53_おかしいな喜劇のはずだったのに |
屋上の扉は、やっぱり私が蹴飛ばしたところでびくともしなかった。これまでにも何度か挑戦してきたが、どうにもまだコツが掴めていないらしい。ノブ自体はゆるゆるで、鍵がなくたって、今にも開きそうだというのに。きっと仁王先輩がいるとしたらこの中だと思うのだけれど。私はそっとため息をこぼして首をもたげた。 そもそも何故私が、関わると面倒なあの仁王先輩をわざわざ探しているのかと言えば、私の手の中にあるこのプレゼントが原因だった。これが何のプレゼントか、と言うのは、察しの良い人はお分かりだろうか、つまり、私の誕生日のそれである。送り主はと真田先輩で、切原君が騙された仁王先輩のあの嘘に、彼らもまんまと騙されてしまったという話だ。どうにも仁王先輩の嘘だと本当のことが言えぬまま、私はそれらを受け取ってしまった。(はともかくとして、真田先輩のはわざわざ私のために書いたとか言う習字だったものだから尚更だ)とは言え、切原君の話によれば、に私の誕生日のことを言ったのは仁王先輩ではなく切原君自身らしいので(そして恐らく、が真田先輩へ話した)、と真田先輩の件に関してはある意味仁王先輩は関係ないと言えばないのだけれど。 「仁王先輩、いないんですかあ」 駄目元で扉の向こうへレスポンスを求めたが、静寂のみが返される。本当にいないのか、居留守なのか。 …私の預かり知らぬところで勝手に偽のプロフィールを流されて、申し訳ないことにプレゼントを貰ってしまって、正直私はちっとも悪くないはずなのに、何でこんなことを。 ひとまず出直すしか選択肢を残されていない私は不貞腐れてポケットにずぼっと手を突っ込むと踵を返して柳生先輩のところにでも向かおうとした。しかしふと指に何かが触れて、伸ばしかけた足を止めてそれを取り出す。ここに入っていたのは丸井先輩のガムだけのはず。 「あれ、これは、」 手の平に取り出したのは、以前仁王先輩がくれた屋上を開けるための針金、『魔法の鍵』というやつである。思いもよらぬタイミングで使いどきがやって来たものだ。まさか仁王先輩も自分が託したアイテムで自分を追い詰めるとは思うまい。 しめた、と私は早速針金を鍵穴へぶすりと差し込んで中をこねくり回していると、鍵を開けきる前にふと後ろから足音がした。私は慌ててそれを引っこ抜いて振り返ると、そこにいたのは幸村先輩だったのだ。 「ああ、君は確かさんだね」 「こ、こんにちは」 「こんにちは。屋上に何か用かい?」 「あ、えと、仁王先輩を探しに来て」 先輩と目があった途端、どきりと心臓が跳ねた。幸村先輩は少し苦手だ。いや、苦手とは少し違う気がするけれど、なんだか他の人と違う雰囲気を纏っているような感じで侮れないといえば良いのか。私は大した事情は話さずに、ふわふわとした言葉を並べて、とりあえず仁王先輩に用事があることだけを伝えると、それだけで何となく私が言いたいことが分かったのか、うちの部員が苦労をかけるよ、と苦笑された。そりゃあまあ、苦労はかかってますけど、皆良い人ですしね。 慌ててフォローになっていないようことを言った気がした。 「えと、それで、幸村先輩は屋上に何のご用で?」 「ああ、俺は屋上庭園の様子を見にね。美化委員が庭園の管理を任されていて、屋上の鍵は俺が持っているんだ。だから、屋上は開かなかっただろ」 「あっ、そっ、そうでしたか。てっきり仁王先輩は屋上あたりに隠れているものとばかり」 そう言って私は右手に握り締めた魔法の鍵を背中の後ろにそっと隠したのだった。幸村先輩はもしかしたらもう知っているかもしれないから、わざわざ庇うこともないとは思うのだが、仁王先輩や丸井先輩、切原君が、鍵が開いていようがなかろうが、強引に中へ忍び込んでいることを何だか言ってはいけない気がした。幸村先輩って、普段とても優しそうだけれど、どこか怖いイメージがあるから。 長居をしていると何かしらボロが出てしまうように思われて、私は「もう行きますね」と幸村先輩の横を逃げるように通り過ぎて行こうとした。 「さん」 「は、はい!」 「今度また、ゆっくり話そう」 「へ…」 「君とはまたじっくり話したいと思っていたからね」 幸村先輩は、元の世界での死んだの立ち位置にいる存在で、正直、私の中では何よりもイレギュラーな人間だと思っていた。嫌な感じはしないけれど、何だかつい身構えてしまって、ごくりと息を呑む。 幸村先輩は相変わらずにこやかに笑っているだけだった。 幸村先輩と別れた後、私は3Aの柳生先輩の元へ訪れた。真田先輩との接触を恐れたけれど、もし出会ってしまったらそこで本当のことを言って謝ろうと思った。私が仁王先輩を見つけるより真田先輩の方がもしかしたらビシッと決めてくれるかもしれない。ただ、真田先輩は真面目だから仁王先輩の巧みな話術に引っかかってしまいそうな気がしてならないが。そんなことを言ったら私だって仁王先輩に勝てる気などしないけど! 教室にはちょうど柳生先輩の姿があった。柳生先輩は仁王先輩の対応に慣れていそうだし、説教も容赦が無さそうなので、今回のことを含めこれまでの仁王先輩の悪事を3割り増しくらい大袈裟に説明した。それを踏まえて、仁王先輩がどこにいるかご存知ですかと。柳生先輩は私の話を聞く毎に酷く困ったような顔になっていった。 「それはそれは…仁王君がご迷惑をおかけしました。後で私からよく言っておきますね」 「すいません」 「それにしても、仁王君には困ったものです。…恐らく彼なら屋上に行かれたのではないかと思いますが」 やはり柳生先輩でも同じことを考えるのだなと思った。しかし屋上にはもう出向いて、無駄足だったことが分かったのだ。中は確認していないけれど、きっと仁王先輩なら幸村先輩があそこに来ることを把握しているに違いない。だからあそこにいる確率は低そうだし、まあ万が一幸村先輩と鉢合わせてくれたなら、幸村先輩がどうにかしてくれるのではないだろうか。 「ああ、そう言えば屋上は今幸村君が管理なさっているんでしたね」 「そうみたいですね。とは言っても鍵がなくても開け方があるみたいなんで、仁王先輩が入り込んではないとは言えませんが」 「そうですね…」 「こんなものを作っちゃうくらいだし。まあでも屋上には多分いませんよ」 そうして私が魔法の鍵、もとい針金を取り出すと、柳生先輩はぴくりと反応して眼鏡を押し上げた。急に空気が冷めたような気がして、私は思わず柳生先輩を見上げた。え? 「さん」 「…はい」 「仁王君はともかく、何故貴方がこのようなものを持っていらっしゃるのですか」 「えっ」 「全く、困った方ですね。仁王君のそういった姿を真似るのは良くないことですよ」 「あ、いやこれは、」 「これは没収します」 「えっ」 ひょいと、柳生先輩は私からその針金を取り上げてしまった。別にものすごく困る訳ではないけれど、せっかくの屋上の合鍵だったものだから、惜しい気もする。しかし私が少し不服そうな顔をすると、先輩の背負うオーラがきつくなったように見えた。今にも説教部屋の扉が開きそうだ。「おや、不服そうですね。…そもそもさんは」と彼が言葉を零した時、そらきたぞと私は息を呑んだ。普段から切原君と喧嘩が絶えませんが手が出ることも多いようですね、…くどくどくど、そんな感じである。その話は聞き飽きている。 けれど、不幸中の幸いか、視界の端に赤い物体がチラついたのである。あの色は私の知る限り一つしかない。 「あっ、待ちたまえ!」 柳生先輩の制止も無視して私は丸井先輩の元へ駆けていくと、ぴゃっとその後ろへ身をひそめた。突然のことに、丸井先輩は「え、なに、え?」とか言っている。さあ丸井先輩今こそ私の盾になる時ですぞ。 「ちょっと待ったどういう場面」 「仁王先輩の魔法の鍵を持っていることがバレて柳生先輩にちくちく言われている場面ですね」 「…あちゃあ」 丸井先輩は肩をすくめて、こちらへ向かってくる柳生先輩へ「まあまあ」と声をかけた。「まあまあではありません」すかさず、柳生先輩が応戦。丸井先輩は肩を竦めて私を見たけれど、先輩ファイトとかしか言えない。 「う、うーんと、あ、ちょっと俺今からに用事があるんだよ。今日は見逃してやって」 「…」 「それじゃ、あー…またな」 すごく今考えましたみたいな逃げ文句である。別に構わないが。柳生先輩はまだまだ何やら言い足りなさそうな顔をしていたけれど、丸井先輩がそれとなく私の腕を引いて、柳生先輩からさっさと離れていった。丸井先輩の実力なのか、案外あっさり引いたことを少々疑問に思いながら、私は丸井先輩の後に続く。 そうしてしばらく歩いて、柳生先輩の姿が見えなくなってから、丸井先輩が「ところで」と私を一瞥した。 「お前なんで柳生といたの」 「え、ああ、忘れてました、仁王先輩を探してたんですよ、もう」 「仁王?」 「同じクラスなんだから初めから丸井先輩に聞けば良かったですね、どこにいるかご存知ですか?」 私は仁王先輩の嘘のせいで、私の周りに何とも言えない微妙な被害が出ている話をした。先輩は話を最後まで聞き終える前に既に呆れ顔になって、ガムをぷくりと膨らましていた。幸村先輩の時もそうだけれど、仁王先輩の嘘はやっぱり日常茶飯事過ぎて思わず苦笑するレベルなんだろう。 「とりあえず、その様子じゃあ屋上は外れだったんだな」 「ええ、まあ」 「んじゃあとは視聴覚室とか?あそこ暗いし寝てるんじゃね」 「なるほど」 そういう訳で私達は視聴覚室に向かうことになったのであるが、そう言えば視聴覚室だって、鍵がかかっているのではないかと思う。まあ、仁王先輩ならそんなことものともしないのだろうけれど。 そうしてたどり着いた視聴覚室は、案の定鍵がかかって開かなかったわけで。しかし丸井先輩が「まあ待てって」と言うので黙って先輩を見ていると、彼は鍵の部分を手前に引っ張って半ば力技で視聴覚室の扉を開けてしまったのである。 「天才的だろい?」そう言う丸井先輩はいい笑顔だ。 「丸井先輩って相当のワルですよね」 「サンキュ」 「今の褒めてるように聞こえました?」 「んだよ、知恵の発端は仁王だぜ?」 「でしょうね」 とはいえ丸井先輩は仁王先輩と違って、スマートに開けたことはないけれど。きっと先輩にはピッキングなんて技術には向いていないのだ。もしくは力技の方が早いと思っている。 丸井先輩といたら、柳生先輩に余計怒られそうな気がして、早々にそばを離れようと思案しながら、しんと静まり返る視聴覚室を覗き込んだ。 見渡す限りでは誰かがいる気配はないし、完全に真っ暗だったから、誰かがいるような雰囲気でもない。 「ここもハズレみたいだな」 「ですね」 丸井先輩と顔を見合わせて、私はこくんと頷いた。仁王先輩は本当に煙のような人だ。どこにいるんだまったく。そろそろ昼休みも終わるから教室に戻らねばなるまいと、手に持ったからのプレゼントと真田先輩の書を見やって肩を落としていると、「二人して何しとるん」と不意に探し求めていた人物のその声を聞いた。弾かれるように勢いよく振り返れば、そこにいた仁王先輩は少し驚いたように、首を傾げている。 「仁王先輩!どこにいたんですかもう!」 「どこって、」 「いや、今はそんなことはどうでも良いです!よくも私の誕生日が昨日だなんて嘘ついてくれましたね!おかげでや真田先輩からまでプレゼント貰っちゃったじゃないですか!」 「…は」 「は、じゃなくて、仁王先輩が二人に謝って、」 「すいません、ちょっと待ってください」 「えっ」 今までに、誰かが仁王先輩に戻っていくところを見たことがあっても、仁王先輩が誰かに戻っていくところなど見たことがない。らしくなく、先輩が突然丁寧な口調になったかと思えば、目の前の仁王先輩は、ウィッグを外して見せたのだ。下から覗く整えられた綺麗な髪。そこにいたのは柳生先輩である。ん、あれ、え? 開いた口が塞がらないという奴である。 「えっ、すいません、ちょっと、あれ?」 「お前、さっき俺達と喋った、」 「いいえ、本日はここで初めてお二人とお話ししましたが、…ああ、仁王君が入れ替わりを頼んだ理由が今分かりました」 それじゃあ、私が3割り増しで仁王先輩の悪口を聞かせたあの柳生先輩は、鍵を取り上げたあの柳生先輩は、…皆、つまり、そういうことだったということか。柳生先輩は申し訳なさそうに、私からキツく言っておきますね、と答えたけれど、なんと言うか、もう私は何も信じられない。 「…ああ、やられたわ、もう何なのあの人」 あいつ下らないことするな、隣で丸井先輩がそんなことを呟いた。 ほんとにな。 (おかしいな喜劇のはずだったのに) return index next ( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 150303 ) |