52_子ども向けロマンス

「今日セブンのおでん70円の日じゃね」

数人で机をくつけて、お花紙をくしゃくしゃといじりながら教室を飾る花を作る。文化祭の内装班に振り分けられた私と切原君は、その中に混ざりながら、今日の放課後はひたすら花を折って、ホチキスをパチンと鳴らせて、そして広げるというその単純な作業を繰り返していた。内装班の皆は、初めこそぱらぱらと互いに他愛もない会話をしながら手を動かしていたものの、その内それすら面倒になって、誰もが黙々と手元に集中し始めていた。そんな中、切原君がお花紙に乱雑に折り目をつけながら唐突に冒頭のそれを言った。今日は各自に配られたお花紙を全て折りきるまで家には帰れない。大したノルマではないが、切原君の進みはやけに遅かった。くだらないことを話している場合ではないだろう。何でも早いのが自慢な癖に、こういうことは遅い。
私に声をかけたのか、単なる独り言なのか判断がつかなかったので、私は黙り込んだまま作り終えた花を袋に放り込んだ。前にいた男子が「まじかー食いに行こうかなー」と半ば形式的な返事を寄越す。だからそこで会話が広がることもなく、「にも言ってんだけど」切原君が私の椅子を蹴飛ばした。

「ああ、私に言ってたの」
「そうだよ」
「そうだったかすまないね」
「つうわけで帰りセブン寄ろうぜ」
「えええ何で」
「話聞いてなかったのお前」
「聞いてたけど」

おでんが安いから、一緒に行こうと、そういう話だろう。それは分かったけれど、そもそも何故私が切原君と帰路を共にする前提なのだろうか。彼とはクラスが同じな上に、今はこうして文化祭の準備で帰る時刻が重なるので、時折一緒に帰ることはある。それでも毎日ではないし、これでも私は彼に気を遣って、彼と一緒にいることで、クラスメイトにあらぬ噂を立てられぬようにしていると言うのに。以前、校舎裏に、切原君といるところを丸井先輩に目撃されて勘違いされたことを思い出して、私は切原君の申し出に渋りを見せた。

「何だよ、嫌なのか」
「嫌って言うかさあ」
「前から思ってたけど赤也とって仲良いよな」
「ん、そうか?」

切原君の申し出は嫌ではない。こうして誘ってもらえるのは正直嬉しいことだ。しかし、こうしてクラスメイトがふと口を挟んだように、こんな風なちょっとした言葉に尾びれ背びれがついて、広まってしまうのも面倒なわけで。切原君が構わないのなら、私もそういうことは気にならないタチだから良いのだが。とにもかくにも、切原君が今日のノルマをこなさなければ関わりのない話だ。
前に座っていた男子は、前まではって赤也のとこすげえ怖がってたのにな、と笑ってホチキスをお花紙に打ち付けた。そう、周りの人間の話を聞く限りでは、私がこうして切原君と仲良くするのは奇跡に近いことなのだろう。ノルマの最後の一つを広げながら、ふと私が出てきたあの掃除用具入れを一瞥した。実はまだこの世界を自分から拒絶していた頃、あの場所に入ってみたことがある。私はあそこに元の世界への道が繋がっているのではと思ったが、ここに私がいるということは結果は言うまでもないだろう。
そもそも、元々この世界にいた私はどうなってしまったのだろう。「?」切原君が私を覗き込んだので、そこで私は我に返った。

「あ、いや、…ていうか切原君、手を動かさないと、おでんどころじゃないよ」
「ああ?だぁってやってらんねえよこんなこと」
「悪いけど、私は自分のノルマが終わったら帰るから」
「な、そうはさせねえぞ」
「させてくれ」

切原君は、自分のノルマの束を適当に掴むとそれを私の前にサッと寄越した。友達って助け合うもんだろ、と言う切原君のその言葉は、漫画で良くある不良が弱い者に言うような台詞にそっくりだった。別にこの後何か用事があるわけではないので手伝うのは一向に構わないし、おでんだってとても惹かれるけれど、切原君の思惑通りになるこの流れは少しだけ不本意である。

「…はあ、これだけしかやらないからね」
「やりい」

だけどそんなことを思いながら彼を手伝ってしまう私はすっかりこの世界にふやかされている。


結局と言えば良いのか、当然の流れとして受け入れれば良いのか、私は切原君と帰路を共にすることになった。おでんを買うというのに一緒に適当にお菓子を手に取る彼には食べ盛りですなあとしか言えない。私は大してお腹が空いていたわけではなかったのだけれど、定番の大根とはんぺんとたまごと、なんて色々と欲張って買った。切原君の欲張り方も尋常ではなかった。
いつの間にか夏の色は失せて秋めき始めた景色と空気に、コンビニから出るとこの時間では肌寒さを覚える。夕闇が迫る空を見上げて、おでんの湯気を外へ逃がしながら私達はコンビニの前に突っ立っていた。

「文化祭まであとちょっとだね」
「そうだな」

切原君から誘った割に、先程から私達の間にはあまり会話がなかった。気まずさを覚えて、なんで私がとは思いつつ、当たり障りのない話題を振ってみる。「は文化祭楽しみ?」「いや全然」会話が幕を閉じた。今のは私が悪かったのかもしれない。切原君は私の返答を予想していたように、苦笑を零していた。

「あ、そうだ
「何ですかな」
「おでん一個やるから好きなの選べよ」
「はい?」

まるで何かを思い出したように私の器より一回り大きな切原君のおでんの器がぱかりと開けられて私へ差し出される。彼の中でどういう経緯があってそんなことを言い出したのかは私にはさっぱりで、彼の器の中を覗き込んだ。大根牛すじ餅巾着、腹に溜まりそうなものばっかりがぎゅうぎゅうに詰まっている。
箸で突いていた大根を置いて、「どういう風の吹き回し」と問うた。もしかしてお花紙を押し付けたお詫びだろうか。うわあ、普段そんなことしないのにどうしたの切原君。

「いやちげえよ!だってほら、お前あれだろ、」
「あれとは」
「今日誕生日なんだろ」
「なんてこった、そうだったのか」
「え、違うの!?」
「私の記憶では違うけど」

ああ、でもそれでおでんね、と私は納得した。一緒に帰ろうとしたのも、このためかと。それにしたって誕生日プレゼントにおでん一つはねえだろ。70円だし。
そんなことを言っても、せっかくの好意ということで、大根でも貰っておきましょうかねと箸を伸ばすとそれが切原君の器へ到達するよりも前に蓋が上に被された。

「せっかくだから今年だけは、2つ分年を取るつもりだったのに何故箸を閉め出す」
「誕生日じゃねえのに厚かましいなお前」
「70円のおでん一個でプレゼントを済まそうとした君に言われたくはないけどもね」
「うるせえな」
「君は誕生日云々の前に私に仕事を押し付けたお詫びをするべきだよ」
「そう言うのは無償だろうがよ。俺達友達だろ」
「さあてね」

そもそも切原君がそんなデタラメな話をどこから聞いたのかと思えば、案の定仁王先輩だと言った。「が誕生日って言ったような言わないような」だそうだが切原君の仁王先輩の口真似は恐ろしい程に似ていない。というかもう何それあからさまに嘘じゃんか。そもそも情報源が仁王先輩という時点で怪しさが群を抜いている。

「でも本当っぽかったんだって」
「どこも本当っぽくないし、何で仁王先輩と私の誕生日の話になったの」
「えっ」
「なんで」
「いや、それはあれだよ、あれ」
「切原君さっきからあれあれうるさくて、その年で物忘れとか心配になってくるね…」
「あああだから!」

切原君は歯がゆそうに頭をかいてから、あーとかえーとか、意味を為さない言葉ばかりを並べている。ただ待っているのも暇なので、私は食べかけだった大根を咀嚼していると彼は観念したように盛大に息を吐いた。

「なんつうか、始業式の日に、お前が、あー…俺を心配してる、みたいな話を聞いたわけだ。何だこれ自分で言うと恥ずかしいんだけど」
「ふんふん」
「だからお礼っぽいことしたいなあとか思ってたら仁王先輩が今日がお前の誕生日だって」
「そのタイミングで嘘を投入する仁王先輩ツワモノすぎか」
「ほらな、信じちゃうだろ!だからお礼するならこの機会かなってよお、ほら、俺って有難い奴だから」
「もしかして義理堅いって言いたいんですかね」

あ、それかも、と切原君は手を叩いた。もう頭が弱すぎて心配になるレベル。
彼は私に取られたくなかったからか、器の蓋を小さく開けて、大根に素早く噛り付いた。あっ、狙っていたのに。しばらく彼は湯気をほわほわとあたりに漂わせて、もりもりとおでんを食べていたけれど、その手が止まって、蓋の陰から私をチラリと伺った。

「…も、もしかして今の話も嘘だったりすんのか」
「まあ正直言って心配したって話も身に覚えがないといいますか、いやあ非常に申し訳」
「だあああなんなんだよ!」
「私に怒られてもね」

おでんの器を抱えながらブチ切れる切原君はなかなかにシュールだった。くたびれたサラリーマンが私達を訝しみながらコンビニの前を通過していく。さっきからそんな感じでもう何人の人がここを横切っただろう。
もしかしたら仁王先輩は、始業式があったあの日、コートで一人壁打ちする切原君をぼんやり見ていた私に、『切原君を心配している』とそんな風に思ったのだろうか。まあ確かに気にはかかっていたけれどこれは果たして心配というのだろうか。そうだったとしても、いや、そうだったとしたら、余計に切原君に、はい心配していましたよ、なんて言えるはずもない。だってなんか気恥ずかしい。仁王先輩は秘密主義者なくせして、どうしてそういうことをぺらぺら喋ってしまうのだろう。きっとそんな文句を言ったら黙ってろとは頼まれていないとかそんな屁理屈をかまされるのだろうな。
すっかり仁王先輩の言葉に振り回された切原君は少しふてくされたように黙り込んでしまった。この空気の悪さは仁王先輩のせいである。だけどこの場合、私が悪い流れというか、とりあえず場を取り繕うべきなのだろうか。切原君の横顔をこっそり伺っていると、ばちりと目があって、私は反射的に彼の名前を呼んだ。

「なに」
「あーえーと、そう、切原君は、誕生日いつなの」

思いついた言葉を勢いに乗せて口から出したこの博打はきっと負けだ。なんてチョイスミス、と今更取り返しのつかない不自然な会話の流れに肩を落としていると切原君は「もうすぐ」とだけ返した。ああ、切原君の誕生日って9月だったんだね。

「お前はお祝いしてくれねえの」
「えっ」
「…」
「あっ、しようね、お祝いしよう」

この場はこう言うしかあるまい。「おめでとう」と笑うと切原君は「いや今じゃなくてさ」と言った。祝うなら早いほうがおトクじゃないか。「何がだよ適当言うな」切原君の意見はかなりもっともだった。我ながら酷い理屈だけれど、それでもこの話題を途切れさせる気はなかったので私は無理にでも繋ごうとする。箸で自分の器のはんぺんを掴むと切原君の器へ放り込んだ。つゆが跳ねたけど気にしたら負けである。

「じゃあお祝いにはんぺんさんあげようね」
「誕生日におでんとか」
「あれ、私誰かに同じことされたような」
「大根寄越せよ」
「これ食べかけだしな、自分で買いなよ」
「買わせるのかよ誕生日プレゼントなんだろ」
「でも今日じゃないしね」
「お前言ってることめちゃくちゃじゃねえか」
「ハハハ」
「ハハハじゃねーよ」
「痛っ」

切原君は私の腕を掴むと器の中の大根を丸々掴んで自分の方へ移し替えると、私に文句を言われる前にと言わんばかりにもしゃしゃ、と口に入れてしまった。ちょっと待てそれ私の齧りかけなんですけど!

「なんてことしてくれたんだ君は」
「大根一つでうるせえなあ」
「大根じゃなくて食べかけだったんですけど」
「気にしない気にしない」
「えええ私は気にするよ」

切原君は牛すじもサッとお腹に収めてしまうと、ゴミ箱へ器を捨てて、私を振り返った。にやりと彼の口元が弧を描く。

「じゃあずっと気にしてれば?」
「は、」
「俺は別に構わねえよ?」
「あ、ちょっと待、」

突然切原君の機嫌が良くなったような気がしたのは気のせいだろうか。時期的に女心は秋の空って奴かな。切原君は男だけど。くだらないことを考えながら、私も器をゴミ箱へ放って、先に行ってしまった彼を追おうとした時だ。携帯が震えて、私の足を引き止めた。ディスプレイにはの文字だ。

さん、今日誕生日なんだって?明日プレゼント持ってくね』

だから違うって。
一体何がしたいんだよ仁王先輩は。


(子ども向けロマンス)


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( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 150301 )