狙ってた?わりーわりー」絶対ワザとである。流石意地悪な姉だと思った。
結局、勝負は私の負けだった。柳先輩のお陰で、五発ともきっちり命中はしたものの、丸井先輩の前では一発で一景品落とすぐらいじゃあ到底勝ち目などなかった。先輩は一発で二つも三つも景品を倒して行くので足元にも及ばなかったのである。

「すまなかったな、
「いや、柳先輩に完璧にカバーしていただいても私の技術がこんなんなんで…」
「ていうか割と白熱したなー」

勝てたからか、いつもより調子が良かったからか、丸井先輩は先ほどまでの仏頂面が嘘みたいにニコニコ笑っていた。先輩が横取りしたぬいぐるみを私の頭に載せると、携帯で時刻を確認。どうやらそろそろ演劇の準備をしに、海林館に行かねばならない時間らしかった。

「んじゃ、俺らは時間だから行くわ」
「はあ」
「付き合ってくれてサンキュ。ぬいぐるみはやるよ。あ、柳にはこれ」

丸井先輩はそう言って柳先輩の手に駄菓子の詰め合わせを載せた。とても彼らしい気の使い方だ。柳先輩は柔らかく笑ってもらっておこうと答えた。

「じゃあ一時間後、海林館来いよ、
「それは射的で勝ったそのお願いですか」
「んなわけないだろい」

先輩命令。
最後に横暴な言葉を残した丸井先輩は、私の返事なんて聞かないまま、柳先輩と海林館へと歩いて行ってしまった。私は頭に載せられたままのぬいぐるみをポンポンと撫でる。

先輩命令が通用するなら、勝負なんていらないじゃん。


丸井先輩って相変わらずジャイアン!という事実に気付かされたものの、私はきちんと先輩命令に従って演劇を観に行くことにした。暇つぶしになるし、席がとってあるなら見ても良いと思った。
劇は丸井先輩の話通り、丸井先輩と柳生先輩が意地悪な姉で、肝心のシンデレラ役が誰かといえば、なんと切原君だったのである。てっきりがやるのかと思えば、彼女はダンスパーティに参加している名もなき婦人という感じで、メインキャラクターがレギュラーの勇ましい姿で構成されていた。まあ、ファンの人達があちらこちらできゃあきゃあ騒いでいたからきっと需要は大いにあるのだろう。
劇中にハプニングがいろいろとあったようで、シンデレラが途中、切原君から何故か越前君に代わったりしていたのだけれど、なんやかんやで無事に幕を閉じたわけだ。

「俺の予想だとユーモア賞が狙えるね」
「だと良いね」

ゆずるのような、劇に参加しないメンバーは観客席から見守る役らしく、劇が終わるなり、私の隣にいた彼は鼻息荒くそんな言葉を言い放った。確かに笑いを誘うシーンが多く正直シンデレラの話だったのかも微妙なくらいだ。あの桑原先輩が馬役だったし。申し訳ないが私が一番笑ったのはそこである。

「俺、これから先輩達にお疲れさまでしたって声かけに行くけど」
「あー、…私も、行こう、…かなあ」
「えっ、来るの?」
「駄目なら良いんだ」
「駄目じゃないけど、意外だなってさ」

ほんと、自分でも意外だなと思った。普段なら真っ先に帰っているところなのに。変なの。
そうしてゆずるに連れられて舞台裏に行くと、そこではレギュラーの人達が口々にお疲れ、なんて言い合っていて、そこに越前君の姿も見えた。ゆずるがそこへ駆けていく。だけど私は誰かに声をかける前に、強く襟首を掴まれて、ぐえ、と呻き声を上げた。この呼び止められ方は本日二回目だ。常習犯の丸井先輩は、向こうで桑原先輩と話しているのが見えるので、後ろにいるのは誰だろうと思う間もなく、「おい」とやけに怒りを孕んだような切原君の声がした。

「あっ、どうもお疲れ様です…」
「どうしてここにいんだよ」
「君に言われたことすっかり忘れてたからだよ」
「…。劇、見にくんなって言ったじゃん俺」
「うん、言われたような」
「言ったよな」
「でも切原君、シンデレラ役お似合いでしたよ」
「お前それ馬鹿にしてんだろ」
「まさか!」

可愛かったし、面白かったし。監督は幸村先輩だて聞いたが、ナイスキャスティングだと思う。私は食べかけだったベビーカステラの袋からカステラを取り出して、これ以上文句を言われたくなかったので切原君の口に突っ込んだ。お疲れお疲れと言葉を添えて。

「きっとシンデレラ役だったから馬鹿にすると思って私に見られたくなかったんでしょ」
「…ん」
「そりゃあ馬鹿にはしたけど、」
「おい」
「観に来るななんて寂しいじゃん。友達だしね。面白かったから来てよかったよ」

初めこそ興味はなかったが、いい暇つぶしになった。私がそういうと、切原君は、「そ、そっか」と自分からカステラに手を出す。だから誘ってくれた丸井先輩に感謝しなくちゃね、と話をつなぐために付け加えると、切原君が突然カステラを食べる手を止めて私を見た。「…ふうん、丸井先輩に誘われたから来たんだ」私は何か気に障るようなことを言っただろうか。切原君は唐突に、やけに引っかかるような言い方をした。

「うん、午前は丸井先輩に捕まって振り回されてた。柳先輩も途中から加わって一緒に射的してたんだけどね」
「あっそう」
「…切原君?」
「俺片付けあるから戻る」
「お、おう」

切原君はそう言うと先輩達のいる方へかけて行こうとした。え、嘘、怒ってる?切原君と喧嘩するときは、大体殴り合いや酷い言葉の暴力に発展したりするけど、こんな風に一方的に怒りを買うことは少なくて、だからこそどう対処していいかわからない。呼び止めるか迷っていると、彼は途中で足を止めるなりちらりと、こちらを振り返った。

あのさ」
「えっ…は、はい!」
「明日、」
「赤也ー、何してんだ早く来い」

言葉に重なるように、丸井先輩の声が割って入った。声の方を一瞥してから切原君は「今行きますよ!」と乱暴に答える。話の続きは何だったのか、促すために彼の名前を呼ぶと、彼は頭を振って今度こそ背を向けて、振り返ることはなかった。

「やっぱ、何でもねえ」

…そう、すか。

(星座が二人を繋がないなら)


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( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 150323 )